【大阪府八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄服部川駅 ~ 信貴山口駅まで)(3/3)
【八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄信貴線・服部川駅 ~ 信貴山口駅まで): 約15Km, 約5時間(休憩含む)。 高安山へハイキングへは4つのコース(十三街道コース、立石コース、おおみちコース、恩智コース)があります。 今回は近鉄服部川駅を出発し、玉祖神社(たまおやじんじゃ)、水呑... 続きをみる
【大阪府八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄服部川駅 ~ 信貴山口駅まで)(3/3)
【八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄信貴線・服部川駅 ~ 信貴山口駅まで): 約15Km, 約5時間(休憩含む)。 高安山へハイキングへは4つのコース(十三街道コース、立石コース、おおみちコース、恩智コース)があります。 今回は近鉄服部川駅を出発し、玉祖神社(たまおやじんじゃ)、水呑... 続きをみる
【大阪府八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄服部川駅 ~ 信貴山口駅まで)(2/3)
【八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄信貴線・服部川駅 ~ 信貴山口駅まで): 約15Km, 約5時間(休憩含む)。 高安山へハイキングへは4つのコース(十三街道コース、立石コース、おおみちコース、恩智コース)があります。 今回は近鉄服部川駅を出発し、玉祖神社(たまおやじんじゃ)、水呑... 続きをみる
【大阪府八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄服部川駅 ~ 信貴山口駅まで)(1/3)
【八尾市ハイキング】十三街道 ~ 大道コース (近鉄信貴線・服部川駅 ~ 信貴山口駅まで): 約15Km, 約5時間(休憩含む)。 高安山へハイキングへは4つのコース(十三街道コース、立石コース、おおみちコース、恩智コース)があります。 今回は近鉄服部川駅を出発し、玉祖神社(たまおやじんじゃ)、水呑... 続きをみる
【天龍寺】(てんりゅうじ)大阪府八尾市 近鉄電車「服部川駅」から高安山に向かって徒歩約10分で八尾市農免道に着きます。 農免道沿から東側(山方面)に向かって、大窪・山畑7号墳「抜塚」がある来迎寺への道と安国寺への道とのちょうど真ん中のあたりに細い道が1本あります。それが【天龍寺】(てんりゅうじ)への... 続きをみる
【立江地蔵尊菩薩】(たつえじぞうそんぼさつ)大阪府八尾市植松町
大阪府八尾市植松町に【立江地蔵尊菩薩】(たつえじぞうそんぼさつ)があります。この地蔵尊には石仏1体が祀られています。地蔵堂横に同型の燈籠2基が建てられていて、竿に「太神宮」と刻まれているものには、宝暦七年(1757年)、「象頭山」と刻まれているものには、安政三年(1856年)の年号があります。なぜこ... 続きをみる
大阪府八尾市宮町一丁目に鎮座する【穴太神社】(あのうじんじゃ)です。 河内国若江郡の穴太邑が当地で、『姓氏録』未定雑姓の河内国にみえる孔王部首(あなほべのおびと)氏の住地でもありました。 穴太は現在、「あのう」と読まれています。祭神は、天照皇大御神、住吉四神(上筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后)... 続きをみる
【友黒大明神】(ともぐろだいみょうじん)と【森高大神】(もりたかおおかみ)大阪府八尾市植松町
【友黒大明神】(ともぐろだいみょうじん)と【森高大神】(もりたかおおかみ)大阪府八尾市植松町 大阪府八尾市植松町の空き地の隅にひっそりと鎮座する【友黒大明神(ともぐろだいみょうじん)・森高大神(もりたかおおかみ)】です。お社には2つの石が祀られてあり御神体と思われます。左側の石には「友黒大明神」、右... 続きをみる
大阪府八尾市南本町の「明圓寺」(めいえんじ)の道を挟んで前に大きな石仏の【地蔵尊】(じぞうそんがあります。由緒等は不明です。 この道沿いを南へ行くと「矢作神社」があります。 所在地:大阪府八尾市南本町4丁目1-8 アクセス: 近鉄「八尾」駅から徒歩約15分/近鉄バス「八尾保健所前」から徒歩約10分
【豊川大明神】(とよかわだいみょうじん)大阪府八尾市東本町 近鉄八尾駅から南へ400m、東本町1丁目4に式内社 長柄神社跡があります。そこは公園になっていて子供たちがよく遊んでいます。その公園の横に赤い鳥居と囲いがある【豊川大明神】(とよかわだいみょうじん)があります。 由緒等は不明です。祭神は、「... 続きをみる
【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 大阪府八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある「弓削神社」と西側の弓削町一丁目にある「弓削神社」の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社。 鎮座... 続きをみる
