• なくしたクリスマス

    なくしたクリスマス 「 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。」 (詩篇111:1)  私には、聴覚に障害のある教会に通うクリスチャンの母がいます。 母の父親は平和と家族を愛する牧師のように純粋なクリスチャンだったと聞かされています。その母の父親、私の祖父には軍人のアメリカ人クリスチャンの親友がいてその親友によって祖父はクリスチャンになったと聞いています。そして

  • かけがえのないもの

    かけがえのないもの 「 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」 (伝道者の書 1:2) 「 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」 (マルコによる福音書8:36)  あなたにとってかけがえのないものとはなんでしょうか。人により様々あることでしょう。おかね、地位、名声、友情、恋愛、家族、財産、信念、信仰、平和、知恵、なかには、争い、性行為、などと言う人もいるかも

  • イエスマンではないイエス・キリスト

    イエスマンではないイエス・キリスト 「 また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら、 多くの人から出て行った。 イエスは悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。 彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。」 (ルカ4:41)  私たちの日本の社会では、なんでも了解し引き受ける人のことをイエスマンとか呼んだりします。 実際イエス・キリストは男だったの

  • 信じる力、祈りの力

    信じる力、祈りの力 「 さて、イエスがある町におられた時、全身らい病の人がいた。 イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」  イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。 イエスは、彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々

  • 神のドラマによるいのち

    神のドラマによるいのち  「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。 母はこれらのことをみな、心に留めておいた。 イエスはますます、知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」 (ルカによる福音書2:51~52)  キリストを救い主と信じる恵みある教会の特徴は、人間に必要な自由や夢や平和な家族を大切にする特徴があります。教会は聖書の神の愛だけを教えるわ

  • 聖霊に満たされた者

     聖霊に満たされた者 「 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し出された。  「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。  いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。  いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。」 (ルカ6:20~21)  この世の中に生きている以上、辛いことや悲しいこと、また、虚しさにさいなまされ

  • 神が見させた琉球グスクの夢

    神が見させた琉球グスクの夢  半年ほど前、一つの夢を見た。中グスク城らしき、城壁の高い城にそびえたつ正殿の夢だった。  中グスク城のみならず、琉球のグスクの跡地には、城壁はそびえたっているが中身の正殿が空の状態である。沖縄戦でなくしたのか、それとも、琉球処分により、グスクの正殿を残すことを禁じられたのかは、定かではないが、琉球の多くのグスクの正殿の姿は歴史の闇に葬られたのか、謎である。その夢の内容

  • 家族を愛するサンタクロース

    家族を愛するサンタクロース 「 するとイエスは、5つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚も皆に分けられた。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れを12のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。パンを食べたのは男が5千人であった。」 (マルコによる福音書6:41~44)  人間の生活に最低限必要なものは、衣・食・

  • 徳を高めるための預言

    徳を高めるための預言 「 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」 (へブル10:36) 携帯電話の天気予報のアプリなどは、かなりの誤差が出る場合があります。 先週の予報では、今週の沖縄は、約21度程度の気温と予報されていました。 あるお世話になっている教会の牧師は、天気を当てることが上手いのですが、人の動きや 世界情勢を先読みすることが上手い人たちの予

  • 漢方医学の聖書バイブルと呼ばれる本

    私が田舎でかかっていた漢方専門の内科医は、張仲景の書いた「傷寒論」「金匱要略」などの翻訳書を書いておられて、その分厚い本が、医院の待合室に置かれていた。 手に取って開いてみて、序論のようなところを読んでみて、興味深かったのが、2つありました。それは聖書と似ている点があったことです Ⅰ-----翻訳が4段階でなされていたことと、 Ⅱ-----書かれた時代と背景が似ていることでした 傷寒論は 1 元々

  • アブサロムの首    山崎俊夫

     山崎俊夫作品集補巻二『夜の髪』所収の「アブサロムの首」の冒頭を抜粋します。  「アブサロム」(神の教えに背き王ダビデを倒そうと謀反を起こしたが命を落とした。)  「アブサロムの首」  およそ偽(いつはり)を愛さぬ人はない。わけても、もののすべてが神秘と奇蹟とに抱擁(いだ)かれて居る若年時代の生活に、髪の毛ほども偽を愛さなかつた言ひ得る人は、恐らくはあるまい。  俊夫はその清教徒(ピュリタン)の様

  • 開拓伝導の真意

    開拓伝導の真意 「 「皆さん、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせた ナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。  『 あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほ

  • 受けている影響=出る答え

    受けている影響=出る答え 「 見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。」 (ナホム書1:15)  人は受けている影響や受けてきた影響が現実の答えとなって出るものです。 また、与えてきたもので、出る答えもあります。  自分のために何かをしてもらったという経験がほとんどない人の場合、誰か他者のために何かをしてあげたいとも思わない場合がほとんどなのです。  ですから、過去に

  • もたらす影響

    もたらす影響 「 『 人の子よ。国が、不信に不信を重ねてわたしに罪を犯し、そのためわたしがその国に手を伸ばし、 そこのパンのたくわえをなくし、その国にききんを送り、人間や獣をそこから断ち滅ぼすなら、  たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、 彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。』 」 (エゼキエル書14:13~14)  人の「もたらす影響」について

  • 御霊に生きる人

    「御霊に生きる人」 『私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。』(ローマ5-6) ここでは、「強い人」、「弱い人」とはどのような人かを少し考えてみたいと思います。 世間では「強い人」といえば、経済的に自立した大人であったり、または、競争社会の中で常に勝ち続けている人を連想する人は多いでしょう。 「弱い人」といえば、貧困に苦しむ社会的弱者や、経済的

  • 他者願望と自己願望

    他者願望と自己願望 「 知恵ある者はだれか。  その人はこれらのことを悟るがよい。  悟りのある者はだれか。  その人はそれらを知るがよい。  主の道は平らだ。  正しい者はこれを歩み、  そむく者はこれにつまずく。」 (ホセア書14:9)   人は何故、成功者と呼ばれる人と、失敗者と言われる人に分かれるのでしょう?   そもそも、成功とは、何か?失敗とは何か?それは、価値観によって大きくことなる

  • いかに死ぬかより、いかに生きるか

    いかに死ぬかより、いかに生きるか 「 わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。  しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」 (箴言1:32~33)  多くの人は死を恐れて生きていることでしょう。それは、死には苦しみが存在するからです。 私は、11年間飼っていた犬の最期と、母方の祖母を看取るという経験をしました。 正式には、祖

  • 捕らわれの霊

    捕らわれの霊 「 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人の身代わりとなったのです。 それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。  昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、 従わなかった霊たちのことです。 わずか八人

  • 赦しのBeing(ビーイング)

    赦しのBeing(ビーイング) 「 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。」 (ルカによる福音書5章20節) 人間社会には、許可するという意味での「許し」と、赦免するという意味での「赦し」が あります。 何も自らは傷つかず、「来るもの拒まず、去るもの追わず」の姿勢はいわゆる、責任放棄 の姿勢の許可するという上から目線の「許し」であり、それとは逆に、自らが傷つくリ

  • 神を喜ぶこと、あなた自身を喜ぶこと

    神を喜ぶこと、あなた自身を喜ぶこと 「 もし、割礼をを受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。  外見のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上の割礼が割礼なのではありません。 かえって人目に隠れたユダ

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