羽曳野市

  • 【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)と「史跡 井徳院址」/ 羽曳野市 【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)と「史跡 井徳院址」/ 羽曳野市

    【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)と「史跡 井徳院址」/ 羽曳野市 「白鳥神社」から近鉄南大阪線の東側を北へ向かって進んで集落の切れ目近くに鎮座しています。【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)は、もとは「井徳院」と言われた奈良時代の寺の鎮守であったか、あるいは古市神社からの分社であると考えられ、延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも記されていないので、創建はおそらく平安中期より

  • 【西琳寺】(さいりんじ)羽曳野市 【西琳寺】(さいりんじ)羽曳野市

    【西琳寺】(さいりんじ)羽曳野市 大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は向原山。本尊は薬師如来立像。欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺が起源とされ、8世紀後半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基とされる。 創建時は現在よりも一回り大きい寺域(東西109m、南北218m)を有し、難波宮と飛鳥を結ぶ日本最古の街道である竹内街道に面していた。 出土品の瓦などか

  • 【高屋神社】(たかやじんじゃ)羽曳野市 【高屋神社】(たかやじんじゃ)羽曳野市

    【高屋神社】(たかやじんじゃ)羽曳野市  饒速日命と広国押武金日命(安閑天皇)を祀ります。当地は物部氏の系統で、『新撰姓氏録』に「饒速日命の十世の孫、伊己止尼大連の後」と記される「高屋連」の本貫地であり、祖神として饒速日命が祀られました。広国押武金日命は後に祀られました。 社伝によれば、宣化天皇3年(538年)、勅命により創建されました。延喜式神名帳に「河内国古市郡 高屋神社」と記載され小社に列格

  • 【城山姥不動明王】(しろやまうばふどうみょうおう)羽曳野市 【城山姥不動明王】(しろやまうばふどうみょうおう)羽曳野市

    【城山姥不動明王】(しろやまうばふどうみょうおう)羽曳野市 安閑天皇陵(高屋築山古墳)内に本丸を置いていた高屋城(河内国守護職畠山家の居城)跡にある【城山姥不動明王】(しろやまうばふどうみょうおう)です。「高屋築山古墳」(たかやつきやまこふん)とは、大阪府羽曳野市古市5丁目にある古墳。形状は前方後円墳で古市古墳群の最南端に位置します。実際の被葬者は明らかではないですが、宮内庁により「古市高屋丘陵(

  • 【軽羽迦神社】(かるはかじんじゃ)羽曳野市 【軽羽迦神社】(かるはかじんじゃ)羽曳野市

    【軽羽迦神社】(かるはかじんじゃ) 祭神は、天照大神 蔵王権現 熊野権現(蔵王権現・熊野権現は、後の合祀なようです。)由緒について、羽曳野市の案内には、「現在の軽羽迦神社は戦後建てられたもので、最初は白鳥陵古墳の濠の横の祠に祭ってあったとされています。その後、誉田八幡宮に一時預けられ、現在は「白鳥陵古墳」の隣に移されました。今でも白鳥陵古墳の濠の横には小さな祠が残っています。」と書かれています。

  • 【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)羽曳野市 【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)羽曳野市

    誉田八幡宮(こんだはちまんぐう) 旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する。社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最古の八幡宮を称している。奈良時代には行基によって神宮寺の長野山護国寺も創建された。永承6年(1051年)の後冷泉天皇行幸の際に、元の

  • 【雄略陵古墳】(ゆうりゃくりょうこふん)羽曳野市 【雄略陵古墳】(ゆうりゃくりょうこふん)羽曳野市

    雄略天皇は5世紀後半の大王で、当時の中国王朝へ称号を求めるために遣いを送った倭の五王の一人、「武」として知られている。 所在地 :大阪府羽曳野市島泉8丁目 アクセス: 近鉄南大阪線「高鷲駅」下車 北へ600m

  • 「大阪府内の古代寺院をたずねる」 「大阪府内の古代寺院をたずねる」

    「楽しい古代寺院巡り」という本を図書館で借りて大阪市内の古代寺院の数か所を自転車で廻ったことがあります。本自体はかなり前の1998年版です。この本で実際に、大阪府柏原市と羽曳野市の数か所の寺院、神社に行ってみると、載っている写真の方が当然ながら新しく感じます。この本にはアクセス関係と地図が載っていますが、詳しくないのでグーグルマップなどで事前に調べて行ったほうがいいと思います。自分はいつもネットで