【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう) 大阪府八尾市太田 この【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)の付近には古い町並みが数多く残っています。 【太田八幡宮】の由緒について; 「御祭神は「品陀別命」。免田神社は中河内郡大正村大字大田字免田にあり。 品陀別命を祀れり。 由緒は詳らず、明治3年4月本地内にあ... 続きをみる
【教興寺】(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したという。寺は中世... 続きをみる
【教興寺】(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したという。寺は中世... 続きをみる
【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市 熊野神社とも呼ばれます。熊野権現を祀ります。山麓なので正面入り口からは階段で上がっていく高台に鎮座しているように感じます。 権現社の沿革:「慶長年間(1596~1614)に、熊野権現を勧請」。寛政2年(1790)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀。鎮座地につ... 続きをみる
【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 (2/2) この地は大阪府八尾市の「恩智字向谷」といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見ら... 続きをみる
【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 (1/2) この地は大阪府八尾市の「恩智字向谷」といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見ら... 続きをみる
【神宮寺 感応院】(じんぐうじ かんのういん)大阪府八尾市 天川山感応院と称し真言宗高野山普門院末。古くは恩智神社の神宮寺として神社の境内にあった。 本尊の十一面観音像は国の重要文化財また絹本着色不動明王像は府の重要美術品としてそれぞれ指定されており、慈雲尊者裏書の十六善神像など寺宝が多い。 本堂の... 続きをみる
恩智左近満一の出身地などについてはいくつかの説がありますが、恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人。 湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守りましたが不幸にして延元2年(1337年)7月熱病のため急死。 傍の墓碑十六基は明治10年の西南戦争に官軍と... 続きをみる
【祇園社】(ぎおんしゃ) 恩智神社の旧社地「天王の森」大阪府八尾市
【祇園社】(ぎおんしゃ) 恩智神社の旧社地「天王の森」大阪府八尾市 「恩智神社」(おんぢじんじゃ)の旧社地を「天王の森」と呼ばれます。「天王の森」という地名は、牛頭天王を祀っていたことによります。現在ここは、ほとんどが広場で恩智神社の御旅所となっており、西隅に境外末社の八阪神社【祇園社】(ぎおんしゃ... 続きをみる
河内のコリアン寺院【平和山不動院】(へいわざんふどういん)大阪府八尾市
河内のコリアン寺院【平和山不動院】(へいわざんふどういん)大阪府八尾市 大阪府八尾市の立石越ハイキング道登リ口の奥にある寺院。平和山不動院と刻まれた石柱が立っています。そこを越えると、「結縁地藏堂」があります。この地蔵堂の横の道をさらに奥に行きます。民家のような建物が見えてきます。そこが【平和山不動... 続きをみる
大阪府八尾市山畑のコリアン寺院 ・平和山不動院への入り口付近に【結縁地蔵堂】(けちえんじぞうどう)があります。由緒等は不明ですが、地蔵堂の作りや色からコリアン系と思われます。右側に立石越のハイキングコースへの登り口があります。 住所:大阪府八尾市大窪42−2 アクセス:近鉄「服部川駅」より徒歩約20... 続きをみる
大阪府八尾市のコリアン寺院 ・平和山不動院へいく登り坂の途中に駐車場があります。その駐車状の近くに「鉄パイプ製の鳥居と石仏が鎮座しています。詳細不明です。 鉄パイプ製は、2本づつ3か所、石物の前に立っています。赤いペンキで塗られた鳥居は大部分の塗装が剥げています。石に朝鮮人の名前が刻まれたりしていま... 続きをみる
【薗光寺】(おんこうじ) 大阪府八尾市水越 もとは玉祖神社の神宮寺で、神社のそばにありました。この薗光寺の境内には高さ122㎝、幅62㎝の砂岩で作った十三仏の石造があります。下部には14人の女人の法名が刻んであり、十三仏信仰の女人講によって建立されたと考えられます。建立年代は記されていませんが、作風... 続きをみる
【寳山神社】(ほうざんじんじゃ)「鏡塚古墳」大阪府八尾市 この中河内では最大の古墳である心合寺山古墳の西にこの鏡塚古墳があります。その麓に神社碑があり、古墳を削った跡に【寳山神社】(ほうざんじんじゃ)が鎮座しています。 「鏡塚古墳」は直径約28m、高さ約5mの円墳と考えられていますが、南側に大きい削... 続きをみる
