【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区(4/4)
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区 【了徳院】(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。本尊は、准胝観音。 聖天堂内陣 歓喜天(象頭人身男の荒神と十一面観音菩薩の化身である女神の抱擁する双身像)。由緒について... 続きをみる
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区(4/4)
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区 【了徳院】(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。本尊は、准胝観音。 聖天堂内陣 歓喜天(象頭人身男の荒神と十一面観音菩薩の化身である女神の抱擁する双身像)。由緒について... 続きをみる
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区(3/4)
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区 【了徳院】(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。本尊は、准胝観音。 聖天堂内陣 歓喜天(象頭人身男の荒神と十一面観音菩薩の化身である女神の抱擁する双身像)。由緒について... 続きをみる
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区(2/4)
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区 【了徳院】(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。本尊は、准胝観音。 聖天堂内陣 歓喜天(象頭人身男の荒神と十一面観音菩薩の化身である女神の抱擁する双身像)。由緒について... 続きをみる
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区(1/4)
【了徳院】(りようとくいん)「福島聖天了徳院」大阪市福島区 【了徳院】(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。本尊は、准胝観音。 聖天堂内陣 歓喜天(象頭人身男の荒神と十一面観音菩薩の化身である女神の抱擁する双身像)。由緒について... 続きをみる
【福島天満宮】(ふくしまてんまんぐう) 俗に福島 上の天神といわれることもある。“菅公聖蹟二十五拝”の1社(第十二番目)。社伝によれば、901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜ばれ、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけら... 続きをみる
【黒髪大明神】(くろかみだいみょうじん)大阪市福島区 大阪市福島区福島7丁目の歩道の植え込みから【黒髪大明神】(くろかみだいみょうじん)は公衆電話のように立っています。 日本でも珍しい大明神です。発祥は奈良市奈良阪町の「黒髪山」と言われています。一本の柱のところに【黒髪大明神】とかかれています。ガラ... 続きをみる
【同慶地蔵尊】(どうけいじぞうそん) 大阪市福島区 「宝稲荷神社」より1本北の細い路地に鎮座しています。コンクリート台に立派な御堂で【同慶地蔵尊】(どうけいじぞうそん)と呼ばれています。同慶というのは旧地名で、野田の「ななとこまいり」(地蔵盆に七つの地蔵さんに参ると願いが叶うという風習)のの1つにな... 続きをみる
【豊光神社】(とよみつじんじゃ)大阪市福島区 大阪中央卸売市場を過ぎて安治川トンネルの手前で大阪ダイヤビルの敷地内に【豊光神社】(とよみつじんじゃ)が鎮座しています。由緒等は不明ですが、企業内稲荷神社だと思います。 住所:大阪府大阪市福島区野田6丁目5 アクセス:JR大阪環状線・阪神なんば線「西... 続きをみる
【宝稲荷大明神】( たからいなりだいみょうじん)大阪市福島区 大阪市福島区の細い路地に鎮座する【宝稲荷大明神】( たからいなりだいみょうじん)です。ここを見つけるには苦労します。細い路地の両側に鳥居があります。この細い路地に入っていくとお稲荷さんが祀られています。由緒等は不明ですが、地元では有名な神... 続きをみる
