文京区

  • ゆらゆらヒーリング ゆらゆらヒーリング

    朝からゆらゆら 戻ってきてからの日課となった 母のコンディションを見ながら 手持ちの技でヒーリング 母を思う気持ちだけは一流 ・・・これぞ手当・・・かな 5年前に倒れてから まともに歩いていないからか 筋肉も落ち 以前のように服を脱いで オイルマッサージが出来る状態ではない 癒しやリラクゼーションの次元でなくっていた 好きだったフェイシャルにも 意識が向かない 必要なのは心身の健康と強化 恐怖心と

  • 4966 日時計(文京区湯島3・湯島天神) 4966 日時計(文京区湯島3・湯島天神)

    此の日時計は御大典を記念して寺島又吉氏、奥村ぬい氏より鍛冶橋の欄干を軸に日時計を作り奉納されたもので、御参拝の人々から親しまれてきました。 戦後の混乱期に放置のまま永い間忘れられておりましたが、今回スイス・ラドー日本総代理店・酒田時計貿易株式会社の御好意により、水平式日時計として復元して戴いたものであります。 (案内板より) ※ 実は、この日時計の軸( 柱? )は『鍛冶橋の欄干」なのだそうです。

  • 4817 須藤公園内の須藤の滝(文京区千駄木3-4・須藤公園) 4817 須藤公園内の須藤の滝(文京区千駄木3-4・須藤公園)

    文京区・千駄木駅近くに有る須藤公園内の須藤の滝です。 この公園の歴史、須藤家から東京市に寄付された庭園を生かした公園で、江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)の屋敷跡。 その後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となり、明治22年(1889年)に実業家須藤吉左衛門が買い取りました。 昭和8年(1933年)に須藤家が公園用地として東京市に寄付、昭和25年(1950年)に文京区に移管されました。 公

  • 喫茶『ルオー』 喫茶『ルオー』

    10日ほど前だが、本郷にある喫茶ルオーでカレーを食べた。 地元密着の喫茶店は味わいがあるね。

  • 雪は儚く溶け消えて……54年振りの雪・当日 雪は儚く溶け消えて……54年振りの雪・当日

    ■54年振りの雪を観測した東京― 積雪もあり、交通機関が大混乱するかと思いきやそれ程の影響もなく……。 今行けばおそらく人が少ないに違いないと思ったので、魔法のカードでちょこっと 東京ドームシティーへ行ってまいりました\(^o^)/ ■東京スカイツリー線に乗って北千住に向かう途中、車窓から雪の風景でも撮ってやろうかと思っていたのですが……見ての通り、荒川沿いにある五反野野球場でさえもこんな状態。 

  • のんちゃん遊園地へ*そろそろ帰ろうね のんちゃん遊園地へ*そろそろ帰ろうね

    遊園地のそばにあるクライアントのある駅を降りると 観覧車がゆっくりと回転しているのが見える 陽が沈むころシルエットがくっきり浮かび上がる Copyright © 2016Yoshiko Takatsuka. All rights Reserved. 無断転載を禁止致します

  • 君の名は。と企画展 新海誠が描く宙展 を見てきました。 君の名は。と企画展 新海誠が描く宙展 を見てきました。

    3週目という事で少しは空いたかと思いきや、予約開始時間にはつながりにくく少し時間をあけて見てみたら良い席は殆ど売れてしまっていました。 噂には聞いていましたが、想像以上の人気っぷりに驚きました。 下手なことを書くとネタバレになってしまうのですが、凄く面白かったです。 彼の作品では一番好きな作品になりました。 そして、言の葉の庭のヒロインのゆきちゃん先生がしれっと出ていたことに驚きました。 パンフレ

  • 2905 神田上水路(水道二丁目、小日向一丁目境経由で壱岐坂下で水道橋東口) 2905 神田上水路(水道二丁目、小日向一丁目境経由で壱岐坂下で水道橋東口)

    徳川家康は天正 18年 ( 1590 ) 7月 大久保藤五郎忠行 ( おおくぼ とうごろうだゆき = のち主水 ( もんと ) が見立てた井之頭池、善福寺池及び妙正寺池の湧水があわさって流れる平川 ( ひらかわ = のちに江戸川、さらに、神田川と呼ぶ ) の水を現在の大滝橋の所に設けられて堰 ( せき ) 「大洗堰4」で取水して飲用水としての上水の開発1を命じた。 これが、日本で最初の上水といわれ

  • 2897 大日坂(八幡坂)(文京区小日向2丁目) 2897 大日坂(八幡坂)(文京区小日向2丁目)

    この坂は昔、坂の上にあった田中八幡宮にちなんで八幡坂と呼ばれていました。 後に八幡宮が音羽町八丁目の裏通りに移転してからは、坂下の妙足院の大日堂にちなみ、大日坂と呼ばれるようになりました。 大日堂は、大日如来を祭り江戸時代から小日向の名所として知られてきました。 明治時代に入ると、毎月八の日の縁日には、水道通りにたくさんの露店が並びにぎわっていました。 また、坂下の神田川 ( 旧称 江戸川 ) は

  • 2555 昌平坂(文京区湯島1-4) 2555 昌平坂(文京区湯島1-4)

    湯島聖堂と、東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。 そこで学問所周辺の三つの坂を、ひとしく「昌平坂」と読んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次の和歌に詠んでいる。    万世の秋もかぎらしもろともに    

  • ホテル椿山荘東京② ホテル椿山荘東京②

    前回の続きです(=^・ω・^=) 場所は有楽町コリドー街界隈。 夕食は、俺のフレンチ Table Taku で食べることにしました。 予約無しで行ったのですが、席が少し空いていたので良かったです。 シーザーサラダは、大きいレタスの葉をその場で切ってくれます。 そしてこの味噌とチーズ&マーマレード、意外な組み合わせで美味しい! ジャズの生演奏を聴きながら・・・ フォアグラも割とリーズナブルなんですが

