• 敬虔な人々には聞こえない罪人たちの心の叫びの歌

    エイミー・ワインハウスは、 酒と薬物でフラフラになりながら ラストパフォーマンスで 「Back to Black」 を歌い、その一月後にこの世を去った…。   Amy Winehouse - Back to black live in Belgrade (HQ Sound - Last show) 敬虔な人達は、そんな歌を悪魔の歌と呼ぶだろう。 敬虔な人達は、この世の堕落を嘆くだろう。 しかし、誰

  • 「人のことをいちいち批判していたら、人を愛することを忘れてしまう。」

    「人のことをいちいち批判していたら、 人を愛することを忘れてしまう。」 (マザー・テレサ) 以前、やはりこの言葉を引用してブログの記事を 書いた時のことだ。その時は、 それがマザー・テレサの言葉と書き忘れていた。 すると、ある方が 「その引用された言葉は誰の言葉かは知らないけど」 と言って、その言葉も批判される方がおられた。 その方がどんな方かを知ろうと、 その方のブログを見てびっくりした。 その

  • まずは、今日一日を精一杯生きよう

    「昨日は去りました。  明日はまだ来ていません。 わたしたちにはただ、今日があるのみ。 さあ、始めましょう。」(マザーテレサ) 今日を精一杯生きてみようや。

  • 「牧師ファースト」「教会ファースト」から「信徒ファースト」にしませんか。

    今日も楽しい礼拝会でした。  皆、月曜日から土曜日まで、 頑張って生きているのだ。 皆それぞれに戦っているのだ。 日曜日はゆっくりと心を休めて欲しいと思う。   日本のスポーツ界では最近盛んに 「選手ファースト」 が言われています。 キリスト教会も 「牧師先生ファースト」「教会ファースト」 から 「信徒ファースト」 にしませんかぁぁぁ~~~。 もちろんイエス・キリストがトップですが。

  • 初めて教会に行った人から「牧師さんのお説教は、何を言っているか分かりませんでした」と言われる牧師さんは…ダメだぞっ

    写真:「いいですか、人の物を盗んではいけませんよ。 欲しい時は、ちゃんと言ってくれたら、 少し分けてあげるから…」と、 教会の庭のブルーベリーを盗み食いしている人に、 言って聞かせてる時(笑) 延岡東海教会の特徴の一つは、 教会内でもキリスト教会の専門用語を 使わないということだ。 ごく普通の言葉でイエス・キリストついて語り合い、 日常生活の悩みを打ち明けあっている。 牧師の私も、専門用語一切なし

  • んっ、誰か何かした?

    て、てか何っ!   昨日(9日)の私のブログのアクセス数が 半端ないんやけどっ? 誰か、どっかでコソッと私への批判の記事とかを アップしたとかか?(笑)  いや、田崎を絶賛する記事書いた? それとも、昨日のブログの記事のタイトルが 「どうしようもないクリスチャンをも お救いになるイエス・キリスト」 だったからそんだけどうしようもない クリスチャンが多いってことか?(笑) ブログランキング「キリスト

  • どうしようもないようなクリスチャンをも、お救いくだるイエス・キリスト

    あのガンジーは、 イエス・キリストの教えに共感したけど、 クリスチャンの実際の姿を見て ガッカリしたのだそうです。とてもよく分かります。 いるなぁ、そんなクリスチャンたち。 えっ、俺もか?(笑) ともかく、でもそんな人様をがっかりさせるような、 どうしようもない者をもお救いくださるのが イエス・キリストなのだというのが、 聖書の教えなのです。 有難くて、イエス・キリストを拝まずにはいられません。

  • 非生産的な仕事やってます

    牧師の仕事は、実に「非生産的」な仕事だ。 どんなに働いても利益は出ん(涙) 何か売ろうと思っても、売り物がない。 (新興宗教は、利益が上がるみたいで…いいなぁ) しょうがない、 神様がしなさいとおっしゃるんだから(笑) 神様からそう言われなかったら、 牧師なんかするもんじゃねぇ… いや、したらダメだ。 この夏場、暑いからではないが、 毎日5時間、6時間と、 会堂に引きこもって座っている。 座って何

  • だから、祈りが生まれて来る

    愛に満たされた人を知らない。  信仰に満たされた人と出会ったことがない。  皆、それぞれ、自らの愛の足らなさを嘆いている。  皆、自らの内にある不信仰を知っている。 けれど、だからこそ、そこに祈りが生まれる。

  • 塩のようになりたい♪

    塩というものは、 それ自身はただしょっぱいだけで、 食べられたものではない。 しかし、塩が他の食べ物と交わると、 その食べ物をいっそう美味しくする。 夏場、スイカに塩をふりかけて食べると、 スイカの甘みが一段と増すではないか。 魚にも塩だ…。 私はキリスト者として、 へりくだって、塩のように、 他の人を引き立て、 他の人に仕える者となりたいのだ。   風鈴も私たちを涼しくするために、 一生懸命鳴っ

