• 雨水に想う

     本日は、二十四節気の雨水です。  雨水とは、立春から約15日目の頃で気温も少しづつ上がって、降る雪が雨に変わるとともに、山に積もっている積雪も融けて水に変わる候を意味します。  古来、この時期になると寒さに苦しむ季節も終わりを告げ、農作業を始める目安とされています。  昨年の五言絶句に引き続き、今年は前の記事「茉莉花」のアニメ―ションからヒントを得て、雨水に因む七言絶句を一首賦してみました。  

  • 茉莉花

     「茉莉花(まつりか)」とは、およそ300年近く前の清朝乾隆年間から伝わる代表的な童謡の一つです。  ジャスミンの花を歌ったこの曲は、 江戸時代に日本にも伝わっていますが、2008年の北京オリンピックでメダル授与式のテーマ曲として使われたことでも知られています。  作詩作曲者は不明で、歌詞も何種類かあるようですが、本日は、その中で最も世間に流布されているものをご紹介し、最後に動画を添付して、関係者

  • 望春風

     「望春風」は、1933年(昭和8年)に発表された台彎創作歌謡の一つで、現在は台彎民謡の代表曲となっています。  片思いの乙女の心情を臨場感たっぷりに切々と歌い上げた歌詞と、その親しみやすいメロディは、84年を経た今でも全世界に在住する台湾人の心を捉えて離しません。  詩題は、「春風を待ち望む」という意味ですが、ここで「春風」というのは春風そのものを意味するとともに、自分の家の戸を叩く風になぞらえ

  • 紀元節を考える

     『紀元節』とは、「 日本書紀」に記載されている『神武天皇即位の日』のことです。  8世紀初頭に編纂された日本書紀によれば、日本の国を初めて統一した神武天皇が、奈良の樫原宮で即位した日が「辛酉年春正月、庚辰朔」であり、日付は正月朔日、すなわち旧暦の1月1日とされています。  この即位の日を、日本書紀の記述を暦法などにより逆算して新暦に換算すると、紀元前 660年の2月11日になることから、明治6年

  • 台灣民謠四首

     台湾の歌謡は、次期的に大きく3時代に分けられます。  日清戦争以前の清朝統治時代、その後の日本統治時代、大東亜戦争後の中華民国統治時代です。  この内、大東亜戦争以前のものが民謡として定着しているように思われます。  清朝統治時代と日本統治時代とでは、メロディーラインが大きく異なります。  前者は、清の伝統的メロディーで大陸のものと殆ど同じに聞こえます。  後者は、日本の大正から昭和初期にかけて

  • 立春雑感

     本日、2月4日は二十四節気の「立春」です。  「春立ちぬ」とはいえ、決して暖かくはなく、まだ冬だと考える方も少なくないでしょう。  このように季節感がズレている原因は、西洋と東洋とで、春の区分が異なることにあります。  西洋のSpringは、既に暖かくなっている春分から夏至まで(3月20日頃~6月21日頃)とされています。  これに対し、東洋においては、古来、春分を春の中心として、その前後各1.

  • 伊賀山人回顧録付録第2「壮士編写真集」

  • 伊賀山人回顧録付録第1「青春編写真集」

  • 伊賀山人回顧録(定年退官:55歳の誕生日)

     平成18年(2006年)2月8日、京都で55歳の誕生日を迎えた伊賀山人は永年にわたる国防の務めを全うして定年退官となった。  同日付で、兵隊の階級で言うと大佐に特別昇任した。  大佐の定年は1歳上の56歳ではあるが、定年退官日の昇任では1日遅かった。  某大入校以来37年、伊賀山人は人に倍する任務を完遂して無事退役した。  しかし、戦前のように軍人恩給で悠々自適の生活ができるわけではない。  こ

  • 伊賀山人回顧録(京都編その2:54歳退官までの1年間)

     平成17年(2005年)2月、54歳となった伊賀山人は、定年退官まで残すところ1年となった。  この業界の定年は、階級ごとに異なっているが、勤務の特性上若年定年制を取っている。  従って、定年時の俸給額が安く、年金料を支払った年数が少ない。  このことは、退職金も年金も民間人よりも低いことを意味する。  伊賀山人とて仙人ではない。  霞を食べて生きていくわけにはいかない。  この頃から、次の収入

  • 伊賀山人回顧録(京都編その1:53歳)

     平成16年(2004年)3月、伊賀山人53歳は、京都市西京区にある某補給処の初代整備部長として着任した。  昇任の見込みのない伊賀山人2度目の上級職であり、極めて異例でもあったことから赴任先の上司となる者が、「能力はともかくもっと若くて昇任が見込める者を補職しろ」とつまらぬ苦言を呈してきた。  伊賀山人に責任があるわけでもなく、苦々しかった。  おまけに、住居は、この馬鹿な上司の「部長は駐屯地の

  • 伊賀山人回顧録(再び宇治編その2:52.53歳)