【御野縣主神社】(みのあがたぬしじんじゃ)大阪府八尾市 旧河内国河内郡上之島村(八尾市上之島地区)の氏神。かつてこの地一帯を支配していた豪族・美努連(みぬのむらじ)、三野縣主一族の祖神です。創建の年代は不詳ですが、延喜式神名帳に河内国若江郡の御野縣主神社二座と記載されていることから平安時代以前にはあ... 続きをみる
【由義神社】(ゆぎじんじゃ) は大阪府八尾市八尾木に鎮座します。 由緒については、「由義神社は 由義宮(西の京)に、神護景雲(じんごけいうん)三年(七六九)稱徳(しょうとく)天皇たびたびこの地に行幸され、その宮域は若江、大縣、高安三郡にまたがる広域の中心由緒深い宮跡に、広大な氏地と氏子により崇敬(す... 続きをみる
【津夫久美神社】(つぶくみじんじゃ)大阪府八尾市水越 古代の大豪族物部(もののべ)氏の祖神宇摩志摩治命(うましまじのみこと)を祭神とする。【津夫久美神社】の「つぶくみ」という社名は、物部氏の一族積組連(つぶくみのむらじ)に由来します。近世頃には「香森大明神」と呼ばれ社地を中の森と言われてました。この... 続きをみる
【六ヶ地蔵尊】(ろっかじぞうそん)大阪府八尾市刑部 大阪の八尾から庄之内を通って信貴山へ向かう道は、刑部の北で玉串川に達する。この玉串川西堤下に当たる刑部2丁目1番地、小字茶屋之前にこの【六ヶ地蔵】(ろっかじぞう)がある。凝灰石の石棺の蓋を利用して作った石棺仏である。かなり風化していて、顔形も分らず... 続きをみる
【山畑神社】(やまたけじんじゃ)「佐麻多度神社 の境内社」大阪府八尾市
【山畑神社】(やまたけじんじゃ)大阪府八尾市 【山畑神社】(やまたけじんじゃ)は「高座明神」とも言われ、『大阪府全志』では延喜式内社の「春日戸社座御子神社」であったとされています。祭神は高坐御子神。 明治5年に【山畑神社】は「佐麻多度神社」に合祀され、その境内末社となり、現在は「佐麻多度神社」 境内... 続きをみる
【佐麻多度神社】(さまたどじんじゃ)は、河内国高安郡の式内社であり大阪府八尾市山畑に鎮座します。 創建年、本来の祭神は不詳であるが、大和時代(西暦600年代)の創建と伝えられています。現在の祭神は佐麻多度大神で山畑村の産土神。もとの鎮座地はさらに約100m上の高安山中腹の谷口天神山にあった白華観音院... 続きをみる
【薬王禅寺】(やくおうぜんじ )大阪府八尾市 八尾市郡川に「天王社」(てんのうしゃ)があります。坂の脇道を通り雑木に囲まれていて分かり難い静寂な雰囲気の場所に鎮座しています。この社の横に【薬王禅寺】(やくおうぜんじ )があります。 境内には案内板があり、次のように書かれてあります。 「このお堂には、... 続きをみる
【天王社】(てんのうしゃ)大阪府八尾市郡川 八尾市郡川に【天王社】(てんのうしゃ)があります。坂の脇道を通り、この社は雑木に囲まれていて分かり難い静寂な雰囲気の場所に鎮座しています。鳥居、本殿、手水鉢、狛犬も1対あります。社の前の狛犬は、銘文年代が天保10年(1839)となっており、阿(あ)が左側に... 続きをみる
【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃光如来】【岩谷弘法大師尊】③ 大阪府八尾市
【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃光如来】【岩谷弘法大師尊】③ 大阪府八尾市 大阪府八尾市大字教興寺に「天照大神高座神社」(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 「岩戸神社」(いわとじんじゃ)があります。この2つの神社へ向かう参道の途中に【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠... 続きをみる
「高野山高安・新四国八十八ヶ所」「本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大師尊」② 大阪府八尾市
【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃光如来】【岩谷弘法大師尊】②大阪府八尾市 大阪府八尾市大字教興寺に「天照大神高座神社」(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 「岩戸神社」(いわとじんじゃ)があります。この2つの神社へ向かう参道の途中に【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃... 続きをみる
「高野山高安・新四国八十八ヶ所」「本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大師尊」① 大阪府八尾市
【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃光如来】【岩谷弘法大師尊】①大阪府八尾市 大阪府八尾市大字教興寺に「天照大神高座神社」(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 「岩戸神社」(いわとじんじゃ)があります。この2つの神社へ向かう参道の途中に【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃... 続きをみる
