• 「町人貴族」モリエール 岩波文庫

    頭の働きは悪く、無教養だが大金持ちの町人ジュールダンは、貴族になりたくてしようがありません。貴族の真似をして、じつにさまざまな習い事に手を出します。ついには、娘も貴族でなければ、嫁にやらないと言い出しますが、ジュールダンは、貴族のしたたかさに手もなくやられてしまいます。観客はその有り様に抱腹絶倒しますが、いつの間にか、この町人に人間的な共感が湧くのを禁じ得ません。哲学の講義の際、哲学が本質的に揶揄

  • 「海潮音」上田敏訳詩集 新潮文庫 

    ヨーロッパ、特にフランスの近代詩を日本に紹介することに尽力した上田敏の名高い訳詩集です。藤村の新体詩抄等に飽き足らず、「一世の文芸を指導せん。」との意気盛んな抱負の元に書かれました。もはや、日本文学の仲間入りをしたと言っていいでしょう。気品のある名調子で訳された詩の数々は、多くの日本人に愛唱されました。ヴェルレーヌの「落葉」は中でも格調高い名訳として知られています。近代日本文学の幕開けを飾る清新な

  • 「うたげと孤心」大岡信 岩波同時代ライブラリー

    著者は言います。「日本文学の盛り上がりのときを見ていると、古今集にしても、新古今集にしても、その他の連歌、俳諧にしても、「合す」原理が強く働き、それだけではなく、その「合す」ための場の直中で、いやおうなしに「孤心」に還らざるを得ないことを痛切に自覚し、それを徹して行った人間だけが、瞠目すべき作品を作った。しかも、不思議にも「孤心」だけにとじこもってゆくと、作品はやはり色褪せた。「合す」意志と「孤心

  • 「折々のうた」大岡信 岩波新書

    著者のライフワークです。朝日新聞の第一面にコラムとして、長年月に渡って一時的な中断はありながらも、毎朝掲載されました。海外、特にヨーロッパでは、日本には大新聞の一面に文芸批評が載っているとして、驚きの目で見られました。日本の短詩型の文学によく合致した小さなスペースに収まる文芸批評です。俳句や短歌などの作品を取り上げ、それに著者の短評を加えるのですが、著者自らが、その短評の字数を決めるという手法で、

  • 「漢の武帝」吉川幸次郎 岩波新書

    一読して、その明快で、流麗な文章が目を引きます。漢の武帝の時代は中国の歴史の最初の大転換期にあたります。はじめて儒学を定立し、その後、二千年に渡り引き継がれた経学、文学、史学を発足させました。有名な歴史家の司馬遷も武帝の時代の人です。つい最近の民国革命に至るまで、中国のお国柄となる中核の性格を形作った人です。独裁君主でしたが、闊達で、進取の気性に富んだ、積極的な武帝の性格は、本書の中で生き生きと描

  • ハムレット <高貴な自由精神の悲劇>

    ハムレットは復讐劇である。忠臣蔵がそうであるように悲劇に終わるより他はない劇である。ただ、ハムレットは非常に多弁で、内蔵助は非常に寡黙であるということは、また、別の話になるのだが。 ハムレットの自由精神は、比喩を使えば、いわば、復讐心という暗い感情を垂直軸にして、その回りを振り幅が非常に大きい螺旋状に下降する感情として運動していき、最後の大団円で、それが交わるように、描かれているように見える。そう

  • エッセイ ドストエフスキーの常識感覚

    トルストイと比べてドストエフスキーは常識外れと思われがちだが、作品の中で社会常識を踏み外さないのは、むしろドストエフスキーの方である。 晩年のトルストイの無政府主義的革命家とも思える言動は、社会の在り方を根底から引っ繰り返そうとする道徳的野人のそれである。しかも、これは晩年に限ったことではないのである。 ドストエフスキーも革命家的な血は多量に持っているが、それは芸術作品の中で実践されている。登場人

  • 「杜甫ノート」吉川幸次郎 新潮文庫

    「詩聖」と呼ばれる杜甫の名詩群をさらに厳選して、解説を加えた書物です。著者の吉川幸次郎は、中国の古典中、冠絶した二著として「論語」と「杜甫詩集」を挙げています。杜甫の詩が日本文化に与えた影響は、白楽天には及びませんが、芭蕉は奥の細道の旅で杜甫の「杜工部集」を懐に忍ばせています。それから得られたのが「夏草やつはものどもが夢の跡」の句です。杜甫の晩年の詩には、現代人の不安な心に直接通ずるものがあります

  • 「オイディプス王」ソポクレス 岩波文庫

    フロイトのオイディプス・コンプレックスの出処となったギリシア悲劇です。オイディプスは、自分でまったく知らぬ間に、父を殺し、母と結婚して子を産ませます。劇は、そのオイディプスの所行が、連れて来られるさまざまな人々の証言から、次々と明るみに引き出されて行き、劇を見る者がオイディプスの悲惨極まりない運命に、思わず知らず引き込まれていくように進行していきます。真実を知ったオイディプスは、この過酷な現実をも

  • 一日断食、1キロ減

    勤労感謝の日、ぐだーっとしておりました。 やることはあるんですが、やりたくない。 なので、一日断食をすることにしました。 朝食:にんじんりんごスムージー(いつもより少なめ) 昼食:なし 夕食:野菜ジュース。 おやつ:柿ピー小袋ひとつ。 水分もあまり取りませんでしたね。 摂取した水分は、ルイボスティ500ml、生姜ココア300ml、野菜ジュースくらいでしょうか。 これでやせたら筋肉量が減ってしまうだ

