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大阪市

  • 【白山神社】(しらやまじんじゃ)大阪市城東区 【白山神社】(しらやまじんじゃ)大阪市城東区

    【白山神社】(しらやまじんじゃ)  菊理媛神(くくりひめのかみ)を祭神としています。創建年月は不詳ですが、明治5年までは、白山権現と称していました。応永(1394年)の頃から中浜・鴫野・森の諸村の氏神であったものが天正4年(1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年)豊臣秀頼により再建されました。しかし、同19年大阪冬の陣による兵火で再び焼失しました。

  • 【八王子神社御旅所】(はちおうじじんじゃおたびしょ)大阪市東成区 【八王子神社御旅所】(はちおうじじんじゃおたびしょ)大阪市東成区

    【八王子神社御旅所】(はちおうじじんじゃおたびしょ)  明治22年迄は、この地一帯は東成郡西今里村と称し、素盞嗚命(すさのをのみこと)、奇稲田媛命(くしなだひめのみこと)、大貴大命(おおなくにのみこと)の三柱を奉斎する八剣神社がここに在り、此の村の氏神さまでした。その歴史は大変古く、仁徳天皇が高津宮の皇居守護神としてお祀りされたと伝えられています。その後仁壽2年9月に里人産土神として社殿を修営し、

  • 【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区 【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区

    【妙法寺】(みょうほうじ)  聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。 「契沖遺跡」(けいちゅういせき) 昭和24年(1949年)に妙法寺境内は、僧契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定されています。近世国学の祖といわれる契沖は、延宝7年(16

  • 【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区 【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区

    【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう)  街道沿いのまちなみが残る大今里の住宅地から少し入ると、妙法寺と並んで熊野大神宮(くまのだいじんぐう)があります。 熊野大神宮の歴史は古く、聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれました。明治維新後の神仏分離で現社名に改めました。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)ほか二柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。 石山合戦

  • 【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区 【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区

    平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。由緒について;当社の祭神、赤留比売命は新羅(しらぎ)から来た女神で天之日矛(あめのひぼこ)の妻と伝える。当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳(つまびら)かではない

  • 【露天神社】(つゆのてんじんじゃ)通称:お初天神。大阪市北区 【露天神社】(つゆのてんじんじゃ)通称:お初天神。大阪市北区

    【露天神社】(つゆのてんじんじゃ)通称:お初天神。概ね摂津国西成郡曾根崎村(キタの西半)を氏地とする。祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱の神を祀る。社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされる。創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。 天照皇大神を祭神として祀ることから、かつ

  • 【廣田神社】(ひろたじんじゃ)大阪府浪速区 【廣田神社】(ひろたじんじゃ)大阪府浪速区

    【廣田神社】(ひろたじんじゃ)大阪府浪速区  撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る。もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)ですが創建年代は不詳です。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のなかに社がありました。当時は境内も広く、紅白二種の萩を植えた茶店があって、萩の茶屋と呼ばれていたといわれ

  • 【杭全神社】(くまたじんじゃ)大阪市平野区 【杭全神社】(くまたじんじゃ)大阪市平野区

    【杭全神社】(くまたじんじゃ) 主祭神 :素盞嗚尊 熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊) 当社の由緒は、平安の初期、征夷大将軍坂上田村磨の子、広野麿が枕全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、その子当道が862年(貞観4年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが現在の第一殿で、これを創祀とする。後年、1190年(建久元年)に熊野信仰が大いに流行するにおよび、熊野證誠権現(伊弉諾尊

  • 【宇賀神社】(がやじんじゃ)杭全神社末社 【宇賀神社】(がやじんじゃ)杭全神社末社

    杭全神社の境内に摂社の【宇賀神社】(がやじんじゃ)があります。社が池の中にあって、弁才天が祀られています。この神社の由緒等は不明です。 住所:大阪府大阪市平野区平野宮町1丁目9 #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #ムラゴン #Sakamoto119

  • 【小さな駄菓子屋さんの博物館】全興寺内 / 大阪市平野区 【小さな駄菓子屋さんの博物館】全興寺内 / 大阪市平野区

    全興寺(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。境内に【小さな駄菓子屋さんの博物館】があります。 平野町ぐるみ博物館の常設館の一つ。1993年に寺の蔵を改修してオープンした。川口住職が小さい頃駄菓子屋で集めた数百点のコレクションを展示している。展示物は駄菓子の外箱や包装紙、ブリキのポンポン船やメンコ、ビー玉、ベーゴマ、日光写真、リリアンなどで、昭和20、30年代に駄菓子屋にあったものが

  • 【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区 【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区

    【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり

  • 【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区 【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区

    平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。由緒について;当社の祭神、赤留比売命は新羅(しらぎ)から来た女神で天之日矛(あめのひぼこ)の妻と伝える。当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳(つまびら)かではない

  • 明日夜9時まで!お見逃しなく! 明日夜9時まで!お見逃しなく!

