• 江戸川柳 色は匂へ 「ま」の2 間男 3 枕草紙(まくらぞうし)

    間男は湯屋盗人のやうに逃げ        素っ裸で10秒切るよ。 間男のはだしはきつい不首尾也       なんで裸足なの、それが・・・。 足音で男をかくす面白さ          プロやなあ。まいったまいった。 押し入れで聞けばこの草履はだれだ     姉さんにまかしとこう。 「ま」の3 枕草紙(まくらぞうし)       枕草子は清少納言、枕草紙は春画。 枕ざうしの間違ではぢをかき      

  • 江戸を見れば 95  貨幣政策失敗・増税へ

     1697年元禄10年丁牛(ひのとうし)徳川幕府95年間の歴史を大雑把に眺めてきたが、現代社会と重なる部分が多く驚いている。政治の公私混淆やお友達幕閣、規制規制で庶民を締め上げていく。  さすがに現代は生類憐みの令や不義密通による死罪などはない。  厳しい面では、実の妹を売った茶坊主が死罪となり、護国寺門前で町人を殺害した与力(下級武士)2名を切腹にした。これなども上級武士であればお咎めなしという

  • 江戸川柳 色は匂へ  「や」の2 宿下り「やどおり・やどさがり」

     参考=宿下りは町家の男子は商家に、女子は大名や旗本の屋敷に奉公するのが江戸の通例で、休暇は年に2回与えられる。  商家の丁稚手代は1日、屋敷奉公の女子は3日くらいで、それを宿おり、宿下がり、または藪入りという。 半年の内に宿おりみごとなり    半年見ない内に立派になって、まあ。 娘より母が楽しむ宿下り      みんな待ってたよ。父さんなんかもう。 壱町の血を動かした宿下り     街中の青年

  • 江戸川柳 色は匂へ  「く」の2 口を吸う  3 くどく

    鬼瓦凧のはんにゃの口を吸       凧もびっくりだよ。 口を吸ふ時に困ると天狗言い      ごもっとも。 茶うけに口を吸はせるとまだはやり   茶菓子代わりに、美人なんだ。 3 くどく(口説く) くどくやつあたり見い見いそばへ寄り  ささやき声が聞こえるところまでおもむろに。 くどき出す前にしばらくだまってる    目で物言う緊張の一瞬。 遠くからくどくを見れば馬鹿なもの   傍から見るとそん

  • 江戸川柳 色は匂へ  「お・を」の3 翁 4 女湯

    翁はとびこみ道風(とうふう)はとび上がり  とびこんでもとび上がっても一芸の達人 芭蕉翁ぼちゃんといふと立止り   飛び込むべきか 音のした池へ翁のかげうつり    飛び上がるべきか 江戸川柳 色は匂へ  「お・を」の4 女湯 女湯へおきたおきたとだいて来る   おこしたんじゃないの、 ほんとに。 女湯で赤子を抱いて蓋にする     自然な動きよ。自然、自然。 女湯はからしが浮いてみんな出る   

  • 江戸を見れば 94   頌 春 よい年でありますように

      1696年元禄9年丙子(ひのえね)幕府の財政再建も人民の経済生活の圧迫という犠牲の上で成り立っていた。今も昔も変わらない「賄賂と請託」は徳川幕府開闢以来415年、平成30年の今も同じことの繰り返しである。  明治維新があり、太平洋戦争という敗戦を経験して大きく変わった点と徳川415年変わらない点がある。  93年分の「江戸を見れば」を通して、変わった点と変わらない点を具体的に考察して新しい時代

  • 江戸を見れば93  金銀貨の改鋳 幕府の財政逼迫

      1695年元禄8年乙亥(きのとい)8月に金銀貨の改鋳が断行された。  商品経済の発展にともなって改鋳は必然的なものとなっていた。勘定吟味 役の荻原重秀は老中に勧めて質を低下させ、通貨量の増大を計った。  品質は非常に低く、純金銀の保有量は5割ないし6割にすぎなかった。  日銀のマイナス金利政策を思い出した。詳しいことは良く分かりません。  1693年元禄6年癸酉(みずのととり)8月10日、西鶴

