• 琉球、皇帝の衣装を無断で作り叱られる

    織金竜衣(しょっきん・りゅうい)というのは、 中国皇帝だけが、着用を許された黄色が主体の衣で、 模様として竜がびっしりと描かれていました。 黄色も竜も皇帝のシンボルなので、 琉球も大層そのデザインに憧れていました。 1471年、使節としてやってきた蔡璟(さいけい)は、 こっそり、針工と織金竜衣の生地を手に入れ、 琉球館で、織金竜衣を二着造らせます。 ところが、これがバレてしまい、 蔡璟は、咄嗟に、

  • ネトウヨに似てる?末広鉄腸

    ネットで「琉球」と入れて検索すると 出てくる琉球への罵詈雑言の数々 特に基地問題と沖縄のアイデンティティ問題に 関しての書き込みは日本の言い分を押しつけ 反論に対しては、スパイ・工作員と レッテル貼りをする独善の一言です。 そのような琉球ディスなネトウヨにも、 遥か昔に元祖と呼べる人物がいました。 それが朝野新聞の 末広鉄腸(1849~1896)です。 末広鉄腸は藩閥政府を激しく攻撃する 自由民権

  • 琉球は薩摩の奴隷だったのか?

    西暦1609年以来、琉球は薩摩の島津氏に侵略され 以後は、鵜飼いの鵜のように富を吐きだして 薩摩に与えていたという話があります。 では、実際には、琉球に薩摩は どのように干渉出来たのでしょうか? 実は、薩摩から琉球に派遣されて来た 在藩役人は10名前後しかいません。 植民地帝国のように総督がいて、 その下に官僚がいるという感じではありませんでした。 インドを250年支配した英国は、 インド総督を頂

  • 琉球は中国に操られていたか?

    琉球の歴史というと、下の絵のように、 琉球は中国に操られていたんだ! と語る人に出くわします。 しかし、それは全くの出鱈目です。 例えば、それらの人達は、 「蔡温や謝名親方は三司官で 中国系ではないか?」 と言いますが、 琉球の最高行政職である三司官は、 400年で100名程出ました。 その中で中国系の三司官は、 たった、二人しか出ていません。 それが蔡温と謝名親方です。 しかも、蔡温の父は首里の

  • 帝国主義だった琉球

    佐敷王統は、国内統一で余った エネルギーを更に北へと向けます。 そのターゲットになったのは、 奄美大島や喜界島であり、 そこには、島津氏の代官である 千竈(ちかま)氏がいました。 1450年代には、琉球は 奄美大島を千竈氏と 奪いあっていたようで 尚巴志の息子である 尚布里(しょう・ふり)が 奄美大島の攻防戦で 激戦の末に千竈氏を 辛うじて退けたという記録があります。 当時の琉球の国境線北限は 臥

  • 首里城に埋蔵金が存在した!!

    琉球は二年に一度、 中国に進貢船を送っていましたが、 ※接貢船というお迎えの船も 出したので事実上は毎年 これには莫大なお金が掛かりました。 進貢というのは、中国皇帝へ忠義を示す オフィシャルなものなので 「すみません、今年は お金ないので伸ばして下さーい」 というような言い分が一切通りません。 そこで、琉球は表の経済とは 別にへそくり、いわば埋蔵金を 持つようになりました。 伊江親方日々記という

  • 琉球は差別語ではない

    最近は琉球という言葉は 中国から付けられた屈辱的な 名前だから使うのは良くないという 根拠のない話があります。 しかし、それは悪意のある曲解であり、 そもそも琉球という名前には 悪い意味はありません。 南海に浮かぶつるつるした宝玉 というのが琉球の意味です。 中国は大抵、周辺国には蔑視した名前をつけますが 琉球は例外的に美名でした。 ちなみに、日本に中国がつけた「倭」とは、 短足野郎、小人という意

  • 琉球が中国に500年送り続けたものとは?

    琉球は、1372年から、 琉球処分までの500年 毎年、せっせと中国に 送り続けたものがありました。 それは何と硫黄です。 硫黄は沖縄本島からは採れませんが、 近くに硫黄鳥島という島があり、 そこから何百年も採掘しました。 さて、どうして硫黄が輸出品だったのか? それは、これが 火薬の原料だったからです。 中国は、絶えず内乱か異民族の侵入に 悩まされている国であり、 特に騎馬民族である 遊牧民の撃

  • ペリーの石炭探索を阻止せよ!!

    19世紀の後半の蒸気機関は、まだ燃費が悪く 各地で石炭を補給しないと、航海を続けられませんでした。 ペリーが琉球にやってきた理由の一つには、 極秘に琉球国内を探索して石炭を発掘するという 理由もあったのです。 そして、首尾よく石炭が見つかったら、 琉球を石炭集積地として永久にアメリカの 植民地にしようという考えがありました。 しかし、極秘であった筈のこの情報は琉球にバレ 驚いた琉球は先回りして、石

  • 冊封は中国の大赤字だった

    中国と琉球というと、直ぐに冊封体勢、 そして属国というイメージになります。 中国に服属した国は、 政治の自由を奪われ屈辱に耐えていた筈だ。 中国は変わらず横暴な国だ。 しかし、事実は全く違っており、 持ち出しが多く、おおばんぶるまいしていた のはむしろ中国の方でした。 周辺の冊封国は、政治の干渉も人事の横槍も受けず ただ、毎年一度、使節を派遣して皇帝に頭を下げる それだけで、貢物に10倍、100倍

  • 倭寇と戦う琉球の船

    西暦1420年代に、武器を積みこまなかった為に 倭寇に皆殺しの目にあった琉球は、 進貢船に重武装を施します。 海に生きる限り、倭寇との戦いは避けて通れない 500年に渡る宿命だったのです。 時代が下って18世紀になっても、 清の力が衰えると、再び倭寇が勢いを盛り返しました。 困った琉球は薩摩からカノン砲と火縄銃をレンタルし、 5日余り合宿して火縄銃の訓練をしてから、 海に乗りだしています。 門中の

  • 倭寇とバッティングした琉球その解決策

    琉球がアジアの海を縦横無尽に疾駆していた頃は 同時に海のギャング兼商人、倭寇の全盛期でした。 倭寇も黒潮と季節風を使い、アジアの海を 縦横無尽に駆け回った一団でした。 実際に何度となく琉球の船は襲われ、 積み荷を奪われ、乗組員皆殺しの目にあいました。 そんな倭寇の縄張りである朝鮮海域は、 彼等の巣も同然で、琉球の船が近寄るのは 自殺行為でした。 ところが、琉球は対馬の倭寇の頭目で 朝鮮王朝ともパイ