今を生きるためにのムラゴンブログ

  • 好きなことで生きていくということ。

    私に「気づく」ということを教えて下さった陶芸家の先生の話で、もうひとつ思い出したことがあります。 陶芸家の先生の話は下記リンク先で。 傍から見てる分には勝手なことが言えるわけですけど、芸術家という人たちは、我々一般人から見れば「好きな事でご飯食べている人たち」とも見えてしまうものです。 ところがどっこい。 10個作って1個モノになるかどうか、という世界と知って衝撃的でした。  更に若い頃は技術も拙

  • 自分の人生を見つめながら生きるということ

    新型コロナウイルスの影響で、私の本業も若干のダメージ(モノがない)を食らっております。 マスクとか衛生用品、季節アイテムが軒並み在庫切れの状態ではありますが、定番のアイテムはご提供できる商品も多数ございます。 年度末・年度初の記念品のご用命をお待ちしております。 さて、昨日、ある陶芸家の方のお話を聞く機会がありました。 キーワードは「気づく」ということ。 普段の生活で何気なく通り過ぎてしまうことで

  • 親子で考えた方が良い

    以前、こんな記事を書いていました。 親と子、自分の立場だけで考えると「終活」は、中々難しい点があります。 そして、この記事では順番通りに寿命が尽きることを、暗に前提としていますが、逆の場合もあるのですね。 とても悲しいことですが、子供が先に逝ってしまうことも全くないとはいえないのです。 先月のことですが、地元新聞にこんな記事を見つけました。ニュースソースは民間の調査でしたが、6割近くの人が親と終活

  • 不安の根っこはどこ?

    若い方にはイマイチピンと来ない話になりますが、和代さんの半生を聞いて感じたことのひとつが「自分が高齢となったときの不安」でした。 自分とお祖母さんの関係にあてはめて、「祖母には私がいるから良い」と言う和代さん。 それはつまり「私には誰もいない」ということ。 お母さんの突然の事故死から一連の家族のゴタゴタを片づけていくうち、彼女は「自分のことは後回しにするしかなかった」と言います。 そして、救いを求

  • 思い込みを書き換える

    和代さんの物語を聞いて、最初に思った事はこれでした。 「ひとつひとつのモノゴトの境界線が曖昧すぎる」 家族のこととなると、対外的な人間関係のように割り切るというのは中々難しいもの。 例えば、対お祖母さんのことだけでも、お母さんが亡くなって以降特に関係が緊密化されていて、「ソレ」「コレ」と、問題を切り離して考えることが難しくなっているようです。  とはいえ、今現在の和代さんを悩ませている、お祖母さん