• 鉄の履歴書-25 ダイヤ改正週刊誌懸賞2等

    昭和43年10月、ヨンサントウと呼ばれるダイヤ大改正が行われました、筆者が浪人生活の年です。 サンデー毎日が新ダイヤで全国46都道府県(沖縄返還前です)早回り時間を当てる懸賞を実施しました、1等賞金5万円か10万円、条件は以下の通りです。 ・国鉄路線利用、各都道府県内所在駅をすべて回る、東京駅発着の最短時間を回答。 ・降車を条件とせず、通過列車でもクリアとみなす、乗換時間は最小3分とする。 ・東京

  • 鉄の履歴書-24 初めての北海道

    昭和43年2月北海道を初訪問しました、受験名目の旅でした。 昼行急行で青森へ、夜行青函連絡船で函館へ渡り、初めて憧れのキハ82系特急おおぞらに乗りました、車窓風景が本州と全く異なり、北海道へ来た実感が湧きました。 大沼公園辺りで車内アナウンスがあり食堂車へ、気取って注文した洋朝定食で初体験したオートミルに閉口しました。 初ものづくしの上野から札幌までの旅は所要20時間でした。 【機関庫の裏】 駅前

  • 鉄の履歴書-23 13mmゲージに浮気

    レイアウト建設に行き詰っていた頃、13mmゲージ蒸機製作記を見て、正面姿の狭軌感に魅了されました。 ヨシやってみようと手持ち16番木製道床レールを改造、太い犬釘が嫌でホチキス針を切断し、枕木一本一本下穴を開けてスパイクしました。 本当は♯100真鍮でなく♯70洋銀にしたかったのですが、親の脛かじりではどうにもなりません。 狭軌感と犬釘の細さには満足しましたが、犬釘の色が実感を損なっていました。 そ

  • 鉄の履歴書-22 自室にレイアウト基台設置

    高校2年冬休み全バイト代を注ぎ込んで自室鴨居上にレイアウト基台を設置しました。 定石通り1x4材を井桁に組み、ベニヤ板を張った1200x2650サイズレイアウト主要部基台です。 450幅周回基台を増設し、4畳半ドーナツ型敷地が完成形、1000x1750人間様用スペースに、踏み台の上に立って運転する苦しい設計でした。 今から思えば材料節約で井桁枠が600x900と大きく、基台支持は棚設置金具4ヶ所で

  • 鉄の履歴書-21 タイムカプセル部品箱②

    8/14前号に続き半世紀前部品箱の話題です。 ペーパー車両製作や蒸機追加工を経験し、自信と言うか糞度胸がつきました、過信と言う方が適当かもしれません。 市販部品流用の自作動力車製作計画を進めていた痕跡が残っていましたので紹介します。 【場内進行】・・・中山平上り方 無謀にも自作蒸機を計画中でした、8620をモディファイしたC56サイズ自由形です。 C56は小海線のイメージで力感に乏しく、発煙装置組

  • 鉄の履歴書-20 タイムカプセル部品箱①

    本シリーズで紹介した16番スハ32やオシ17保存箱から、懐かしい品々が出てきました、50年前のタイムカプセル部品箱です、手持ち蒸機C58追加工の思い出を書いてみます。 【特急快走】 C58は低価格の代わりに非常に簡素なディテール、細密化は予算とウデでお好きにどうぞというモデルでした。 追加工の最初に上回り塗装を剥がし真鍮ボディ状態にして、手摺やキャブ下パイピングを行いました。 同時に雑誌記事を参考

  • 鉄の履歴書ー19 急行たざわと16番オシ17

    皆さんは列車名「たざわ」から、どの列車を思い浮かべるでしょうか? 多くの方は秋田新幹線開業前に盛岡ー秋田・青森を結んでいた、485系特急「たざわ」だと思います。 筆者の「たざわ」は上野ー秋田間奥羽本線経由昼行客車急行「たざわ」です、一等車2両と食堂車を連結した堂々とした急行列車でした。 【生野発守屋行区間列車キハ20】 調査すると、列車名「たざわ」は、38年の生涯で実に数奇な運命を辿っています。

