奈良市

  • 【薬師寺 休ヶ岡八満宮】(やすみがおかはちまんぐう)奈良市西ノ京 【薬師寺 休ヶ岡八満宮】(やすみがおかはちまんぐう)奈良市西ノ京

     南大門を出た南に薬師寺を守護する休ケ岡八幡宮があります。寛平年間(889~898)に大分県宇佐から現在地に勧請[かんじょう]されました。現在の社殿は慶長8年(1603)の建物です。社殿は全体に西面し、本殿・脇殿とも小高い石積みの壇上に建っています。社殿の西、前庭の西側にある座小屋は修復が多いものの、社殿とほぼ同じ時期の建物で、中世に始まった宮座が受け継がれている貴重な歴史文化遺産とされています。

  • 【法輪寺】(ほうりんじ)奈良県生駒郡斑鳩町 【法輪寺】(ほうりんじ)奈良県生駒郡斑鳩町

    【法輪寺】(ほうりんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある仏教の寺院。三井寺(みいでら)とも呼ばれ、「法林寺」「法琳寺」とも書く。宗派は聖徳宗、本尊は薬師如来坐像。 法隆寺東院の北方に位置する。現存する三重塔は1975年の再建であるため、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていない。法輪寺は寺史に関わる史料が乏しいため、創建事情の詳細は不明であるが、発掘調査の結果等から、7世紀中頃には存在してい

  • 【御霊神社】(ごりょうじんじゃ)奈良市 【御霊神社】(ごりょうじんじゃ)奈良市

    【御霊神社】(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町にある神社。旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。南都御霊神社・木比御霊[とも呼ばれる。元興寺五重塔跡の南西に鎮座し、井上皇后・他戸親王等八所大神を祀っている。西紀寺町の崇道天皇社とともに南都二大御霊社とされる。 現五條市の宇智郡霊安寺から延暦19年(800年)に勧請され、御霊会が行われていた。かつては元興寺南大門前にあり、その門前は井上町と呼ばれ

  • 【ならまちとパワースポット神社】奈良市 【ならまちとパワースポット神社】奈良市

    ならまち(奈良町)は、奈良県奈良市の中心市街地東南部に位置する、歴史的町並みが残る地域の通称。「奈良町」という行政地名はない。狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたる。周辺を含む49.3ヘクタールが奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されている。 アクセス:近鉄奈良駅から南へ徒歩約10分。JR奈良駅から東へ徒歩約15分。市内循環バス「田中町」か「北京終町

  • 【瑜伽神社】(ゆうがじんしゃ)奈良市 【瑜伽神社】(ゆうがじんしゃ)奈良市

    【瑜伽神社】(ゆうがじんしゃ)は、奈良県奈良市高畑町にある神社。社伝によると飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだという。もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で、後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた。一の鳥居の左手に社務所・手水舎・神符所があり、その先に長い石段が山腹を登っている。 少し登ると中腹右手に飛鳥神並社と瑜伽山櫻楓歌碑が

  •  【氷室神社】(ひむろじんじゃ)奈良市 【氷室神社】(ひむろじんじゃ)奈良市

    【氷室神社】((ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社。式内小社(論社)、旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が

  • 【漢國神社】(かんごうじんじゃ)奈良市 【漢國神社】(かんごうじんじゃ)奈良市

    【漢國神社】(かんごうじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社である。式内小社(論社)、旧社格は県社。 園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る。延喜式神名帳で宮中宮内省に祀られ名神大社に列すると記される園神社・韓神社は当社からの勧請であると社伝では伝える。推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まる

  • 【率川神社】(いさがわじんじゃ)奈良市 【率川神社】(いさがわじんじゃ)奈良市

    【率川神社】(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により奉斎したとされ、奈良市最古の神社という[2]。仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、

