八尾市

  • 【太川神社】(おおかわじんじゃ) 大阪府八尾市  【太川神社】(おおかわじんじゃ) 大阪府八尾市 

    【太川神社】(おおかわじんじゃ) 大阪府八尾市 国道25号線沿いの大阪府八尾市南太子堂に【太川神社】(おおかわじんじゃ)があります。この神社の由緒について(境内案内板より);「御祭神;素盞嗚命、保食神。太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂6丁目11番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称

  • 【西向稲荷】(にしむき稲荷)【高倉大明神】(たかくらだいみょうじん)【於花大明神】(おはなだいみょうじん)/大阪府八尾市 【西向稲荷】(にしむき稲荷)【高倉大明神】(たかくらだいみょうじん)【於花大明神】(おはなだいみょうじん)/大阪府八尾市

    JR関西本線沿いの大阪府八尾市植松の住宅地に、弘法大師、お稲荷、不動明王を一度に参拝できる場所があります。JR八尾駅の南口を出て、「安中新田会所跡・旧植田家住宅」もある方向へ歩きます。植松1丁目8番地に駐車場があり、舗装されていない道が見えます。その道を行くと白い鳥居が見えます。 ①向かって左側に、「高野山 真言宗 弘法大師」です。お顔はふっくらしています。 ②中央に、【西向稲荷】(にしむき稲荷)

  • 「高倉大明神(たかくらだいみょうじん)、於花大明神(おばなだいみょうじん)」と「植松不動明王(ふどうみょうおう)」八尾市 「高倉大明神(たかくらだいみょうじん)、於花大明神(おばなだいみょうじん)」と「植松不動明王(ふどうみょうおう)」八尾市

    JR関西本線沿いに「高倉大明神(たかくらだいみょうじん)、於花大明神(おばなだいみょうじん)」と「植松不動明王(ふどうみょうおう)」が並んでいます。 鳥居に額もありませんが、看板があり 『高倉大明神(たかくらだいみょうじん)、於花大明神(おばなだいみょうじん )玉垣営繕奉賛御芳名 平成十八年十月吉日』 と記されています。 場所:大阪府八尾市植松 (撮影:2016/11/18) #じゃらん #じゃら

  • 【住吉神社】(すみよしじんじゃ)大阪府八尾市東山本町 【住吉神社】(すみよしじんじゃ)大阪府八尾市東山本町

    【住吉神社】(すみよしじんじゃ)大阪府八尾市東山本町  大阪線河内山本駅から北東へ500m程の距離にあり、駅前の「山本八幡宮」の北側の橋を渡り東へ信貴山の方向に向いて山本新田会所跡から一本東側の道を東へ進むと程なく北へ入る道があり、中へ入って直ぐにあります。  御祭神;底筒男命、中筒男命、表筒男命 由緒;「当神社は住吉三紳を祀る村社であり、遠く延享年間(1744~1747)の昔より村の守護神であり

  • 【杵築神社】 (きづきじんじゃ) 大阪府八尾市佐堂町 【杵築神社】 (きづきじんじゃ) 大阪府八尾市佐堂町

    【杵築神社】 (きづきじんじゃ) 大阪府八尾市佐堂町 由緒について:「御祭神;素戔嗚尊。弥生時代の佐堂遺跡内にある産土神で、通称「佐堂のお宮さん」で親しまれている。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で出雲本社から分霊したものと伝えられる。本殿は一間社春日造で覆屋内に鎮座する江戸時代中期の敬つく様式である。境内には享保十八年(1733)宝歴五年(1755)の銘のある石燈篭もあり由緒深い神社である。神

  • 【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削

    【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 弓削氏の祖神である天日鷲翔矢命と物部氏の祖神の彌加布都神、比古佐自布都神の二座をまつる延喜式内社で、河内国でも枚岡、恩智社に次ぐ三指に数えられた大社であった。弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とする豪族で、弓矢などの武器の製作にたずさわる弓削部を率いた伴造であった。この一族から物部守屋や孝謙女帝に仕え、その信任を得た弓削道鏡を輩出した。「続日本

  • 【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町 【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町

    【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町 八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。 八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある弓削神社と西側の弓削町一丁目にある弓削神社の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社である。 なお、鎮座地は弓削が旧河内国志紀郡、東弓削が旧河内国若江郡にあたり、延喜式神名帳には若江郡の式内社と記載されて

  • 【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市 【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市