【本照寺】(ほんしょうじ)大阪府八尾市 近鉄「信貴山口」駅から近い大阪府八尾市黒谷に日蓮宗【本照寺】(ほんしょうじ)があります。 由緒については、境内に「本照寺復興之碑」があります。そこには次のように記されています。 「永録元年 開基光要院日○上人にして創立する。寳永二年 正徳、寳歴年間に再度の火災... 続きをみる
【梅岩寺】(ばいがんじ)大阪府八尾市 黄檗宗の仏教寺院。山号は「寿福山」。本尊は聖観音。河内西国巡礼三十三か所第十四番。587年(用明天皇2年)聖徳太子による開基と伝えられています。近くにある「教興寺」と同様、日本で最も古い仏教寺院の一つとされ、もとは「教興寺」の塔頭であったといわれています。 仏教... 続きをみる
【神立辻地蔵】(こうだちつじじぞう)大阪府八尾市 神立地蔵堂(南小路の地蔵)内にある。神立集落の中、十三街道を水呑地蔵へ上がる登り口に当るところにある。総高115㎝、幅48㎝の舟形光背に像高83㎝の地蔵立像がある。江戸時代初期をくだらない地蔵と考えられる。この地蔵堂の前に、第一番の石仏がある。ここか... 続きをみる
【大竹観音堂】(おおたけかんのんどう)大阪府八尾市 この観音堂の由緒等は不明です。この場所は西北に心合寺山古墳、東に向山・愛宕塚古墳、高安山麓の民家に囲まれたところに建てられています。奥に観音堂を配し、入り口傍に小さなお堂が二つ並んでいます。【大竹観音堂】の斜め向かいに石碑があります。石には篆書と漢... 続きをみる
【矢作神社】(やはぎじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。式内小社で、旧社格は郷社。別宮八幡とも称する。矢作は「やつくり」とも読む。当地は、元は物部氏の傍系一族である矢作連の屋敷跡であったとされ、神社は矢作連の氏神である。11世紀に石清水八幡宮の掃部別宮(八尾掃部別宮)となり、江戸時代には石清水八幡... 続きをみる
大阪府八尾市久宝寺寺内町に【今口地蔵尊】(いまぐちじぞうそん)があります。寺内町の今口門のあった所で東口と共に八尾へ通じる道筋です。【今口地蔵尊】は地蔵堂内の石仏は室町時代前期のものと推定され、「樋之上地蔵尊」とも呼ばれています。この地蔵堂には「今口 樋之上地蔵尊」の額が掲げられています。花崗岩製で... 続きをみる
【長曽我部盛親物見の松】と 【慶春五輪塔】(けいしゅんごりんとう)/ 大阪府八尾市
【長曽我部盛親物見の松】 大阪府八尾市の久宝寺地区に、「長曽我部物見松遺址」と刻まれた石碑があります。 若江の戦いが行われた同じ日、豊臣方の長宗我部盛親隊と徳川方の藤堂高虎軍がこの地で激突しますが(八尾の戦い)、その戦いにおいて、長宗我部軍が藤堂隊の動静を探るために上ったと伝わる松の巨木が、かつてこ... 続きをみる
【賀茂神社跡】(かもじんじゃあと)大阪府八尾市 大阪府八尾市西高安の田んぼと畑の真ん中にあります。すぐ東には大阪外環状線、西にはゴルフ練習場があります。外環状線からは細い地道があり、その地道から神社へは約100mの突き当りにこの【賀茂神社跡】(かもじんじゃあと)があります。年中木が茂っているのでこの... 続きをみる
恩智左近満一の出身地などについてはいくつかの説がありますが、恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人。 湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守りましたが不幸にして延元2年(1337年)7月熱病のため急死。 傍の墓碑十六基は明治10年の西南戦争に官軍と... 続きをみる
【シュミイ地蔵】(しゅみいじぞう) 大阪府八尾市 東高野街道沿いの「恩智城址」(おんじじょうし)への登り口脇にある地蔵です。名前の由来は不明。地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したもの。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩。像の左右に次の銘文がようやく読み... 続きをみる
【恩智城址】(おんぢじょうし)大阪府八尾市 【恩智城】(おんぢじょう)は中世この地の豪族「恩智左近満一」が築きました。自然の高地を利用した城郭で高安連峰との間に堀を捲らせ前方に大阪平野を一望のもとに治めました。 堀の中にかつては小島がありましたが、それは昔の「一の丸」で現在の城址は「二の丸」の址です... 続きをみる
大阪府八尾市の恩智惣池がある場所の隅に鎮座する正体不明の「稲荷神社」です。由緒等は不明。綺麗に管理されているようです。 場所:大阪府八尾市恩智中町 アクセス:恩智神社を出てさらに山へ向かって約5分ほど登った場所に恩智惣池があります。 恩智惣池に鎮座する正体不明の「稲荷神社」
大阪府八尾市「恩智神社」の橋原神宮遥拝所の奥に、【八大龍王】(はちだいりゅうおう)があります。こちらの前は、なかなかのスポットだと思う。強い神気を感じるパワースポットです。 「八大龍王御真言」の立札があります。 「ばん あみだぶつ おん そらそば ていえい そわか」 (「ばん」=宇宙の根元=大日如来... 続きをみる
