• 伊賀山人回顧録(青春編その8岡山県:17歳新居)

     漸く世間並みの経済状態になった我が一家は、住宅を建築することとなった。  1968年(昭和43年)3月、新居が完成し、伊賀山人高校2年生最後の春休みに友人の手を借りて引越しした。  この家に住んだのは、高校3年生の1年間だけである。  ところが、殆ど住んだことのないこの家が、先月末相続登記を完了して、現在は伊賀山人が新所有者となっている。  所有者となったものの、既に築48年を超えたこの家は老朽

  • 伊賀山人回顧録(青春編その7岡山県:17歳山行)

     1968年(昭和43年)2月、伊賀山人は17歳になった。  この年も、天体観測や写真旅行、ラグビーなどで忙しかったが、その他に山歩きに出かけることも多かった。  【金山山行 1967.1月】  藪の中で、何をしているのかと思われそうだが、この日、金山には雪が積もっていた。  この藪の中だけ雪が無かったので、休憩しているところである。  左に居る同級生Fは、山行やサイクリングの相棒で、現在鳥取県米

  • 伊賀山人回顧録(青春編その6岡山県:16歳天体観測)

     1967年(昭和42年)も、ほぼ毎晩天体観測に勤しんだ。  今では殆ど忘却の彼方であるが、当時は、全天の星座名と1等星の名前くらいは暗記していた。  知らなくても済む無用な知識ではあったが、暗夜でも星が見えれば、道に迷わなくなった。  【天体観測中、深夜の休憩】  手前に見える四角い箱状の物が、自作した鏡径10センチメートルの反射望遠鏡。  反射鏡は、厚さ2センチのガラスの円盤を買ってきて、カー

  • 伊賀山人回顧録(青春編その5岡山県:16歳旅)

     1967年(昭和42年)は、写真撮影や天体観測の為方々に出かけた。  片道50㎞位の所なら全て自転車に乗って行った。  また、標高500メートル程度の山で登山道が有れば自転車で登った。    【竹林寺山天文台 岡山県浅口郡鴨方町】  【主鏡の直径188センチメートル、当時東洋最大の反射望遠鏡】  【大原美術館の窓から見る歴史的建築物 岡山県倉敷市】  【同上 ギリシャ神殿風エンタシスの柱】  【

  • 伊賀山人回顧録(青春編その4岡山県:16歳音楽)

     【スペイン民謡ロマンスを演奏する伊賀山人】  音楽に関する伊賀山人の嗜好は多様であった。  聞くのはロック、歌うのはカントリーフォーク、演奏するのはクラシックギターであった。  たった一つだけ馴染めないのは、酒に酔った着物姿の女歌手が別れた男を思い出して北の海を見て泣くというシチュエーションの演歌だけである。  【ビートルズ初期のアルバムから】  【エルヴィン ジョーンズ】  鉄調色という写真現

  • 伊賀山人回顧録(青春編その3岡山県:16歳写真)

     昭和42年(1967年)、伊賀山人高校2年生の時ペンタックスを愛用していたが、その他にクラシックカメラに興味を持った。  当時、既に使う人のいなかったスプリングカメラを入手して撮影を始めた。  【スプリングカメラ】  左はルビナールというカメラで、6×6版とセミ版(6×4.5)の両用のカメラで、同級生の家で長期未活用物品となっていたのを無償で譲り受けた物である。  右はセミマスミ―というセミ版専

  • 伊賀山人回顧録(青春編その2岡山県:16歳ラグビー)

     昭和42年(1967年)、伊賀山人高校2年生の時は、様々なことがあり多忙を極めた。  その一つが、ラグビー部の創設である。    【ラグビー部創設発起人 昭和42年春岡山県営グランドに於けるラグビー講習会にて】  当時のテレビ番組で、ラグビーを取り扱う学園ドラマが流行していた。  そのストーリーは単純明快なもので、ラグビーさえやっていれば青春の全ての悩みや苦しみなど吹き飛ぶというようなものであっ

  • 伊賀山人回顧録(青春編その1岡山県:15歳)

     昭和41年(1966年)、伊賀山人は中学校を卒業して某県立高校に入学した。  高校は、県下第1の進学校であったが、遠いのが難点であった。  毎日、往復16Kmの道程を自転車で通学することになった。  お蔭で、学力の方はともかくとして、体力だけは著しく向上して一生の財産となった。  【中学校の卒業式後、校庭において記念撮影 1966.3月】  我が自転車は、元々内装の3段変速付きであったが、それに

  • 伊賀山人回顧録(少年編その8岡山県:14歳)

     昭和40年(1965年)、伊賀山人中学2年生の終わりごろ、14歳の誕生日を目前にして、カメラを1台購入した。  それまで使用していたミノルタ35のようなレンジファインダーのカメラでは、望遠や接写の撮影が難しく、当時余り使う人のいなかった1眼レフを選択した。  価格は約3万円、大卒初任給の2箇月分に相当しており、それまでため込んできた小遣いやお年玉の全額をはたいた。  このカメラは、ペンタックスS

  • 伊賀山人回顧録(少年編その7岡山県:13歳)

     昭和39年(1964年)、伊賀山人13歳中学2年生、この時期には、既にアルバムの主役は妹に取って代わられており、伊賀山人は脇役としてついでに写っているに過ぎない。  【S39.3 妹の卒園式前、武家屋敷庭先にて】  左奥が当時住居にしていた母屋である。  床下が高く、武者隠しになっている。  【同上】  後方に見える瓦屋根の建物は、四畳半の茶室。  いつも開け放しだったが、殆ど使わなかった。  

  • 伊賀山人回顧録(少年編その6岡山県:12歳)

