• 6 「水柵(みずき)」から「水城(みずき)」への変遷  その2

    第二段階(六六〇年~六六三年)   百済降伏(六六〇年)の報を受け、斉明帝は筑紫遷宮を命じた。遷宮地は「水柵」に守られた原太宰府地域と定められ、斉明帝行宮(朝倉橘廣庭宮)の防衛強化のため、水柵、大野城、基肄城の改修工事が、高句麗系技術者の手を借りて六六〇年秋から開始された。(繕修城柵、断塞山川) 筑紫遷宮プロジェクトと筑紫防衛強化プロジェクトは、百済国降伏情報を契機とした同時期の総合プロジェクトだ