【通夜島有姫龍神】(つやしまありひめりゅうじん)大阪府八尾市神立
【通夜島有姫龍神】(つやしまありひめりゅうじん)大阪府八尾市神立 個人の方がお祀りされている龍神様のようです。標石に案内には次のように書かれています。 「昭和51年3月28日。お迎へ申しました。紀洲串本大島の沖に浮ぶ通夜島。此の島に太古よりお祭りして居られました神様です。私この島に縁あって熱帯植物園... 続きをみる
【愛岩宮(愛宕宮)】(あたごみや)大阪府八尾市神立 大阪府八尾市神立5丁目に小さい社が鎮座しています。石標には【愛宕宮】となっています。鳥居や狛犬はありません。説明板がないので由緒等は不明です。この「愛宕」で思い当たるのが、この近くに愛宕塚古墳があります。また、この社の手前に「通夜島有姫龍神」が鎮座... 続きをみる
【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)大阪府八尾市 大阪府八尾市山本町北の公園のところに【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)があります。案内板には次のように書かれてあります。 「江戸時代の中頃(宝永元年・1704年)に大和川が付け替えられるまでは玉串川は幅の広い川でした。地蔵があるこのあたりは、旧福万... 続きをみる
【三十八神社】(みそやじんじゃ)大阪府八尾市 西向き本殿・拝殿が、拝殿の左右に末社あります。この【三十八神社】(みそやじんじゃ)が福万寺城の跡で、南北朝時代の文和年間(1352年~1355年)佐々木盛綱の8代の子孫の佐々木二郎盛恵の居城であったと伝えられています。境内には案内板があり次のように書かれ... 続きをみる
【万願寺御領 八幡神社】 (まんがんじごうじょ やはたじんじゃ)大阪府八尾市
【万願寺御領 八幡神社】 (まんがんじごうじょ やはたじんじゃ)大阪府八尾市 この八幡神社の創建は不明であるが、述宝七未年(1679)の村明細帳に八幡宮や絵馬堂が 記載され除地として年貢が免除されている。さらに遡る文禄三年(1594)の所謂、太閤検地で境内地が免地であった記述もあり、 八幡神社の創建... 続きをみる
【式内社 長柄神社跡】(ながらじんじゃあと)大阪府八尾市 旧信貴道に面した【長柄神社】(ながらじんじゃ)は、旧庄内村と東郷村の境にあり、祭神は「事代主命」(ことしろぬしのみこと)で、別に「八言事代主命」(やえことしろぬしのみこと)とも言われ、「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の子とされています。古... 続きをみる
【比枝神社】(ひえじんじゃ)大阪府八尾市 大阪府の八尾駅から東南へ約750m(直線)、八尾駅の南を東西に走る国道25号を東へ進み、相生町交差点を左折し北へ進むと右手奥の住宅街の中、玉垣に囲まれて鎮座しています。境内は間狭く、鳥居潜ると拝殿・本殿が西向きに鎮座しています。境内に旧・社号標の天照皇大神宮... 続きをみる
【御剱神社】(みつるぎじんじゃ)「老原」大阪府八尾市 御祭神は「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)。 由緒については、「長瀬川上流左岸と了意川(現平野川)上流右岸に位置するこの地は早くから拓け、古くから農作に從うもの現れ、豊穣の神といわれた素戔嗚尊を祀り氏神として豊作をねがったのである。老原は、奈良朝期... 続きをみる
【 杵築神社】(きづきじんじゃ)「老原」大阪府八尾市 神社創建の年代は不明。往古、大和川は八尾の地を北流し、旧淀川に合流して大阪湾に注いでいた。当時は度々洪水が起りこの地の住民は塗炭の苦しみを受けていたので、小祠を建立し神のご加護を願ったのが始と云われている。宝永元年(一七〇四)大和川の付替工事が完... 続きをみる
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は木... 続きをみる
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は木... 続きをみる
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は木... 続きをみる
【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町 大阪府八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある「弓削神社」と西側の弓削町一丁目にある「弓削神社」の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社。 鎮座... 続きをみる
【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 大阪府八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある「弓削神社」と西側の弓削町一丁目にある「弓削神社」の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社。 鎮座... 続きをみる