     平成15年(2003年)2月8日、伊賀山人52歳の誕生日に、仙台から嘗ての部下であった若夫婦が訪ねてきた。  3年ぶりの再会である。  この間、子供が生まれて既に2歳になっていた。  「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」  久しぶりに旧知の人々と行動を共にするのは、至福の一時である。  その翌日と翌々日、京都を案内して回った。  【清水寺にて】  奥の方に見えているのが、所謂清水の舞台である

  • 伊賀山人回顧録(再び宇治編その1:51歳)

     平成14年(2002年)3月、伊賀山人51歳は、富士山麓の学校を去り、京都府宇治市にある某補給処に着任した。  この補給処での勤務は、丁度20年ぶり2回目のことであった。  前回は某部の班長であったが、今回は部は同じであるがその部長であった。  体力的にはかなり回復していたので、周囲の者は気づかなかったが、病状は益々悪化しており、肝細胞の多くが線維化して機能を失い、肝臓年齢は100歳の老人なみで

  • 伊賀山人回顧録(富士編その2:50・51歳)

     平成13年(2001年)、伊賀山人は、富士山麓のこの学校で50歳の誕生日を迎えた。  病状は、日に日に悪化の一途であった。  この学校には、小規模ながら富士病院という総合病院が併設されていた。  院長以下10人ほどで診療業務を担っていたが、僻地であるが故に優秀なスタッフが揃っていた。  伊賀山人が空手修行中に指を3本脱臼した時にも、夜間にも拘らず、医師、看護婦、検査技師が駆けつけてくれた。  地

  • 伊賀山人回顧録(富士編その1:49歳)

     平成12年(2000年)、伊賀山人49歳は、静岡県駿東郡小山町須走にある某学校に着任した。  ここでの職務は、火器・車両・弾薬・化学・航空機材などの補給整備管理である。  ここでも、2年間勤務することになった。  【須走官舎から望む富士山 H12.3月】  須走は、富士山の裾野、海抜800mに位置する高原である。  そのため、宝永山が大きく見えるし、蟻の行列のように富士山に登る人々の数も数えられ

  • 伊賀山人回顧録(再び仙台編その2:48歳)

     平成11年(1999年)、伊賀山人48歳の仙台での生活は、2年目に入った。  病状に改善は見られないものの、身体の方が慣れたのか、黄疸が出ることもなく小康状態であった。  この当時、これといって効果のある薬などはなく、グリチロンやウルソといった甘草由来の漢方薬のようなものを服用していたが、何年経っても炎症は治まらず気休めにもならなかった。  【事務所にて H11.3.29】  この職場では、課業

  • 伊賀山人回顧録(再び仙台編その1:47歳)

     平成10年(1998年)3月23日、伊賀山人47歳は、10年ぶりの仙台に足を踏み入れ、某補給処に着任した。  職務は、某部整備課長兼運輸省指定整備工場長兼溶接教習所長であった。  それまで6年間、訓練も体育も当直もない一般公務員のような勤務態様の某調達実施本部から、それらが必須である補給処への転属であり、環境の劇的変化に健康上も体力上もやや不安があった。  この時から、10年間ご無沙汰となってい

  • 伊賀山人回顧録(名古屋編:44~47歳)

     平成7年(1995年)3月、44歳の伊賀山人は、支部長の引きにより某調達実施本部名古屋支部に転属した。  「能ある鷹は爪を隠す。」  着任時は目立たぬことを心がけている伊賀山人ではあったが、大阪支部での余人をもって代えがたいと言われた勤務ぶりが噂になって伝わっていたようで、着任早々、多くの特命業務を仰せつかり、人の倍くらいの仕事を請け負うことになった。  この支部での本来業務は、中部地方管内に所

  • 伊賀山人回顧録(大阪編:41~44歳)

     平成4年(1992年)伊賀山人41歳の3月、大阪城の傍の某調達実施本部大阪支部に転属した。  ここでは、検査官として3年間、近畿一円にある弾薬メーカーに出向いて品質保証体制や製品検査などを担当した。  自分で言うのも烏滸がましいが、それまで、さまざまな教育課程を優秀な成績で修了して、卓越した知識技能を有する伊賀山人は、生き字引のように重宝されて、ここでも人の嫌がる特命任務を多々請け負った。  【

  • 伊賀山人回顧録(川西編:39~41歳)

     北海道で不治の病に侵された伊賀山人は、関係上司から今後の昇任も昇給も諦めろとのご託宣を頂き、平成2年(1990年)8月、部隊勤務の第1線から追われて、兵庫県川西市にある某病院の企画室で勤務することになった。  仕事は、病院の業務計画の作成、医療監査の受検、医学会の計画実施の他に、野戦病院隊や緊急患者輸送隊の運用などの戦術教育に至るまで広く担当した。  迫りくる吐き気の中、重い体を引きずっての勤務

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