  • 鉄の履歴書-18 東北研究旅行 後編

    深夜青森を発車した列車は花巻辺りで夜明けを迎え、平泉に着く頃にはすっかり明るくなっていました。 平泉駅側線に蒸機約10両が連結放置されていました、 前年10月仙台-盛岡電化で最後の職場を失い廃車されたD62が、解体待ちで留置されていた様です。 これは見逃せません、少し時間をもらい間近で眺めました。 太いボイラーが大迫力でしたが、赤錆が浮いた無残な姿でした。 写真を探しましたが発見できませんでした。

  • 鉄の履歴書-17 東北研究旅行 中編

    翌朝、大曲7時過ぎの蒸機牽引通勤通学列車で秋田へ向かいました。 7-8両編成後部に乗車して水田脇に停車し、信号所かと思ったらホームが短い駅でした。 手動ドアステップから犬走りまで1m20-30cm、乗降困難ですが注意の車内放送はありませんでした。 【貨物ホーム裏】 秋田は竿灯祭り期間中でしたが、朝8時過ぎに見る物はなく、1時間程の滞在でした。 地理部らしく、進行中の米増産国家プロジェクト八郎潟干拓

  • 鉄の履歴書-16 東北研究旅行 前編

    昭和41年春、高校2年になり筆者が地理部の部長を務める事になりました。 夏休み研究旅行先は、前年中止の山陰も捨て難かったのですが、梅雨末期豪雨の二の舞を恐れ、東北に決めました。 学割均一周遊券利用で4泊5日、しかも3泊車中泊の貧乏旅行です。 出発は東北の祭シーズン8月初旬、夜行急行で山形へ、発車前に寝て福島で起きました、夜中でも板谷峠越えを見たかったのです、上屋があるスイッチバックに感激しました。

  • 鉄の履歴書-15 自作ブレーキハンドル

    高校生になって昂進したレイアウト熱を癒すには資金が必要でした。 1年冬休みから親の許可を得て長期休暇毎にアルバイトを始めました。 時給100-120円でしたが、部品や車両を増やすには十分な収入になりました。 比較的安価なスロ(リクライニングの特ロ車、51?)、ナハ10、ナハフ10を手に入れ、オハ35と合わせ急行編成にしました。 【生野南中通学路】 雑誌記事を参考にパワーパックを改造して「脈流スイッ

  • 鉄の履歴書-14 N誕生!関水金属発売予告の印象

    TMS誌上に関水金属(現KATO)9mmゲージ、C50とオハ31発売予告が掲載されたのは、昭和40年前半だったと思います。 16番が鉄道模型主役の座を確立した時期でした。 第一印象は何故C50で8620でないのか、何故オハ31でスハ32かオハ35でないのか車種選択への疑問でした、0系新幹線だってあったはずです。 昭和10-20年代を想定する40代以上顧客がターゲットだったのでしょうか、発売車両に全

  • 鉄の履歴書-13 高校の部活

    世は高度成長学歴社会、受験戦争の申し子と呼ばれた団塊世代がレイアウト熱に感染すればどうなるかは自明の理、成績は右肩下がり両親と約束した両立はできませんでした。 それでも何とか公立進学校へ潜り込み、花の高校生活スタートとなりました。 入学早々部活選び、鉄研か鉄道模型同好会があれば即決でしたがありません。 研究旅行名目であちこち行けるという、鉄ちゃん部長の勧誘に釣られて地理部に入部しました。 夏休み研