【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう) 大阪府八尾市太田 この大田八幡宮の付近には古い町並みが数多く残っています。 【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)は、太田地区の氏神で、元は「免田神社」と呼ばれ中河内郡大正村大字大田字免田にありました。免田は字名。御祭神は品陀別命を祀ります。詳細な由緒等については... 続きをみる
【寶殿神社】(ほうでんじんじゃ)大阪府八尾市沼 当社は、室町時代河内守護職であった畠山氏の小山砦から鬼門の位置にあったので、その守護神として創建されたと伝えられ、沼の産土神である。本殿は一間社流造で覆屋内に鎮座し江戸時代初期のもので、市内に残存する古い建築様式の一つであり同時代のものと考えられる珍ら... 続きをみる
【穴太神社】(あのうじんじゃ)大阪府八尾市 河内国若江郡の穴太邑が当地で、『姓氏録』未定雑姓の河内国にみえる孔王部首(あなほべのおびと)氏の住地でもありました。 穴太は現在、「あのう」と読まれています。祭神は、天照皇大御神、住吉四神(上筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后)、春日四神(建御賀豆智命・... 続きをみる
【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)は、大阪府八尾市植松町にある神社。 若江郡の式内社であり、旧社格は郷社。天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としている。創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河の家の跡ともいわれている。もとは旧大和川の東側の字川向... 続きをみる
【渋川天神社】(しぶかわてんじんじゃ)大阪府八尾市 【渋川天神社】(しぶかわてんじんじゃ)は素戔嗚尊(すさのをみこと)、菅原道真を祀る古社。神社の南西の地は白鳳時代に渋川寺しぶかわじであったところで、昭和十年頃、国鉄の竜華操車場を開設工事のとき、多数の単弁八葉や忍冬唐草紋の瓦及び塔心礎が出土した。 ... 続きをみる
【許麻神社】(こまじんじゃ)大阪府八尾市 式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。 境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢って... 続きをみる
【許麻橋地蔵】(こまばしじそう)大阪府八尾市 「許麻神社」(こまじんじゃ)の鳥居前の辻堂内にあるこの【許麻橋地蔵】(こまばしじそう)は、亡父の追善供養のために造顕されたもので、像の左右に次の銘文がある。爲景 慧 禅定門追善 天文廿一壬子四月 日孝子敬白 いまは安産地蔵といわれている。像は中央部で折損... 続きをみる
【稲生神社】(いなりじんじゃ)八尾市天王寺屋 八尾市天王寺屋の国道25号線沿いに鎮座する【稲生神社】(いなりじんじゃ)です。 この周囲は天王寺屋吉兵衛氏が開発した天王寺屋新田(てんのうじやしんでん)が地名の由来である地域です。長瀬川(旧久宝寺川)はJR線の東側にあります。 国道25号線沿いの天王寺屋... 続きをみる
大阪府八尾市の光蓮寺の前に【稲城址】(いなきのあと)の石碑があります。 聖徳太子が物部守屋の館のあった阿都の桑市を攻めたとき、守屋は兵を集めて、この地に稲城を構えて抗戦したといわれます。 稲城は稲で囲った城とか、稲積みの城であったとか伝えられています。 この碑は昭和十四年建立されたものです。 住所:... 続きをみる
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。 創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
【顕証寺】(けんしょうじ)大阪府八尾市 大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。 久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじんじゃ)境内には太子創建を伝える久宝... 続きをみる
【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)「常世岐姫神社」大阪府八尾市
【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)「常世岐姫神社」大阪府八尾市 大阪府八尾市にある式内社で「常世岐姫神社」といったが地元では【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)として親しまれている。古記録によれば宝亀七年(七七六)の夏河内國大県郡の人正六位上、赤染人足ら十三人に常世岐の姓を与えたという。この赤染と... 続きをみる
【神劔神社】(みつるぎじんじゃ)は二百二十五年以前の元文元年辰歳国分村反師枩井四郎兵衛らによって造営され素戔嗚命、保食神の二神を祀り田井中村の氏神として永く村民の尊敬を集め弥栄えてきた。 往時の旧大和川縁辺に当たる現東老原地区の五条宮跡附近から奈良朝時代の古瓦が発見されたことからみて 田井中村の発祥... 続きをみる