【妙見宮】( みょうけんぐう)大阪市福島区 建物と建物の間の細い道を行った場所に鎮座します。鳥居の正面に向かって左側は、海苔やふりかけで有名な「大森屋」です。この神社の由緒等、詳細は不明です。 場所:大阪市福島区野田4丁目3 アクセス:JR大阪環状線「野田駅」・地下鉄千日前線「玉川駅」から約800... 続きをみる
【春日神社】(かすがじんじゃ)大阪市福島区 昔は藤の宮とも呼ばれていました。藤原氏の祖神を祭っているといわれています。 江戸時代に刊行された『摂津名所図会』によれば、春日神社は「野田村林中にあり。当所、藤によりて藤原の祖神を祭るならんか」とあり、江戸時代の貞享3年に刊行された『藤伝記』にも藤原氏の分... 続きをみる
【白藤大神】(しらふじだいじん)大阪市福島区 大阪市福島区玉川2丁目に【白藤大神】(しらふじだいじん)が鎮座しています。赤い鳥居と祠があります。その手前に、ライオンズクラブによる「大阪市顕彰文化財指定 野田藤」と記された説明書きが立っています。「600年前の昔、2代将軍足利義詮はこの地に来遊し紫藤を... 続きをみる
【影藤大神】(かげふじだいじん)大阪市福島区 高速道路の下の一般道(新なにわ筋)南行きの歩道沿いに【影藤大神】(かげふじだいじん)が鎮座しています。赤い鳥居が立っており、その奥に祠がある神社です。非常に狭い境内です。「野田藤」に所縁のある神社です。また、近くに同じく「野田藤」で有名な【白藤大神】(し... 続きをみる
【延命地蔵・尊水堂菩薩・めおと地蔵尊】大阪市福島区 瓦造りの2つの御堂が合体したような御堂です。左側の御堂は、「延命地蔵尊」で4体の丸彫り造りの地蔵さんがいます。右側の御堂は、「尊水堂菩薩」です。また、同じ御堂内に「めおと地蔵尊」で30センチ程の道祖神の石仏があります。 場所:大阪府大阪市福島区玉川... 続きをみる
【天神社】(てんじんしゃ)大阪市福島区 俗に「福島 下の天神」とも呼ばれます。主祭神は、少彦名命(すくなひこのみこと)、 菅原道真(すがはら みちざね)。 社伝によれば、901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当社に参拝し海路の平穏を祈ったと伝えられています。また、菅原道真... 続きをみる
「極楽寺」の前に【野田城跡】の標石があります。戦国時代にこの周辺に野田城という城郭が築かれ、「恵美須神社」も城郭の一部に取り込まれたのではないかと考えられています。安土桃山時代になると織田信長と三好三人衆と間で野田城・福島城の戦いが繰り広げられ戦乱の地となりました。そのような中、当社も野田城の守護神... 続きをみる
【野田恵美須神社】(のだえびすじんじゃ)大阪市福島区 いつ創建されたかは記録が残っていないため不明ですが、神社に保存されている「御影石」の建石には「ゑみすのみえ」と刻まれ、その側面には「永久三乙未年三月」と刻まれているため1115年と推定されます。平安時代前は現在の野田の地形とは大きく異なり、この地... 続きをみる
【白藤大神】(しらふじだいじん)大阪市福島区 福島区玉川2丁目の「春日神社」(かすがじんじゃ)の直ぐ近くに赤い鳥居と祠があります。その手前に、ライオンズクラブによる「大阪市顕彰文化財指定 野田藤」と記された説明書きが立っています。「600年前の昔、2代将軍足利義詮はこの地に来遊し紫藤を眺めあまりの見... 続きをみる
【春日神社】(かすがじんじゃ)大阪市福島区 昔は藤の宮とも呼ばれていました。藤原氏の祖神を祭っているといわれています。 江戸時代に刊行された『摂津名所図会』によれば、春日神社は「野田村林中にあり。当所、藤によりて藤原の祖神を祭るならんか」とあり、江戸時代の貞享3年に刊行された『藤伝記』にも藤原氏の分... 続きをみる
【福島天満宮】(ふくしまてんまんぐう) 俗に福島 上の天神といわれることもある。“菅公聖蹟二十五拝”の1社(第十二番目)。社伝によれば、901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜ばれ、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけら... 続きをみる
【互譲稲荷大明神】(ごじょういなりだいみょうじん)大阪市福島区
【互譲稲荷大明神】(ごじょういなりだいみょうじん)大阪市福島区 民家のところに朱色の鳥居が見えました。最初、地蔵堂かと思いました。小さな祠のある神社です。石碑には昭和11年6月17日改築と記されていて、発起人と世話人の名前が連なっています。詳細は不明です。 住所:大阪府大阪市福島区海老江8丁目7−2... 続きをみる