  • 1964 本郷弓町のクス(文京区本郷1-28-32) 1964 本郷弓町のクス(文京区本郷1-28-32)

    樹齢600年とか、江戸時代初期には既にここに居たことになります。 その江戸時代、ここには楠木正成・正行の子孫とされる旗本の屋敷があったそうです。 旗本屋敷は大正時代に解体され、分譲されてしまったそうですが、その一角に楠亭というフランス料理店ができ、建物こそ現在はマンションに変わったものの、このクスノキとともに現在に至るのだそうです。 『文京区みどりの保護条例に基づいて、保護指定している樹木です。

  • 1963 足軽長屋跡(文京区本郷4-13付近) 1963 足軽長屋跡(文京区本郷4-13付近)

    春日通りと白山通りが交差する春日交差点の東北側一帯約 20,000坪(本郷 3丁目に向かう真砂坂の左手)は、幕末の頃、高崎藩主・松平右京亮の中屋敷だったところ。 この敷地の南端には昭和 40年代まで足軽長屋と通称される建物が見事に軒を連ねていました。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。

  • 1751 弥生式土器ゆかりの地碑(文京区弥生2-11) 1751 弥生式土器ゆかりの地碑(文京区弥生2-11)

    明治17年、東京大学の有坂鉊蔵、坪井正五郎、白井光太郎の3人が、根津谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。 これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り弥生式土器と名付けられた。 しかし、最初の発見地についてははっきりせず、近年まで3説があったが、 昭和49年の東大浅野キャンパス内の発掘により、この地(従来の3説の地とは異なる)が最有力とされている。 現在弥生式土器発掘ゆかり

  • 湯島天神~梅祭り 湯島天神~梅祭り

    日曜日は雨との予報だったので、 昨日、湯島天神に梅を見に行ってきました・・・ さすがに今の時期は合格祈願の参拝が多いですねぇ~ 大学や高校の受験生らしき人を多く見掛けました。 皆さん、願いが叶うと良いですね・・・ 曇り空だったので写りがイマイチですね。 天気が良ければピンク色が一層映えるのに・・・残念です! 時期的にはちょっと早かったような気もしますが、 今週末は気温が高いから一気に開花しちゃうの

  • 1253 ムクの御神木(文京区小石川3-17・善光寺坂) 1253 ムクの御神木(文京区小石川3-17・善光寺坂)

    善光寺坂の途中に椋の老樹があります。東京大空襲で被災し、樹幹の 2 / 3を焼失し樹皮は引き裂かれ、ずいぶん傷んでいます。 この椋のそばに慈眼院・沢蔵司稲荷があり、案内板に次のように記されています。 「・・・・また、すぐ前の善光寺坂に椋の老樹があるが、これには、沢蔵司がやどっているといわれる。道路拡幅のとき、道をふたまたにしてよけて通るようにした。」 この椋の目の前に幸田露伴、幸田文さんの住居があ

  • 1010 駒込名主(なぬし)屋敷(文京区本駒込3-40-3) 1010 駒込名主(なぬし)屋敷(文京区本駒込3-40-3)

    高木将監 ( しょうげん ) は慶長のころ、伝通院領であった駒込一帯の開拓を許可され、そのまま土着したという。 代々嘉平治を襲名し、農産のかたわら上駒込村 ( 現・駒込地区の北半 ) の名主役を勤めていた。 家屋は宝永年間の創建であったが火災に逢い、享保二年 ( 1717 ) に再建したと伝える。 表門のみは当初のものと伝えられているが、ともに明確には立証し難い。 しかし、役所跡として全体の遺構を

  • 1008 駒込土物店跡(文京区本駒込1-6-16門前、本郷交差点一帯・天栄寺) 1008 駒込土物店跡(文京区本駒込1-6-16門前、本郷交差点一帯・天栄寺)

    ● 駒込土物店 ( こまごめつちものだな ) 跡 神田および千住とともに、江戸三大市場の一つであり、幕府の御用市場であった。 起源は、元和年間 ( 1615 - 24 ) といわれている。 初めは、近郊の農民が野菜をかついで江戸に出る途中、天栄寺境内の"さいかちの木"の下で毎朝休むことを例とした。 すると、付近の人々が新鮮な野菜を求めて集まったのが起こりといわれている。 土地の人々は"駒込辻のやっ

  • 995 動坂(どうざか)遺跡(文京区本駒込3-136内) 995 動坂(どうざか)遺跡(文京区本駒込3-136内)

    ・動坂貝塚 昭和 49年、都立駒込病院の改築の際ここに、貝塚が発見された この貝塚は、縄文時代中期 ( 約 4500年前 ) に、たて穴住居跡の凹地に貝などがすてられてできたもので、その規模は直径 2m・深さ 50cm程である。 縄文時代には、動坂下の根津谷はかっての東京湾の小さな入江につながっていた。 この貝塚に多いヤマトシジミは、そこでとれたものであろう。 このほか、貝類にはマガキ・ハマグリ・

  • 993 浄心寺坂(文京区白山1-32付近) 993 浄心寺坂(文京区白山1-32付近)

    「小石川指ヶ谷(さすがや)町より白山前町を経て、本郷駒込東片町へ上る坂あり。浄心寺坂といふ」( 新選東京名所図会 ) 浄心寺近くの坂なので、この名がついた。 また、坂下に「八百屋於七 ( おしち )」の墓所・円乗寺があることから「於七坂」の別名もある。 (案内板より) にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。

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