  • 「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー 岩波文庫

    著者最晩年の非常な傑作です。ある意味で「罪と罰」を越えていると言っていいでしょう。「罪と罰」も含めたドストエフスキーの後期の大小説は、コスミックと言えるほどの大きさを持っているのですが、その中でももっとも円熟した作品です。「カラマーゾフの兄弟」の眼目は、作中人物のイヴァンが語る「大審問官」にあります。人間という獣類に属する動物に、自由など単なる重荷に過ぎぬ。悪魔に荷担した大審問官の語る人間観には異

  • 「悪霊」ドストエフスキー 岩波文庫

    現代の黙示録とまでいわれる本書は、他のドストエフスキーの作品と一線を画します。この点、シェイクスピアのマクベスに似ています。これは、単なる文学上の趣味的な見方でいうのではありません。主人公のスタブローギンは徹底して悪の道を歩きます。それも、最初は単なる興味本位からですが、それが、スタブローギンの行く道を決めます。「彼の顔は美しいが、まるで仮面のようだ」と人々は噂しあいます。ある政治結社が影のように

  • 「白痴」ドストエフスキー 岩波文庫

    「罪と罰」を書き終えた著者が、「無条件に美しい人間」を書こうと筆を執ったのがこの小説です。「キリスト公爵」と呼ばれるムイシュキン公爵がその人ですが、不思議なことに「あなたはキリスト教徒か」と問われ、ムイシュキンは黙っています。人々を途方に暮れさせるようなムイシュキンの純潔さには、ある形容し難い奥行きがあって、人々は、彼に胸襟を開き、誰にも言えなかった心の内を打ち明けます。人を惹き付けて止まないムイ

  • 「平家物語」梶原正昭・山下宏明校注 岩波文庫

    軍記物の一大叙事物語です。平氏の絶頂から没落までを具に描き、つはものたちの躍動感に満ちた言行を簡潔な和漢混交文で活写します。木曽義仲の最期などは、真に武人らしい最期で、芭蕉が惚れ込んだものです。時代の意匠であった仏教思想は、手玉に取られているようで少しも抹香臭さを感じさせません。男らしい人間臭さが、紙背から滲み出てくるような雄渾な闊達さです。平家の人々は、誰はばかることなく、よく笑いよく泣きます。

  • 「女の一生」モーパッサン 新潮文庫

    モーパッサンの作品中、もっとも有名な小説です。ある平凡な貴族の娘の平凡な一生が、鮮やかに活写されます。ここにも、著者は特に優れた人物は一人も描いていません。モーパッサンの作品では、自身を題材にしたいくつかの小説を例外として、著者自身ほとんど顔を出すことはありません。この小説の最後で、ある平凡な女の語る言葉はつとに有名です。「人生というのは、人が考えるほど良くもなければ悪くもないものですよ。」我々は

  • 「モーパッサン短篇集ⅠⅡⅢ」モーパッサン 新潮文庫

    モーパッサンには、研究書の類がほとんどありません。人生がそのまま書かれてあって、それを読めば誰にでも分かる。わざわざ研究書を書く必要などあるまいという訳です。この短篇集はその人生を書く達人であったモーパッサンの選りすぐりの名篇が集められています。どれを取ってみても人生の妙味を味わえるものばかりです。天才であったモーパッサンは自分の作品中に、一切、天才を書かなかった作家です。ごく当たり前な平凡な人々

  • 似ていた 意外な人

     ジョン・ロック「人間は元々白紙状態だ。だがそれがいい。」  丹波哲郎  ケインズ  間宮林蔵  元横綱柏戸関  三浦洸一(歌手)  自分が子どものころ、大相撲で柏戸が登場するたびに「三浦洸一に似てる」と言っていました。父親は笑っていました。おだやかな顔が好きでしたね。三浦洸一の歌はあまり知らなかったけれど。  元横綱大鵬関  三沢高校 太田幸司投手  出川哲朗  北原白秋  夏八木勲  カストロ

  • 「ピエールとジャン」モーパッサン 新潮文庫

    モーパッサンはフランスの小説家です。この「ピエールとジャン」は著者の最良の作品と言っていいでしょう。この小説には、少し長めの序文があります。モーパッサンの師匠に当たるやはり小説家のフローベルから受けた薫陶の言葉、「主語を飾るのは一つの形容詞、動かすのは一つの動詞で足りる。しかも、それは他のものとはっきりと違っている。決して、ごまかしてはいけない。」。また、「自分が小説を書けるのは、もし、自分がこの

  • 「諷詠十二月」三好達治 講談社学術文庫

    先述の「詩を読む人のために」の姉妹編にあたります。ここでは、三好は現代詩に限らず、もっと自由に一月から十二月に渡る古今の詩歌を自在に引用し、また、自らの詩的経験を単なる一経験として記述し、読者を自由な詩歌の鑑賞へといざないます。俳句、和歌、口語自由詩、そして、作者にとって最良の詩の手本であった漢詩に至るまで。この書物は第二次大戦の戦時下に書き下ろされました。それでも、詩人の自由な詩心は、至る所で横

  • 「詩を読む人のために」三好達治 岩波文庫

    三好達治は萩原朔太郎の弟子にあたります。自身優れた詩人であった著者が、現代詩を読もうとする年少の人たちのためにと筆を執りました。著者は「詩を読み、詩を愛する者はすでにして詩人であります。」と古人の言葉を引き、そう人々に呼びかけます。「この書物は、たださまざまの詩を、私という一箇の貧しい心に迎えて、さまざまに読みとったその一つの経歴書にすぎません。」と前置きし、自らの詩的経験を傍らに置くように、自在

1 2