赤坂見附駅

  • 港区の歴史 その2 港区の歴史 その2

     『港区の100年』などから抜粋します。  古川の洪水:明治41年9月29日に渋沢栄一の長男・篤二が撮影した写真が残っているそうですが、見つかりませんでした。二の橋から撮ったものらしいです。  西久保巴町の鞆絵小学校  品川駅だと思います  三田綱町渋沢栄一邸。孫の代で相続税のため物納したそうです。  赤坂消防署  氷川小学校:勝海舟邸を氷川小学校に建て替えて明治41年に創立しました。  北里研究

  • 港区の歴史 その1 港区の歴史 その1

     『港区の100年』から抜粋します。  麻布區役所:明治11年7月22日「郡区町村編制法」が発布され、同年11月2日、これまでの「府下11大区69小区」を「15区6郡」に分割する。麻布區は15区に一つとして同年11月4日、麻布區宮村町63番地「龍澤寺」内に開庁した。その後、麻布市兵衛町へ庁舎を新築したが、老朽化と手狭になったため明治42年6月改築された。  赤坂區役所:明治11年7月22日「郡区町

  • 赤坂の行きつけの店にする予定🍺 赤坂の行きつけの店にする予定🍺

    今の職場は赤坂。 正確には赤坂見附。 そろそろ一年になる。 派遣社員だから責任はないけど 少しでも営業マンの微力になるよう 日々頑張っているとこ!!😊 後から入った同年代の派遣社員の女性と ここんとこ意気投合して 帰りに軽く、ということになり 先日実行してきた🎵 とりあえず帰るに近い駅前を探し 健全な YONAYONA に決定!🍺 無駄口叩けない職場なので(普通だけど (笑)) 腹膨るる溜ま

  • 立ち食いそば かつや やよい軒 他

     元来貧乏性なので定食屋さんは月に二三度がいいほうで、多くは立ち食いそば店を利用しました。  「富士そば」「小諸そば」「ゆで太郎」が主ですが、駅そばとか無名の立ち食いも利用しました。  浅草の地下街は饐えた匂いの昭和の地下道がありました。現在はどうなんでしょう。そこに「文殊」という名店がありました。天ぷらが旨かったです。  浅草から自転車で御徒町に戻ってくる途中の春日通り交差点の角に立ち食いがあり

  • 永田町~赤坂 永田町~赤坂

     永田町に家があったのは思い出せるだけで、Tクン、Sクン、Mクン、ハッサンがいます。  Tクンの家は国会議事堂が見えるところでした。あの前の通りを行くと少し下り坂になって皇居の周りをマラソンしている内堀通り方面に行き当たります。そこにポツンと家がありました。  Sクンちは家の敷地内の庭がこん森と植木があって家屋が隠れるぐらいに緑に囲まれていました。まるで世田谷かと思うぐらいにです。Sクンはどこかの

  • 赤坂の床屋さん 赤坂の床屋さん

     5歳ぐらいのころです。いつものM理容店に散髪に行きました。この床屋さんは赤坂田町だったと思います。現在は赤坂3丁目です。  その日はリーダー格の人が他の客の相手をしていましたので、19歳ぐらいの新人女性に刈ってもらうことになったのです。ところが髪を切ってもらううちにだんだん女の子みたいな髪形になっていきました。まだビートルズも世に出る前ですが、ちょうどマッシュルームカットみたいなお茶目な髪形で、

  • 昭和の懐かしい邦画 続 昭和の懐かしい邦画 続

     「女は夜化粧する」(昭和36年)という映画は山本富士子主演の赤坂でナイトクラブのママとして生きていく女性の物語です。冒頭にニューラテンクォーターのネオンも見られます。ラテンクォーターは昭和34年創業だったと思います。  森雅之は大手建築会社の重役で、事実上のオーナーです。山本は家賃を支払う立場ですが、着物などの費用は森の会社が負担し、そもそもナイトクラブの建築に当時の価値で何億という費用もかかっ

  • 自転車通学

     K中学に通っていたころです。昭和42年以降だと思います。台町から歩いて通うのがかったるくて自転車で途中まで行きました。遅刻しそうな朝に自転車に乗ったのがきっかけです。  途中というのは小学校からのクラスメイト、一ツ木のYクンちでした。一ツ木通りに金物店がありました。その店先に自転車を無断で置いて赤坂見附駅前の陸橋を渡って東急ホテルを横目に坂を上っていきました。  今考えれば陸橋の麓に自転車を置け

  • 赤坂見附の立体交差 赤坂見附の立体交差

     赤坂見附の立体交差のところは昭和30年代までは三角形の植え込みみたいになっていたと思います。都電も走っていました。都電の写真集とか見るとだいたいこのあたりは撮影スポットになっているようです。  昭和27年の映画「カルメン純情す」にはオープンカーでこの交差点を走り渡る場面があります。主演の高峰秀子を乗せて男性芸術家が運転するかっこいいオープンカーです。モノクロ映画ですが、レンタルなどでご覧になって

  • 赤坂六地蔵尊の思い出 赤坂六地蔵尊の思い出

     一ツ木通りの真ん中へんに六地蔵尊があります。奥は浄土寺になっていて付設の幼稚園がありました。妹はここの幼稚園に通っていました。「ののさまにあげましょきれいなお水、ののさまにあげましょきれいなお花」という歌があったのを憶えています。  ここの境内で三角ベースをやったり缶けりをやったりしました。三角ベースのときに、一ツ木通りから路地を入った新町の酒屋の息子が加わったことがあります。  缶けりをやって

  • 昭和な商店街

     一ツ木通りのお肉屋Iさんと豆腐店Iさんあたりから赤坂見附方向に降りると花屋さんがありました。  ここは有名歌手Sの名義だったと思います。弟さんが経営していたとどこかで見ました。  数年前に売却してSは長者番付の上位に浮上しました。今はビルが建って1階はカフェになっていますね。  その並びに有職寿司という店、うす皮玉子で五目すしを覆ったような甘口のおすしを売っていました。うちも時々買っていました。

  • 赤坂見附駅 赤坂見附駅

     地下鉄「丸ノ内線」は大正時代に計画が立てられて、だいぶ紆余曲折があったようです。検索してみましたら「赤坂見附」から乗れるようになったのは昭和34年のころだったようです。  「銀座線」はすでに「赤坂見附」駅が利用できていました。今度「丸ノ内線」ができるけれど、「銀座線」より音が静からしいよという触れ込みでした。実際通ってみると「銀座線」よりむしろうるさかったです。  「赤坂見附」駅は現在もそうです

  • 赤坂の逸話 続 赤坂の逸話 続

     S子は赤坂に80坪の家を買ってもらいます。加えて銀行の定期預金を二百万円契約しました。  銀行員は大口ゆえ新橋演舞場の切符を持参しましたが、その時、S子は女将の死後切り盛りをやっていて、女将の代わりに出かけていましたので、女中のK江が切符を受け取りました。  どこからバレたのかS子が銀行員に訊きました。 「あんた切符は?」  斯く斯く然々のたまえばK江の仕業となりK江は暇を出されました。  殿村