連載コラム(28)『日本の百霊域(パワースポット) 吉田松陰、下田のパワースポット
黒船の来航が大動乱の導火線をなったことは誰でも知っている。 ペリー来航「前夜」と「以後」に区別して日本の歴史は大きく画期された。図式的に見ると中央政府を反乱軍が倒し、新しい政体のもと、諸改革を実行したということで「明治維新」は世界史的にいえば「革命」と謂えるが、国家元首は不動だった。革命と違う重要な... 続きをみる
黒船の来航が大動乱の導火線をなったことは誰でも知っている。 ペリー来航「前夜」と「以後」に区別して日本の歴史は大きく画期された。図式的に見ると中央政府を反乱軍が倒し、新しい政体のもと、諸改革を実行したということで「明治維新」は世界史的にいえば「革命」と謂えるが、国家元首は不動だった。革命と違う重要な... 続きをみる
新撰組はテレビドラムがヒットし、小説に芝居に映画に、大河ドラマにもなった。 テレビでは土方歳三が異様な人気を集めた。若い女性は圧倒的に沖田総司が好きという。 中村彰彦の『新撰組全史』(文春文庫)によれば新選組は結局、近藤勇(いさみ)あっての歴史であり、土方歳三を主人公とした幾多の時代小説を柔らかく批... 続きをみる
福島県会津若松の白虎隊記念館を見学し、少年隊十七名の集団墓地を参詣した夜、筆者は霊魂の嵐に襲われた。 悪霊ではない、まばゆいばかりの光りの弾丸がびしびしと飛んできて金縛りにあったかのように身動きできなくなった。 戊辰戦争の最終段階で東北列藩同盟は官軍に歯向かい、抵抗を続けた。会津は武士道の伝統を基軸... 続きをみる
日本に正気を甦らせた国学の大家、本居宣長は漢方(和薬)の医者でもあった。 生前の門弟五百人、死後、養子の大平が引き継いで更に塾(鈴屋)は拡大し門弟千名を誇った。宣長といえば染井吉野ではなく、「山桜」だが、大和魂を謳って当時の儒学優先の幕府を言外に批判した 宣長学の要諦は漢意(からごころ=外国かぶれ)... 続きをみる
(承前) それにても明智光秀は五百年にわたって誤解されてきた。 「主殺し、謀反人」という悪い評価は政権を横から簒奪した豊臣秀吉が、正統を名乗るために右筆らに命じて粗製濫造した政治宣伝、フェイクである。 光秀には「黒幕」がいたとする近年の歴史家たちの推理小説風の推量も、光秀への過小評価が原因である。 ... 続きをみる
明智光秀が大河ドラマの主人公になったことは戦後史を画期する事件である。 令和二年から同三年春にかけて日本中で明智光秀への再評価が渦巻いた。逆賊、主殺し、裏切り者の代名詞となっていた武将への評価がひっくり返ったのだ。 武漢ウィルス禍で観光客が激減した。それでも明智光秀の地元は歓迎ムードに包まれていた。... 続きをみる
パワースポットは全国いたる所にある。 霊感を体得できる場所、パトスに溢れる聖域、電流に撃たれたような衝撃を受ける空間は時として神社であり、陵墓であり、あるいは歴史的事件の現場である。率直に言ってテレビが面白ろ半分に宣伝しているような場所は俗化して霊気が希薄である。 伊勢神宮の緑の聖域を流れる五十鈴川... 続きをみる
大阪にある阿倍野神社は北畠親房、顕家親子を祭神としている。 かなり広い神社境内に北畠顕家の大きな銅像がある。凛々しい姿、まことに絵になる出来映えである。 阿倍野神社の建立は明治八年になってからだから霊異は稀少である。この阿倍野神社から東へ徒歩で十五分ほど。住宅地を通り抜けると北畠公園が拡がり、ここに... 続きをみる
京はたびたび荒廃し、強盗が蔓延り、飢えが拡がり、死体が転がり、応仁の乱では廃墟となった。名作『羅生門』を思い出す人が多いだろう。 戦争は飢饉をもたらす。台風、津波、地震など天然の災害も、疫病が蔓延し、やはり飢餓がやってくる。食糧備置、そして食糧の自給は国家安全保障の文脈で語らなければならない。 日本... 続きをみる
菅原道真は学問の神様として全国各地に祀られ、北野天満宮(北野神社)、天神(たとえば湯島天神)という名前が冠せられている。 受験生の合格祈願といえば天満宮と相場は決まっている。代表格はいうまでもなく福岡県の太宰府天満宮。 「管公」という学生服も往時は「楠公」とならぶブランドだった(余談ながら学生服が廃... 続きをみる
