• 星星知我心(星は私の心を知っている)

     夢でお逢いした貴方の為に、今夜も星に因んだ楽曲をご紹介します。  立秋ともなり、伊賀満天の星空もどことなく秋めいて……  と書き続けたいところですが、伊賀は今夜も雨です。  「星星知我心」は、元々台湾で1983年8月15日から同年10月14日までの2箇月間放映された同名の連続テレビドラマの主題歌として発表されたものです。  このドラマは、「情節、人の肺腑に感ぜしむ 人をして熱涙を流さしむ」と絶賛

  • 淚的小雨(涙の小雨)

     台風一過の伊賀は、小雨模様です。  そこで、今回は、小雨に因んだ楽曲をご紹介します。  「淚的小雨(涙の小雨)」は、1969年(昭和44年)2月1日に発売された内山田洋とクール・ファイブのデビュー曲 「長崎は今日も雨だった」の替え歌で、彩木雅夫の作った曲に台湾に住んでいた北京出身の作詞家莊奴が独創的な詩を付けたものです。  「雨」の一語以外は、「長崎は今日も雨だった」とは、似ても似つかぬ歌詞にな

  • 明月千里寄相思

     「明月千里寄相思」は、1948年上海で発表された楽曲です。  作詞・作曲は、戲曲家の金流(本名:劉如曾)で、当時26歲の吳鶯音が原唱して大ヒットとなり、ほぼ70年後の今日でも歌い継がれています。  この歌詞は、文語体で書かれていますので、訓読も可能です。  筆者注:  「訓読」とは、漢文の語順を日本語の順に変換し、助詞や助動詞を補って外国語である支那諸語をそのまま日本語として読み下す方法で、外国

  • 桃花源

     「桃花源」(とうかげん)は、日本のシンガーソングライター・さだまさしが1977年7月25日にリリースしたアルバム『風見鶏』の中の1曲です。  この楽曲は、さだの弟の佐田繁理が台湾大学へ留学中に採譜してきた曲にさだが詩を付けて完成したものです。  『風見鶏』発表時には、作曲者不詳としていましたが、その後、作曲者が判明したため、1978年2月10日にシングルカットした時から、「劉家昌作曲(佐田繁理採

  • 楊琴

     【揚琴演奏】  揚琴(ようきん:ヤンチン)は洋琴とも称する打弦楽器で、明清ごろに西方から支那に伝わり、嘗ては日本でも明清楽で使われていました。  【揚琴】  揚琴は、むき出しのピアノのような構造で、梨の木から作った台形の木に、144本の金属弦を張ったものです。  これだけ多くの弦があると、正確な音程に調弦するだけでも気の遠くなるような時間がかかります。  これを2本の竹の撥(ばち)で木琴を弾くよ

  • 我家在那裡(私の家はそこにある)

     「我家在那裡」は、1972年 の台湾映画、「晚秋」の主題歌として発表された楽曲です。  作詞、作曲、演唱共に劉家昌ですが、この人は非常に才能豊かな芸術家で、この映画では監督と主演も務めています。  この歌曲は、故郷の我が家のことを詠ったものですが、日本ではその詩を知る人は殆どいません。しかしながら、その曲だけは1977年さだまさしが翻案した詩を付けてカバーした「桃花源」で知られています。  今回

  • 我可以 (僕にはできるよ)

        我可以 (僕にはできるよ)                    作詞:陳鎮川   作曲:平井堅 演唱:游鴻明 痛的感覺那麼的清晰       痛みの感覚はこんなにハッキリ残ってる 不論我再怎麼休息 總無法痊癒  どんなことをしても癒されることはないんだ 心裡被你踏上了腳印       心の中にはまだ君がいる 要等待多少次潮汐 才能洗去   どれだけたったら忘れられるんだろう 我的期待值得

  • 月亮代表我的心(月が私の心を表している)

     「月亮代表我的心」は、1973年に発表された台湾の歌謡曲です。  「程英」と名乗る方からのコメントで、蔡幸娟小姐の最近の動画についてご紹介を頂きましたので、今回はそれに因んだ記事を掲載します。  次の動画がご紹介を頂いたもので、昨年3月18日の蔡幸娟小姐51回目の誕生祝賀会の模様です。  舞台設定などは簡素なものですので、余程親しい人だけの集うほんの内輪のパーティーであったようです。  この中で

  • 襟裳岬(台湾編)

      1974年の森進一のヒット曲『襟裳岬』は、台湾でも多くの歌手によってカバーされています。  曲は吉田拓郎のものですが、歌詞は岡本おさみの詩的表現が難解で翻訳が難しいため、殆どが意訳というよりも全く別物の歌詞が付けられています。  このため、歌題も「襟裳岬(鄧麗君1976)」だけではなく、「依舊是一個人(鳳飛飛1978)」「沙灘上的歌聲(蔡幸娟)」「仍舊一個人(蔡幸娟)」「「照顧我吧!愛神」「迎

