• 納棺式

    再び続き。あの時のこと。 やっぱりあの時のことを書くのはしんどい。 今日みたいな休みの日しか無理だな。 ここからはけっこう記憶がごちゃごちゃになっているので、多少おかしな所があってもスルーしてください。 斎場から実家に戻りしばらくぼけーっとしていた。 完全に思考がフリーズしていた。 そしてふっと思った。 手紙を書かなきゃ、と。 10年近く前、母方の祖母の納棺の時に、手紙を書いて入れたことを思い出し

  • 納棺の前に

    唐突に始まる続き。あの時のこと。 あの時のことを書くのは3ヶ月ぶりくらい。 久しぶりに書けそうだったので、書ける時に書いておかないと。 2015年12月5日。彼のお通夜の日。 前日はよく眠れた。 多分いろいろな疲れが重なっていたんだろう。 でも起きた瞬間の絶望感はすごかった。 まず”あれ?何で私は実家にいるんだっけ?”と思った。 そして彼の葬儀のために帰ってきているんだ、と理解した瞬間、凄まじい悲

  • 最期について

    ※人によっては不快に思われる表現があるかもしれません。申し訳ありません。 彼は世間でいう”突然死”には当てはまらないのだと思う。 病院に運ばれた時点で混濁しながらも意識はあったらしいし、助かる可能性だってあった。 いなくなる前々日からいわゆる”死”へ向かっている兆候だってあった。 でも長い期間闘病していたわけでもない。 入院期間はわずか6日。 そのうち、私と言葉を交わせたのは1日。 頷き程度で返事

  • 断念

    数日前の記事で彼の葬儀のことは年内中に書きたい、と言っていたけれど。 多分、というか絶対無理だ。 あれからいくつか記事を書いていて、思ったよりも書きたいことが多いことに今さらながら気づいた。 あの頃のことを振り返って、記憶をなぞってみて。 自分の中で無意識に封印していた思いとか、感情とかも甦ってきて。 負の感情かもしれないけれど、それを感じた自分自身まで否定したくないから。 それらを丁寧に書いてお

  • 自分の想いを相手に

    あの時のこと。続き。 でも今回の記事は雑感部分が大半かもしれない。 Sさんと話した後彼のご家族へ挨拶し、実家へ帰った。 でもその後は記憶が曖昧だ。 家族と何を話したか、どんな顔をして会ったかほとんど覚えていない。 夕食は鍋だった気がするけど、ほとんど食べられなかったことだけ覚えている。 実家に帰った後は、再び感情が麻痺していた。 家族間では彼のことは・・不思議なほど話題に出なかった。 多分両親は意

  • Sさんと話す

    またまた続き。あの時のこと。 どうしてもあの時のことは続けて書けないから、記事がとびとびになってしまう。 でも書ける時に書いておかないと。 そうやって彼の傍にいると、どなたかが来られた気配がした。 Sさんだった。 彼と私の数少ない共通の知り合い。 彼も私ももともと知り合いだったのだが、お互いにSさんが知りあいだということは知らなかった。 つきあって2年位の時、デート中にSさんと偶然お会いして知った

  • 彼に触れる

    再び続き。あの時のこと。 しばらく彼のご家族と話した後。 私は思い切って訊いてみた。 「〇〇さんの・・傍に行ってもいいですか?」って。 承諾をいただき、畳に寝かされている彼の傍に座る。 近くで顔を見てみても、やっぱり眠っているように見えた。 気になっていた髪も、綺麗に洗われたのかいつものようにさらさらになっていた。 でもふと顔の横に視線を移した時、彼の耳をみて驚いた。 見たことがない色だった。 赤

  • 斎場での彼との対面

    この記事の続き。再び、あの時のこと。 彼とのお別れのことは、何とか年内で書き終えたい。 2017年当初にたてた目標は全部中途半端だったけど、何とかこれだけは。 しばらく車を走らせ、斎場に着いた。 外に「〇〇家」と彼の苗字が書かれていた。 中に入り、斎場の人に彼が寝かされている部屋へ案内してもらった。 部屋に入る。 彼は畳の上に寝かされていた。 そしてその周りには彼のご家族。そして初めてお会いする親

  • 曖昧な立場

    再び続き。あの時のこと。 実家に向かって車を走らせている途中。 やっぱり何の感情も湧かない。 涙さえ、出てこなかった。 途中、スマホが鳴っていたのでコンビニに車を停めた。 母からだった。 着信の時間からそんなに経ってなかったので折り返す。 母「いつ頃帰ってくるの?」 私「今向かっているよ。ただ斎場にいる彼に会ってから帰るから」 それからお通夜、葬儀の日程のことも話した。 そしてその次の母の言葉に私

  • ただただ淡々と

    昨日の続き。あの時のこと。 病院を出て車に乗った後、すぐに父親に電話した。 2コールくらいですぐに出てくれた。前日に危篤だと話はしてあったから、もしかしたら私からの連絡を心配しながら待っていたのかもしれない。 今ならそう振り返られるけど、当時はそんなことに気づく余裕なんてなかった。 やけに早いな、なんて思っただけだ。 「さっき、亡くなったから。」とだけ言った。 父親は「そうか・・お疲れ様。」とだけ

