東大阪市

  • 【市杵嶋姫神社】 ( いちきしまひめじんじゃ ) 東大阪市 【市杵嶋姫神社】 ( いちきしまひめじんじゃ ) 東大阪市

    【市杵嶋姫神社】 ( いちきしまひめじんじゃ )  大阪府東大阪市客坊の氏神様です。明治五年まで今の客坊公民館の場所にあったそうですが、明治五年(1872)に枚岡神社(ひらおかじんじゃ)への合祀後、昭和十二年に現在の場所に移ってきたそうです。祭神は市杵嶋姫であり、この神様は実は弁財天です。 昭和十二年(1937)に社殿と石造物等が現在地に移設、正確には合祀によって廃社となっていますので「旧市杵島神

  • 【諏訪神社】(すわじんじゃ)東大阪市中新開 【諏訪神社】(すわじんじゃ)東大阪市中新開

    【諏訪神社】(すわじんじゃ)東大阪市  由緒について;御祭神;諏訪大明神、稲荷大明神、筑羽大権現。諏訪神社に伝わる「氏神三社興隆期」(市文化財に附指定)には、神社の縁起について次のようなことが記されています。大日本國五機内河内国河内郡に勧請奉る諏訪大明神は吾が先祖信濃国諏訪の住人諏訪連の子孫、動乱により当地に来たりて耕作し、新田を開き中新開村と名付け、先祖をお祭りするために三社を勧請奉り建立す。中

  • 【角田神社】(すみだじんじゃ)東大阪市角田 【角田神社】(すみだじんじゃ)東大阪市角田

    【角田神社】(すみだじんじゃ)  由緒について;平成七年に新社殿建設とあり、平成八年に旧神社跡地に付き昔より参詣の多い柳谷観音を祭ることを決定したとある。 この地区に中河内立願講があり、百年以上前より毎年四月六日に講詣りがされている。眼病、諸病で悩む人々が高齢者で、本山への参詣が出来ない人々の為に、この角田神社の跡を改装して本山柳谷楊谷寺より分尊を戴き、角田柳谷観世音菩薩としてお祭りする。  住所

  • 【彌栄神社】(いやさかじんじゃ 、通称:やえじんじゃ)  東大阪市 【彌栄神社】(いやさかじんじゃ 、通称:やえじんじゃ) 東大阪市

    【彌栄神社】(いやさかじんじゃ 、通称:やえじんじゃ)   由緒について; 御祭神;素盞鳴命・天穂日之命 神社は旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王)と称されていました。 創建年代は不明ですが、祭神は須佐之男命です。伝えによれば、天正の頃、石山合戦により村落とともに消失したと伝えられています。 その後、慶長5年(1600)に片桐且元より社地を拝領し社殿を再建したと宮の記録に記されています

  • 【森河内八幡神社】( もりかわちはちまんじんじゃ)東大阪市 【森河内八幡神社】( もりかわちはちまんじんじゃ)東大阪市

    森河内八幡神社( もりかわちはちまんじんじゃ)正式名称は【八幡神社】。 JR放出駅の南東400mの場所に鎮座します。御祭神は誉田別命と思われますが創建時期などは不明です。 境内にある石造物は近年のもの以外は享保、天保年間のものが多く鳥居は元禄八年(1695)に建てられたものです。 境内の入口には灯籠と鳥居が立ち、静かな境内は整然と整えられています。参道正面には天保11年生まれの浪速狛犬が護る千鳥破

  • 【椿神社】(つばきじんじゃ)東大阪市 【椿神社】(つばきじんじゃ)東大阪市

    【椿神社】(つばきじんじゃ)は東大阪市三島に鎮座しています。赤い鳥居に狛犬の替わりに狛狐が置かれています。 境内には神社の名の由来と思われる椿の木がありますが、東大阪市の保存樹であるクスノキの大木もあります。 石造物は天保四年(1833)の燈籠と二基ある手水鉢の内、年号の確認出来なかった一基に「加島屋」の名が見られましたが、屋号かと思われます。この場所は「三島新田」と呼ばれた開墾地でしたが、新田開

  • 【山科神社】(やましなじんじゃ)東大阪市 【山科神社】(やましなじんじゃ)東大阪市

    東大阪市七軒屋に鎮座する【山科神社】(やましなじんじゃ)別称、【山科大明神】(やましなだいみょうじん)です。 由緒等は不明です。大正四年(1915)に「御厨天神社」に合祀され、昭和五十六年(1981)に現鎮座地に復社しています。社名は中世この辺りの領家であった「山科家」に由来するそうです。鳥居の奥には「山科大明神やましなだいみょうじん」の石碑が祭られています。  住所:大阪府東大阪市七軒家12-1

