• Dの意志とテンプル騎士団

    Dの一族のことは、すでにネットでもそこそこ話題になっていましたので、まだご存知ない方のために、思索が深まるよう縄文人の血脈の内容を加味しながら、書いたものです。 ちょうど姫神の縄文語で綴った「神々の詩」がとても素晴らしく、あまりにベストマッチだったのでリンクさせてもらいましたが、しかし、まさかこれで神様と神々を混同する人なんていませんよね。 もうめんどくさいので、あえて書きません。クリスチャンであ

  • 動き始める「Dの一族」

    「ワンピース」からのメッセージ。この作品は何処へ向うのか分かりませんが、こちらでは現実世界を追っていこうと思います。 以前「北斗の拳」でも書きましたが、結局、血筋というのは父系なのである。 縄文人への考察から「父系のルーツ」を紐解いてみたいと思います。 父系のルーツを辿ることができるY染色体ハプログループは、数万年にわたる長期的な追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した。それに伴

  • 神の血統VS神の教え

    血脈の中に流れる、あまりに遠い日の記憶を呼び覚ますのは、至難の業かもしれない。 かつてアブラハムの子孫が不信仰に陥ったとき、その国は、北イスラエルと南ユダに分けられ、北はアッシリアに、南はバビロニアによって征服され、いずれも滅びの道を辿っていきます。 そしてここからが重要で、かねてから日本には、日ユ同祖論というのがあって、ご存知の方も多いとは存知ますが、北イスラエルが滅亡したとき、国を構成していた

  • 侵蝕され続けるカトリック

    嗚呼、私はこの世の真の姿をどれだけ知っているだろうかと、あまりに乏しい知識と力の無さに途方に暮れることが多い。たしかに多少なりとも知ることが出来たのは幸いであり、大いに感謝もしているが、知ったのはあくまで一端であり、その奥にとてつもない闇が存在するのを未だ垣間見るし、整理できない面が数多くある。 例えば、2018年7月に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、事前にイ

  • 頭翼思想である

    頭翼思想は2千年前のイエス・キリストの十字架から始まりました。 キリストを認めた右の強盗の精神から政治・経済を発展させたのが民主主義。 また、キリストを否定した左の強盗にあたるのが、神を否定し、物質を中心とする共産主義です。さらにそれを両軸としながら、剣とコーランとを持ってやってきたのが中近東のイスラム文化圏。このように、イエスの十字架から世界が分かれてきました。 神主義の本質は何かというと、神中

  • 進撃の左翼!バカは言葉尻だけとらえる

    前稿は、誤解がないように、少し改稿しときました。 より正確に伝えたい為、頭翼思想の文章を付加した内容にしてあります。 現状、この「頭翼思想」という神主義のことを堂々と言えるのは、サンクチュアリ教会以外ないと思っています。家庭連合は左翼に取り込まれてしまっているため、もしこれを声高に叫んだら、ネパールで共産党配下に下った事件などが表沙汰になってきて、いろんな矛盾にぶち当たり、家庭連合は説明困難な事態

  • 日本に右翼はいない、あるのは左翼だけ

    最近思うモヤモヤを、少し吐露していきたいと思います。 みな、言葉や、自身の主観に捉われすぎて、俯瞰した見地で物事が見えなくなっていないだろうか。 思想内容は置いといて、勢力配分はいかほどか考えてみた場合、日本に右翼という存在は、おそらく限りなくゼロに近い・・・と、ある政治学者が言っていました。 これで、頭翼思想(神主義)を掲げてきた家庭連合が左へ舵をきってしまったので、勢力分布図はますます厳しくな

  • 家庭連合・日産・それぞれの闘い「泣いて馬謖を斬る」

    みな、それぞれの人生があり、それぞれの闘いがある。 そこで、皆さんに、少し認識を変えてもらいたい内容があります。 それは、大事から小事に至るまで、世界で起こっているあらゆる事件に対し、俯瞰した見地に立って、見て欲しいということです。 例えば日産のゴーン背任事件、そして、統一教(家庭連合)の分裂事件。 日産の社員、あるいは教会員以外の方にとっては、たしかに対岸の火事であり、話題にはなっても、実際、自

  • 【宗教・思想 決定版!】おすすめ宗教・思想ブログ記事一覧 仏教やキリスト教の情報たくさん有♪♪

    宗教・思想を学ぶ前にぜひ僕・村内伸弘が心込めて書き上げた宗教・思想ブログ集をご覧ください。そして宗教や哲学を楽しんでみてください。 宗教・思想 - 六角堂の前立本尊 如意輪観世音菩薩=救世菩薩 宗教・思想はすばらしい! 宗教・思想はうつくしい!! ▼宗教・思想 聖トマス西と十五殉教者顕彰の碑 - 長崎・中町教会の記念庭園 カトリック中町教会 - 長崎の原爆が炸裂し十字架の立つ尖塔と聖堂の外壁だけが

  • 言葉とは

    あえて、家庭連合にひとこと言っておきたいことがある。 互いの教会内では、特に教理や、語る内容が対決事案の場合は、とても重要な要素があり、論争するに値しますが、私はこのブログ、あえて一般向けに、庶民目線で提供してまして、そんな目からすると、金栄輝先生の上疏文、あるいは、その反論、とか言われても、たぶん読者の半分は何の興味も無かろうし、「だっじゃ、それは~~」となること受け合いです。 それで、そんな人

