• Happy Birthday John Lennon

    John Lennon in Central Park NYC in 1974  もし、ジョンが生きていたら、10月9日で76歳。 今日もニューヨークのセントラルパークで大勢集まってビートルズやジョンの曲をうたうんだろなぁ~。 下動画は昨年のセントラルパークの様子です。 Fans celebrating John Lennon's 75th Birthday in Central Park

  • 2009年公開映画「ノーウェアーボーイ」若きジョン・レノン

    『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(Nowhere Boy)は2009年公開のイギリス映画でビートルズ結成前の若きジョン・レノンを描いた伝記映画である。 ビートルズに関する多くの映画のうちでは好きな映画の一つで、リバプールの美しい街並み、ミミおばさんの雰囲気、実母ジュリアの感じ、実母ジュリア家の妹たちとの感じ、クオリーメンの演奏、ポールとの出会い、ジョージとの出会い、いろいろなシーンが素晴

  • 1975年グラミー賞プレゼンターを務めるジョン・レノン

    何度観たかしれない、大好きな動画。 1975年グラミー賞授賞式でプレゼンターを務めるジョン・レノン。 こんな役は苦手なんじゃないかな・・と思うんだけど、ポール・サイモンもアンディ・ウイリアムスもそして会場全体もジョン・レノン・ワールドの空気に包まれる。 英語はよくわからないんだけど、 なんだか、ジョンが台本を作って、最初からセリフがあって、ポール・サイモンやアンディ・ウイリアムスに言わせている感じ

  • 写楽1981年1月号 (篠山紀信撮影のジョン・レノン)

    1980年夏頃から私はウキウキしていました。 12月に発売されるジョン・レノンの5年ぶりの新しいアルバムが楽しみだったのです。 本屋さんにはジョンの表紙の本さえ並んでいました。(この本です) 5年間、ジョンが活動休止していた間、私はとても寂しかったので、このアルバムの発売は本当に嬉しくて、それに来年は日本でコンサートをやるらしいという噂もあり、とっても楽しみにしていました。 この本は1981年1月

  • ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド 写真集

    1973年秋から75年にかけてメイ・パンさんが撮影した写真集。 ジョンとヨーコさんとメイ・パンさんの不思議な関係はアフリカの一夫多妻制に匹敵する理解不可能な関係で、私のような凡人には一生かけても理解できないだろう。 (ジョンとヨーコさんについては理解不可能なことが多いのであんまり考えないことにしている。) ただなんとなくわかっていることがある。 それはメイ・パンさんはすごくいい人そうだなぁ~ってこ

  • ジョン・レノン レターズ

    ジョンの子供の頃から亡くなるまでの手紙やメモを載せている本。 385ページにわたりジョンの手紙が載せられている。 これは絶対ジョンは天国で怒っているはず。 誰だって自分の手紙を読まれたくない。 よくこんなに手紙が残っているはずだと驚いてしまう。 買った私も悪いけど・・・ ほとんど読んでいない。 人の手紙を見るのは罪悪感があるもので・・ 日本に3年にわたり9か月もいたのだから、万平ホテルのはがきで1

  • ジョン・レノン写真集「家族生活」

    私が持っているジョンの本の中で一番好きなのは、 やっぱり今回軽井沢に行くきっかけとなったこの 「家族生活」の写真集です。 この写真集に収められている写真は本来公開されることを目的としないで撮影されたものでした。 プライベートだから見せるリラックスした表情が素敵です。 ジョンが亡くなった後、ジョンの許可なしに、音源や写真や好き勝手に書かれた本なんかが発売されて、天国で怒っているかもしれません。 そん

  • ジョン・レノンが見た日本

    ジョン・レノン関係書籍、たくさんありますが好きなものだけ紹介してみようかなと思います。 「ジョン・レノンが見た日本」 これは、ジョンが日本語を勉強したノートです。 ジョンですから絵も書いています。 その絵がかわいいのです。 くらべる かめは うさぎに くらべて おそい です うさぎは かめに くらべて はやい です あげます わたくしは かないに あげます くれます かないは わたくしに くれます

  • 離山房について調べたこと

    帰ってきてから、離山房についていろいろ調べています。 元オーナー(槙野あさ子さん)さんのご主人が朝日新聞のカメラマンで、 ご主人の後輩がニューヨーク支局にいた時にヨーコさんに 先輩が軽井沢にお店を出したので寄ってください。と言ったことがあり、 それを覚えていたヨーコさんがお店に来られたとのこと。 youtubeで槙野あさ子さんのインタビューを聞きました。 ジョンはいつも東屋にいてお店に入ってくると

  • ジョン・レノンが1970年代後半に日本に滞在していた正確な期間

    先日、軽井沢に行って、ジョンが好きだったモカソフトがある「ミカドコーヒー」に行った際に、店内にミカドコーヒーの歴史年表があり、そこには 1976年から80年まで毎年のように軽井沢に訪れて・・・ と書いてあるのですが、この1976年という欄に堂々と書いてあるのが、どうしても気になり正確な期間を調べてみました。 私の家のジョンの本をいろいろ見ていたらありました。 これに詳しく載っていました。 1976