  • 羽曳野市駒ケ谷 に鎮座する【白玉大明神・白龍大神・脳天大神】 羽曳野市駒ケ谷 に鎮座する【白玉大明神・白龍大神・脳天大神】

    大阪府羽曳野市駒ヶ谷に鎮座する「白玉大明神(しらたまだいみょうじん)」「白龍大神(はくりゅうおおかみ)」「脳天大神(のうてんおおかみ)」と「八丁地蔵尊(はっちょうじぞうそん」「役行者 祓水(えんのぎょうじゃ はらいみず)」です。 近鉄南大阪線の踏切を渡った所に不動明王などが並んでいるのが見えます。鳥居と神様の名前を並べて彫り込んだ石がご神体として祭られています。「白玉大明神」というと稲荷神社を思い

  • 【金剛輪寺】(こんごうりんじ)(杜本神社の神宮寺) 【金剛輪寺】(こんごうりんじ)(杜本神社の神宮寺)

    駒ヶ谷駅から東に約10分程歩いた宮山頂上付近にあるのが杜本神社 (もりもとじんじゃ)です。現在の祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされていますが、平安初期には百済宿袮永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀(まつ)る神社であったようです。  藤原永継の子・冬嗣(ふゆつぐ)は、嵯峨天皇のときに起こった薬子の変を契機として設置された

  • 【杜本神社】(もりもとじんじゃ)羽曳野市 【杜本神社】(もりもとじんじゃ)羽曳野市

    【杜本神社】(もりもとじんじゃ)羽曳野市  現在の祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされていますが、平安初期には百済宿袮永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀(まつ)る神社であったようです。  藤原永継の子・冬嗣(ふゆつぐ)は、嵯峨天皇のときに起こった薬子の変を契機として設置された蔵人所の初代蔵人頭に任命され、急速に力を伸ばし

  • 【日吉神社】(ひよしじんじゃ)羽曳野市 【日吉神社】(ひよしじんじゃ)羽曳野市

    竹内街道(たけのうちかいどう)を歩いて行くと何か駐車場のような建物が見えてきます。その横に【日吉神社】(ひよしじんじゃ)があります。 境内はとても狭いですが狛犬もあります。日吉神社なのになぜか丹比神社の石碑があります。由緒などは不明です。 この日吉神社の隣の駐車場の中に地蔵堂があります。地蔵尊の名前が記されていて五体の地蔵尊を安置しています。行者神変大菩薩大菩薩、大日大照不動明王、弘法大師、弘法大

  • 【野中寺】(やちゅうじ)大阪府羽曳野市 【野中寺】(やちゅうじ)大阪府羽曳野市

    【野中寺】(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。別称は中之太子。山号は青龍山。本尊は薬師如来。創建は飛鳥時代。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から、飛鳥時代~奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明ら

  • 【大津神社】(おおつじんじゃ) 大阪府羽曳野市 【大津神社】(おおつじんじゃ) 大阪府羽曳野市

    【大津神社】(おおつじんじゃ) 大阪府羽曳野市 大阪府羽曳野市高鷲にある神社で、延喜式神名帳に記載されている、河内国丹比郡の式内社。 厄除開運、縁結び、安産、家内安全、交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稻田姫命(くしいなだひめのみこと)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇(885~930)の

  • 【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)羽曳野市 【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)羽曳野市

    【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう) 旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する。社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最古の八幡宮を称している。奈良時代には行基によって神宮寺の長野山護国寺も創建された。永承6年(1051年)の後冷泉天皇行幸の際に、

  • 【白鳥神社】(しらとりじんじゃ)大阪府羽曳野市 【白鳥神社】(しらとりじんじゃ)大阪府羽曳野市

    日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀る。明治時代に近隣の高屋神社を合祀し、その祭神である饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)を合せ祀る。元は軽里の西方の伊岐谷にある白鳥陵の頂に鎮座し、「伊岐宮(いきのみや)」と呼ばれていた。南北朝・戦国の兵火により衰微し、峯ケ塚古墳の頂の小祠として祀られてきたが、慶長9年(1596年)の慶長の大地震で倒壊し、そのまま放置されていた。天明4年(1784年)、古市の氏神と