  • 【六郷神社】(ろくごうじんじゃ)東大阪市 【六郷神社】(ろくごうじんじゃ)東大阪市

    東大阪市本庄に鎮座する【六郷神社】(ろくごうじんじゃ)です。 由緒について;御祭神;應神天皇、仲哀天皇、神功皇后。当神社の創建年代は不詳なれども、往古は、八幡宮又は八幡神社と称した。大正十一年刊行の大阪府全誌に依ると、六郷神社(ろくごうじんじゃ)は、大字本庄の中央字宮の内にあり、もと八幡神社と称し應神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀れり、明治五年村社に列し、同四十年九月十九日大字中野字山王の村社日吉神

  • 【箕輪八幡神社】(みのわはちまんじんじゃ) 東大阪市箕輪1 【箕輪八幡神社】(みのわはちまんじんじゃ) 東大阪市箕輪1

    東大阪市箕輪に鎮座する【箕輪八幡神社】(みのわはちまんじんじゃ)です。 鳥井には額が無く名前が分からない状況です。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祭っています。本殿、拝殿は、南向きに位置し、正面にある寛保元年(1741)の鳥居の西側には、明治元年に「おどり講中」によって建てられたおかげ燈籠があり「日下 石工小平次」と石工の名が彫られています。 住所:大阪府東大阪市箕輪1丁目 #じゃらん #じゃらんネ

  • 【産土神社】(うぶすなじんじゃ)東大阪市 【産土神社】(うぶすなじんじゃ)東大阪市

    東大阪市南鴻池町に鎮座する【産土神社】(うぶすなじんじゃ)です。鴻池新田開発(鴻池新田会所)された地にある神社です。 由緒について;当神社の創建年月日は不詳ですが、伝承によると仁徳天皇(五世紀)の時代に、神武天皇のご東征のとき、鴻池の地がまだ海辺であり、初めて御足をつけられた場所に建てられた神社(御祭神「天照大神」)であるとされています。当神社は、江戸時代には鴻池家邸内に鎮座し、明治元年まで宮座制

  • 【盾津宇治縣神社】(たてつうじかたじんじゃ)東大阪市 【盾津宇治縣神社】(たてつうじかたじんじゃ)東大阪市

    東大阪市川田に鎮座する【盾津宇治縣神社】(たてつうじかたじんじゃ)  栗原神社(くりはらじんじゃ)から宇波神社(うばじんじゃ)へ向かう途中の北宮小学校の北側の側道に面して鎮座しています。 由緒深そうな名前ですが、境内地はありません。鳥居と本殿があるだけです。栗原神社から宇波神社へ向かう道に「吉野神社跡地」という石碑が建っています。  住所:大阪府東大阪市川田2丁目2 #じゃらん #じゃらんネット

  • 【宇波神社】(うわじんじゃ)東大阪市加納 【宇波神社】(うわじんじゃ)東大阪市加納

    【宇波神社】(うわじんじゃ)東大阪市  北方面口にあり延喜式の神社にして埴安姫命を祀れり、今は熊野と称す。創建の年代は詳ならず。河内国内神名帳には神位を従三位と記せり、明治五年村社に列せられる。境内は弐百参拾坪を有し本殿の他に拝殿神饌しんせん所を存す。末社は吉野神社水分神社を有す。 【宇波神社】(うわじんじゃ)の伝説について;「 宇波神社は明治の八年まで宇婆神社の称号で祭司されていました。宇は宇宙

  • 【稲葉神社】(いなばじんじゃ)東大阪市稲葉 【稲葉神社】(いなばじんじゃ)東大阪市稲葉

    【稲葉神社】(いなばじんじゃ)東大阪市稲葉 由緒について; 御祭神;武内宿禰命。当神社は、寛文7年(1668年)の創建にて稲葉全域の氏神様である。その以前は吉田春日神社の氏子であったという。創建と当初は、本殿、拝殿共桧皮千鳥唐葺きて、極彩色の荘厳な社殿であったが、昭和9年の室戸台風で全壊し、その後、昭和40年に再興され現在に至っている。御祭神の武内宿禰命は、八代孝元天皇の祖孫に当たり、景行、成務、