  • 最期を迎えた後

    唐突だけど、この記事の続き。 彼がいなくなった後。そのことを書きとめようと思う。 彼の入院生活のことは一気に書き上げられたけど、それ以降のこと(葬儀のこととか)はなかなか書くことができなかった。 辛すぎて。 でも、だんだん思い出すまでに時間がかかっていることに最近、気がついた。 このまま、忘れることの方が嫌だから。 記録に残しておきたい。 午前4時32分。 主治医が彼の死を確認した後、看護師がエン

  • 2年前のこと、そして彼へのメッセージ

    2015年12月4日。彼があちらへ旅立ってしまった日。 あの日はただただ呆然とするしかできなかった。 自分の思考は完全に停止してしまっており、これからのことなんてもちろん、現実を受け入れること脳が拒否していた。 夜の病室で彼と過ごした最後の時間。 私はもうただただ「〇〇、愛してる」と言うことしかできなかった。 壊れた機械みたいに同じ台詞を言うことしか。 他にも感謝の言葉とか、言うことはいくらでもあ

  • 全てを背負う覚悟がなかった

    ※貼り付ける記事が多いです。すみません。 延命治療をするかどうか。 あの時自分がした、残酷すぎる選択。 彼の命の期限を切ったのはきっと私だ。 延命治療をしなかったことに後悔はない。 けど罪悪感がまったくないかというと嘘になる。 あの時の彼の状態から察するに、おそらく救命できても寝たきりになる確率の方が高かった。意識だって戻ったかどうかわからない。一生人工呼吸器が手放せなくなっていたかもしれない。

  • 彼の最期を意識した瞬間

    この日。 彼の病状は素人目から見ても急激に悪化していた。 合併症が本当に強く出てしまっていた。 数日前からは考えられないほど変わっていた。 あの時の彼の虚ろな目。 目は半分開いたのに、その目には喜怒哀楽どころか何の感情も映っていない。 本当にただ”目が開いている”だけの状態。 あの目は今でも忘れられない。 正直合併症が出るとは思っていたが、こんなに急激に進むとは思っていなかった。 なので正直かなり

  • あの時までだった

    私が彼との未来を思い描けたのは、思えばあの日までだった。 2015年12月1日。 この日から合併症は出ていたけれど、程度はそんなにひどくなかったから。 彼がうわごとながらもはっきり言葉を喋っていたのもこの日まで。 あの時私は、どうか合併症がこれ以上ひどくなりませんように・・と祈ることしかできなかった。 その願いは無残にも打ち砕かれてしまうのだけれど。 ”このままだと彼にはまた、新たな障害が残るな”

  • あの時どうして気づかなかった

    この日のことで、以前書いたこと以外にもう一つ印象に残ったことがある。 彼の傍にいた時、彼が突然全身を震わせたのだ。 わずか3秒ほどだったけれど。 『外傷による痙攣だ!マジか・・』と思ってしばし呆然としていた。 そばにいた看護師さんは「痙攣とかじゃないと思うんですけど・・」と言っていたが、いや、どうみても痙攣だろ!と一人でツッコんでいた。 脳が損傷を受けると、その影響でてんかん発作のようなものが起き

  • 最期の会話

    入院2日目。 この日が彼と会話できた最期の日だ。 「ごめんな、ナナドゴブ。頑張って治すから。手握って。」 これが私が聞いた、私に向けての最期の言葉。 彼は私と生きようとしてくれてと思う。 だからこそ、悔しい。 彼は・・どれだけの無念があっただろう、と。 生きて生きて、もっとやりたいことだってあったに違いない。 私は彼の最期の言葉を思い出すたび、そんなことを思って胸が苦しくなる。 たった6日間の入院

  • 2年前の今日

    2年前の今日。 彼が倒れた日。私が地獄に叩き落された日。 その時の経過はだいぶ前、このブログにも記した。 あの時の心情。改めて振り返ってみる。 ”どうして彼が?” あの日の私はそればかり考えていた。 実は初日に対面した時点ではくも膜下出血ということは聞いていたが、動脈瘤によるものなのか外傷性かははっきりと聞いていなかった。 ただ看護師さんが「手術の予定はない」と言っていた事から、動脈瘤ではないのか

  • 週末のフラッシュバック

    お彼岸。 明日は彼の実家にお邪魔させてもらう予定だった。 でもまだ風邪が完全に治りきっていないので、注文していたお花だけ渡すことにする。 本当にしつこい風邪。 もしご両親にうつりでもしたら大変だからだ。 夕方、お義父さんには電話でそのことをお伝えした。 悔しい。こんな大事な時に風邪をひく自分にもイラッとする。 ただ、その後お墓には行ってこようと思う。 お彼岸だし、人はいっぱいいるだろうな。ゆっくり

  • 最初に自覚した日

    彼がいなくなったのを本当の意味で実感した最初の日は、多分2015年12月28日。 2015年12月4日。金曜日。 彼がいなくなって。 それから週末は2日間にわたって彼の葬儀。 実感のないままそれらに出て。 12月6日に自分のアパートに戻った。 次の日は仕事を休み、ひたすら泣いていた。 そのさらに次の日から仕事には出たけれど、正直記憶が曖昧だ。 この辺りは自分が何をやっていたのか、実は今でもほとんど

1 2 3