  • 共産主義に「身売り」した家庭連合

    「キリスト教を共産化する目的で、偽者の教師が偽(いつわ)りの預言を多く広めています。ちょうど家庭詐欺連合も共産主義になったように。」と、二代王がはっきり仰られる背景は、今の韓半島情勢を分析すれば、一般の人でも、わかる人にはすぐ分かる内容で、家庭連合が共産主義になったというよりは、女王様の大ゴケで、なんの抵抗もなく、自然な形で、共産主義に組み込まれてしまったように、私は感じます。 さて、韓半島情勢が

  • 「赦し」とは  二・二六に想う

    この大きなテーマに、そう簡単に挑めるとは思ってませんが、それでも感じるところがあるので、少しだけ綴ってみたいと思います。 最近、「昭和の怪物 七つの謎」というタイトルの本が出版され、著者は、現代史研究家、ノンフィクション作家である保阪正康氏で、それをもとにしたいと思います。 その中に「渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか」という章があり、2016年12月30日に満89歳で帰天されましたが、生前は

  • エッセイ 新春雑感

    新春だから、何か書いてみようと思うが、さて、これと言って浮かばない。何かめでたい記事になれば良いと思うが。 わたしは、ある人のことを深く考えるときには、どうしても、その人の宗教観が気に掛かる。その人が無宗教の人であっても、その人の家の宗教のことが気に掛かる。 宗教というのは、おもしろいもので、匂いが付き纏うものである。仏教なら抹香臭さ、キリスト教ならバタ臭さ、インディアンならタバコ臭さというような

  • いつも喜んでいなさい - 新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16節17節18節

    聖句「テサロニケの信徒への手紙」の日本語と英語です。世界遺産の旧出津救助院で僕・村内伸弘が買い求めたうつくしい栞とともにご覧ください 僕が購入したテサロニケの信徒への手紙の栞 平成30年(2018年) 7月20日 村内伸弘購入&撮影 旧出津救助院(きゅうしつきゅうじょいん)にて テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16節 いつも喜んでいなさい 5章17節 たえず祈りなさい 5章18節 どんなときにも感

  • エッセイ 武士道 <西郷隆盛における> 改版

    武士道は、歴史的に見て、非常に発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言って良いようである。 思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与されているものなのである。 日本で最初の征夷大将軍は坂上田村麻呂である。この人は、出自の確かな武勇に秀でた

  • エッセイ 諸思想雑感 -人格形成力としての-

    キリスト教の人格形成力にはたいへん力強いものがある。マザー・テレサの例を見ても分かる通り、往時の勢いは衰えたとはいえ、未だに、聖女を輩出する力を持っている。最近の例では、アメリカの前大統領のブッシュであろう。この劣等生の飲んだくれを超大国の大統領まで押し上げたのは、まさしくプロテスタントの人格形成力に他ならない。  それで仏教だが、日本では仏教系の新興宗教は非常に勢力は盛んだが、いずれも、政治的な

  • あの聖人も沈没

    一郎さんブログより、気になる稿がありましたので、本編の筋からは外れる内容ですが、こちらで投稿します。 以下、3月投稿「777双のレベルの低さを 渡辺のお兄さんから学ぶ」より引用 マザーテレサも お父様につまずき そのことで クイーンダイアナ 不倫女が死んだことで 栄光の葬式から いつ死んだか判らない 死に方を マザーテレサはしました。  完全な 天の裏切り者であり サタン側人物を持ち出す時点で マ

  • エッセイ 新約聖書に見る<イエスの思考法>

    聖書には考えさせられる思考が多くあるが、その中でも、イエスが神の永遠性について言うとき、帰納的に考えているのが注意を引く。 神は、アブラハムの神であり、ヤコブの神であり、イサクの神であった。従って、神は同じ一人の神であり、また永遠であると。 確かに、神を考えるとすれば、人間の分際で、それをまったく超絶した存在を全体的に見てから、それを分析していくという演繹法に頼って考えることはできない相談なので、

  • エッセイ 信という選択

    儒教の五徳でいけば、仁義礼知信と末端に位置する徳である。信は、それほど身近な普遍的な徳目であって、例えば、日常生活で、バスや電車に乗るとして、そのバスの運転手、電車の運転士を信頼していなければ、本当には乗れないはずなので、飛行機や船などは、なおさらそうであろう。スーパーで買う食べ物等、どれを取ってみてもよい。 日常生活をつつがなく送る上で、欠かせないこの徳は、従って、五徳の末端に位置するというのも

  • エッセイ キリスト教という実存主義

    実存主義は、キリスト教または既存の宗教的な衣を脱いだとき、人々が抱く思想だと言われているが、わたしは異なった考えを持っているので、ここに書いてみたいと思う。 結論から先に言えば、むしろキリスト教こそ実存主義そのものだという考えである。思想において、何ものをも、前提としないという点では、東洋の方がむしろまさっていると。 わたしは、キリスト教ほど生存の不安を根底としている宗教はないと思っている。キリス

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