• 【氷室神社】(ひむろじんじゃ)奈良市春日野町

    【氷室神社】((ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社。式内小社(論社)、旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が

  • 【率川神社】(いさがわじんじゃ)奈良市本子守町

    【率川神社】(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により奉斎したとされ、奈良市最古の神社という[2]。仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、

  • 【隼神社】(はやぶさじんじゃ)奈良県奈良市角振新屋町

    【隼神社】(はやぶさじんじゃ)は、奈良県奈良市角振新屋町にある神社。角振明神・角振隼明神等とも呼ばれ、椿本神社と呼ばれたこともあります。鎮座する角振新屋町の町名の由来ともなりました。京都市中京区にある隼神社の元社とも伝わります。また、舒明天皇の代に春日ノ邑率川坂上に祀ったと伝わります。天暦5年(951)に神階は従三位に昇っています。当初の祠は治承4年(1180)の兵火で消失し、以来神木を以て神霊と

  • 【漢國神社】(かんごうじんじゃ)奈良市漢国町

    【漢國神社】(かんごうじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社である。式内小社(論社)、旧社格は県社。 園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る。延喜式神名帳で宮中宮内省に祀られ名神大社に列すると記される園神社・韓神社は当社からの勧請であると社伝では伝える。推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まる

  • 【大国主命神社】(おおくにぬのみことしじんじゃ)奈良市東城戸町

    【大国主命神社】(おおくにぬのみことしじんじゃ)奈良市東城戸町 ならまちの商家の庭に祀られた神社です。創祀・由緒など不詳。昭和14年に旧地の隣に移転し、社殿などを新築したそうです。 広い敷地は、もともとこの地にあった「奈良晒」の大きな商家のものです。商家移転の際に「家運隆盛は大国さまのおかげであった」として、町内一同が引き続いて大国さんをお祭りすることを条件として、その敷地を町有のものとして寄贈さ

  • 【住吉神社】(すみよしじんじゃ)奈良市勝南院町

    【住吉神社】すみよしじんじゃ)奈良市勝南院町  主祭神:住吉大神・蔵王権現。元興寺の一院であった仙光院が衰えたのち、勝南院が建立されたが、その勝南院内に古くから鎮座していたという。宝徳2年(1450年)、元興寺と興福寺の争いを起因とする火難に会い、その跡は人家で占められるようになった。そのため、現在地に住吉大神を祀る祠を建て、町名を勝南院町とし、町内の安全や商売繁盛を祈願するようになったという。

  • 【猿田彦神社】(さるたひこじんじゃ)奈良市今御門町

    【猿田彦神社】(さるたひこじんじゃ)は、奈良県奈良市今御門町にある神社。道祖神社とも呼ばれる。 平城天皇の御代に元興寺境内に創祀されたと伝わる。宝徳2年(1450年)元興寺の大火後、再々の火難に類焼し、現在の小祠となった。 一説には、橘奈良麻呂の乱で無実の罪で獄死した道祖王の怨霊を恐れ、祀られたのが始めともいう。往古より道祖神、賽神・妻神、開運の神として近在の信仰を集め、商売繁盛、開運招福、良縁・

  • 【畝火山口神社】(うねびやまぐちじんじゃ)奈良県橿原市

    【畝火山口神社】(うねびやまぐちじんじゃ)は、奈良県橿原市の畝傍山西麓にある神社である。俗に「お峯山」と呼ばれる。式内社で、旧社格は県社。延喜式祝詞に記される大和国内の山口社6社(飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無)のうちの1社であり、祈雨神祭八十五座の1つである。気長足姫命(神功皇后)・豊受比売命・表筒男命を祀り、神功皇后が応神天皇を出産した伝承により、安産の神として信仰されている。他の山口神社

  • 【東大谷日女命神社】(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)奈良県橿原市

    【東大谷日女命神社】(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)奈良県橿原市 御祭神:姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ) 創祀時期は定かでない。江戸時代までは熊野権現と称し、伊弉册尊を祀っていた。 明治二十年(1887)頃、延喜式神名帳にある東大谷日女命神社の後裔であるとし、祭神を神功皇后へと変えた。その後、さらに姫蹈鞴五十鈴姫命に変更。社名を東大谷日女命神社へ変更したのは明治三十五年(1902)と

  • 【長山稲荷神社】(ながやまいなりじんじゃ)「橿原神宮末社」奈良県橿原市

    【長山稲荷神社】(ながやまいなりじんじゃ)「橿原神宮末社」奈良県橿原市  橿原神宮の境内を南神門から抜けると深田池という池があり、その深田池のほとりは地元の人々がラジオ体操やバードウォッチングなどを楽しむ憩いの場所となっており、休憩所もあります。その休憩所に隣接するのが、本日紹介したいパワースポットである長山稲荷神社です。御祭神は宇迦能御魂神(うかのみたまのかみ)・豊受気神(とようけのかみ)・大宮

  • 【橿原神宮】(かしはらじんぐう)奈良県橿原市

    【橿原神宮】(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の東麓、久米町に所在する神社である。 記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。 1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600