京都上京区の安倍晴明屋敷跡に建立された村社がパワースポットとして騒がれる晴明神社である。 堀川一条という地名よりバス停は、ずばり「晴明神社前」。ひっきりなしの観光客。朱印帳を抱えた若い女性がとくに目立つ。京都観光の目玉にしているらしく全国からこの陰陽師を祀る神社に集まる。ひょっとしてこの異様なブーム... 続きをみる
茨城県小美玉市竹原へは東京駅から特急「ときわ」で一時間十分ほど、JR石岡駅(特急「ひたち」は停車しない)で降りて、駅前からタクシーを拾った。 運転手は「孝謙天皇宮と道鏡の祠? ここで長年(タクシーを)やっとるけど行ったことないですよ」 筆者は簡単な手書きの地図を見せ、また運転手は携帯電話で位置を確認... 続きをみる
七世紀から八世紀にかけて、目まぐるしく遷都が続いた。 孝徳天皇、聖武天皇の御代に首都が難波に移転したことがある。谷町から森ノ宮周辺の宏大な敷地に皇居・難波宮が実在した。大極殿も建立されたが幾度かの火災によって廃都となった。 令和二年の住民投票で拒否されたが「大阪都」構想が提案されたことがあった。行政... 続きをみる
天智天皇を祀るのは近江神宮である。大化の改新の主人公=中大兄皇子が天智天皇として即位された。天智の御落胤が藤原不比等である(大鏡)。 京阪電鉄の近江神宮駅から右手の狭い道を七、八分ほど歩くとこんもりとして森があり、その突き当たりの階段を上る。駅からここまで二十分ほどかかる。近江神社の参道は高い木木に... 続きをみる
ヤマトタケルは詩人、日本のホメーロスだったかも知れない。 行宮として設営したのが起源とされる酒折宮は、山梨県甲府市酒折にある旧村社である。 さきに触れたように最近は連歌会発祥の地とされたために歌詠みグループや国文学者が訪れる神社として全国に名を知られるようになった。歌川広重も酒折宮のスケッチを残した... 続きをみる
【未来世界図・その5】2100年ごろに日本が今の文化や習慣を残したまま完全復活するためには
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【歴史の闇に葬られた真実】組織の温度差に消えたナンバー2…元徳川家家老「石川数正」。
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【東奥見聞録 出張寄稿】 藤代御前の話 栄哀問答歌 2/3
ヤマトタケルは相模国の走水(はしりみず)で嵐に遭遇し、愛妻のオトタチバナヒメ(弟橘媛)が身代わりとなって海に身を投げ、神の怒りである荒波を鎮めた。 正妻を「妻」をする用語はすでに八世紀の『古事記』で明記されている。嫁、奥方、女房、家内とは正確には妻を意味しないのだが、現代日本語では「妻」といわず、こ... 続きをみる
天皇と国民が一体となって歩んできたわが国の独自の文化伝統は和歌が象徴した。 神武天皇肇国以前から、天皇ならび皇族、そして宿彌(すくね)・臣(おみ)・県(あがた)、連(むらじ)は和歌を詠まれた。古き昔、神代から天皇、皇族は歌人であった。庶民もくわわって『万葉集』が世に出た。 科学文明が進んだ現代でも、... 続きをみる
古墳の専門家が言う。 「仏教や儒教が受け入れられて思想が国際化すると、各地固有の古墳にまつわる信仰や儀礼は古び、存在意識も薄れました。人々も開明的となり、古墳などよりも、都市やインフラの整備に努力を回すべきだと考え」た(松本武彦編『古墳入門』、講談社) この説はいわゆる近代の思想に基づくもので、文明... 続きをみる
熊野速玉神社への道は平坦であり、大きな鳥居をくぐると静寂を極める境内が拡がる。ヤタガラス神社もここにある。 三島由紀夫『三熊野詣』に次の文節がある。 「熊野は元来大国主神をお祀りしているくらいだから、出雲民族との深い関係があるらしいので、僻地であるにもかかわらず、日本書紀の時代からよく知られた(中略... 続きをみる
村井康彦『出雲と大和』(岩波新書)は大和政権、神武天皇即位に関連する神話を、各地に実地踏査を重ねながら、出雲と大和政権の関係を考える旅日記風の考察である。 読み進めるも、なぜか名状しがたい違和感があった。 それは何なのかとあちこちで考えながら、ようするに村井は邪馬台国が大和にあったという説を展開して... 続きをみる
