先の記事で、リア王については、かなり短く済ませてしまったので、少し付け加えておきたい。 リアは、自らの愚かな振る舞いによって、王としての地位を追われ、権威も権力も財力も、そうした外形の諸力は、悉く剥ぎ取られ、狂気と正気の境さえさまよい、野にあって、ただの老人に過ぎなくなる。だが、劇の最後で、その裸形... 続きをみる
先の記事で、リア王については、かなり短く済ませてしまったので、少し付け加えておきたい。 リアは、自らの愚かな振る舞いによって、王としての地位を追われ、権威も権力も財力も、そうした外形の諸力は、悉く剥ぎ取られ、狂気と正気の境さえさまよい、野にあって、ただの老人に過ぎなくなる。だが、劇の最後で、その裸形... 続きをみる
人間は、四十や五十になれば、何でも良いが、およそ何かについての大家になっているものである。肯定的な意味のそれでも、否定的な意味ででも。 自分自身について思うのだが、わたしはそれについては、まるで何かの大家にはなっていない人間だと思っている。 日本という国は、自分は何者でもないという認識が可能な不思議... 続きをみる