萩市

  • 道の駅萩往還/幕末好きなら一度は訪れたい 道の駅萩往還/幕末好きなら一度は訪れたい

    萩から山口市内に戻る途中、 いや山口市内から萩へ向かう玄関口とも言える道の駅。 飲食や土産物関連もあるが、何と言っても吉田松陰記念館があるのが特徴。 決して大掛かりではないが、歴史好き、幕末維新好きなら立ち寄ってみたい。 松陰はじめ幕末の志士たちの像が結構な数立ち並んでいるからわかりやすい。

  • 萩城下町/幕末維新好きには堪らない情緒ある街並 萩城下町/幕末維新好きには堪らない情緒ある街並

    幕末の中心となった長州藩。 その長州の偉人たちをゆっくり散策しながら感慨に浸れる場所である。 中央公園で降りて、城下町を散策する。 高杉晋作広場や生家、木戸孝允の生家もある。 高杉と伊藤博文が学んだという寺も見れる。 維新系以外でも総理大臣の田中義一の生家もこの城下町にある。 萩焼や夏みかんのソフトクリームなんかも売っていて散策が楽しい街である。

  • 高杉晋作立志像/維新回天の英雄像 高杉晋作立志像/維新回天の英雄像

    維新回天の原動力となった長州藩の志士達のゆかりの場所である萩の城下町にある高杉晋作広場は、晋作の生家の近くにある。 広場に入ってみると高杉晋作の銅像が建っている。 これは中々立派で英雄らしい雰囲気である。 しかし、それ以外は草も生えっぱなしでくつろぐ場所もない。 英雄らしい広場になったらもっと観光客も来るのにな~と思った。

  • 萩反射炉/世界遺産になった日本を代表する反射炉 萩反射炉/世界遺産になった日本を代表する反射炉

    幕末の西洋に対抗するため、西洋式の鉄製大砲を鋳造するためにな金属溶解炉として反射炉の導入を計画した。 その時に作られたのがこの反射炉である。 静岡県の韮山と並ぶ日本を代表する反射炉と言われる。 萩の城下町から車で行けば割とすぐの場所にある。 世界遺産登録がされたこともあり近くまで行けばわかりやすいが、それでも宣伝をもtっとすればよいのにと思う。 階段を登って高台に行くと反射炉の煙突部が残っている広

  • プチカフェさくら木/萩城下町散策の小休憩に プチカフェさくら木/萩城下町散策の小休憩に

    萩城下町。 歴史好き、特に幕末維新好きには堪らないエリアである。 吉田松陰から始まり高杉晋作や桂小五郎の活躍は今も語り継がれる。 日本で最も総理大臣を輩出した山口県の代表的な観光地である。 松下村塾を見て中央公園を経て城下町を散策するのがノーマルなコースであるが、久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允らの幕末の志士の像に加えて、田中義一の生家もあり見どころ十分だ。 そんな町を散策しているとのども乾いてくるし

  • 来萩/道の駅しーまーとにある海鮮レストラン 来萩/道の駅しーまーとにある海鮮レストラン

    萩にある道の駅「しーまーと」 何度か萩を訪れているが、その都度この道の駅には立ち寄っている。 市場に隣接しているから新鮮な魚を食べられるレストランが何店かあり休日を中心に混雑している。 この店に入ったのは初めて。 館内に入るとすぐにある店で前から気にはなっていた。 市場なのでやはり海鮮丼を注文。新鮮な魚がふんだんに使ってあり満足。 そしてこの日嬉しいのはアジフライが2匹で180円であること。 追加

  • 萩の旅(第1回)/城下町と萩城跡へ 萩の旅(第1回)/城下町と萩城跡へ

    【コース】 回転寿し『たかくら』(新山口)⇒ 久坂玄瑞進撃像 ⇒ 高杉晋作広場 ⇒高杉晋作生家 ⇒ 久保田住宅 ⇒ 木戸孝允生家 ⇒ 萩城跡 秋の萩を訪れてみることに。 以前、松陰神社は行ったので、今回は城下町の散策と萩城跡へ。 新山口駅近くで寿司を食べてから車で萩へ。 高速道路が無料で助かる! 中央公園に車を停めると、まずは久坂玄瑞進撃像が。 松下村塾の双璧で幕末きっての戦略家と言われた久坂の姿