  • 江戸川柳 色は匂へ  「の」の2 野がけ(現代のピクニック)

    自在かぎいじって野がけもてあまし  (つい触って、元に戻らずまいったなあ。) 野がけ道あたまへ扇くゝし付   (日よけに里芋の葉っぱを頭に乗せたのを思い出し                  たよ。) いたづらに雁などおどすのがけ道  (あるある。やってみるんだ。) 是も一興とのがけはたれるなり  (大草原の野糞も一度はやってみるもんだ。爽快。) のがけ道へんな後架(こうか)へ入れ申  (女性のト

  • 江戸を見れば92  芭蕉51歳  此の道や

     1694年元禄7年甲戌(きのえいぬ)4月、「奥の細道」の素龍清書本成る。  むめがゝにのつと日の出る山路かな  (夜の明けぬうちに山路を歩く。どこからか梅の香が、早春の夜明け身も心も引き締ま   る。朝日が雲を押し分けてのっと出た。) 家はみな杖にしら髪(が)の墓参(はかまゐり)  (郷里の盆に帰って墓参りをした。一族親族そろって墓参り。みんな歳を取って白髪に   なり杖をついているよ。) 秋深

  • 江戸を見れば91  芭蕉50歳  物いへば

     1693年元禄6年癸酉(みずのととり)8月10日、西鶴52歳で没。同27日に門弟の嵐蘭が47歳で没。甥の桃印が33歳で芭蕉庵にて死去。  座右之銘、人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ 物いへば唇寒し穐(あき)の風  (この句をつぶやいては、座右の銘を思い出し苦い反省の繰り返しであるよ。) 夕顔や酔(よう)てかほ出す窓の穴  (暑い夏、やっと夕暮れようとしている。晩酌に酔うて小窓から顔を出

  • 江戸を見れば90  芭蕉49歳  行く春や

     1692年元禄5年壬申(みずのえさる) 5月中旬、新築なった芭蕉庵に移り住む。「奥の細道」の推敲が順調にすすむ。 行春や鳥啼(な)き魚の目は泪(なみだ)  (行く春の愁い。人間だけではなく、天地間の万物が泣き、涙を流すようである。) 両の手に桃とさくらや草の餅  (私の庵の庭には桃も桜もある。門人には其角と嵐雪がいる。好物である草餅を食べ    る。これ以上の幸せがあろうか。) 田一枚植て立去る

  • 江戸を見れば89  芭蕉48歳  後3年の生き様を

     1691年元禄4年辛未(かのとひつじ) 46歳で奥の細道の旅を終えて、51歳で亡くなるまで「奥の細道」を後世に残る文学作品に仕上げるために全力を尽くした。  先ず、テーマを没頭に持っていきこの主題を生かすべく事実の取捨選択や改変を行い全体の構成も考え抜いた。 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり」の主題が生かされ文学作品としての「奥の細道」が完成した。  この年に「嵯峨日記」や「笈の

  • 江戸川柳 色は匂へ  「い・ゐ」の3 壱 歩

    壱歩でもあるうち息子とかまらず    どら、まだ壱歩は持っとるぞ。  1歩は1両の4分の1。吉原中級遊女の揚げ代。 御ねがひは又壱歩かと母しかり    母ちゃん男の条件だよ。 美女よりも先へ悪女が壱歩とり    3度目のしきたりだ。  3回目は相手に床花(祝儀の金)、遣手に壱歩が相場。 一たび笑むと壱歩とる婆アなり   滅多に見せない笑顔だ。 おふくろへ騒ぎばかりと壱歩出し  今日は飲んで騒いだだ

