• 書籍:「凹凸を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩」

    この本も図書館で借りました。日頃よく訪れる大阪城や神社などが載っていて理解が深まります。大阪城を北端とする上町台地以外は、周辺全て海抜ゼロメートル地帯の低地が広がっており、河内湾のあった大阪は縄文時代には大部分が海の底。「砂州の上にできた大阪」の意味が分かります。 https://www.mercari.com/jp/u/441318165/

  • 書籍:「猫返し神社」

    この本も図書館で借りました。猫好きにはたまらない本だと思います。猫は飼っていませんが、この本を読んで立川市の「阿豆佐味天神社 立川水天宮」に行ってみたくなりました。

  • 【出世地蔵菩薩】【花坂不動明王】大阪市生野区

    【出世地蔵菩薩】【花坂不動明王】大阪市生野区 少し大きめの地蔵堂かと思いましが、よく見ると中には不動明王も祀られています。また、横に小さな社があります。ここにはかわいい小さなお地蔵が祀られています。由緒などは不明です。 住所:大阪府大阪市生野区小路1丁目6 (撮影:2017/5/29)

  • 【常光寺】(じょうこうじ)②八尾市本町

    【常光寺】(じょうこうじ)八尾市本町 河内西国三十三箇所3番。おおさか十三仏霊場5番。臨済宗南禅寺派の寺院。南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。 通称は八尾地蔵尊。本尊は地蔵菩薩で、弘仁年間(810年 - 824年ごろ)、小野篁の作と伝えられている。 山門脇に大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地」の碑がある。また、境内に大坂の役で戦死した藤堂家の戦死者の墓がある。 奈良時代に僧行基が創建したと

  • 【常光寺】(じょうこうじ)①八尾市本町

    【常光寺】(じょうこうじ)八尾市本町 河内西国三十三箇所3番。おおさか十三仏霊場5番。臨済宗南禅寺派の寺院。南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。 通称は八尾地蔵尊。本尊は地蔵菩薩で、弘仁年間(810年 - 824年ごろ)、小野篁の作と伝えられている。 山門脇に大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地」の碑がある。また、境内に大坂の役で戦死した藤堂家の戦死者の墓がある。 奈良時代に僧行基が創建したと

  • 【西願寺】(せいがんじ)八尾市

    八尾本町筋商店街 ファミリーロードを西の方向へ歩いていくと「八尾天満宮」の鳥居が見えてきます。その手前に融通念仏宗【西願寺】(せいがんじ)があります。由緒等は不明です。 住所:大阪府八尾市桂町2-59 アクセス:近鉄八尾駅より700m (撮影:2017/5/28)

  • 【水月山勝福寺】(羅漢寺) 大東市

    【水月山勝福寺】(羅漢寺) 大東市 勝福寺は、慶長元年(1596年)に、当地の有力農民・東治左右衛門により、東氏の持仏堂として創建されたと伝えられており、曹洞宗に属し、十一面千手観世音菩薩を本尊としています。本堂に沢山の羅漢像が祀られていることから、羅漢寺とも呼ばれているとのことです。 明治18年(1885年)の淀川左岸決壊により大洪水で多くの木像が流された様です。 本堂には高60cm前後の座像が

  • 【灰塚大峯堂】(はいづかおおみねどう)大東市

    大阪府大東市灰塚に【灰塚大峯堂】があります。右横は、【産土神社】(うぶすなじんじゃ)素盞嗚神社が鎮座しています。 堂内には役行者像の他、石仏二体がまつられています。この【灰塚大峯堂】(はいづかおおみねどう)の詳しい由緒などは不明です。また、この大峯堂の前には、明治四十年(1907)の年号がある「大峯山上三十三度」と刻まれた大峰山への参拝記念碑の標石があります。おの標石の上に灯篭が設置されています。

  • 【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区

    【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区  聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。 「契沖遺跡」(けいちゅういせき) 昭和24年(1949年)に妙法寺境内は、僧契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定されています。近世国学の祖といわれる契沖は、延

  • 文明開化の町 【御厨会館】と【 御厨行者堂】東大阪市

    文明開化の町 【御厨会館】と【 御厨行者堂】東大阪市 暗越奈良街道沿いに発展した御厨(みくりや)は、明治時代になると、この付近の中心的存在になります。 チョンマゲはザンギリ頭になり、和服から洋服になり、暦も月を中心とする太陰暦(旧暦)から太陽歴に変わりました。 また、街道沿いには、乗合自動車や人力車などが走るようになります。 明治7年2月には、この御厨村に屯所が置かれ、番人が配置されました。同10

  • 【蒲生行者講】(がもうぎょうじゃこう)大阪市城東区

    【蒲生行者講】(がもうぎょうじゃこう)大阪市城東区 住宅街の中にこの規模の地蔵堂は珍しく地元の人達から手厚く管理されているようです。 中に入って、真正面に役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃ じんべんだいぼさつ)。左側に弘法大師空海(こうぼうだいし くうかい)。右側に和合不動明王(わごう ふどうみょうおう)。役行者と不動明王の間に立つ供養塔の陰に御鎮座まします光長大明神(みつなが だいみょうじん)で