    ご喜元いかがでしょうか 『アダルトチルドレンの誤解を解き 本来の『私』の愛と幸せ自由を手に入れる』 24時間カウンセリング 人生経験豊富な メンタルサポーター・マインドブロックバスター大山桃子です。 お年玉プレゼントのブロック解除で始まり お年玉プレゼントのブロック解除で終わる そんな日々を過ごしています。 *初回無料セッションと同時にブロック解除される方 *継続のカウンセリングと同時にブロック解

  • 【高崎神社】(たかさきじんじゃ)大阪市住之江区 【高崎神社】(たかさきじんじゃ)大阪市住之江区

    【高崎神社】(たかさきじんじゃ)  由緒について;宝暦五年(1755年)初代加賀屋甚兵衛氏が産土神の水分神を勧請して 大和川河口に祭り、天保八年(1837年)現地に移築して同時に天照大神、柿本人丸大神を合祀したと言う社伝では、天保十年(1839年)創建された。当地一円の開拓者、三代目加賀屋甚兵衛氏の埋立工事が、洪水・高潮に度々阻害され其の加護を祈願して、自身生国の氏神水分社の御分霊を祠官松原若狭守

  • 【止止呂支比売命神社】(とどろきひめのみことじんじゃ)大阪市住吉区 【止止呂支比売命神社】(とどろきひめのみことじんじゃ)大阪市住吉区

    【止止呂支比売命神社】(とどろきひめのみことじんじゃ)  御祭神;素戔嗚尊、稲田姫尊。摂社:霰松原荒神社/天水分豊浦命神社(式内社)三宝荒神(天水分命、奥津彦命、奥津姫命)、大国主命、事代主命。由緒について;創建年代は不明。しかし、延喜式にはその名の記載がある。社名のトドロキとは当時の境内にあった橋の名前。承久3年(1221年) 後鳥羽天皇が、当社境内松林内に行宮を立てて以降、若松宮あるいは若松神

  • 【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区 【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区

    【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区 由緒について ;延喜式内の古社であって、三の宮と称され、遠く二千年前の御創建である。 御祭神は、主神(神産霊大神、手力雄命、天児屋根命)、相殿(天日鷲命、大己貴命 、宇賀魂命)、追祀(少名彦命、素盞嗚命、住吉大神)である。 本社は古来酒造の祖神として将又医薬の祖神として衆庶の信仰厚く、又文武両道の守 護神として御神徳顕著であった。 社領

  • 【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)大阪市平野区 【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)大阪市平野区

    大阪市は平野区に鎮座の、難読地名を名に持つ【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)」。 御祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)、平維盛(たいらのこれもり)。 瓜破の歴史を記録し唯一現存する船戸録(天文元年 1736 記)によれば、 孝徳天皇の大化年中(645~649)瓜破地域に住んでいた高僧「船氏道昭」が、 5月晦日三密の教法を観念していたところ、庵室に光る天神の尊像が

  • 【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ)大阪市平野区 【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ)大阪市平野区

    【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ)  延喜式内の神社で祭神は長江襲津彦命、事代主命の二座である。明治5年に旧郷社に列せられたころは、旧長吉、瓜破、恵我、大正、藤井寺の各村の総氏神であったが、現在は長吉一円の氏神である。大坂夏の陣のとき、豊臣方の武将真田幸村がこの神社に刀剣と軍旗を奉納して戦勝を祈願したと伝えられ、刀剣は第2次世界大戦後、占領軍の命令で没収されたが、軍旗は今も神社に保存されてい

  • 【赤坂神社】(あかさかじんじゃ)大阪市平野区 【赤坂神社】(あかさかじんじゃ)大阪市平野区

    【赤坂神社】(あかさかじんじゃ)大阪市平野区 この地は、もと丹北郡赤坂村と呼ばれたが、元弘元年(1331年)金剛山麓の「千早赤坂」を拠点に楠木正成が鎌倉幕府に対して反旗をあげたので、同名の「赤坂村」の名では混同されて幕府軍から攻撃される恐れがあり、赤の字から縦の線を、坂の字から土を取り「六反」になったと伝わる。 赤坂神社は、創建は明らかでなく、もと素盞鳴尊を祀るのみであったが、明治5年4月に素盞鳴

  • 【新家天満宮】(しんけてんまんぐう)大阪市平野区 【新家天満宮】(しんけてんまんぐう)大阪市平野区

    【新家天満宮】(しんけてんまんぐう)大阪市平野区  この神社の案内板によると、由緒は、「御祭神;菅原道真公、天照大神。当社の創建年月は不詳であるが、所伝によれば、この鎮座地は、御祭神の菅原道真公が左大臣藤原時平の陰謀、讒言によって昌泰四年(901)、16歳の醍醐天皇により右大臣、従二位の官位から大宰権帥に左遷され(道真公没後20年目の延喜23年(923)、同じ醍醐天皇により、右大臣に復され背負う正