• SLの思い出 224 C58 柘植-加太

    付録 天王寺鉄道管理局内でデフに装飾されたカマが他にもあったようです。写した写真の中にありました。後になって、それも最近知りました。亀山機関区のC58のようです。 1973.9.2 柘植-加太 何号機かは写真からは読み取れませんが、他からの情報ではC5866のようです。加太峠の補機にはD51だけでなく、信楽線の運用からかC58も設定されていました。 次回に続く

  • SLの思い出 223 D51 加太 奈良

    写真だけです。 1973.8.3 関-加太 D51882<月に鹿> このカマは10年ほど奈良にいました。たびたび撮影しました。 1973.5.27 D51906<はと ピースのマーク> 私にとってこのカマは竜華機関区のカマのイメージが強かった。柳生号を写した印象が強かったのか?しかし、この写真の<はと>は輝いていません。磨いてほしかったな。     次回に続く

  • SLの思い出 222 D51 加茂

    デフレクターに装飾されたD51たちが3機連なったことがあります。「さよならSL三重連の旅 バンビ号」です。この列車は加茂→奈良間を三重連で走行しました。下り列車だけ三重連での運行でだったようです。 1972.9.24 加茂-木津 牽引したカマは先頭からD51940+944+882でした。     次回に続く

  • SLの思い出 202 C57 亀山

    亀山区のC57は重油タンクなど載せていたので厳つかったが、C57198は別格だった。集煙装置がのっていなかったり、煙管の縁の丸みが残されていた。ナンバープレートも緑色の下地に金色がよく映えていた。伊勢市周辺でC57を撮影したことがあるが、この198にはお目にかかれなかった。 1972.9.1 亀山駅 この日は珍しく亀山に来たところ、運良く撮影出来た。おまけに朝日に輝く姿は美しかった。     次回

  • SLの思い出 201 C57 亀山

    名古屋区のC57139は何度もお召列車を牽引していた。きれいに整備されていた写真が紙面を飾るたびに写したいとの気持ちが高まった。しかし、1969年9月末で引退していたので写すことは出来なかった。現在はJR東海のリニア・鉄道館で静態保存されているようだ。現在も見学に行ったことはない。 自分が撮影していた時、C57139が引退するまでの間亀山区に行ったのは2回だけだから会える確率は低かった。名古屋発の

  • SLの思い出 199 亀山

    前々回、C50を亀山で写せたのは停車中のみと書きました。しかし、今ネガの記録表を何気なく見ているとその記述は間違っていることに気がつきました。 駅構内で入れ換え作業に当たっているC50154のネガがあることがわかりました。写真を貼ってみました。この後、この客車編成の前には鳥羽行きのC57がたつことになります。 この頃、亀山区のC50は75と76に代わり154と109が構内での入れ換え作業に当たって

  • SLの思い出 197  亀山 糸崎

    C50が本線で先頭に立って列車を牽引している写真を写したことがありません。 当時の鉄道雑誌にも「ハチロクを改良して誕生。軸重が重きなど使いづらいのでハチロクのように活躍出来なかった。現在は全て入れ換え仕業に就いている。化粧煙突や門デフを装備したカマもある。」と紹介されている。 自分が写したC50は亀山区と糸崎区での入れ換え中だった。正確には亀山では停車中のみ。 1969.8.13 亀山区 走行写真

  • SLの思い出 58 関西本線

    夏の終わり、加太の大築堤を行く補機 夏の終わりにしてはなかなかいい煙です。懸命に押し上げている姿が印象的です。デフのピースマークからD51906号機。 加太-中在家信号所 1972,9,1 ここで少し関西線から離れます。次回から山陰本線京都口周辺の写真を見ていただこうと考えています。美しい梅小路区のC57を中心にアップしていきます。

  • SLの思い出 55 関西本線

    加太峠の東側には大築堤やスイッチバックの信号所がある。急勾配ゆえにスイッチバックになっている。西側も柘植駅を発車後上り勾配が続きます。そこには加太トンネルがある。特に下り列車の場合はこのトンネルは運転手泣かせだ。東から西へトンネル内を風が流れる。そのため、列車がトンネルに吸い込まれた後幕が下ろされ、風を止めて運転士が煙にまかれないようにされていた。 写真は下り列車がやっとトンネルを抜けて顔を出した

