• 台湾(日本精神を受け継ぐ国) 台湾(日本精神を受け継ぐ国)

    【旧台灣總督府(現中華民國總統府)】  台湾は、日清戦争の結果として1895年4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づき清朝から大日本帝国に割譲され、以後50年間大日本帝国の統治下に置かれた。  日本の大東亜戦争敗戦に伴い、1945年10月25日故蒋介石(本名は中正、介石は字)の率いる中華民国・南京国民政府が支配するところとなって現在に至っている。  現在の台湾人口2340万人の住民構成は

  • 東ティモール(アジア唯一の元ポルトガル領) 東ティモール(アジア唯一の元ポルトガル領)

    【東ティモールの首都ディリにおけるPKO活動の一コマ】  東ティモールは、かつてポルトガル領ティモールと呼ばれるアジアでほぼ唯一のポルトガル領だった。(他に幾つかの小さい島々でポルトガル領もある)  日本は、戦前、ここに定期航空便を飛ばしていた。  大東亜戦争中、ポルトガルは中立を宣言したため、日本軍としてはティモールに進駐する予定はなかった。  ところが、アジアでの利権を失いそうになったオランダ

  • パキスタン(イスラム教徒の国) パキスタン(イスラム教徒の国)

    【モヘンジョダロの考古遺跡】  パキスタンは、大東亜戦争前までは、英領インドの一部であった。  戦後、ヒンズー教徒とイスラム教徒との対立が激化し、1947年、インドから分離独立した。  当時は、インドを挟んで東パキスタンも領土の一部であったが、遠隔地での国政遂行は元々困難であり、1970年東パキスタンのサイクロン被害救援の遅れに端を発して、翌年東パキスタンは、バングラディッシュとして分離独立した。

  • ラオス(影の薄い共産主義の国) ラオス(影の薄い共産主義の国)

     【ラオス北部の古都ルアンパバーンにある仏教寺院ワット・シエントーン】  ラオスは、戦前までフランス領インドシナの一地域であったが、日本軍がフランスを追い払った後、終戦4箇月前のの1945年4月8日に日本の協力の元、独立宣言をした。  戦後は、再びフランスの占領下にあったが、1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。  政治体制は、マルクス・レーニン主義を盲信する共産主

  • フィリピン(神風特攻隊を尊敬する国) フィリピン(神風特攻隊を尊敬する国)

    【パンパンガ州にある「マバラカット東飛行場跡」の神風平和記念廟の銅像】  フィリピンは、1529年にスペインの領有するところとなり、1898年の米西戦争の結果として統治権がスペインからアメリカに譲渡された。  大東亜戦争により、日本軍が進駐するまでの400年間、米西の過酷な搾取にあえいでいた。  フィリピンが独立したのは、1943年10月14日、大東亜戦争の最中であった。  フィリピン、サマット山

  • ベトナム(共産主義の国) ベトナム(共産主義の国)

     【ベトナムの風景画】  日本軍の仏領インドシナ(現ベトナム・ラオス・カンボジャ)進駐は、大東亜戦争開始前から行われたため、その占領政策とフランスによる植民地政策とは、他のアジア諸国とは異なる独特の経過をたどりました。  1940年に始まった仏印進駐の目的は、「援蔣ルート」の遮断にありました。  「援蔣ルート」とは、1937年から始まった支那事変において、イギリスやアメリカが中華民国の蒋介石政権を

  • シンガポール(華僑の国) シンガポール(華僑の国)

     【シンガポールの夜景】  シンガポールは、人口540万人の内74%を華人系が占める華僑の国です。  マレー半島の南端に位置する大小約60の島からなる、マレーシア連邦の一地域でしたが、原住民であるマレー人と移民の華僑との間の軋轢により、1965年、マレーシア連邦から追放されて独立国となりました。  その後、世界的な貿易、交通及び金融の中心地となり、国民一人あたりのGDPは東京都民を凌駕しています。

  • カンボジャ(中共寄りの国) カンボジャ(中共寄りの国)

    【カンボジャの紙幣に印刷された日本カンボジア友好橋】  カンボジアは長い内乱で、国内に地雷が多数残されました。  そこへ駆けつけたのが日本でした。  自衛隊が地雷撤去をする傍ら、日本政府の無償援助によって、橋をかけるなどの道路整備を進めました。  なかでも、トンレサップ河にかけられた橋は有名で、カンボジアの札にも印刷されています。  名前は「日本カンボジア友好橋」(通称「日本橋」)。 【一昨年の日

  • マレーシア(華僑を除き親日の国) マレーシア(華僑を除き親日の国)

    【クアラルンプールのペトロナス・ツインタワー】  マレー半島は長期間イギリスの植民地であり、マレー人の中には何とかして独立したいという強い思いがあった。そのイギリス軍と戦う日本軍の勇敢な姿にマレー人は強く心を動かされ、日本軍を歓迎し積極的に兵士に食料を提供したり、荷物を運んだり、ジャングルの道案内をしたりという具合に協力してくれた。その結果、マレー半島の戦いはわずか70日間で終結し、後のマレー独立

  • インドネシア(親日の国) インドネシア(親日の国)