  • 江戸を見れば88  芭蕉47歳  捨て子を厳禁

     1690年元禄3年庚午(かのえうま)再び「捨て子厳禁令」を出す。もし養育できない時は、奉公人はその主人に、天領では代官部下の手付・手代へ私領や町では名主・五人組へその理由を申告すること。理由が認められればその地で養育すること。違反者は厳罰。 芭 蕉 歳旦吟   薦(こも)を着て誰人(だれびと)います花のはる (菰をかぶった乞食。もしや元は身分ある方かも。春着まぶしい桜の下。) 木(こ)のもとに汁

  • 江戸を見れば87  芭蕉46歳 「奥の細道」成稿

     1689年元禄2年己巳(つちのとみ)2月に綱吉は新たに奥詰衆を置き側近の諮問に応えさせた。これは外様大名から選ぶ。譜代、外様の区別なく有能な人材を幕政に登用した。側近政治の温床になる。 芭蕉 歳旦吟 元日は田毎の日こそこひしけれ  (更科の田毎の月のすばらしさ。初日の映る「田毎の日」はどんなものであろう。更科   の旅が胸にせまるよ。)  3月初旬、みちのく行脚に出立。先ず、杉風(さんぷう)の別

  • 江戸を見れば86  芭蕉45歳 西鶴「日本永代蔵」刊行

     1688年貞享5年戊辰(つちのえたつ)元禄元年(9月30日) 側用人の人数が老中より多くなり将軍の側近として御用部屋を持つようになった。 11月に柳沢保明・南部直政が側用人となちやがて保明は実権を握るようになった。老中の諮問を待たずに将軍が直接、側用人に命じ執行させた。 歳旦吟  二日にもぬかりはせじな花の春        (宵の年に飲み過ぎた。2日の朝、初春の気分を味わうことにしよう。) 二月

  • 江戸を見れば85  芭蕉44歳  生類憐みの令

     1687年貞享4年丁卯(ひのとう)正月27日に綱吉は生類憐みの令を出した。綱吉の仏教信仰や儒教意識が基盤となっていたが、仏教の狂信者である母桂昌院の示唆が大きい力であったともいう。  今では考えられないことで死罪や流罪が簡単に行われた。  家綱の命日に吹き矢で燕を射たもの二人を死罪と流罪にする。 芭蕉44歳の句から5句を紹介 花にあそぶ虻なくらひそ友雀(ともすずめ)   芭  蕉  無心に花にあ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「う」の2 嘘

    夢に見んしたと真赤なうそをつき   嘘でも言われてみたいもんだ。 傾城に嘘をつくなとむりを言い    嘘がないと生きていけないよ。 嘘つかぬ傾城買うて淋しがり     わかっちゃいるけど淋しいね。 どのうそが本の夫婦になろうやら   真も嘘も紙一重、わからん。 傾城はそらごと女房小言也        そらごとは夢、小言は現実、女房はつらい。 参考、傾城=城を傾けるほどの美女。転じて官許の遊里の上妓

  • 江戸を見れば84  芭蕉43歳  井原西鶴好色五人女刊行

     1686年貞享3年丙寅(ひのえとら)9月に旗本奴の集団の大小の神祇組の200余人を追補し、その首領11人を斬罪に処した。無頼の少年たちが模倣して治安を阻害するようになったため。  いつの世も同じような手の付けられない若者の集団が現れて来る。  西鶴、好色五人女に続いて、好色一代男も刊行。近松門左衛門は「出世景清」大阪竹本座で初演。町人の間では雑排(遊戯的な俳諧)の「前句付け・冠付け」が流行る。

  • 江戸を見れば83  芭蕉42歳 芭蕉の俳諧町人の間で流行

     1685年貞享2年乙丑(きのとうし)大奥では綱吉の母桂昌院が権勢をふるい、綱吉は側用人を増員して幕政のゆるみが現れてきた。  芭蕉は前年の8月中旬に「野ざらし紀行」の旅に出て、9月8日に伊賀上野に着いて数日逗留して、大和・吉野・山城を経て月末に美濃大垣に至る。初冬に熱田に入り、名古屋へ。12月25日に伊賀上野に帰郷して越年する。  この後、名古屋から木曽路、甲州路をへて月末に江戸に帰着する。9か

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