  • 【蒲生大弁財天】(がもおだいべんざいてん)【誓願地蔵尊】(せいがんじぞうそん)大阪市城東区

    【蒲生大弁財天】(がもおだいべんざいてん)【誓願地蔵尊】(せいがんじぞうそん) 京橋駅から歩いて約8分(約500m)、大阪市城東区蒲生1丁目に【蒲生大弁財天】(がもおだいべんざいてん)【誓願地蔵尊】(せいがんじぞうそん)が鎮座しています。真ん中に赤い鳥居がありますが、左側に地蔵尊、右側に社殿、さらにその右には教会があります。そして裏は小さな児童公園になっています。 場所:大阪府大阪市城東区蒲生1丁

  • 【聖徳太子堂】(しょうとくたいしどう)大東市太子田

    【聖徳太子堂】(しょうとくたいしどう)大東市太子田 大東市太子田に鎮座する「大神社」西側の【聖徳太子堂】には、聖徳太子十六歳の孝養像(きょうようぞう)が安置されている。いい伝えによれば、この付近に善根寺という七堂伽藍の達ち並ぶ大きな寺があったが、何時の頃か廃絶してしまい、この太子堂のみが、往時のおもかげを今に伝えるものという。古くからの太子信仰が今に継承されており、本市でも貴重なものである。太子田

  • 【北野神社】と【泉勝寺】 大東市

    【北野神社】と【泉勝寺】 大東市 天文八年(1539)正月六日と裏書の「方便法身尊像」が保存。 山門の左側に北野神社も大改築されている。祭神(さいじん)は菅原道真。赤井はもともと氷野地域と一体。北野神社は大東町(桃山時代の形式を残している象鼻一対、蟇股かえるまた三個が保存)にある。少し距離があるので、地元赤井に分祀。【北野神社】と【泉勝寺】の間に地蔵堂もあります。 住所:大阪市大東市赤井2-13 

  • 【 弁財天】(べんざいてん)大東市

    【 弁財天】(べんざいてん)大阪府大東市 ここを見つけるには苦労します。角のバイクショップが目印ですが、その横に自動販売機が3台あります。その後ろに降りる階段がありますが、自動販売機で見えないです。 この【 弁財天】 住所:大阪府大東市御供田3丁目17−37 (撮影:2017/5/15)

  • 【日限地蔵尊・不思議地蔵尊】 大阪市城東区

    【日限地蔵尊・不思議地蔵尊】は「させん堂不動寺」を出て左に行くとすぐ右側の民家の奥にあります。注意しないと見落としてしまうと思います。由緒等は不明です。 場所:大阪市城東区諏訪1丁目 アクセス: 「させん堂不動寺」(JR片町線(学研都市線) 放出駅から0.3km)のすぐ近く。 (撮影:2017/5/10)

  • 【させん堂不動寺】大阪市城東区

    【させん堂不動寺】大阪市城東区 真言宗の寺院。本尊は不動明王。豊臣秀吉が大坂城を築城した時、現在の生玉神社のあたりにあった不動堂は取り壊され、慶長7年(1602年)東成郡木野村に再建されましたが、その後たびたび水害に見舞われたので、宝暦9年(1759年)に現在の場所に移されました。大阪四不動尊詣のひとつとして、東方を担っています。  江戸時代には広く信者を集め、参詣の列が絶えないほどの賑わいでした

  • 【波切不動尊】(なみきりじぞうそん)大阪市西成区

    【波切不動尊】(なみきりじぞうそん)大阪市西成区 「水かけ不動明王」とも呼ばれています。昭和14年(1939年)に現在の松1丁目で発掘され、大きさは約150センチメートル、同年、北側にある西宝寺のそばに祀られました。戦時中、数度の空襲で周囲は焼失しましたが、この不動明王は難を免れたことなどで、日ごと信仰者が増え、願いごとをかなえてくれる不動さんとして参拝者でにぎわっています。 所在地:大阪府大阪市

  • 【慈願寺】(じがんじ)八尾市

    【慈願寺】(じがんじ)八尾市 真宗大谷派(東本願寺末)で福井山と号し、開基は信願房法心(しんがんぼうほうしん)です。法心は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の関東での布教活動の際に帰依した人物で、親鸞聖人直弟24輩のうち13番目に教えられます。弘安3年(1280)に聖人の遺命により、この法心によって久宝寺村に建てられた道場が慈願寺の始まりであると伝えられています。 15世紀後半、本願寺第8代蓮如上人(

  • 【秋篠寺】(あきしのでら)奈良市

    【秋篠寺】(あきしのでら)奈良市 奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています。平安時代末期に戦火のため伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂がもとの講堂の跡に再興されましたが、金堂や東西両塔の跡は雑木林になってしまっています。本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(

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