     【ジャカルタにあるインドネシア独立宣言記念碑】  1945年8月15日に日本がオランダを含む連合国に降伏し、インドネシア念願の独立が反故になることを恐れたスカルノら民族主義者は同17日、ジャカルタで独立を宣言した。(独立宣言文の日付は皇紀を用いている)  しかし、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダと独立戦争を戦うことを余儀なくされた。  インドネシア人の側は、外交交渉を通じて独立を獲得し

  • ジョヨボヨ王の予言 ジョヨボヨ王の予言

     【ボロブドゥールの円形壇上にある仏塔と仏像】  インドネシアには「ジョヨボヨ王の予言」という伝承があります。  12世紀前半、東ジャワのクディリ王国のジョヨボヨ王が宮廷詩人に命じて書き残したもので、インドネシアを苦しめる“白い人びと”を、北からやってきた“黄色い人びと”が追い出してくれるという次のような「予言」です。 「我が王国は、どこからか現れる白い人びとに何百年も支配されるだろう。彼らは魔法

  • オランダ(勘違いの女王) オランダ(勘違いの女王)

    【2013年1月28日テレビで退位表明した際のオランダ女王ベアトリクス】  昭和天皇崩御後の平成3年(1991年)10月、オランダ女王ベアトリクスは歴代オランダ元首として初めて日本を公式訪問しました。  この時、今上天皇陛下が主催された晩餐会のスピーチで、第二次世界大戦時のインドネシアにおける自国民の犠牲について次のように述べて賠償金を要求しました。  《宮中晩餐会でのベアトリックス女王挨拶》 「

  • ビルマ国(親日の国) ビルマ国(親日の国)

     【ビルマのパゴダ】  大東亜戦争開戦後の1941年12月16日に、後に「ビルマ建国の父」と称えられることになるアウン・サン(アウンサン・スーチーの父親)と同志たちは日本軍の支援を得てタイのバンコクにビルマ独立義勇軍を創設しました。その後、日本軍と共にイギリス軍と戦い、1942年3月にラングーンを陥落、刑務所に収監されていた独立運動家バー・モウが解放されました。同年5月にはビルマからイギリス軍を駆

  • バングラデシュ(親日の国) バングラデシュ(親日の国)

    【パハルプールの仏教寺院遺跡群】  南シナ海で中国の示威行動がエスカレートしていることにアジア諸国の懸念が高まっているが、その一方で日本への評価は高まっている。   一人当たりのGDPが日本の40分の1で、アジア最貧国といわれるバングラデシュでは、日本への信頼は厚い。菅原伸忠氏は、NGOシャプラニールのメンバーとして2010年から2012年まで現地に駐在していた。バングラデシュでは2007年に巨大

  • スリランカ(親日の国) スリランカ(親日の国)

     【聖地アヌラーダプラのルワンワリサーヤ仏塔】  1951年9月のサンフランシスコ平和会議の席上、セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルナダ蔵相(のち首相)は次のように演説している。 「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いてい

  • インド(親日の国) インド(親日の国)

    【タージ・マハル】  大東亜戦争中のインドにおける最大の作戦は、インパール作戦でした。  この作戦は、イギリス軍15万の大軍が占拠するインド北東部の都市インパール攻略を目指して、日本軍9万とインド国民軍約6千との連合軍が進軍したものです。  結果としては、日本側の兵站線(補給路線)が伸びきり、補給が続かなくなって、大損害を出して、撤退することになりました。  インドでは、この作戦を「対英インド独立

  • タイ王国(親日の国) タイ王国(親日の国)

    【19世紀末から20世紀初頭の東南アジアの植民地支配】  タイ王国は、上掲の図のとおり、東南アジアでは唯一、植民地支配を受けない独立国でありましたが、常に英仏の圧力を受ける難しい立場にありました。  大東亜戦争中は、日本に積極的に協力しており、日本軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当しています。  その一方で、アメリカなどの連合国とも連絡をとるという二重外交を展開し、戦後の欧米に

  • 帝国大学附属病院 帝国大学附属病院

     戦前、日本は植民地経営に国家予算の30%もの巨費を投じて、植民地の教育と医療に力を傾けました。  この目的は、外地をいつまでも植民地にしておくのではなく、植民地の人々が、それぞれの国家の統治に必要な知識技能を習得した後、出来る限り早期に独立してもらうことにありました。その証拠は、多々ありますが、ここでは割愛します。  1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立しまし

  • ミクロネシア連邦(親日の国) ミクロネシア連邦(親日の国)

     パラオの東にある約600の島からなるミクロネシア連邦は、パラオ共和国同様、第1次欧州大戦後30年間、日本が委任統治しました。  この国で最も人口の多いトラック諸島(現チューク州)は、戦時中連合艦隊の根拠地でもあったため、今でも住民5万人のうち、1万人以上が日系人で構成されており、「ハダシ」や「サルマタ」「コシカケ」など数多くの日本語を話す親日国です。  戦時中の話を、現地のヨシュア・スガ氏(85

  • パラオ共和国(親日の国) パラオ共和国(親日の国)

     日本の真南の太平洋上、約300の島から成るパラオ共和国は、1543年、スペインが発見して植民地とし、その後1899年にドイツが買収しました。   第一次欧州大戦時に、日本は日英同盟に基づき連合国側としてドイツに宣戦布告して参戦、南洋諸島を攻略・制圧しました。そして戦後処理をしたパリ講和会議によって、パラオを含む南洋諸島は日本の委任統治となり、1914年から1945年まで日本の施政下にありました。