カムヤマトイワレビコの諡が神武天皇である。 大和言葉だった歴代天皇の諱をすべて唐風の漢字に改めたのは八世紀。皇族にして漢学者の淡海三船が中心となった。 カムヤマトイワレビコの時代に漢字は大和朝廷には入っていない。三船は一時、独裁的だった藤原仲麻呂と組んで、唐風の諱をあてはめたが、最後には仲麻呂を裏切... 続きをみる
アメテラスオオミカミを祭るのは伊勢神宮である。 この聖域については多くが知るところであり、詳細を述べる必要はないだろう。仏文化相で作家のアンドレ・マルロォは、伊勢神宮で参拝し、五十鈴川で禊ぎを受けて、 「このバイブレーションはなんだ」 と叫んだ経過は通訳として同行した竹本忠雄の回想録にもでてくる。 ... 続きをみる
https://www.amazon.co.jp/dp/4198657025/ (↑ アマゾン予約受付を開始しました) 大河ドラマ「光る君」(2024年)は紫式部と藤原道長が主人公 ●これまでの「傲慢」「独裁」の道長像は真っ赤な嘘! ●「この世をば わが世とぞ望月の」は、本当に道長が詠んだのか? お... 続きをみる
古事記、日本書紀の神話の原点に遡る。 伊弉諾、伊弉冉は御柱をまわって「いざなう女」(伊弉冉)が先に「いざなう男」(伊弉諾)を誘ったため連続してひるこが生まれた。思い直して伊弉諾から誘うと次々と国産み誕生の神話が展開する。 御柱の周りを回った、という表現には意味がある。御柱とはエネルギーの源泉である。... 続きをみる
真脇遺跡の発見は1983年である。新しい発見だったので、歴史教科書にはまだ載っていない。 縄文時代にもっとも長く継続した集落は現時点では能登の真脇遺跡(6000年前から3700年間)だ。能登町は入江の奥が拓け、観光資源としては風光明媚の九十九湾が有名。能登空港から乗り合いタクシーで45分ほど。まずは... 続きをみる
「縄文土偶」の神秘、神々しさ、それ自体がパワーの源泉である。 土偶そのものが怪しい霊気を醸し出すのだ。縄文土偶をじっくりと観察していると稚拙な芸術表現に見えてダイナミックな底力を秘めており、原始人の底知れぬ情念が伝わる。越後長岡を中心とする火炎土器も情熱が迸っている。 東日本から東北にかけて夥しい土... 続きをみる
薩摩は霧島連山の麓に宏大な縄文遺跡が再現されていて、パワースポットとなっている。 7500年前に栄えた上野原縄文遺跡だ。 天孫降臨の地は、高千穂のほかに、霧島連山も有力な候補の一つである。集落跡は鹿児島県霧島市国分に復元され立派な展示館がある。 上野原遺蹟は深く拓けた森の台地(標高290メートル)に... 続きをみる
縄文人が日本へたどり着いたのは四万年以上前とされる。国立民族歴史博物館(千葉県佐倉市)の公式見解は近年、3万7000年前となった。 縄文人は原始人だと勘違いしている人が多いが、文字を持たなかっただけで、言葉は豊饒、表現力には情緒に富み、基本は太陽信仰だった。ストーンサークル、ウッズサークルは明らかに... 続きをみる
「右肩下がりの日本」「失われた三十年」と言われる現代日本及び日本人に、何がかけているのか。故渡部昇一氏は「ガッツ」が足りないとよく言われていたが、合理主義、科学一辺倒となった日本人に決定的に欠如しているのはスピリチュアル・マインドではあるまいか。 ならば日本精神の再生はどうすれば良いかなどと精神主義... 続きをみる
仏教反対派の物部守屋の一族は、彼らが奉じた皇子とともに滅ばされた。物部氏の残党は斬られたか下僕にされ、生きのびた人々は古志や備中へ逃れた。全国に物部を祀る神社が多い事実がそのことを雄弁に物語る。 悲劇の皇子として法隆寺のそばの藤ノ木古墳に祀られる穴穂部皇子は欽明天皇の子。母は蘇我稲目の娘・小姉君。異... 続きをみる
仏教伝来は百済王による教典と仏像の献上からで538年説が有力である。 当初、大和朝廷は外来宗教を忌み嫌い、強く排撃した。仏像難波の河に捨てた。古来からの日本の自然信仰にはそぐわない邪教のたぐいという認識だった。 それが百年もせずに仏教が大和朝廷を席巻し、聖武天皇は東大寺に空前の大仏建立という大事業を... 続きをみる