  •  【隼神社】(はやぶさじんじゃ)奈良市  【隼神社】(はやぶさじんじゃ)奈良市

     【隼神社】(はやぶさじんじゃ)は、奈良県奈良市角振新屋町にある神社。角振明神・角振隼明神等とも呼ばれ、椿本神社と呼ばれたこともあります。鎮座する角振新屋町の町名の由来ともなりました。京都市中京区にある隼神社の元社とも伝わります。また、舒明天皇の代に春日ノ邑率川坂上に祀ったと伝わります。天暦5年(951)に神階は従三位に昇っています。当初の祠は治承4年(1180)の兵火で消失し、以来神木を以て神霊

  • 【大国主命神社】(おおくにぬのみことしじんじゃ) 奈良市 【大国主命神社】(おおくにぬのみことしじんじゃ) 奈良市

    【大国主命神社】(おおくにぬのみことしじんじゃ) ならまちの商家の庭に祀られた神社です。創祀・由緒など不詳。昭和14年に旧地の隣に移転し、社殿などを新築したそうです。 広い敷地は、もともとこの地にあった「奈良晒」の大きな商家のものです。商家移転の際に「家運隆盛は大国さまのおかげであった」として、町内一同が引き続いて大国さんをお祭りすることを条件として、その敷地を町有のものとして寄贈されたそうです。

  • 【住吉神社】(すみよしじんじゃ)奈良市 【住吉神社】(すみよしじんじゃ)奈良市

    【住吉神社】すみよしじんじゃ)  主祭神:住吉大神・蔵王権現。元興寺の一院であった仙光院が衰えたのち、勝南院が建立されたが、その勝南院内に古くから鎮座していたという。宝徳2年(1450年)、元興寺と興福寺の争いを起因とする火難に会い、その跡は人家で占められるようになった。そのため、現在地に住吉大神を祀る祠を建て、町名を勝南院町とし、町内の安全や商売繁盛を祈願するようになったという。  所在地:奈良

  • 【猿田彦神社】(さるたひこじんじゃ)奈良市 【猿田彦神社】(さるたひこじんじゃ)奈良市

    【猿田彦神社】(さるたひこじんじゃ)は、奈良県奈良市今御門町にある神社。道祖神社とも呼ばれる。 平城天皇の御代に元興寺境内に創祀されたと伝わる。宝徳2年(1450年)元興寺の大火後、再々の火難に類焼し、現在の小祠となった。 一説には、橘奈良麻呂の乱で無実の罪で獄死した道祖王の怨霊を恐れ、祀られたのが始めともいう。往古より道祖神、賽神・妻神、開運の神として近在の信仰を集め、商売繁盛、開運招福、良縁・

  • 4306 十兵衛杉(奈良県奈良市柳生下町) 4306 十兵衛杉(奈良県奈良市柳生下町)

    この記事にて「柳生特集」終了となります。 柳生十兵衛三厳 ( やぎゅう - じゅうべい - みつよし ) が諸国漫遊に旅立つ時、植えていったと言われている ( 樹齢約 350年 )。   昭和 48年夏、二度の落雷により現在は枯れています。 幹周り 4メートルクラスの杉であるが、枯れても尚 30年以上立ち尽くしている存在感は見事の一言。 ※ JR奈良駅へと向かうバス亭から見えます。

  • 4305 旧柳生藩家老屋敷(奈良県奈良市柳生町155−1) 4305 旧柳生藩家老屋敷(奈良県奈良市柳生町155−1)

    旧柳生藩家老屋敷(きゅうやぎゅうはんかろうやしき)は奈良県奈良市柳生町にある武家屋敷。 かつての柳生藩家老小山田主鈴の隠居宅で、現在は小山田主鈴と柳生藩の資料館として公開されている。奈良県指定文化財。 近年は作家山岡荘八が所有し、柳生宗矩を主人公にした小説「春の坂道」(大河ドラマ化)の構想を練った屋敷としても知られる。 建築概要 柳生藩の財政再建を成し遂げた家老小山田主鈴が藩主柳生俊章から賜った土

  • 4304 柳生陣屋跡(奈良県奈良市柳生町) 4304 柳生陣屋跡(奈良県奈良市柳生町)