  • 月夜愁

     台湾の四大民謡と言われる「四月望雨」とは、38歳で夭逝した鄧雨賢の作曲になる『四季紅』、『月夜愁』、『望春風』及び『雨夜花』の4曲のことを言います。  当ブログでは、これまでその内3曲をご紹介してきました。  今回は、最後に『月夜愁』をご紹介します。  この曲は、元々台湾原住民平埔族の歌謡が原典となっています。  その歌謡を、20世紀初頭にカナダから台湾へ移住し「馬偕博士」と呼ばれて尊敬を集めた

  • 四季紅

     台湾を代表する作曲家鄧雨賢の作品の中で最も有名な「四季紅」「月夜愁」「望春風」「雨夜花」の4曲は、その頭文字をとって、纏めて「四月望雨」と通称されています。  また、この4曲を含めた「四月望雨」という名のミュージカルも製作されています。  本ブログでは既に、「望春風」と「雨夜花」の2曲についてはご紹介していますので、今回は、「四季紅」をご紹介します。  「四季紅」の作詩者は、「望春風」でコンビを

  • 東日本大震災に見るアジア各国の国民性

     本日、東日本大震災発生から6年となりました。  被災された方々には、謹んでお悔やみ並びにお見舞いを申し上げます。  震災発生直後のアジア各国の国民性を示す動画や画像は、数えきれないほどあります。  本日はその中から各国の民度をよく表していると思われるものを、伊賀山人の独断と偏見により特に印象的なものに限定してご紹介します。  予断を避けるため、画像の説明は事実のみに留め、各国の反応から窺える民度

  • 補破網

     「補破網」は、1948年(昭和23年)に發表された台湾の代表的歌謡曲の一つです。  作詞者は、1933年(昭和8年)に「望春風」で乙女心を切々と詠じて一世を風靡した詩人李臨秋(リ リンシュウ)です。  詩題の「補破網」とは、破れた網を修補するという意味です。  当時、既に38歳で未だ独身であった李臨秋が、ある年の七夕の日に些細なことから恋人と喧嘩別れをしてしまいました。  その彼女の心を呼び戻し

  • 雨夜花

     雨水の候、雨に因んだ台湾の代表的な歌謡曲をご紹介します。  曲名は「雨夜花」、この曲は「望春風」が発表された翌1934年(昭和9年)に誕生しています。  作詩は当時23歳の青年周添旺(しゅうてんおう 1911年-1988年)、作曲は「望春風」と同じ鄧雨賢(とううけん 1906年-1944年 )、この曲は「望春風」と並び称される台湾を代表する名曲です。  詩の内容は、薄幸な人々の運命を、夜の雨に散

  • 茉莉花

     「茉莉花(まつりか)」とは、およそ300年近く前の清朝乾隆年間から伝わる代表的な童謡の一つです。  ジャスミンの花を歌ったこの曲は、 江戸時代に日本にも伝わっていますが、2008年の北京オリンピックでメダル授与式のテーマ曲として使われたことでも知られています。  作詩作曲者は不明で、歌詞も何種類かあるようですが、本日は、その中で最も世間に流布されているものをご紹介し、最後に動画を添付して、関係者

  • 望春風

     「望春風」は、1933年(昭和8年)に発表された台彎創作歌謡の一つで、現在は台彎民謡の代表曲となっています。  片思いの乙女の心情を臨場感たっぷりに切々と歌い上げた歌詞と、その親しみやすいメロディは、84年を経た今でも全世界に在住する台湾人の琴線に触れる名曲です。  詩題は、「春風を待ち望む」という意味ですが、ここで「春風」というのは春風そのものを意味するとともに、自分の家の戸を叩く風になぞらえ

  • 台灣民謠四首

     台湾の歌謡は、次期的に大きく3時代に分けられます。  日清戦争以前の清朝統治時代、その後の日本統治時代、大東亜戦争後の中華民国統治時代です。  この内、大東亜戦争以前のものが民謡として定着しているように思われます。  清朝統治時代と日本統治時代とでは、メロディーラインが大きく異なります。  前者は、清の伝統的メロディーで大陸のものと殆ど同じに聞こえます。  後者は、日本の大正から昭和初期にかけて

  • 台湾(日本精神を受け継ぐ国)

    【舊台灣總督府(現中華民國總統府)】  台湾は、日清戦争の結果として1895年4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づき清朝から大日本帝国に割譲され、以後50年間大日本帝国の統治下に置かれた。  日本の大東亜戦争敗戦に伴い、1945年10月25日故蒋介石(本名は中正、介石は字)の率いる中華民国・南京国民政府が支配するところとなって現在に至っている。  現在の台湾人口2340万人の住民構成は

  • 故宮博物院物語

     故宮とは、古い宮殿と言う意味ですが、明朝、清朝の宮殿であった北京の紫禁城が中華民国成立以降、故宮と呼ばれています。  故宮博物院とは、今から約90年前、清朝最後の皇帝溥儀が紫禁城を去った後、歴代王朝が3000年に亘り収集した美術工芸品を故宮でそのまま展示したのが始まりです。  これらの文物の総数は、117万件以上、数百万個は有ったと言われています。  現在、故宮博物院は、北京と台北の2箇所にあり