• 過去を振り返ったら

    ぱっと楽しかったことをふりかえったら どんなイメージがうかぶだろう。一緒にハイキングして丘を登って、降りて、サンドイッチを食べたこと。雨にあったキャンプイング。夏、緑豊かな公園を毎日のようにした散歩。名も知らぬ公園で初めてみた鳥さんたちのこと。はちやちょうちょうがくるようにと頑張ったガーデニング。 気づいてみると、全部自然に関係している。買ったものや、学校や, とった資格や仕事は入っていないことに

  • 家事奴隷

    お母さんのことはなるべく家庭から逃がしてあげないといけない ただでさえ主婦は家庭に縛り付けられている存在なんだから 今ならわかる。主婦とは家事奴隷のこと。 朝からずっと家を整えてきてやっとこの時間になって一通りの家事が済んだ さぁいよいよ家の外に出られる。カーブス行けるぞと思っている矢先にタカシが帰ってきて私にこう言った 「ママ今からだと夕飯 遅くなるから Aと待ち合わせしない日はカーブスもっと早

  • 曇天日和

    曇天日和 コレは とあるお花屋さんの日常の あるコトないコトをつづったものである 7月6日 雨が降っているそんなところで0は1人で鉢を片付けていた お店が、罰金は半分もつよって言ったら 0、自分が悪いんすから全部払いますよ って言ったんだね。そしたらお店からは あ そお?じゃ、そういうことで!ってなっちゃったんだ・・・ いやいや0のその気持ちだけで充分だよぉ。お店の電話 業務で取ってくれてたんだか

  • 「犬だって散歩する」丸谷才一 講談社文庫

    日本の現代作家丸谷才一の軽快なエッセーです。これはわたしの好みも入りますが、この人の文章は小説よりも、こうしたエッセーのように軽妙なものの方が、生き生きとした精彩が感じられるように思えてなりません。たいへん博学な人で、博識を元にした知的遊戯の達人と言っていいかもしれません。それでいて、ペダンチックな臭みは少しも感じさせない人で、知識がこの人の中で充分に熟れているからでしょう。この書は、その丸谷才一

  • エッセイ きれぎれ草 3

    歎異抄 たましいの奥底に墨で大書されたような文言。 これはどんな人間のたましいにも応ずる。 善人だろうが悪人だろうが。 「たとへ、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも」 「すかされ」という俗語が、肉体的に痛切と言っていいくらいの血の匂いがする。 なんという奥深さだろうか。 親鸞の手振りや口調まで伝わってくるようだ。 親鸞にはもう一つ美しい言葉がある。 「弥陀の本願はひとへに親鸞

  • エッセイ きれぎれ草 2

    自我形成 自我を形成するとは、周囲から自分が切り取られることである。自我は切り取られた傷口に沿って自分を形成していくものである 寒天からナイフで小さな立方体を切り取る。 要点は、その立方体の小片にではなく、切り取られたという、そのことにある。 そうして、再び周囲と新しい関係を築くこと。自我形成とは、その営々たる繰り返し作業に他ならない。      〇 虚子俳話録 「私は人には、鬼のようにも仏のよう

  • エッセイ きれぎれ草 1

    問題 世の中の問題というものは、それがそのまま解決されることは、稀な事態である。通常はそれを問題とする必要がもうなくなったから、自然とその問題が解消されるという形をとるものである。われわれが、日頃頭の中で思い煩っている問題にしても同じことが言える。 ○ 内村鑑三 明治期以来、もっとも霊性的な人間といっていいのではないか。彼の書いた文章には、直に聖霊の存在を感じさせるものがある。 ○ ニーチェ 神は

  • エッセイ 理念と原理

    ※ほぼ、3カ月ほど中断しておりました。これからは、ぼちぼちUPしていきたいと思っています。<(_ _)> 理念というものは原理的に扱われると、自分や他人を傷つけずには置かない両刃の剣となる。この理念というものは、キリスト教を代表とする、唯一神を奉ずる西洋諸国の宗教からもたらされた観念であるという認識は、まず、必要だろうと思う。 ところで、原理とは、数学的、物理学的な公式であり、とりのけを許さないと

  • 一人きりで見上げた空は

    空は薄い白い雲で覆われていて月はぼんやり輝いていた 休むことを知らない川を流れる水 人の事なんて全く気にしないで佇む山 このあいだは見かけなかった黄色い花 深い夜に向けて響くカエルの声 一つ一つが 重なって 綺麗だった 英雄であろうと 罪人であろうと 権威を持っていようと 酷く愚かであろうと 等しく 美しい瞬間を感じることができるのだろう そこに格差はなく ただ 重なった時間と 重なった色と 音が

  • 褒めてほしいわけではないけど

    精神病を抱えて仕事するのは大変。 普通に人よりは劣ってるよ、どうしても・・・ 職場の人は事情を知らないからビシビシ言ってくる。 耐えられるかどうか心配だ・・・ それでも鈍感な人間ということで誤魔化してる。 精神病だとばれないように・・・

  • 職場の人

    最初、やさしい人ばかりと思っていたのだけれど、やっぱり一癖も二癖もある人ばかり。 まぁ自分から「ここの人はいい人ばかり」と言っちゃうあたり怪しかったのだけども・・・

  • 社会に出ていいのか?