  • 鉄の履歴書-12 修学旅行お土産は旧客

    昭和39年、中学3年の秋、首都圏公立中学の定番、京都・奈良へ修学旅行に行きました、品川から修学旅行専用列車「ひので号」です、往路昼行、復路夜行の4泊5日でした。 狭目のオフセット通路左右に、6人と4人のボックスシートを配した155系は、跳ね上げ式テーブルでトランプしたり弁当食べたりと、とても楽しい車両でした。 平安神宮・清水寺・二条城・大仏殿・薬師寺が印象に残りましたが、何と言っても楽しかったのは

  • 鉄の履歴書-11 16番車両増備と工作

    153系2両でスタートした16番次の一歩は、編成完成に向かいませんでした。 行きたい場所へ通じる路線は、東海道と上越を除き全線電化前、東京から千葉、平、仙台、米沢、長野、甲府までが電化区間、八高線、川越線は非電化、9600、C58、D51が現役でした。 立ち読みした鉄道FやPの記事にも新型電車に混じって、行き場を失い始めた蒸機特集が目立ち、次第に非電化ローカル線に傾倒して行きました。 本シリーズ前

  • 鉄の履歴書ー10 最初で最後の一等車

    東京オリンピックが開かれた昭和39年、中学2年の正月です、この年は家族で正月旅行へ出かけました。 帰省ラッシュは現在の比でなく、特に北行は臨時列車大増発でも上野駅テント村に10時間近く並ばないと乗車できない時代でした。 旅行先は南紀、関東から少し出た事しかなかった私の初遠距離旅行でした。 父が奮発して一等均一周遊券を用意してくれた様です、年末30日の出発列車は急行「那智」一等寝台でした。 【夜汽車

  • 鉄の履歴書-9 上野から蒸機で初詣

    昭和37年末、H君から蒸機が牽く列車で成田へ初詣に行かないかと誘いがあり、1月4日か5日に約束しました。 上野発午前10時前後、我孫子から成田線経由成田行きの客車普通列車、牽引機はC58でした。 第一次SLブーム前で撮り鉄さんもほとんど居ない、初詣シーズンなのに乗客は7割程度、成田なら京成電鉄が通常ルート、2時間近くかけて大回りする物好きは少なく、大半が成田線内乗降客だった様です。 これが蒸機牽引

  • 鉄の履歴書-8 16番鉄道模型 初めの一歩

    H君と知り合ってから鉄道車両への興味が高まり、急速に知識が増大しました。 国鉄の車種構成が簡潔な時代で、覚えるのも楽でした。 こだま型=151系、東海型=153系、特急「とき」用161系が登場したくらいで、その後の勾配線区用・交直両用等の派生車種登場前でした、「コホナオスマカ」「ムラサキ」を覚えたのもこの頃です。 と同時に、自分の模型が欲しい気持ちを抑え難くなりました、対象が何であれマニアと呼ばれ

  • 鉄の履歴書-7 16番レイアウトを夢見る

    小学4年の都内見学で行った万世橋交通博物館で、大型レイアウトを始めて見ました。 感激しましたが、伯父の鉄道模型と同じで特別な人の特別な物、自分と結び付け考える事はできませんでした。 その後、友達から鉄道模型販売店の話を聞き、自転車で武蔵小山商店街まで何度も見に行きました。 16番の模型は小さく精巧で大変魅力的でしたが、貨幣価値換算すると値段は現在のNの約10倍、とても手が届くとは思えませんでした。

  • 鉄の履歴書-6 愛読書は時刻表

    父が旅行幹事を良く務めていたからでしょうか、家に時刻表がありました。 手に取って眺め始めたのは小学4年、昭和34年頃の事です、すぐに夢中になり、日本中を空想旅する様になりました。 年1-2冊、ダイヤ改正毎に購入していた様で、役目を終えた時刻表を貰うのが楽しみでした。 次々と新しい特急、急行が登場しました、所要時間短縮や停車駅を確認して喜び、新特急列車「はやぶさ」「さくら」「はつかり」に憧れました。

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