  • 萩駅/駅舎が鉄道記念館の無人駅 萩駅/駅舎が鉄道記念館の無人駅

    萩駅と言えば、萩観光の中心、スタートの地と思われがちであるが、無人駅で電車の本数もほとんどない。 始発電車も隣の東萩駅から出るものが多く、市役所にも近いため東萩駅が萩の中心駅と言えるので、観光の方は要注意。 ただし、写真を見て頂けばわかる通り、駅舎はかわいらしい。 車で観光される方は通ってみても楽しいかもしれない。 2017年6月17日に運行を開始したTWILIGHT EXPRESS 瑞風(山陰コ

  • 浜料理がんがん/萩の「道の駅しーまーと」にある美味しい市場メシ 浜料理がんがん/萩の「道の駅しーまーと」にある美味しい市場メシ

    萩と言えば幕末維新を彩った志士たちの街で人気のある観光スポットである。 一方で、食べ物のイメージはあまりないが、よく考えれば日本海に接しており海の幸が豊富なはずである。 この日、萩を観光した後美味しい店を探してこの店に入った。 昼時だったので順番待ちとなったが、さほど待たずに入店。 海鮮丼、しらすづくしなど魅力的なメニューがあったが、あえて新鮮な魚介で作るであろう天ぷら定食を注文した。 天ぷらは予

  • 幕末維新切符② 萩ガラス 幕末維新切符② 萩ガラス

    東萩駅から徒歩3分の TOYOTAレンタル自動車で 椿東越ヶ浜明神池上がる の 萩ガラス工房へ。 原石から一貫生産されてる 珍しいガラス工房 内貫入ガラスは三層構造で国内では 萩ガラスだけだそうです。 熱い飲み物も入れれます♡ 小庭のお花を飾っています♡ 約8,800年前に噴火した 火山の笠山で採れた石英玄武岩の 緑の色彩がきれい 幕末維新切符 で 新大阪➡新下関 新山口↔萩 (スーパー萩) 下関

  • 萩焼の散策 萩焼の散策

    萩市の城下町のはずれにあるカフェ ランチメニューもあるようで小田氏の作品に盛られたご飯が美味しそうで工房へ 全部が素敵すぎて迷い迷い〰小一時間(笑) 数点お買い上げ~郵送でお願いしました。 萩の城下町にある萩焼のお店でも少しお買い物しました 萩焼会館で轆轤体験~ 植木鉢を作りました。土の質感手触りを堪能し、ほぼ先生がしてくださった感じです(笑) 1ヵ月後に届いた植木鉢 多肉の寄せ植えしました♡ 城

  • 北門屋敷 萩焼1 北門屋敷 萩焼1

    2017年2月 山口県2泊3日。 いつもは駅近のビジネスホテルが常宿ですがたまには贅沢に温泉宿へ。 1日目は萩市の城下町にある ホテル北門屋敷のモダンスウィート。 露天風呂・お庭・ダイニング付きの和洋室で 内風呂と洗面所も広くてキレイでした。 露天風呂は小さくてちと残念w ダイニングのフローリングは床暖房で暖かくして良かったです。 お料理は活けイカと萩会席料理 イカは大きくてメッサ美味しかった★★

  • 4636 久坂玄瑞誕生地(萩市平安古町537-2) 4636 久坂玄瑞誕生地(萩市平安古町537-2)

    毛利輝元公の墓所から歩いて周遊バスに乗り萩旧市街へと来ました。 今回の岩国、防府、萩旅行も最期の観光になりました。 高杉晋作とともに“松下村塾の双璧”と称されていた幕末の志士・久坂玄瑞の旧宅跡。 久坂玄瑞は、天保11年(1840)、萩藩医・久坂良迪(りょうてき)の三男として平安古に生まれました。17歳のときに高杉晋作らと共に松下村塾で学び、のちに藩校明倫館に学びます。 吉田松陰から「防長年少第一流

  • 4633 萩城址碑(山口県萩市堀内) 4633 萩城址碑(山口県萩市堀内)