【神宮寺小太郎塚】(じんぐうじこたろうつか)大阪府八尾市 「神宮寺小太郎」は大阪府八尾市神宮寺の豪族で、神宮寺城を構え恩智左近満一とともに楠木正成に属し、その八臣の一人である。 正成湊川で戦死後はその子正行に従い四條畷に出陣して討死し、そのとき北朝方により神宮寺城も落ちた。 塚はもと古墳で明治末年に... 続きをみる
【あごなし地蔵尊】大阪府八尾市 久宝寺御坊(顕証寺)前の地蔵堂内にある。総高41cm舟形光背に高さ14cmの蓮華座を彫り出し、その上に立つ像高22cmの地蔵二尊仏で、双体道祖神を想わせる像容である。像の左に“をきのくに あごなし地蔵”と陰刻されている。あごなし地蔵は隠岐島の小野篁作といわれる地蔵が本... 続きをみる
【シュミイ地蔵】大阪府八尾市恩智中町 東高野街道沿いの恩智城址への登り口脇にある地蔵です。名前の由来はわからないが、地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したものである。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩である。像の左右に次の銘文がようやく読みとれる。良盛長... 続きをみる
【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈願しここに記す。」 この【子守社】の道路を挟ん... 続きをみる
【都留美嶌神社】(つるみじまじんじゃ)は,近鉄(大阪線)恩智駅の南800メートルに鎮座する。 社地の背後に玉串川(旧大和川)が流れています。 創立の経緯や祭神も不明であるが,『延喜式』(神名帳)の「都留美嶋神社」(河内國若江郡二十二座の一)に比定される古社です。 いくつかの資料によると,当社はかつて... 続きをみる
【柏村稲荷神社】(かしむらいなりじんじゃ)大阪府八尾市 柏村稲荷神社由来:古来この辺りは旧大和川が流れていましたが、度重なる洪水により附近の人々は大へんな災害を蒙るため、当時川筋にあたる今米の庄屋中甚兵衛親子二代が50年間幕府に訴えつづけ、遂に許可を得て現在の大和川に付替えられたのが、宝永元年(17... 続きをみる
【城山大神】(しろやまだいじん)/【不動明王】【神變大菩薩】(じんべだいぼさつ)大阪府八尾市
大阪府八尾市「天照大神高座神社」の境内隅に「城山大神」への案内板があります。柵の扉をあけて石段の参道を上っていくと左側に「城山大神」があります。 さらに参道を上がっていくと左側に「史跡の道 八尾市」の標石があります。その少し上に【不動明王】と【神變大菩薩】(じんべだいぼさつ)が祀られています。刻まれ... 続きをみる
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市(2/2)
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市 【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)は八尾市の南東部・高安山の中腹、岩戸神社の東の脇に新坐しています。旧社格は村社で、神名帳に「河内国高安郡天照大神高座神社ニ座、並大月次新嘗、元号春日戸神」と記されてい... 続きをみる
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市(1/2)
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市 【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)は八尾市の南東部・高安山の中腹、岩戸神社の東の脇に新坐しています。旧社格は村社で、神名帳に「河内国高安郡天照大神高座神社ニ座、並大月次新嘗、元号春日戸神」と記されてい... 続きをみる
【豊川大明神】(とよかわだいみょうじん)大阪府八尾市東本町 近鉄八尾駅から南へ400m、東本町1丁目4に「式内社 長柄神社跡」があります。そこは公園になっていて子供たちがよく遊んでいます。その公園の横に赤い鳥居と囲いがある【豊川大明神】(とよかわだいみょうじん)があります。 由緒等は不明です。祭神は... 続きをみる
もとは廃西方寺の地蔵で、この地の東方、小宇京良塚を通る立石街道沿いにあったという。材質は花崗岩で、総高二、一四メートル、身丈一、六五メートルの厚肉彫の端正な立像である。左右に南無阿弥陀佛文明三年辛卯十 一月□日 八尾西方寺福舎院 住金剛佛子高範と陰刻されていて、市内有数の石仏である。高地蔵、タカ地蔵... 続きをみる
【稲荷大明神】(いなりだいみょうじん)「常光寺内」 大阪府八尾市
大阪府八尾市の【常光寺】(じょうこうじ)内に【稲荷大明神】(いなりだいみょうじん)があります。由緒等は不明です。 所在地:大阪府八尾市本町5-8-1 アクセス:近鉄大阪線 八尾駅から徒歩約10分
【勢伊死事碑・藤堂家臣七十一士墓】「常光寺」(じょうこうじ)大阪府八尾市
【勢伊死事碑・藤堂家臣七十一士墓】 大阪府八尾市の「常光寺」(じょうこうじ)内に【勢伊死事碑・藤堂家臣七十一士墓】があります。 元和元年(1615)5月6日、大坂夏の陣で八尾、萱振、久宝寺は西軍の長宗我部盛親と東軍の藤堂高虎の激戦地となり、藤堂家中の戦死者71名の墓所です。重臣であった桑名弥次兵衛・... 続きをみる