  • 【久米御縣神社】(くめのみあがたじんじゃ)奈良県橿原市

    【久米御縣神社】(くめのみあがたじんじゃ)奈良県橿原市 【久米御縣神社】(くめのみあがたじんじゃ)は、式内社で、旧社格は村社。 高皇産霊命・大来目命(天久米命)・天櫛根命を祀る。創建の由緒は不詳である。「御県神社」という神社は大和国内に7社あり、いずれも皇室の御料地である御県(みあがた)に鎮座していたものである。『日本書紀』垂仁天皇27年に「是歳、来目邑に屯倉を興す」という記述があり、創建もその頃

  • 【久米寺】(くめでら)奈良県橿原市

    【久米寺】(くめでら)奈良県橿原市 【久米寺】(くめでら)は、奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院。山号は霊禅山。詳しくは霊禅山東塔院久米寺と称する。本尊は薬師如来坐像。開基(創立者)は聖徳太子の弟の来目皇子(くめのみこ)ともいうが未詳。『扶桑略記』や『今昔物語集』においては久米仙人により創建されたと伝えられる。大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院

  • 【伴林氏神社】(ともはやしのうじじんじゃ)大阪府藤井寺市

    【伴林氏神社】(ともはやしのうじじんじゃ)大阪府藤井寺市 大阪府藤井寺市林(かつての河内国志紀郡拝志郷)に鎮座する神社である。高皇産霊神を主祭神とし、大伴氏の祖神である道臣命(みちのおみのみこと)・天押日命(あめのおしひのみこと)を配祀する。社名から、大伴氏の支族である伴林氏が祖神を祀ったものとみられる。高皇産霊神の5代目の子孫が天押日命であり、天押日命の3代目の子孫が道臣命である。創建年は不詳で

  • 【道明寺天満宮境外末社西宮】と【木患樹】(もくげんじゅ)大阪府藤井寺市

    【道明寺天満宮境外末社西宮】と【木患樹】(もくげんじゅ)大阪府藤井寺市 現在、道明寺の寺域にあるもくげんじゅは霊木ではありません。寺の少し南にある西宮神社(道明寺天満宮境外末社)にある大樹がそれにあたります。道明寺天満宮の参道を南へ下ると古代道明寺(土師寺)の五重塔礎石があります。そこを西へ曲がった突き当たりに西宮は鎮座しています。「三社神祠」とも称し、道真に大乗経埋納の場所を示したという伊勢・春

  • 【白光龍王大神】(はっこうりゅうおうおおかみ)藤井寺市

    【白光龍王大神】(はっこうりゅうおうおおかみ)藤井寺市 藤井寺市道明寺に鎮座する白光龍王大神はっこうりゅうおうおおかみです。道明寺どうみょうじの東側の門から出て、直ぐの三叉路を道明寺天満宮の塀にそった側の道にあります。前の道は東高野街道です。東側は道明寺天満宮の境内です。小さな祠が「白光龍王大神」のお社。ムクノキをお祀りしているようです。  所在地:大阪府藤井寺市道明寺1-15

  • 【土師里八幡神社】(はじのさとはちまんじんじゃ)大阪府藤井寺市

    【土師里八幡神社】(はじのさとはちまんじんじゃ)大阪府藤井寺市  八幡神・八坂神・天神はいずれも農耕に欠かせない神でした。八幡神は穀霊神であり、のち武神として土地の守護神とされました。八坂神は五穀豊饒、厄病祓いの神と崇められています。天神は雷神であるとともに、学問の神としても祀られたのです。 「土師ノ里」という地名は、土師氏の出所、本拠地として説明されています。土師氏は、『野見宿祢を祖先とする氏族

  • 【海雲山潮音寺】(ちょうおんじ)大阪府藤井寺市

    【海雲山潮音寺】(ちょうおんじ)大阪府藤井寺市 宗派:臨済宗永源寺派。創建:1329年。寺宝:佛涅槃之図像、三十六歌仙図。 1329年真言律宗の寺院として創建。 1347年藤井寺合戦により堂宇焼失。 1635年中興開山獨長性亨禅師により再興。 本堂、庫裡は栂材を主体とした入母屋造にて再建。 臨済宗永源寺派に改宗。 壺井八幡宮の分霊を勧請し、鎮守社「国府八幡神社 」創始。 1679年「河内鑑名所記」

  • 【國府八幡神社】(こうはちはんじんじゃ)大阪府藤井寺市

    【國府八幡神社】(こうはちはんじんじゃ)大阪府藤井寺市  道明寺駅の北西約500mに鎮座しています。境内左には宮の南塚古墳が有り、この地が古から聖地とされてきた事が分かります。 神社の入口には社号標と鳥居が立ち、石段を数段上がると金属製の鳥居のような物が立ち、境内を突き抜けるように西に向かう参道正面に、向拝のない入母屋造りの割拝殿と白塀。塀内に八幡大神を祀っていると思われる三社殿と、その向かって右

  • 【志貴県主神社】(しきあがたぬしじんじゃ)大阪府藤井寺市

    【志貴県主神社】(しきあがたぬしじんじゃ)大阪府藤井寺市 式内社、河内国総社で、旧社格は村社。 奈良時代、この一帯は「志貴(磯城)の県」という朝廷の直轄地で、それを管理していたのは神八井耳命を祖とする志貴県主(しきのあがたぬし)と、その同族の志貴首(しきのおびと)であった。創建の由緒は不詳であるが、当社はその氏神として創建されたものとみられ、『河内誌』に「国府属邑一」とあることから、この地に河内国

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