    昭和38年(1963年)3月、伊賀山人12歳の春、小学校を卒業した。 【S38.3 小学校卒業式後、校庭において】  左右に居るのが、大阪城で一緒に迷子になった同級生である。  二人とも中学校の詰襟の制服を着ているが、この小学校では、卒業式に中学校の制服を着るのが慣例であった。  私だけ、かなり小さくなった小学校の制服・制帽を着用しているのは、制服を買うお金が無く、かつ中学生の兄からのお下がりが間

  • 伊賀山人回顧録(少年編その5岡山県:11歳)

     昭和37年(1962年)9月、父の勤めるカトリック系の病院に、伊賀山人の遠縁にあたる皇太子ご夫妻の行啓があった。  現在の、天皇皇后両陛下である。  伊賀山人、当時11歳の小学6年生、写真に写っていないのが少し残念である。  【皇太子御夫妻】  伊賀山人は、時々皇太子殿下に似ていると言われた。  【美智子妃殿下】  当時の妃殿下の写真を見ると、現在の皇后陛下の積年のご苦労によりやつれたお姿が痛ま

  • 伊賀山人回顧録(少年編その4岡山県:9歳、10歳)

     アルバムが別冊になっていて探しきれないのか、この時期の写真が殆ど見当たらない。  なお、住居については、台所事情の好転により、昭和34年(1959年)12月22日、伊賀山人8歳の時、8畳一間から庭付き一戸建てに転居している。  敷地300坪、母屋の他、離れの建物と、茶室の東屋を、白壁の土塀で囲んだ門構えも堂々たる旧武家屋敷であった。 【S35、9歳、旧武家屋敷に従兄来訪】  豆炭を燃やす炬燵が唯

  • 伊賀山人回顧録(少年編番外:8歳)花は半開を看る…

    【花看半開 酒飲微醺 川崎洋岳先生(石川県能登在住)寄贈の色紙】  「花は半開を看る」との表現は、白居易(白楽天)の「半開の花を翫(め)でて皇甫郎中に贈る」と題する詩の中に、「人は全盛の日を憐れむも、我は半ば開く時を愛す」とあるのが初出と思われます。  白居易以前にも、柳や荷(はす)の葉が半ば開くといった表現や、門が半ば開くという表現は見えますが、「半開」の花に価値を見いだしたのは白居易が初めてで

  • 伊賀山人回顧録(少年編その3岡山県:7歳)

     昭和33年(1958年)5月、家族は僅か1年間の短い期間に多くの思い出を作った小豆島から岡山県へ移住した。  父は無給の研究医時代に積もり積もった借金返済に追われ、我が家は相変わらず貧乏であった。  住居は、前回とは別の遠い親戚の家の2階の八畳間を借りて、家族5人で住むこととなった。  今では考えられないほどの窮屈さであった。    小学校の2年生になっていた私は岡山に馴染めなかった。  学校で

  • 伊賀山人回顧録(少年編その2小豆島:6歳、7歳)

     島の暮らしが始まって1年後、私には一つの新しい出会いがあった。  生涯、ただ一人の妹が生まれた。 【S33.1.26木製の盥で産湯を使う妹】  私と七つ違いの妹は、元気にすくすくと育った。 【近所の悪童に蒋介石に似ていると言われた妹】  私は、貧しいながらも満ち足りたこの生活がいつまでも続くものと思っていた。 【S33.2妹と伊賀山人】 【S33.5.6妹を背負い、燈下読書に勤しむ二宮金次郎的伊

  • 伊賀山人回顧録(少年編その1小豆島:6歳)

     昭和32年(1957年)2月、広島の地を去った我々家族は、岡山経由で汽車、船を乗り継ぎ3月初めに小豆島に上陸した。  【S32.3 小豆島の土庄港に到着した連絡船の中】  小豆島では、土庄港で壺井栄の著した小説で映画にもなった「二十四の瞳」の像が出迎えてくれた。  【二十四の瞳像】  この島に居住してから、島内の観光地を見物して回り、私はこの四面を海に囲まれ緑の山から清流の流れる風光明媚な島が甚

  • 伊賀山人回顧録(朝令昼改)

     【伊賀山人誕生から高校卒業までのアルバム】  回顧録に使用するアルバムは、不肖18歳までの分だけでも積み重ねると優に1メートルを超える量があります。  更に、撮影データは、別冊となっています。  これらを分類整理編集して記事にするのも甚だ面倒なことなので、今朝方、回顧録の終了をお知らせしました。  すると、世界中の混浴同好会や虞美人研究会等の方々から、もっと続けろとのご意見を頂戴しました。  こ

  • 伊賀山人回顧録閲覧御礼

     延々と続けてきた写真で綴る弊回顧録を御高覧頂き有難うございました。  お蔭様で、幼少編を完結致しました。  古い資料を検索し写真を選定して記事にする作業には、少なからぬ時間と労力とを要しました。  しかしながら、赤の他人の成長の記録など、読者各位にとっては情報価値の一つだになく、何ら益するところのないものであります。   従って、まだまだ未整理の写真・資料も多々ありますが、これを以て、無用無益な

  • 伊賀山人回顧録(幼少編その6広島県:5歳)

     昭和31年(1956年)2月、父の医学研究と博士論文は漸く完成し、岡山大学医学部助手を辞任して、広島県三原市の沼田東(ぬたひんがし)診療所へ赴任することとなった。  3月早々、家族は沼田東町の診療所の宿舎に転居した。  ここは、町とは名ばかりで、見渡す限りの田畑と川とその周辺に里山と農家とが点在する、恰も唐土の田園詩人か山水詩人が隠棲するような片田舎の寒村であった。  村に店舗らしきものは、僅か

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