【常光寺】(じょうこうじ)八尾市本町 河内西国三十三箇所3番。おおさか十三仏霊場5番。臨済宗南禅寺派の寺院。南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。 通称は八尾地蔵尊。本尊は地蔵菩薩で、弘仁年間(810年 - 824年ごろ)、小野篁の作と伝えられている。 山門脇に大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地... 続きをみる
大阪府八尾市の、西に向かって出っ張り、大阪市平野区に囲まれてほぼ飛び地のようになっている地域は、旧渋川郡竹渕(竹淵)村にあたります。竹渕は正式な住所としては現在「たけふち」ですが、地元では古来「たこち」と称しています。【】 天照皇大神宮を祭り、昔は水田の中、周囲を濠で囲まれた神社でしたが、住宅地が接... 続きをみる
【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市 大阪府八尾市太子堂の25号線沿いに【太川神社】(おおかわじんじゃ)があります。 由緒について: 「太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番地)、太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より... 続きをみる
高安古墳群【開山塚古墳】(かいざんづかこふん)/ 大阪府八尾市
大阪八尾市の高安山中腹の群集墳高安古墳群の内、長大な横穴石室の【開山塚古墳】(かいざんづかこふん)です。 案内板には次のように書かれています。 「法蔵寺境内の山側の尾根には、【開山塚古墳】(かいざんづかこふん)(郡川1号墳)はじめとする6世紀後半頃を中心に造られた横穴式石室墳が残されています。江戸時... 続きをみる
【寶山神社】(ほうざんじんじゃ)鏡塚古墳(かがみづかこふん)大阪府八尾市
【寶山神社】(ほうざんじんじゃ)鏡塚古墳(かがみづかこふん)大阪府八尾市 標高一七メートル、俗に松山、又は腹痛山と呼ばれる。墳丘の上部には粘土郭が残り、また火葬跡が二ヵ所発見され、石櫃の蓋の破片も出土している。 古噴時代の中期末の環濠式前方後円墳で、数年前に採土され、その跡に小神祠をまつる。入口のと... 続きをみる
【心合寺山古墳】 (しおんじやまこふん)大阪府八尾市(2/2)
【心合寺山古墳】 (しおんじやまこふん)は、大阪府八尾市大竹にある古墳。墳丘部分は南北に全長約160メートルあり、八尾市はもちろん、中河内地域を代表する大規模な前方後円墳である。 全長約160メートルの規模を有する。後円部の直径が約92メートル・高さ約13メートル、前方部の幅が約90メートル・高さ約... 続きをみる
大窪・山畑7号墳(抜塚):浄土宗来迎寺の墓地内の南側、現在地から右手に見える横穴式石室墳(ゆこあなしきせきしつ)です。トンネルのように、通りぬけることができることから、抜塚ともよばれています。現在、残っている部分は、羨道(せんどう)といわれる石室の通路部分です。羨道の長さは8m、高さは2.2mありま... 続きをみる
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市 式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる。... 続きをみる
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市 式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる。... 続きをみる
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市(1/3)
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市 大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれ、地元では単に「太子... 続きをみる
【水呑地蔵院】(みずのみじぞういん)大阪府八尾市 八尾市の東北部、十三峠に至る十三街道を上がり、峠まで八分目ぐらいの場所に位置する。斜面から張り出して本堂が建ち、その北側には鐘楼、南側には弘法水の小堂がある。 本堂からは大阪平野の広範囲を見渡すことができる。 本堂内に「水呑地蔵」と呼ばれる石造地蔵菩... 続きをみる
【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立 (3/3)
【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立 八尾市東部・高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神である。高安大明神ともいう。旧社格は郷社。710年(和銅3年)、周防国の玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。天明玉... 続きをみる