• 築地市場

    おはようございます! 今日はほんとにいいお天気です。 でも、寒い・・・"(-""-)" 今日のデジカメ見て歩記さんの写真は 懐かしい築地市場でした。 うーんと以前 まだ、バリバリの主婦だったころ 近くの主婦仲間と、暮れになると築地に買い出しに行ってました。 恒例のイベントだったのです。 山ガールの私は大きなリュックを背負って 私たちが行くのは場外ではなく場内です。 とにかく 暮れでもあり威勢のいい

  • 昭和の子

    月曜日の夜はBS日本フォレスタの「こころの歌」を見ます。 今日の歌は昭和30年代から40年代の歌謡曲。 私の時代ですね^^ どの唄も鼻歌で歌えちゃいます。 考えてみると 小学生が 惚れて~~~惚れて~~♪ とか 誰よりも誰よりも君を愛す♪ とか 学校帰りに大きな声で歌っているのですから 良い時代でした。 両親も決して怒りませんでしたが ただ一つ、絶対ダメなのがありました。 三波春夫の「チャンチキお

  • 「かりそめのスウィング」

    甲斐バンド かりそめのスウィング HERE WE COME THE 4 SOUNDS'86 この歌が流行ったころ 幼い子供たちの子育てに追われていた 夫は毎日帰りが遅かったし 同居していた夫の両親はほとんど手を貸してくれなかったし そんな時 ラジオから流れてくる甲斐バンド 聞きながら 時々、ふっと青春なんて私には無かったなんて 勝手に泣いていた まだ25歳 2児の母 疲れていた それでも 今思う

  • 落書き

    じーちゃん先生のブログを読んで 昔々を思い出しました。 まだ小学3年生くらいだったと思います。 先生が 「テストを書き終えた人は、裏に絵を描いても良いぞー!」 っておっしゃいました。 えーっ!いいのぉ~~( ^ω^ ) 楽しかったですね。テストが・・ ある日 そのテスト用紙 母に見つかりまして 怒られたのなんのって‥怖かった。 「こんなひどい点とって、裏に絵を描くなんて  なに考えてんの!!」 コ

  • 22歳の別れ

    二十二才の別れ あなたに さよならって言えるのは 今日だけ~~♪ 22歳になるちょっと前 私はひとつの恋を失いました その頃は生まれた家の傍で やはり混声合唱団で歌っていました みんな若くて みんな悩んでいて みんな歌が大好きでした その人は とても素晴らしいバリトンでした 伸びやかな声は私の胸に心地よく響きました 「郵便馬車の御者だった頃」 あぁ・・この歌はとても素晴らしかった ほんとうに二人は

  • 迷いネコ

    街を歩いていたら、「迷い猫」の張り紙を見つけた。 アメリカンショートヘアの子どもらしい。  飼い主が見つからなきゃ私が貰いたいわ~ なんて思ったけど、 しかし、ひとりくらしのマンション住まい  ペットはやはり無理かな~~。 などと考えていたら、 その昔、私も張り紙をして回ったことを思い出した。 もう35年くらい前になるのだろうか。 まだ横浜の家で、家族全員が元気だった頃、  それは五月の連休の最後

  • コスモスの歌

    むかしむかし 姉が小学生の頃の教科書に こんな歌が載っていました。 ♬ ひとむらの コスモスを そっと揺すり  風は歌うよ 秋の歌 コスモスの 花びらが はらりはらり  風に散るよ 音もなく            ♫ 姉がよく歌っていたので、私もいつの間にか覚えていました。 歌詞はうろ覚えでしたが、先日やっとネットで見つけたんですよ^^ 曲も探したのですが見つかりませんでした。 単純ですがとても綺

  • ちいさなことば

    ほんとに ちいさなこどものことば すくなさが うれしい きょう まごがかえるとき ばいばい ちぃばあちゃん またあそぼうね そう いってくれた めのあたり すこしじわっとした                     おとうとがうまれたよ・・ それから13年 この娘も大きくなりました 思春期の入り口で辛いこともありましたけど 何とか元気に育っています

  • 昔話

    一日、話し相手もなく過ごしていると ほんとに話題も無くて、何を書こうかなぁって悩んでしまう。 そうしたら、つまらないことを思い出した。 高校生の頃 素敵な先輩がいて その人は放送部で、私はコーラス部 縁も何もないのだけれど、その日は何故か部活で遅くなってしまって、 そうしたら、一緒に帰ってくれて 電車も、降りる駅も一緒だったから すごく嬉しかった。 何を話したかは覚えてないけど うちまで送ってくれ

  • 3番目の足

    ふっと思い出したことがあります。 その昔、高校生の頃 やはり、男子にとって女子の足は好きというか、興味津々というか なにかと、順位をつけたがるのもこの頃のことで、 当時、ほんのちょっとだけ付き合っていた男の子がいまして 「君の足はきれいだよ、 校内で3番目だ」 うーん いや、自分の足が綺麗だと思ったことは無かったので ま、ちょっと嬉しい気もしないではなかったのですが 1番、2番を聞けば納得の足で

