• コント56   わしは出家するぞ

     わが子のどもる姿はまさにわが心の震えであった。 「神よ。仏よ。この私の心の震えを止めてくだされ、義統のどもりを治し給え」  義鎮は夜ごと頭を打ち抱えて苦悩する日が多くなった。  武芸道場を出ると決まって学習館に立ち寄ることが義鎮親子の散策コースになっていた。  豊後国府内の学習館は12歳以上の男子を対象に士農工商を問わず試験の上で入学を許可し4年間の勉学ののち優秀な生徒のみ添書をつけて足利大学へ

  • コント55    剣士の眼

     嫡子義統がどもり始めてより、父、義鎮は義統を連れて府内館の周辺を散策する日が多くなった。5月の新緑の若葉が目に沁み初夏の訪れを告げる1日を武芸道場へと向かった。  武芸道場では、剣術の稲田次郎左衛門が厳しい稽古をつけていた。  武芸道場は入門者の数が常時1500人といわれ、当時、九国はおろか全国に知られる程の隆盛ぶりであった。  義統は一心に剣術の稽古に見入っていた。その眼差しは4歳の子どもとは

  • コント54   因果の流れ

     義鎮は月心和尚を始め、弓術の谷口吉之亟、早業の白石策之進、剣術の稲田次郎左衛門、軍学の角隈石宗(つのくませきそう)等を一堂に集めて、学習館並びに武芸道場の運営について討議していた。  学習館の館長には、儒学者の森寿阿弥是(もりすあみぜ)を起用し、しばらくの間京都大徳寺より怡雲禅師(いうんぜんじ)を招聘し、禅宗を核に大学をはじめとする四書十巻や五経十一巻を学習館の講義内容とした。  武芸道場の運営

  • コント53    春  嵐

     大友義鎮(後の宗麟)の嫡子、義統は永禄5年(1562年)3月、4歳の春を迎えた。  父母の愛と大友一族の期待を一身に受けてすくすくと成長していた。  義統は乳母の多代と縁側でインコの世話をしていた。 インコは修道士のルイ・ペレイラからの贈り物で南アジア原産の中型インコである。純白にブルーの線が鮮やかに春の日に輝き、ゆったりとした動きで餌をついばんでいた。  義統は健康で頭のよい将来に期待をかけら

  • コント52    パニックな女

     1558年、永禄元年 閏6月18日 府内上原館にて嫡子義統誕生、義鎮(後の宗麟)29歳であった。  戦のたびに領国は増え、豊府は大いに繁栄し東の鎌倉、西の京都に劣らぬ賑わいであった。  この繁栄の年に嫡子義統(よしむね・幼名長寿丸)が誕生した。  府内近くの浦々には全国からの商船が集まり、府内の城下には民家が軒を並べ高崎山までそれが続いた。  心がふるえ体が燃える義鎮にとって嫡男誕生は一筋の光明

  • コント51    暗  殺

     義鎮(後の宗麟)が家督を継いで、大友家は日の出の勢いであった。  将軍義輝に対して徹底した献金攻めをし、献金と賄賂の外交政策が功を奏して、将軍義輝より桐の紋を与えられ、九州探題職に任ぜられ正四位左衛門督(さえもんのかみ)に任ぜられる。  家督を継いでしばらくは義鎮も多忙であった。  多忙になれてくると多忙が停止した時となり、それが不安な時として義鎮の心に忍び込む。  家督相続式の日に挨拶した「余

  • コント50    いい湯だな

     居酒屋&カフエ だんだんの開店も予想通りのお客さんの人数と料理や施設の利用であった。  大木進は高校時代からの友人、鈴木陽一と二人で午後のだんだんの温泉に浸かっていた。 「陽ちゃん、いい湯だね」 「進ちゃん、いい湯だね」 「陽ちゃん、美人の湯ってのは、お湯に入ると美人になるということ、それとも、美人が入る湯のことかな」 「進ちゃん、お湯につかると美人になるということよ。三大美人の湯に行ってみたけ

  • コント49    幽 愁 3

     健一は市内の出身地の有名校に10年ぶりに帰ってきた。  健一は少しだけ明るさを取り戻した。新たな気分で教育の仕事に取り組んだ。そして、休みになるとへき地の学校から市内の学校へ転任してきた級友や先輩を訪ねては話にふけった。  「どうか、今の相場はこれぐらいか。」と、片手を出した。  彼らは、決まって片手を出した。中には両手を出す級友もいた。  健一は、勿体をつけて「まあね。」と笑った。   初任給

  • コント48    幽 愁 2

     今年は珍しく新調のオーバーと革靴を身に付けて8日の始業式に登校した。これは彼が赴任して以来のニュースとなって村中に広がった。  3月が近づくと教育界は人事のことで騒々しくなる。  中には9月ごろから3月の人事に備えて動き回っている教員もいた。自分が積極的に立ち回らないと何年でもへき地の教員を続けなければならない。蟻地獄に落ちた蟻を連想してしまう。  校長も自分の希望通り転任したかったら、自分で自

  • コント47    幽  愁 1

     健一はぶらりと故郷の駅に降りた。  夏休み、春休み、冬休みと10年前健一が学生であった時とほぼ似た姿で、ただ学生服が背広に代わっただけの格好で、髪の形も革靴もボストンバックも10年前と変わらなかった。  飼いならされた犬が自分の家に帰っていくように南の端の学校から休みになるたびに親の元へ帰ってくるのである。  駅前では、旅館の番頭が旗をふって客引きをしている。  健一にも番頭の声がかかる。手をあ

