• 2年前のこと、そして彼へのメッセージ

    2015年12月4日。彼があちらへ旅立ってしまった日。 あの日はただただ呆然とするしかできなかった。 自分の思考は完全に停止してしまっており、これからのことなんてもちろん、現実を受け入れること脳が拒否していた。 夜の病室で彼と過ごした最後の時間。 私はもうただただ「〇〇、愛してる」と言うことしかできなかった。 壊れた機械みたいに同じ台詞を言うことしか。 他にも感謝の言葉とか、言うことはいくらでもあ

  • 全てを背負う覚悟がなかった

    ※貼り付ける記事が多いです。すみません。 延命治療をするかどうか。 あの時自分がした、残酷すぎる選択。 彼の命の期限を切ったのはきっと私だ。 延命治療をしなかったことに後悔はない。 けど罪悪感がまったくないかというと嘘になる。 あの時の彼の状態から察するに、おそらく救命できても寝たきりになる確率の方が高かった。意識だって戻ったかどうかわからない。一生人工呼吸器が手放せなくなっていたかもしれない。

  • 彼の最期を意識した瞬間

    この日。 彼の病状は素人目から見ても急激に悪化していた。 合併症が本当に強く出てしまっていた。 数日前からは考えられないほど変わっていた。 あの時の彼の虚ろな目。 目は半分開いたのに、その目には喜怒哀楽どころか何の感情も映っていない。 本当にただ”目が開いている”だけの状態。 あの目は今でも忘れられない。 正直合併症が出るとは思っていたが、こんなに急激に進むとは思っていなかった。 なので正直かなり

  • あの時までだった

    私が彼との未来を思い描けたのは、思えばあの日までだった。 2015年12月1日。 この日から合併症は出ていたけれど、程度はそんなにひどくなかったから。 彼がうわごとながらもはっきり言葉を喋っていたのもこの日まで。 あの時私は、どうか合併症がこれ以上ひどくなりませんように・・と祈ることしかできなかった。 その願いは無残にも打ち砕かれてしまうのだけれど。 ”このままだと彼にはまた、新たな障害が残るな”

  • あの時どうして気づかなかった

    この日のことで、以前書いたこと以外にもう一つ印象に残ったことがある。 彼の傍にいた時、彼が突然全身を震わせたのだ。 わずか3秒ほどだったけれど。 『外傷による痙攣だ!マジか・・』と思ってしばし呆然としていた。 そばにいた看護師さんは「痙攣とかじゃないと思うんですけど・・」と言っていたが、いや、どうみても痙攣だろ!と一人でツッコんでいた。 脳が損傷を受けると、その影響でてんかん発作のようなものが起き

  • 最期の会話

    入院2日目。 この日が彼と会話できた最期の日だ。 「ごめんな、ナナドゴブ。頑張って治すから。手握って。」 これが私が聞いた、私に向けての最期の言葉。 彼は私と生きようとしてくれてと思う。 だからこそ、悔しい。 彼は・・どれだけの無念があっただろう、と。 生きて生きて、もっとやりたいことだってあったに違いない。 私は彼の最期の言葉を思い出すたび、そんなことを思って胸が苦しくなる。 たった6日間の入院

  • 2年前の今日

    2年前の今日。 彼が倒れた日。私が地獄に叩き落された日。 その時の経過はだいぶ前、このブログにも記した。 あの時の心情。改めて振り返ってみる。 ”どうして彼が?” あの日の私はそればかり考えていた。 実は初日に対面した時点ではくも膜下出血ということは聞いていたが、動脈瘤によるものなのか外傷性かははっきりと聞いていなかった。 ただ看護師さんが「手術の予定はない」と言っていた事から、動脈瘤ではないのか

  • 週末のフラッシュバック

    お彼岸。 明日は彼の実家にお邪魔させてもらう予定だった。 でもまだ風邪が完全に治りきっていないので、注文していたお花だけ渡すことにする。 本当にしつこい風邪。 もしご両親にうつりでもしたら大変だからだ。 夕方、お義父さんには電話でそのことをお伝えした。 悔しい。こんな大事な時に風邪をひく自分にもイラッとする。 ただ、その後お墓には行ってこようと思う。 お彼岸だし、人はいっぱいいるだろうな。ゆっくり

  • 最初に自覚した日

    彼がいなくなったのを本当の意味で実感した最初の日は、多分2015年12月28日。 2015年12月4日。金曜日。 彼がいなくなって。 それから週末は2日間にわたって彼の葬儀。 実感のないままそれらに出て。 12月6日に自分のアパートに戻った。 次の日は仕事を休み、ひたすら泣いていた。 そのさらに次の日から仕事には出たけれど、正直記憶が曖昧だ。 この辺りは自分が何をやっていたのか、実は今でもほとんど

  • 救急車と想像と自分と

    眠れない・・ので書いてみる。 自分は本音はここでしか出せない。 なので、吐き出したくなったらここに書くしかない。 だいぶ読みにくい文章となっていますがご容赦ください。 8月1日夜。 相変わらず仕事で遅くなる。 今日の夕飯は出来合いのものでいいや、と思いコンビニに寄った。 駐車した時、遠くから聞こえるサイレンの音。 救急車だ。 救急車はコンビニのすぐ前の道を通り過ぎて行った。 その時、あの日の記憶が