  • リア充に見える人だって、みんな苦しみながら生きている

    聖書には、 「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 全てのことに感謝しなさい」 と書いてあります。 もちろんそれは、 「人生はハッピーだぜ~」 と言っているわけではありません。   人生は悲しいものです。 生きているだけでも大変なものです。 リア充に見える人でも、 実はみんなアップアップしながら生きています。 だからこそ、喜ぶことを忘れてはいけない。 祈ることを忘れてはいけない、 感謝するの

  • 昨日は訪問牧師でした。

    昨日の日曜日は、訪問牧師として、 他県のキリスト教会で説教してきました。 こうして時折、 他の教会に出席させていただけるのは、 とても感謝なことです。 それぞれの教会の素晴らしさをいつも感じます。 キリスト教会にも、 いろいろなタイプのものがありますが、 それぞれのタイプが素敵です。 クリスチャンの中には、他の教会のことを 否定的に言ったり、 書いたりしたりする方もおられますが、 そういう方って、

  • 豊田真由子のために祈る

    豊田真由子を覚えておられますか。人も噂も75日。 一年前に、日本中から総バッシングされた 元国会議員の女性だ。 ただ、私は今も忘れず、 時折彼女のためにも祈っている。 なぜかって?  イエス・キリストは 彼女のような人を招くためにこそ、 そして彼女のような人を救うためにこそ来られたと、 聖書に書いてあるからだ。   彼女は、 「違うだろうっ、このハゲっ!!」 と醜く大声を張り上げた。 その録音され

  • 40年目にして…

    イエス・キリストを信じて約40年。 やっと、 イエス・キリストの足元に静かに座り、 その御声に聞き入ることが出来るように なった。あのベタニアのマリアのように! 歩みの遅い者だ。 でもその40年間に感謝だ。 今、イエス・キリストの御声が 雨のように私に降り注がれて来ている。 私が静まる時、 イエス・キリストが語り始められる。 私が自己アピールをやめる時、 イエス・キリストが働き始められる。

  • あなたのことを全て分かった上で愛してくださるイエス・キリスト

    イエス・キリストは 私の全てを知っておられる イエス・キリストは 私の罪を知っておられる それでもイエス ・キリストは 私を愛してくださる イエス・キリストは あなたの全てを知っておられる イエス・キリストは あなたの罪を知っておられる それでもイエス・キリストは あなたを愛してくださる 「私たちがまだ罪人であったとき、 キリストが私たちのために 死んでくださったことにより、 神は私たちに対するご

  • 「しかし」という言葉が、肯定的な言葉に変わる時

    「しかしイエスは、娘の手を取って、 叫んで言われた。『子どもよ。起きなさい。』」 (聖書 ルカの福音書8:54) 「しかし」という言葉は否定語だ。 肯定的なことが語られた後、 「しかし」でそれが否定されてしまうのが、 世の常だ。 しかし、 イエス・キリストにある「しかし」は違う。  否定時な状況を、肯定的に変えてくださる。 もうダメだ… しかしイエス・キリストが道を開き案内してくださる。   人か

  • 自分たちの教会、自分たちのグループ、自分たちの教団が一番正しいと思っている人たちが、まだまだいる不思議。

    宗教というものは、 程度の差はあれ、どこもそうだと思うけど、 同じものでも、いろいろなグループや教派が あるものです。 聖書を指針とするキリスト教も、 やはり数多くのグループや教団があるものです。 そして、それを神様はお許しになっておられると、 私は思っています。 人もいろいろです、 いろいろな特徴のある教会があって良いし、 またある方が良いのです。 そして、それらが互いに認め合い、 互いの足らな

  • 信仰によって、人間らしさを失うというのは本末転倒

    【信仰による本末転倒】   道で行き倒れている人を見つけて、 「聖書にはこういう場合、 どうすべきと書いてあるか?」 「聖書はこう言っている!」 「いや、別の箇所にはこう書いてある!」 とか論争を始めるクリスチャンたちが いるかもしれない。 (いや、実際いるんだよな…実に困ったものだ) 一方、そこを通りかかった クリスチャンではない方は、 その人のことをただ可哀想に思って すぐに介抱して、救急車を

  • 頑張ってみて、それでも愛せなくても、許せなくても…大丈夫だよ

    牧師としてずっと、 「愛さなくてはいけません」 「許さなくてはいけません」 と語り続けていた。 しかし、もうこの頃は、 「愛せなくても、大丈夫ですよ…」  「許せなくても、大丈夫だよ…」 と声を掛けてあげるようになった。 それを信仰の堕落と言う人もいるかもしれない。 そう言われても構いはしない。 しかし、一生懸命努力してみて、 それでも愛せなくても、許せなくても、 イエス・キリストは、 その人と共

  • 神様は人のうわべではなく心を見られる。「ヤベー、俺、顔も悪いけど、心はもっと悪い…」

    写真写りが良いとか悪いとかありますよね。 また写す角度などによって、 現実以上に良く写ったりもするもの。 写真で見ていた人を実際に見て 「エッ!」とかもあるかも(笑) さて、聖書には、 「人はうわべを見るが、神様は心を見られる」 とあります。 それを聞いて「ああ、良かった」と思いますか? 私は若き日、その言葉を聞いた時、 「やべぇ、俺、顔も悪いけど、心はもっと悪い」 と思いました。 そんな男を神様

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