  • 【美少女】

    「親友が欲しいの」 瞳の輝く 花の唇を持った少女でした 彼女の中には、お友達候補が2人いて 自分では決めかねて、先生に相談したのだそうです 先生が どう言ったのかは知りませんが とにかく、彼女は私を選んだようでした  多分、そのとき 「いいよ」 って   返事をしたような気がします その日から、私は彼女を少しずつ避けるようになりました  遠い日のこと  10代半ばの頃の思い出です  小さなガラスの

  • 隣人

    おはようございます。 酔いどれJohnny。さんのブログに鶴田浩二のことがありました。 つい懐かしくなってちょっと書かせてもらいます。 私が幼い頃 それまでは、県営住宅に住んでいたのですが、小学校に上がるときに 祖母の家に引っ越しました。 その当時、隣に住んでいたのが若き鶴田浩二でした。 若いですね 某撮影所の傍に住んでおりましたので、鶴田浩二のほかにも 青春スターの桑野みゆき・・知ってる人いるか

  • 変です

    昨日Windows更新プログラムを入れたのですが、 なんと今まで使っていたedge開かないのです。 仕方がないので、エクスプローラーを使ってみましたが、 調子が今いち 仕方がないので、システムの復元で昨日のアップデート前に戻したんだけれど、 やっぱりEdge開かない (*_*; そこで、Google Chromeにしました。 今までお気に入りに入れておいたサイトのアドレスは全部パーです。 Wind

  • 手を振る少女

    今朝あさイチを見ていましたら、 を紹介していました。 そうですね。SLはちょっと乗ってみたいですね。 で、思い出したのが はるか昔、小学生の頃の教科書に載っていた 「手を振る少女」というお話です。 アメリカで、機関車が通るたびに手をふる少女がいた。機関士たちは、それを楽しみにしていたが、ある日少女がいなくなった。調べたところ、重い病気になっていた。機関士たちは協力して、少女が大学病院にいけるよう援

  • 家族旅行

    最後の家族旅行は 娘が中一 息子が小六 八丈島への船旅だった 忙しくて 忙しくて 家族で旅行など滅多に無かったけど そのときは 私が全部手配して 二等船室 雑魚寝の船底 トイレにでも立とうものなら もう寝る場所が無い 潮風がこんなにベタベタするものだと 初めて知った 八丈島の宿は民宿で 部屋は開けっ放し そのまま 海に出てもよいと言われて ビックリ仰天 あぁ こんな場所もあったんだ せちがらいこの

  • もうすぐ父の命日です あの日は雨上がりの暑い日でした それから 45年のときが流れました 父はおじいちゃんになるまえに 亡くなりました。 笑顔の優しい人でした 歌の大好きな人でした 覚えています 赤い表紙の童謡の本を買ってきて 私たちに教えてくれたことを 大きな体で踊りを踊ってくれた事を 本が好きで 歴史の話や世界の話を沢山してくれたことを けれども 父は 酒飲みでした 大酒のみでした 酔って暴れ

  • 二十歳の頃

    その頃は、某県の出先事務所の職員でした 古色蒼然とした洋館で、入り口に「〇〇郡役所」なんていう看板が残っていました。 そこで飲食店関係の税金の仕事をしていたのです。 思い出しても、考えても、若くない仕事でした。 そして、仕事場の人たちもみんな若くなくて、 それはそれで とても可愛がってくれたから、居心地は悪くなかったけれど、 もっと生き生きとした職場に行きたいとずっと思っていました。 配属先は自分

  • 命日

    前日来の雨が ようやく上がったその日の朝早く 貴方と息子と私と三人で家に帰りましたね。 それから、もう19年経ってしまいました。 長かったのか、短かったのか。 昨日の事のようでもあり、はるか霧の彼方の事のようでもあり。 ともあれ 19年間、たいした病気もせずここまでやってきました。 見守っていてくれるから? そうなのかな? わからない。。。 19年間、何もなかったわけでもない。 親しい人たちが随分

  • 【思い出】

                            たぶん それはまだ小学生の頃 夏休みも終わりに近いある日 小さな妹を抱いた母が 突然 散歩に行こうと言い出した 何故そんなことを言い出したのか、わからない けれど 大勢の兄弟の中で 一番母と接触の少なかった私は 嬉しくて 一緒について歩いた 何の話をしたか 何も覚えていない ただテクテクと 歩いた 段々空が暗くなって 田んぼの中の小高い山が 黒くぼん

  • 兄がいて

    私は6人兄弟の4番目に生れました。 終戦後で幼い兄達や姉、そして私。 満州からの引き揚げで何も無い、そんな時期に生れて結構苦労したのです。 私・・何も覚えてませんが(笑) 両親は大変だったでしょうね。 さて、私のすぐ上の兄は2歳違い。早生まれですから学年では3年違います。 兄には、いつでも友達がたくさんいて、高校生の頃など何人も我が家に入り浸っていました。 頭の方はまぁよかったんだと思います。 親

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