    私が勝手に鬱だと言ってるだけでお医者様からそうだと言われていないのね。 去年の入院も非定型精神病の再発でだしね。 そうよ。 こんな私が働いていていいのかしらね。 いつどこで再発するかわからないのよ。 でも少しでも収入は欲しいし・・・ 危険だけども働いてる・・・ 本当はどこかで援助してもらいたいところだけど、障害年金とか・・・ 非定型精神病では難しい・・・ 自分で何とかしないとね。

  • 今日はお休みの日

    なのでくだらない事だけど、つらつら書きますか? そーですね~。 去年の今頃は脚本が書きたくて仕方ありませんでした。 一年でこの変わりよう。 入院もしたし、お薬に頼るようになってしまって・・・ 脚本の創作意欲なんて微塵もない。 本当に何があったんだろう私の中に・・・

  • 基本がなってない

    笑顔で挨拶が出来ないのですな。 鬱々してるのに仕事始めちゃったものだから、世間の常識がどこかに飛んで行ってしまった状態で始めちゃったものだから・・・ 周囲の人に迷惑かけてるの私。 明るい挨拶が出来ない。

  • 福神漬けが良く売れる曜日

    それは金曜日。 カレーを食べるお家が多いのね。 でも今日はお給料日の人も多いはず。 カレーとは限らないかもね。

  • エッセイ ドストエフスキーと動物

    「死の家の記録」には、多くのさまざまな動物が登場するが、皆、動物の形をした人間である。「カラマーゾフの兄弟」にもペレスヴォンという忘れがたい犬が登場するが、これも犬の形をした虐待された人間である。 ドストエフスキーの目は、本当に人間というもの見て見抜く目で、よくあれほどまでに強烈な興味を人間というものに抱き続けたものだと感嘆してしまう。罪と罰のマルメラードフというろくでなしの酔漢といい、白痴のレー

  • 閑話休題 昔言葉 <人生の墓場>

    一時代前、結婚は人生の墓場という言葉があったが、最近の新入社員の黒づくめのスーツを見ていると、就職は人生の墓場であるかと思ってしまう。 さて、結婚難で、少子高齢化の時代となり、これは、どうした加減の現象かと問いたくなるところである。明治初期の頃、福沢諭吉は、結婚率の割合と米の相場が連動していることが分かったと経済学の成果を言っていたが、こうした現象は、そうした社会学の底辺から考えてみるのがよいかも

  • エッセイ ベートーヴェン「ディアベリ変奏曲」

    この曲は、昔から気になっていたピアノ曲で、op.111のピアノソナタに心の底から感激し、もうこれ以上のピアノ曲はあるまいと思っていたときに、op.120のこの大曲があると知って驚き、聞きたくてどうしようもなかった。学生時代のことである。 最初にグルダを聞いたが、どうも納得できない。次にブレンデルの演奏会での録音を聞いて、これはいいと合点した。ブレンデルには他にスタジオ録音版もあるが、演奏会の方が出

  • エッセイ 自分を信じるということ <アラン「幸福論」>

    アランの「幸福論」の中に、こんな言葉がある。 「自分を信じるやり方に二つある。一つは学校式のやり方で、そのままの自分を信じるということ。もう一つは職場式のやり方で、自分を全く信じないというやり方である。」 どちらも軸となっているのは、自分であることに注目したい。 「ありのままの自分」とか「自分らしく」というような、今、はやりの言葉がある。これは、そのまま自分に酔って、自分と戯れることだけに終わって

  • エッセイ 「罪と罰」再考

    ある「罪と罰」の本の帯に、「ラスコーリニコフは、偶然、犯した第2の殺人によって自白する。」と書かれていた。だが、これは、大きな誤りであって、ドストエフスキーという詩人の思想を誤解するものである。「罪と罰」が感傷家によって、読まれた一例でもあるだろう。 こう質問してみよう。もし、偶然、リザヴェーダが居合わせなかったとしたら、彼は自白しなかったのであろうか。偶然とは、よくない言葉である。 ラスコーリニ

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