  • 一種のトラウマ

    仕事が終わった。 週末にしては上手くいった。 要領よくこなせた。 だからこそ怖い。 あの時もそうだった。 彼が病院に運びこまれる前日。 2015年11月27日。 私が最後に幸せだった日。 あの日もたくさん仕事が舞い込んだけど、自分なりに工夫してこなせて。 わりと定時に近い時間にあがれた。 1年目にしては自分やるじゃん!なんて自惚れながら足早に帰って、その後友達と遊びに行ったっけ。 ウキウキしてた。

  • 彼の葬儀の記憶

    彼が入院していた期間。 2015年11月28日から12月4日。 この間、彼が病院にいた時のことはちゃんと思い出せる。 昨日のことのよう、とまではいかないけれど1年半以上前のこととも思えない。 この時のことはブログを始めてから、わりとすぐに書き残したと思う(2月か3月くらいだったかな) 忘れたくなかったから。ちゃんと残しておきたかったから。 彼の経過と自分の心情を。 でも・・でも、いまだにどうしても

  • 彼女としてじゃなくて

    「延命処置をしますか?」 彼の主治医からの言葉。 2015年12月3日。 今でも記憶が薄れないあの日。 人工呼吸器をつけるかどうか。昇圧剤や強心剤を入れるのかどうか。 私はその選択を迫られた。 そして私は「全て望まない」と答えた。 たった6日間の入院生活の中で。 私は彼をどこかで冷静に(?)見ていた。 そして主治医の病状説明を受ける前日から、彼はもう助からないんじゃないかと半分思っていた。 右手が

  • もう一つ、嬉しかったこと

    彼のお父さんから、これも後々聞いたお話。 入院して3日目か4日目。彼のお父さんが面会に行かれた際、彼は訊かれたことに頷きや首振りくらいはできる意識レベルだったそうだ。 その時彼のお父さんは「昨日俺や母親や姉が面会に来たことは覚えているか?」と訊かれたそうだ。 彼は首を横に振ったとのこと。 「ナナドゴブさんが面会に来たことは?」と訊くと彼はにっこり笑って何度も頷いたとのことだった。 嬉しかったのと、

  • ICU症候群

    ICU症候群というものがある。 ICU=集中治療室は高度な医療が必要な患者や、全身状態の綿密な管理が必要な患者、病状が重篤な患者が入る所だ。 そのため様々な医療器具やモニターなどがつけられる。 24時間集中的に患者を看ている為、一般病棟以上に日付や時間の感覚がわかりにくい。 そのため患者は自分はどうなるのかとパニックを起こし、せん妄などの精神症状が出る場合がある。 ICUで治療を受ける患者にある程

  • 11月29日

    11月29日。 昨年も一昨年もすごく印象に残っている日。 2014年11月29日。 現在の職場の採用試験を受けた。 この試験を落としたら今年度中はもう転職は厳しい状況だったので、ものすごくプレッシャーに感じていたことは覚えている。 彼はこの日の朝、私にメールをくれた。 「あんまり緊張しすぎないで、ナナドゴブらしさを出して頑張ってね」と。 嬉しかった。 正直、試験の出来はあまり良くなかった。 終わっ

  • 去年の今頃に

    きっと今頃だ。 倒れて病院に運び込まれたのは。 お昼頃だと聞いたし。 彼は倒れ、頭を打った瞬間何を思っただろう。 くも膜下出血だから、かなり痛かったよね。 痛い‼痛い‼助けて‼・・・って無我夢中で助けを呼んだよね。 そんなことを考えるとまた涙が出そうになる。 午前中はバタバタしていた分、考えることもあまりなかった。 でもやっぱり悲しいし、胸の奥を誰かに引っ掻き回されている感じ。 彼が助けを求めて伸

  • もしもあの日・・

    休日はいろいろなことを考える。 頭からっぽにしたいと思うんだけれどね。 2015年11月28日、お昼頃。 彼は職場のトイレで転倒し、頭を強打した。 実際は誰も見ていないから、推測でしかないけれど。 もしもあの日、私が彼の所へ行って仕事を休ませていたら・・。 ベッドから絶対に一歩も動かないように言っていたら・・。 彼はまだこちらにいたんだろうか。 それとも彼の命はそこまでと決まっていて、また別の原因

  • 伝えられなかった言葉

    2015年12月4日午前4時32分。 「ご臨終です」という言葉と共に、彼はこの世からいなくなった。 彼がいなくなる直前、無我夢中で「大好きだよ!!」と叫んだことは覚えている。 でも一緒に過ごせて嬉しかったこと、感謝の気持ちは伝えることができなかった。 もうそれを言ってしまったら、本当に最期のような気がしたから。 主治医から病状説明を受けた後、手を握りながら彼の傍にいた。 その時から何度も「ありがと

  • 彼の最期の眠りと私の願い

    私はもともと低血圧のせいか、朝に弱い。 覚醒まで時間がかかるし、寝起きですぐ食事を摂ると気持ち悪くなってしまう。 対して彼は寝起きがすごく良かった。 朝、目覚ましがなればすっきりと起きることができたし、すぐに活動を開始できた。 すごく羨ましかった。 どんなに熟睡していても、私が「○○~」と名前を呼んだらすぐに起きたっけ。 いきなりパッチリ目を覚ますから本当にびっくりした。 そして「ナナドゴブ♪」っ

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