  • 軽井沢から帰ってきて思うこと

    1977年、夏休みのお盆過ぎだったと思います。 突然の訃報が飛び込んできました。 私は17歳でまだ身近な人の死に接していなかったので、ショックでした。 エルビス・プレスリーが亡くなったのです。 そんな17歳の夏、私の大好きなジョン・レノンは日本の軽井沢にいたのです。 あのエルビスの死を知った夏休みのあの日に軽井沢に行ったらジョンに会えていたんです。 今でもそのエルビスの死を知ったあの日のことを覚え

  • ジョンと同じ場所で同じポーズで写真を撮りたい

    万平ホテル玄関 鬼押出し園 鬼押出し園 見晴台 見晴台 見晴台 見晴台 見晴台(熊野皇大神社) 見晴台(熊野皇大神社) 見晴台(見晴亭) 一枚だけ、ポール。 1966年のポール・マッカートニーと2016年の娘 皇居(皇居正門前) 

  • 3日目(2016.5.20.)鬼押出し園

    鬼押出し園 3日目は「鬼押出し園」もうこれだけを目標にしました。 「白糸の滝」と「軽井沢タリアセン(塩沢湖)」はもういいかな~と。 鬼押出し園へは西武高原バスで行くことにしましたが一日5本くらいしかなくて。 もし行かれるなら、レンタカーをおすすめします。 そう、万平ホテルの小澤さんも言ってた。 レンタカーでまわったら全部さぁ~ってまわれるよ。 中軽井沢駅発8:55。 これに乗り遅れたら大変。 朝食

  • 2日目(2016.5.19)碓氷峠見晴台、離山房

    見晴台 万平ホテルをチェックアウトしてから、万平ホテル前から出ている見晴台行のかわいいバスに乗って見晴台に向かいました。 バスは旧中山道を通って少しずつ上り坂を走っていきました。 見晴台までの道は林の中を通っていくのですが別荘地でもあり白樺の木もありおしゃれな雰囲気でした。 中山道最大の難所として知られていた碓氷峠は標高1200m。 娘に「英彦山の山道と全然違うね。おしゃれだよね~」とつい言ってし

  • 1日目(2016.5.18~19)万平ホテル

    本館アルプス館128号室 案内されて128号室に入りしばらくはウキウキワクワクと写真を撮ったり動画を撮ったりしましたが、ジョンとヨーコさんのお部屋だったとしても私たちの荷物を置いてソファでごろんと横になったり、ベッドで横になっているとお家にいるみたいになっていきました。 それほどに華美な部分の全くない落ち着いた雰囲気のお部屋でした。 部屋には軽井沢彫の素敵なタンスがありました。 引き出し4段全面桜

  • 1日目(2016.5.18.)フランスベーカリー、ミカドコーヒー

    万平ホテルまで 5月18日朝6時半頃、福岡の家を出て、福岡空港(飛行機)~羽田空港(モノレール)~浜松町(JR)~東京(新幹線)~軽井沢 乗り換えのタイムロスもほとんどなくスムーズに軽井沢に13時頃到着することができました。 タクシーに乗り、「万平ホテルまで」と言うと、あっという間に夢にまで見た万平ホテルに着いていました。 軽井沢駅から万平ホテルまでのタクシー料金は800円でした。 万平ホテルに着

  • 万平ホテルに電話で予約

    2016年4月8日、夜7時頃、万平ホテルに予約の電話をしました。 娘と軽井沢にジョン・レノンゆかりの地めぐりの旅をするための宿泊先候補には、当然ジョンが常宿にしていた万平ホテルがあがるのは当然なことですが、身の丈に合わない宿で緊張しっぱなしでゆっくり休むこともできないのではないか、ドレスコードがあってお断りされるんじゃないかとかいろいろ考えてためらっていました。 ・・・・・というか、やっぱり一番の

  • ジョン・レノン55回忌に 思うこと!

       もうすぐ2015年12月8日です。1940年生まれのジョン・レノンが もし生きていたら 今年で75歳。あの いたたましい事件により この世を去って 35年が 過ぎようとしています。今回は 私の拙い文章で申し訳ないですが ジョンのことを 書こうと思います。  もちろん ジョンとは 一度も会ったことは ありませんし 見たこともありません。こちらが 音楽を通して 勝手に 好きになっただけです。でも

  • 音楽の教科書 ビートルズ!

       自分とビートルズが 最初に結びついたのは 中学2年の時。勉強を教えてもらっていた 大学生の兄さんが 休憩時間に 歌詞を 見せながら 聴かせてもらった<Yesterday>でした。歌詞もさることながら 切なくて寂しい、でもかっこいいなあ!を 思ったのを 思い出します。  それまで 歌謡曲が好きで お気に入りの ドーナッツ盤を 買ったりして 聴いていましたが その頃から 日本語よりも英語の曲に