• 伊賀の月餅(観月懐古番外編完)

     その夜早速、私は新郎新婦にもらった酒の封を開けました。  遥かに見える伊賀の山の上には仲秋の名月が輝いており、窓から射し込むその清かな光は、あたかも地上に降りた霜のように寝室の床を白く冷たく照らしておりました。  山と月と一杯の酒、詩人の心を揺さぶるお膳立ては整いました。  しかしながら、酒は進むものの、作詩のほうはなかなか思うようにゆきません。  頭を上げて山や月を眺めながら、ふと室内に頭を巡

  • 風変わりな結婚式(観月懐古番外編)

     2~3年前の仲秋の頃、個人事業主の私にしては珍しく、実に久しぶりに結婚式に招待されました。  私は山の神と共に、大阪のとあるレストランに赴きました。新郎新婦とその友人による手作り感満載の、所謂ジミ婚です。  新婦は、エステクラブに勤めるバツイチ再婚とのことでした。新郎は、どこにでもある中小企業の従業員で、こちらは初婚です。  なれ初めは、それぞれが別々に組んでいるアマチュアロックバンドのコンサー

  • 服部土芳の句碑(観月懐古完)

     伊賀国名張郡国見(現在の伊賀市種生)にある兼好法師終焉の地に服部土芳(はっとりとほう)の句碑が一つ残されています。  服部土芳、本名は保英、通称は服部半左衛門と名乗っていた伊賀上野藤堂藩の武士でした。幼少の頃、同郷の俳聖松尾芭蕉に俳句を学び、長じて芭蕉の高弟の一人にも数えられた江戸時代初期の俳人です。  この句を詠んだころには俳句に専念するため、既に藤堂藩を致仕(退職)して土芳と号しておりました

  • 天正伊賀の乱(観月懐古)

     「伊賀の乱」というと、伊賀者が何か騒動でも起こしたかのような印象を受けますが、そうではなく、この乱は戦国時代に天下征服を企む織田の軍勢が一方的に伊賀を攻め立てて壊滅させた侵略戦争です。  織田の軍勢は、天正6年(1578年)から天正9年(1581年)にかけて3回、伊賀に侵攻しました。一般に1回目の前哨戦と2回目の本格侵攻とを併せて第1次天正伊賀の乱、3回目の決戦を第2次天正伊賀の乱と呼称されてい