  • SLの思い出 54 関西本線

    加太と柘植の間は大築堤を登る列車の迫力はたくさん写真に写されています。下り列車が撮影対象になります。しかし、柘植を発車した上りの列車も加太トンネルまでブラストを響かせて登ってきます。 柘植-中在家信号所 1970,12,26

  • SLの思い出 53 関西本線

    加太で重連の列車を写したことはありません。定期貨物での運用はあったのでしょうか。後補機は懸命にプッシュしています。この後に迫る加太トンネルでは本務機の煙も残っているのできっと厳しい運転だったと思います。 中在家信号所-柘植 1970,12,26

  • SLの思い出 52 関西本線

    大築堤を越えて北側から写しました。築堤をアンダーパス。現在も柘植にぬけるれっきとした国道25号です。メインは線路の南側をぬける名阪国道です。もちろん国道25号、無料のハイウェイです。当時ははこの旧国道を真夏は汗を流し、真冬は寒さに震えて歩き、列車を待ったものです。カラーですがネガにカビによる変色があります。大切に扱っていない証拠、大いに反省。 加太-中在家信号所 1970,12,26

  • SLの思い出 51 関西本線

    大築堤手前の直線です。加太駅を出発し、猛然と迫ってきます。直線ゆえに後補機がなかなか写りきりません。荷物列車がやってきました。客車列車ではありませんが、貨物とは趣は違います。 加太-中在家信号所 1970,12,26

  • SLの思い出 50 関西本線

    大築堤の手前に直線があり、線路の北側の下から編成が写せます。パノラマのように見えるところが気に入って何度か写しています。木が邪魔をしていますが、自分にとってはお気に入りです。 加太-中在家信号所 1971,3,15

  • SLの思い出 49 関西本線

    大築堤からさらに西に進むと、中在家信号所があります。加太から柘植に向かう25パーミルの登り勾配の途中に作られた、列車交換ができるスイッチバックの信号所でした。この先にある加太トンネルは下り列車にとっては運転士泣かせのトンネルだったと聞いています。この日は粉雪の舞う寒い日でした。 朝日を浴びて加太トンネルへダッシュ 中在家信号所 1970,12,26

  • SLの思い出 48 関西本線

    関西本線の撮影ハイライトはやはり加太峠でしょうか。加太駅から国道25号沿いに歩きました。目指すは中在家信号所です。途中には撮影ポイントが点在しています。貨物は後補機が押し上げてきます。大築堤は撮影ポイントの中心です。後補機も写せます。 加太-中在家信号所 1970,8,20

  • SLの思い出 46 関西本線

    イベント列車がたくさん企画されていました。泉北地域のナショナルのお店が企画した列車のようです。ピンクのヘッドマークがきれいです。 関西本線 大河原-月ヶ瀬口 1971.11.21 下は前回のカラー写真です。

  • SLの思い出 45 関西本線

    1年以上空いてしまいました。今日から再開します。ぼちぼち更新します。 今日はとても良い天気です。この写真を写した日は197.11.23でした。 太陽が気持ちよく照っていました。紅葉真っ盛りの日でした。イベント列車柳生号です。赤いヘッドマークが印象的でした。この日は重連 次位はD51178でした。 大河原-月ヶ瀬

  • SLの思い出 17 SL三重連 バンビ号イベント列車⑧

    SLイベント列車が頻繁に走る中、関西本線に再び三重連が走ることになった。奈良ヤングトラベルメイトが主催した「さよならSL三重連の旅 バンビ号」です。大いに話題になったのは、この列車が加茂→奈良間を三重連で走行することでした。下り列車だけ三重連での運行でしたが、当然上り列車も走ったはずです。しかし、自分の記録には加茂駅の下りの出発しか撮影した記録がありません。この日上り列車が走る時間は何をしていたの

  • SLの思い出 15 さよならハチロク号 イベント列車⑥

    奈良周辺ではSLイベント列車がたくさん走りましたが、それはSLの終焉が近づいていることでもありました。 1971年7月に「さよならハチロク」が運転されました。 1971.7.11笠置→大河原 加茂→木津 往路は86とD51の重連、復路では86が後補機として運転されました。ただ、どの区間を走ったのか記録がありません。 なお、さよなら列車の後も赤ナンバーと白いラインで装飾されたまま、短い期間でしたが仕