• 琉球、皇帝の衣装を無断で作り叱られる

    織金竜衣(しょっきん・りゅうい)というのは、 中国皇帝だけが、着用を許された黄色が主体の衣で、 模様として竜がびっしりと描かれていました。 黄色も竜も皇帝のシンボルなので、 琉球も大層そのデザインに憧れていました。 1471年、使節としてやってきた蔡璟(さいけい)は、 こっそり、針工と織金竜衣の生地を手に入れ、 琉球館で、織金竜衣を二着造らせます。 ところが、これがバレてしまい、 蔡璟は、咄嗟に、

  • 琉球最古の画家 自了

    琉球の歴史に残る最古の画家の名前は、 城間清豊(ぐすくま・せいほう) と言う人で、号を自了(じりょう)と言います。 1614年に産まれた彼ですが、 生まれつき、耳が聞えず、 しゃべる事も出来ない という障害を持って産まれました。 両親は清豊の将来を悲観して、 彼には学問を教えませんでした。 ところが、清豊自身は、 そんなハンディはお構いなしの 好奇心旺盛な少年に育ちます。 清豊はある時、 どうして

  • 琉球料理と日本料理、アメリカ人が好んだのは?

    1853年、日本に向かう前に 琉球にやってきたペリー 恫喝外交に苦しみながらも、 そこはお客様、無下には出来ません。 琉球は中国使節に与えるよりはワンランク低い 豪華な料理で、おもてなししました。 「実は君達を歓迎してないぜ、フフン」 というサインを紛れこませたのですが、 そんなサインはアメリカ人に分かる筈もありません。 料理として出てきたのは、 伊勢海老や鹿肉、豚肉、 卵、家鴨、小麦粉を使った

  • 勝連城に凱旋門があった?

    凱旋門と言うとアーチ型の門で パリのエトワール凱旋門が最も有名ですが そもそも凱旋門の発想は古代ローマ時代からあります。 さて、そのような凱旋門ですが勝連城にも、 それと思わしきアーチ門が存在していました。 現在は失われていますが、発掘された破片がこれです。 どうでしょうか?唐草文様のレリーフが見えますよね? 実は、琉球は日本では珍しいアーチ工法が発達した土地で、 無数の橋やグスクの門にその形式が

  • 隋にボコボコにされる琉球

    琉球が中国史に出現する最初は 隋(581~618)という王朝の時代です。 隋は300年ぶりに中国を統一した強力な王朝でしたが、 二代目の煬帝が贅沢と戦争で 民を苦しめたので たった二代で滅びました。 この、隋の煬帝は琉球も服属させようと、 都合3回に渡り、船と兵を出しています。 一回目は、到着しても言葉が通じないので、 琉球人1人を捕虜にして連れ帰り、 二回目は、この通訳を介して服属するように言っ

  • 琉球、辮髪の強制に怯える

    西暦1644年、山海関を超えて、北京に入城した 満州族は、国号を清として、新しい中国の支配者になります。 そして、その手始めとして、敵味方を区別する為に、 漢民族に辮髪を強制しました。 辮髪は平たく言えば、ラーメンマンみたいな髪型で 頭髪を額の部分だけ残し、 周辺は剃り、伸びた毛は 三つ編みにして垂らします。 清の辮髪強制はかなり激しく、 「髪を切るか、首を切るか?」 といって迫ったと言います。

  • 豚を中心に回る琉球エコロジー

    琉球の庶民にとっての財産は、 何と言っても豚でした。 豚は暑い琉球の貴重なタンパク源であり 疲労回復のビタミンBも豊富に含まれます。 それに冠婚葬祭、全てにおいて 豚肉料理は出るので、どんな貧困世帯でも 豚は飼わなければいけなかったのです。 そんな豚は庶民の家でフールとよばれる 石造りの立派な畜舎で飼われていました。 フールは豚小屋兼トイレでもあり、 糞尿も豚の餌になっていたのです。 つまり、フー

  • 1761年、琉球で一揆が発生、その理由は?

    1761年、琉球は大変な不作に見舞われ 年貢の未納が相次ぎました。 今と違い、食糧をお金で輸入という 時代ではないので尚穆王は飢饉に備えて、 百姓のさらなる倹約を申しつけます。 それが正月とお盆に豚を潰して食べる事を 当面禁止するという豚肉禁止令です。 しかし、1年の楽しみが正月と盆に 豚肉を食べる事であった百姓達には衝撃が走ります。 「俺達の楽しみは、盆と正月に豚を食べて、 酒を飲む事だけだと言

  • 進貢船が中国に到着するまでの期間

    琉球から出た船が中国の福州に入るまでには どの程度の期間が掛かったのでしょうか? それは、最短で4日間と言われています。 意外に速いですよね? ただ、これは順調に行った場合で、 長期になると30日という事もありました。 これは航海しているというより 久米島で良い風を待っていたからです。 どうして久米島で風を待つのか? これには、久米島が福州までの最短距離である という大きな理由がありました。 そし

  • 進貢船の内部とは?

    進貢船は、基本、中国に古くからある 戎克(ジャンク)の形式をしています。 ジャンクは竜骨(キール)を持たないので、 大波に弱く、遠洋を航海するのに不向きな船です。 しかし、中国人が開拓した航海路は島伝いに 東南アジア海域まで出るものだったので、 大洋を横断する必要がありませんでした。 ジャンクは浅海で非常に速く動く事が出来、 水密隔壁というマッチ箱を重ねたような 頑丈な防水機能を持っていたので、

  • 沖縄の文化に影響を与えた久米三十六姓

    久米三十六姓とは、今から700年前頃から、 当時、浮島だった那覇に住みついて商業に従事した中国人の集団です。 彼等は、一般の中国人のように土地にしがみつく事がなく 広く外の世界に活躍の場を求めていった人々で客家(ハッカ) と呼ばれる事もあります。 琉球は、この客家の人々を利用して、東南アジア海域の 貿易ネットワークを無料で活用し、航海士として雇い 中国向けの公文書を書かせるなど 進んだ、中国文化の