  • コント46   大友義鎮(後の宗麟) 権力拡大の家住期

     1年を4つの季節に分けるように、人生を4つの区分に分ける思想がある。  古代インドでは、「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期」「遊行期(ゆぎょうき)」の4区分であり、中国の、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」に相当する。  大友義鎮は,学生期を学問と剣術の師につき周りが驚くほどの力をつけた。ただ一点、青春期の不安にとらわれてやっとのことで学生期を卒業した。  そして今、大友義

  • コント45  大友義鎮(よししげ)(後の宗麟)父を見殺しにして手にした家督

     別府分館の義鎮のもとには、刻刻と情報が伝達され、義鎮と月心和尚はこれらの情報の分析に余念がなかった。 「殿、この情報の量をご覧くださりませ。武将にふさわしい人間を自らが選んでおりまする。せいてはいけません。この後は、ご処置をお誤りなく、決断なされてください」 「父、義鑑殿の遺言状を作らねばならぬのう。そして、入田を斬らねばなるまい」 「明日には佐伯殿が、殿をお迎えに参るものと推察されまする。それ

  • コント44    大友義鎮(よししげ)(後の宗麟)邪魔者は消せ

     大友義鑑(よしあき)より4家老を斬れという命を受けた入田親誠(ちかざね)は早速近習の若侍、かまど新助と小田隼人を呼んだ。 「今、夕方、本門を占めた後、小門より入ってくる小佐井、斎藤両名の者を斬れ。殿の仰せぞ、ぬかるな」  かまど新助と小田隼人はうなずいた。上司の命令は絶対である。理由などはいらない。なまじ自分で判断など下すと間違いのもととなる。考えることをやめ、冷静にして着実に上司の命令通りに事

  • コント43   大友義鎮(よししげ)(後の宗麟)不安からの脱出

     義鎮の得体のしれぬ不安を取り除くには、酒が一番の薬であった。  頭の周りに張り詰めていた不安が、時間が経つにつれて薄れてゆき、頭の中心部に隠れていた人間の本性が義鎮を勇気づけ、彼が持つ一面の闘争心を煽り立てるのである。  義鎮の妻は、足利氏の一族である丹後の一色山城守義清の娘であった。  府内大友館に残してきた女が闇の向こうで怪しくうごめき義鎮のからだをとらえはじめた。  義鎮は今夜も女を抱いた

  • コント42  だんだん 子育て作戦カフエタイム 3

     早いもので、水曜会も3回目を迎えて会の空気もなじんで楽しいおしゃべりが弾むようになった。  顔を合わせると1週間の出来事や子どもの変化などの話題で弾んだ。 「早速、鸚鵡返しの戦法を使ってみました」と藤野さんから情報が入った。子どもの変化よりも自分が変わっていくのがとても愉快であったと。  正広君のお母さんからは、親戚巡りと公園デビューのお話があり、親が驚くほどの変化があり、これからは祖父母も積極

  • コント41   大友義鎮(よししげ)(後の宗麟) 不安の青春期

     別府分館の庭は、梅が終わり、桜の木が勢いを増してきた。  大友義鎮(よししげ)は、別府分館の庭より別府湾上に突き出た国東半島の連山を眺めては吐息を漏らす日々が多くなった。 「父、義鑑(よしあき)殿は、わたしを嫌うている。わたしを憎んでいる。わたしを殺そうとしている」と思うのである。  義鎮はここ1年間というもの、この思いに取りつかれていた。  何かをしていないと得体のしれない不安が義鎮を襲い心が

  • コント40  だんだん 子育て作戦カフエタイム 2

     第1回の水曜会ではコーヒーとケーキを提供したが、今回はカレーライスとだんご汁を出すことにした。  朝早くから、千恵と文乃は張り切っていた。健さんも武ちゃんも厨房にやってきてあれやこれやと手伝いをしていた。厨房に入る4人が揃い活気が出た。  前回と同じメンバーが11時前に全員そろった。今回は最初からコーヒーを注文して会を進めた。 「最初に大木先生からこの会を進めていくための基本になる資料を提供して

  • コント39  だんだん 子育て作戦カフエタイム 1

     民生児童委員の野島和子から高村千恵に電話が入った。  野島和子さんからの情報では子育てに悩んでいるお母さんが多くいて、子育てや教育について少人数グループで話し合える場が欲しい。ついては、カフエだんだんを利用する方法を考えてくれないかということであった。 「分かった。リハーサルの時に参加していた、大木 進先生は、咲恵の担任だったのでよく知ってる。生徒指導と進路指導の専門家よ。時田文生先生は咲恵の小

  • コント38   だんだん リハーサルを終えて

     居酒屋&カフエ だんだんのリハーサルを無事終了して、今日は社員全員で反省会。  施設設備の点では何ら問題はなかった。ただ1点、居酒屋とカフエを挟んでの中庭の野外施設について年間通して使用できるようにするのか、季節限定で使用するのかが一工夫いるようである。  源泉かけ流しの足湯をどう考えるか、温度調整の難しさがネックである。 「みなさん、ありがとう。思うより案ずるがだね。うまくいきましたね。そこで

  • コント37   かみつき猿

     昭和23年、終戦後の3年目だったかな。東京のほうから転校生が入ってきた。私が、小学校6年生のときだ。  市立温泉小学校はのんびりと豊かにその日暮をうけいれていた。  終戦後の3年目ということで社会は混乱していたが、町はなぜか何事もなかったように進行していた。そう思うのは私と一部の子どもたちだけだったのかも分からない。  東京からの転校生は、色白でちょっとばかり小柄ではあったがきりりと引き締まった

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