    【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市 この神社の鳥居の前にある案内板の由緒には、「太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称え奉る。御祭神の素戔嗚命は災難、厄除け招福の神として勇氣と活力を授け給い保食神は五穀豊穣と商賣繁昌に靈驗灼かなり

  • 【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市

    【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈願しここに記す。」 所在地:大阪府八尾市垣内5丁目 この【子守社】の道路を挟んだ向かいに「垣内公園」があります。垣内(かいち)は八尾市の東寄り、高

  • 【教興寺】(きょうこうじ)大阪府八尾市 【教興寺】(きょうこうじ)大阪府八尾市

    【教興寺】(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したという。寺は中世には荒れ果て、鎌倉時代に、奈良・西大寺の叡尊が復興した。叡尊は河内布教の帰途の際、教興寺が荒れ果てて

  • 【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市 【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市

    【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市 熊野神社とも呼ばれます。熊野権現を祀ります。山麓なので正面入り口からは階段で上がっていく高台に鎮座しているように感じます。  権現社の沿革:「慶長年間(1596~1614)に、熊野権現を勧請」。寛政2年(1790)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀。鎮座地について当初は、黒谷1021番地 山頂に近い常川(伝承)。その後、黒谷1142番、現在地の南東 約10

  • 【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市  2/2 【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市  2/2

    【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作られたものと考えれます。 銅鐸は現在東京博物館にありその拓本が当寺にあります。【安養寺】は浄土宗で本尊

  • 【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市  1/2 【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市  1/2

    【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作られたものと考えれます。 銅鐸は現在東京博物館にありその拓本が当寺にあります。【安養寺】は浄土宗で本尊

  • 【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部 【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部

    【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部 ◆御劔神社のしるべ 此の地、古くは河内国若江郷刑部郷と言い訓を聞けば刑部(おさかべ)は、備中国賀夜郷、伊勢国三重郡等の刑部郷の例により於佐加部と読むべしと伝えられその遺構であると言われている。第十九代允恭天皇の忍坂大中女命の御名代として定められた民部であり、御名代部として奉仕した後にこのオサカベの民部が刑部(ウタエ)の職に奉仕したので、記紀では刑部

  • 【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市 【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市

    【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市 この地は、物部氏の住地であり、この社はその祖神をまつったものである。北木本と木本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されている。守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本」となったと伝える。境内には黄檗宗日羅

  • 【竹淵神社】(たこちじんじゃ)大阪府八尾市 【竹淵神社】(たこちじんじゃ)大阪府八尾市

    【竹淵神社】(たこちじんじゃ)大阪府八尾市 天照皇大神宮を祭る。昔は水田の中、周囲を濠で囲まれた神社であったが、住宅地が接近してきたため、昭和44年、周濠(宮池)の一部を埋め立てて神域を広くし、まわりの住宅地との間に緑地帯をつくった。この宮池には龍神が住むと言い伝えられている。神社の森にある楠の大木が市の保全樹木に指定されている。竹渕の名は、神武天皇が長髄彦に襲われたとき、この地にあった大竹藪の渕

  •  【跡部神社】(あとべじんじゃ)大阪府八尾市 【跡部神社】(あとべじんじゃ)大阪府八尾市

    【跡部神社】(あとべじんじゃ)大阪府八尾市 由来について:「当神社は延喜式内社(今より約阡八十年前)人皇天皇第六十代醍醐天皇時代に延喜年間と言ふ年号が有り、通稱平安時代又は藤原時代と言はれております。其の初期にお祀りされておりましたのを今の跡部神社であり、その時に有りました神社を式内社と言はれております 又神社の創建せられました年月は不明でお祀りして有る御祭神もあきらかでありません 然し此の地は昔

  • 【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市 【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市

    【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「太子堂」と呼ばれている。 また、この【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)より国道25号線を100m程

  • 【顕証寺】(けんしょうじ)と【久宝寺寺内町】大阪府八尾市 【顕証寺】(けんしょうじ)と【久宝寺寺内町】大阪府八尾市

    【顕証寺】(けんしょうじ)は、大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。久宝寺御坊ともいう。 かつて、周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。伝承によれば、久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじんじゃ)境内には太子創建を伝える久宝寺観音院があったが、明治の神仏分離で廃絶した。 【顕証寺】(けんしょ

  •  【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市 【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市

    【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市 当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進聖堂場として栄えていたのをのち、聖僧の盤龍が今の地域に定めて本堂を建てたと伝えられています。聖徳太子作と伝わる十