    柳生は剣豪の郷である 柳生陣屋跡をはじめ家老屋敷、柳生家墓地や芳徳寺保存されている数々の宝物には剣豪のありし日をしのばせている 柳生陣屋は柳生新陰流を生み出した宗巌 ( 石舟斎 ) の子・宗矩が亡父・宗巌の菩提を弔うため芳徳寺を建て、ひきつづき三年の歳月を費やし寛永十九年この地に建築したものである 「柳生藩日記」によると、その坪数は 1374坪 ( 4534平方メートル ) 表は竹の枝門であったと

  • 4279 柳生城(石舟斎塁城址)(奈良県奈良市柳生下町445・芳徳寺) 4279 柳生城(石舟斎塁城址)(奈良県奈良市柳生下町445・芳徳寺)

    やぎゅうじょう ( 柳生城 ) 奈良県奈良市柳生町にあった山城 ( やまじろ )。 柳生新陰流の開祖、柳生石舟斎宗巌 ( やぎゅうせきしゅうさいむねよし ) の居城。 柳生城は、南北朝時代に大和柳生荘の豪族柳生氏が山上に城を築いたのが始まりとされる。 1544年 ( 天文 13 )、柳生家巌・宗巌父子は山中衆と共に大和に勢力拡大をはかる筒井順昭 ( じゅんしょう ) に抵抗したが、筒井軍の大軍に攻

  • 4278 一刀岩(奈良県奈良市柳生町柳生字岩戸谷789・天石立神社) 4278 一刀岩(奈良県奈良市柳生町柳生字岩戸谷789・天石立神社)

    ● 一刀岩 この大きな岩は花崗岩ですが 中央でみごとに割れています。 一説によると柳生新陰流の始祖・柳生宗巌 ( 石舟斎 ) が天狗を相手に剣の修業をしていて、天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝えられている。 (案内板より) ⇧ こんな道を通って行きます。 ⇧ 右上の場所にお地蔵様が・・・

  • 4277 中将姫伝説・雪責の松(奈良県奈良市鳴川町25・徳融寺) 4277 中将姫伝説・雪責の松(奈良県奈良市鳴川町25・徳融寺)

    継母に盗みの疑いをかけられ、雪の降る朝、老松の下で割竹打ちの折檻 ( せっかん ) を受けた。 歌舞伎、人形浄瑠璃の舞台となる。 向こう築地塀下に昭和四十九年頃まで松の切り株が存在した。 乀 梢の雪が一と積り、背に打掛ればどうど伏し、起きれば、叩く割竹に、手足も痺れ身も縮み、命も息も絶えだえにて「赦させ給へ、母様」と、声も惜しまず泣き給ふ。( 鷓山姫捨松 ) 乀 何れ遁れず遁れても、後は消え行く雪

  • 4272 豊成公石塔(奈良県奈良市鳴川町25・徳融寺) 4272 豊成公石塔(奈良県奈良市鳴川町25・徳融寺)

    藤原 豊成 ( ふじわら - の - とよなり、大宝 4年 ( 704年 ) - 天平神護元年 11月 27日 ( 766年 1月 12日 )) は、奈良時代の貴族。藤原南家、左大臣・藤原武智麻呂の長男。官位は従一位・右大臣。別名難波大臣、横佩大臣 ( よこはぎのおとど )。 経歴 内舎人兼兵部大丞を経て、神亀元年 ( 724年 ) 正六位下から従五位上に昇叙。 天平 4年 ( 732年 ) 従五

  • 4270 魚養塚(奈良県奈良市十輪院町27・十輪院) 4270 魚養塚(奈良県奈良市十輪院町27・十輪院)

    十輪院の魚養塚は朝野宿禰魚養 ( あさののすくねのなかい ) の墳墓と言われています。 本堂の東隣の御影堂脇にある径 4m位の小さな塚です。 塚の北側に横穴式石室のように開口部があり、奥壁に如来坐像が浮き彫りされています。 終末期古墳の横穴式石室のようですが、北に向けて開口するなど古墳の石室を転用したかについては詳細不明です。 ● 朝野魚養 朝野魚養 ( あさののなかい ) 生年: 生没年不詳