• 今と違う那覇大綱曳きの人物

    那覇大綱曳きは、毎年10月に行われ 50万人の人手がある県内最大級のイベントです。 この那覇大綱引曳きの歴史は古く、 琉球国時代から、行われていました。 大綱曳きのイベントでは、東西に歴史上の 人物が現れて、見栄を切りイベントを盛り上げる のですが、その人物は沖縄の歴史上の人物です。 代表的なものは、護佐丸と阿麻和利ですね。 そう考えると昔から、 那覇大綱曳きの登場人物は 沖縄の歴史上の人物だった

  • 平敷屋朝敏はどこが凄いの?後編

    平敷屋朝敏は、女性問題で 首里を追放され、一時期、 地頭をしていた平敷屋村に引っ込んでいます。 しかし、ここで貧しい百姓の暮らしぶりを見た 朝敏の作風に大きな変化が起きます。 美しい絵空事の悲恋ではなく、 歴史に題材を取り 本当にあった悲恋を掘り起こし ままならない世の中に 理不尽に引き裂かれる 男女の物語を書いていくのです。 「どうして世の中には、搾取されて苦しむ人間と それに胡坐をかいている人

  • 魔夜峰央的・・?美少年大好き琉球

    琉球においては、美少年は最強でした。 国王の側近を務めた美少年集団、 小赤頭(こあくかべ)も、 高級士族の子弟から選抜され、 諸芸に秀でてかつ容姿端麗 であるという事が条件でした。 その姿は男でも女でもない 中性的なユニセックスな 衣装を着て 首里城で行儀見習いをしています。 江戸時代には、この小赤頭から、 選抜された楽童子が日本中で 黄色い声援を浴びています。 小赤頭の出身者には、 三線の湛水流

  • 勝連城に凱旋門があった?

    凱旋門と言うとアーチ型の門で パリのエトワール凱旋門が最も有名ですが そもそも凱旋門の発想は古代ローマ時代からあります。 さて、そのような凱旋門ですが勝連城にも、 それと思わしきアーチ門が存在していました。 現在は失われていますが、発掘された破片がこれです。 どうでしょうか?唐草文様のレリーフが見えますよね? 実は、琉球は日本では珍しいアーチ工法が発達した土地で、 無数の橋やグスクの門にその形式が

  • 琉球に馬琴のファンがいた!

    曲亭(滝沢)馬琴と言えば、 江戸後期の作家で南総里見八犬伝などで 有名な人物ですが、 江戸の天保年間の馬琴の日記には 琉球人の馬琴ファンがいた事が記されています。 それによると、ある薩摩藩士が 馬琴の元を訪れ、 琉球人の土産にするので、 草紙(今でいうマガジン)を売ってくれ と金1両を出してきたそうです。 しかし、お土産に万人向けではない 草紙を買っていく訳はない 琉球人は行動の自由がないから、

  • 西洋人を不衛生だという琉球

    琉球にやってきた西洋人には、 賛美する人も批判する人もいましたが、 共通して挙げているのは琉球の清潔さでした。 石畳の道にはチリ一つ落ちていないし、 部屋の中もキレイに整頓されている。 どんなに貧しい家でも、清潔でない場所はない。 これには、当時の中国や朝鮮の道路の汚さとの ギャップが反映されています。 朝鮮や中国でも室内と敷地はとてもキレイでしたが 一歩、外に出ると、そこはゴミ捨て場と同じでした

  • 駱駝を輸入しようとした琉球

    歴代法案は、琉球と中国、周辺のアジアとの外交文書を 編纂した今でいう外務省の公文書です。 その中には、清の時代に琉球が 駱駝の輸入を許して欲しい と書いたものが残っていました。 牛や馬ではなく駱駝です、 一体どうして駱駝など欲しがったのでしょう? これは推測ですが、琉球人は北京に上った時、 駱駝の隊商を見たのかも知れません。 琉球人「これは何と言う生き物か?」 隊商「駱駝だよ、旦那」 琉球人「デカ