    この石碑は、大正8年(1919)11月、侯爵・毛利元昭によって建てられ、萩城の来歴を記したもので、子爵・杉孫七郎の撰文、高島張輔(日本画家・高島北海の実兄)の書である。 萩城は毛利輝元によって築城され、慶長9年(1604)に工事に着手し、4年後の慶長13年に完成した。 以後260年間、萩藩主の居城として、また周防・長門両国の藩政の中枢機関として偉容を誇った。 しかし、第13代藩主・敬親の代に至り、

  • 4632 志都岐山神社(山口県萩市堀内) 4632 志都岐山神社(山口県萩市堀内)

    旧県社。 祭神は、毛利元就・毛利隆元・毛利輝元・毛利敬親・毛利元徳。 明治11年(1878)、萩町及び付近の有志が発起し、広く毛利家ゆかりのあるものの賛同を得て、萩城跡本丸内に山口の豊栄(祭神・毛利元就)・野田(祭神・毛利敬親)両神社の遥拝所を創建した。 翌12年、この遥拝所を山口にある両神社の分社とし、指月神社と称した。 同15年県社に列せられ、志都岐山神社と改めた。 同33年、祭神を元就・隆元

  • 4631 志都岐山神社のミドリヨシノ(山口県萩市堀内) 4631 志都岐山神社のミドリヨシノ(山口県萩市堀内)

    本樹は指月公園内の志都岐山神社参道、旧明倫館遺構万歳橋の東側に位置している。 根元の幹周1.7m、幹は基部で三分岐し、一幹は枯損。 主幹は目通り0.8m、樹高6mのさして大木とはいえないが、この種は日本で萩市のみに知られる稀品であり、植物分類学的位置を評論する場合の基準標本の原木として貴重である。 本種は桜の中でも最も一般的なソメイヨシノに似ているが、萼が緑色であるところからミドリヨシノと名づけら

  • 4629 近藤元統之碑(山口県萩市堀内) 4629 近藤元統之碑(山口県萩市堀内)

    萩城築城以前に、ここに住んでいた近藤元統の屋敷跡及び墓所であるといわれる。 元統の孫露竹(ろちく)の代、毛利輝元による萩城築城の際に、この地を献上した。 露竹は輝元の萩打入りを迎え、深野太郎左衛門とともに、塩屋町・今魚店町の取り立てに尽力した。 この碑は、明治30年(1897)12月、近藤氏の子孫にあたる史家・近藤清石によって、その旧跡に建てられ、清石は、 あわれ其恵(そのめぐみ)の露(つゆ)のか

  • 4623 口羽家住宅 2棟(主屋・表門)(萩市大字堀内) 4623 口羽家住宅 2棟(主屋・表門)(萩市大字堀内)

    口羽家は、萩藩の寄組士(1,018石余)で代々萩城三の丸に住んだ。 大身(だいしん)の武士の居住地区であった堀内地区に現在も旧藩時代そのままの姿をとどめている。 表門は萩に現存するものでは最大の長屋門で、片潜門の左に門番所を設けている。 また主屋は東面切妻(きりつま)造り、西面入母屋造り桟瓦葺(さんかわらぶ)きで東面に入母屋造りの突出部を設けた形式からなっている。 こうした門と住宅がセットで残って

  • 4622 毛利家墓所 4622 毛利家墓所

    山口県の毛利家墓所は、2カ所に有ります 1. 東光寺 (山口県萩市椿東1647) 2. 大照院 (萩市椿4132) 3. 萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)(山口県萩市堀内) 4. 萩藩主毛利家墓所(香山墓所)( 山口市香山町(香山公園内)) この内、4の『萩藩主毛利家墓所(香山墓所)( 山口市香山町(香山公園内))』については、悪天候及び時間の関係でパスをするしかありませんでした。 まずは大きさか

  • 4621 旧益田家物見矢倉(萩市北片河町堀内) 4621 旧益田家物見矢倉(萩市北片河町堀内)

    萩旧市街から城下町へと来ました。 益田家は、阿武郡須佐(現在の須佐町)に領地を持っていた萩藩の家老である。 幕末の当主親施は、13代藩主・毛利敬親を助け藩政改革を行ったが、1864(元治元)年、禁門の変の責任者として切腹させられた。 高い石垣の上につくられたこの矢倉(武器などを入れた倉)は、長さ11m、奥行約5mの平屋建てだ、見張りに使われたといわれている。 (案内板より)