  • 【賽の神神社】(さいのかみじんじゃ)東大阪市吉田本町 【賽の神神社】(さいのかみじんじゃ)東大阪市吉田本町

    【賽の神神社】(さいのかみじんじゃ)東大阪市吉田本町  この神社は旧吉田川の左岸堤上(南側)にまつられています。遠くから良く見えるご神木が一本境内に聳える、極小さい社地の神社ですが、とても綺麗に整備されています。本尊は自然石で道行く人を災難から守り、村人の安全、若い人の縁結びなどの神です。  住所:大阪府東大阪市吉田本町2丁目12 #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #

  • 【方守神社】(ほうまもり神社)東大阪市 【方守神社】(ほうまもり神社)東大阪市

     【方守神社】(ほうまもり神社)東大阪市 天保十四卯年三月(1843)「河内国河内郡横小路村明細帳」の記述によると、横小路小字、方箇森にあり、大賀世神社の境内社で(大賀世神社の南西の方角)猿田彦神を祀り、方守神にて、雨乞いの信仰のあつい神社である。昔から旱天の時には御神体を大賀世神社(おおがせじんじゃ)にむかえ、村民あげて雨乞いの神事を行い、お祈りし、その霊験あらたかであると伝えられている。 住所

  • 【布施戎神社】(えべっさん) 東大阪市市足代 【布施戎神社】(えべっさん) 東大阪市市足代

    【布施戎神社】(えべっさん)  1954年(昭和29年)、西宮神社から戎大神(ひるこのみこと)の御霊代(みたましろ)を勧請申し上げ、布施戎神社の祭祀がはじまった。周辺地域が商業地として発展するに伴い、さらに1988年(昭和63年)には、大阪の今宮戎神社から事代主命(ことしろぬしのみこと)を勧請申し上げ、以来厳粛な祭祀を執行し、広大な御神徳を仰いでいる。「えべっさん」は、毎年1月9日から11日。9日

  • 【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ) 東大阪市長瀬 【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ) 東大阪市長瀬

    【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ)  「はむ」は蛇、「こそ」は社の義だという。 明治二十二年(1889)に北蛇草村を含めた七ヶ村が合併し長瀬村となる。その後神社合祀政策により原則一村一社の基準が掲げられ、大正元年(1912)に長瀬村内の八社を合祀して新たに長瀬神社が創建された。波牟許曽神社の南約七百メートルの地である。それによって波牟許曽神社は廃社となり、昭和の初め頃には松の木数株が生えるのみと

  • 【日下神社】(くさかじんじゃ)東大阪市日下町 【日下神社】(くさかじんじゃ)東大阪市日下町

    【日下神社】(くさかじんじゃ)東大阪市日下町 由緒等の詳しい事は分かりませんでしたが、社殿は日下古墳の墳丘上にあり造営年代は分かりません。 石造物も狛犬はありませんが、鳥居、一対の燈籠、手水鉢等があり、本殿(小祠)も石造となっています。 御祭神は、若日下部王(わかくさかべのみこ)。若日下部王は、仁徳天皇の子です。 とても小さなお社ですが、解明されていないこともたくさんあり、歴史的に重要なものである

  • 【丹波神社】(たんばじんじゃ)東大阪市日下町 【丹波神社】(たんばじんじゃ)東大阪市日下町

    「丹波神社(たんばじんじゃ)と曽我丹波守」  この神社は、江戸時代に大阪西町奉行で日下村の領主となり、この地で没した曽我丹波守古祐をまつっています。 歴史上実在した人の霊位を神として奉斎したもので、丹波守の遺徳を偲ぶ村人たちが25回忌の時墓を立て、後年その墓碑の上に社殿が建てられ神社となりました。曽我丹波守は寛永十一年(1634)に大坂西町奉行に任じられ、河内国河内郡に三千石を支配することになり、

  • 石切劔箭神社・夏祭り (東大阪市) / 2016年8月4日 石切劔箭神社・夏祭り (東大阪市) / 2016年8月4日

    【石切劔箭神社の夏祭り】 別名を「大幣(おおへい)神事」とも言われます。江戸時代初期に始まった疫病の災厄を祓うためのお祭りです。長さ7メートルの大幣が3本、神輿渡御の先頭に立って町中を練り歩き、災厄を祓い清めます。 【石切劔箭神社】(いしきりつるぎやじんじゃ) 東大阪市、生駒山麓に鎮座する石切劔箭神社は、「石切さん」「デンボ(腫れ物)の神さん」として、古くから大阪の庶民に親しまれている神社のひとつ

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