「男にはやらねばならないことがある」と言って西南戦争を引き起こした主役は桐野利秋だった。西郷隆盛は桐野に同意して担がれた(拙著『西郷隆盛 日本人はなぜこの英雄が好きなのか』、海竜社参照)。 西郷とは距離を置いた永山弥一郎も、桐野に説得されて西南戦争に駆け散じ、八代に上陸した官軍を相手に闘って御船(熊... 続きをみる
古代史のミステリーは数多い。一般的な興味は邪馬台国はどこか、卑弥呼とは誰かという謎への挑戦だ。ところが、六世紀の「筑紫君磐井の叛乱」という大きなミステリーに関しては何ほどの議論もなされていない。 福岡の天神駅から西鉄で久留米へ南下し、そこから八女行きのバスに乗って四十分ほど、福島高校前で下車した。こ... 続きをみる
奇兵隊は幕府軍から「鬼兵隊」と呼ばれたこともあるが、その後、高杉の手を離れ増殖に増殖を重ね、最盛期には五百人の規模に達した。当然ながら白石邸では手狭、すぐに阿弥陀寺(現在の赤間神社)へ屯所を移す。 奇兵隊創立と同時に長州では山口に八幡隊、三田尻(防府)に遊撃隊、小郡に集義隊、自力隊、狙撃隊。上関の義... 続きをみる
奇兵隊が結成されたのは文久三年(1863)六月。長州藩が幕府に黙って山口に政庁を開いて二ケ月後、創設地は下関の白石正一郎邸だった。 「家臣団以外から兵を募るという着想は、高杉の奇兵隊以前からあ」り、「周布政之助が、民兵の創設を早くから説いている」(村松剛『醒めた炎』上巻)。 ここに至るまでの高杉の行... 続きをみる
高杉晋作と言えば奇兵隊。この武士、百姓、町人、職人混成でアドホックな武力集団が維新への血路を開く原動力となったことは明らかな歴史の事実。 だが、華々しく後世に伝わる高杉晋作の功業に対してひっそりと影になって、維新の舞台裏に仆れた無名の人々が夥しいのである。 (一将功なりて万骨枯る) なかでも晋作を徹... 続きをみる
「敬天愛人」は西郷隆盛の遺訓である。 いつ、どこで、西郷はこの思想的境地に達したのか? 筆者は西郷がこの思想に到達した場所を沖永良部だったと考える。西郷が島流しにあった三つの島(奄美、徳之島、沖永良部)を二回に分けて訪れた結果である。 「安政の大獄」の追求を逃れるために変名で隠棲した奄美大島は亜熱帯... 続きをみる
終戦の間際、大本営の代替地に信濃の象山が選ばれた。 機密の地下要塞工事が進められていた。総延長およそ10キロのトンネル、ここに司令部を移し、米国との戦争を継続する際に大本営となるはずであった。 現在、この跡地は誰でも見学できるが、道案内もなく道に迷う覚悟で。設備は地下要塞として壮大頑健である。受付で... 続きをみる
教科書で教わる「島原の乱」とは天草四郎率いるキリスト教徒の叛乱を徳川幕府が鎮圧したことになっている。 秀吉が切支丹バテレンを禁教としても、地下教会で猖獗を振るっていたことになる。耶蘇教の脅威は熾烈なことだったと近代の歴史家は口をそろえる。 が、はたしてそうか? 「島原の乱」の拠点となった原城址と島原... 続きをみる
会津若松の鶴ヶ城の裏手、松並木の目立たない場所に大きな石碑が立っていて「山鹿素行生誕地」とある。東郷平八郎の揮毫である。ゆえに近代に評価され直したということだろう。また赤穂城には山鹿素行の胸像が設置された。 山鹿素行の墓は新宿の曹洞宗・宗参寺。拙宅から近いので時折、墓参に行くが、墓地中央部の一段高い... 続きをみる
後醍醐天皇の「建武の中興」を最近の歴史教科書は「建武の新政」と教えている。南朝が正統とする記述はない。 しかし北畠親房の『神皇正統記』を嚆矢として、江戸中期には頼山陽の『日本外史』がひろく読まれ、挙げ句に徳川光圀の『大日本史』は南朝正統論に立脚した。水戸学は江戸幕府の中枢の歴史観であり、まさか幕府中... 続きをみる
桓武天皇が一大政治刷新を目指し政治手段として遷都を活用した。 奈良仏教と平城京の既得権益組の影響力を力づくでそぎ落とし、桓武の権力基盤を盤石なものにするため、最初は長岡京が選ばれた。それまでに平城京は汚染甚だしく、また水利が悪く、都市としての限界が見えていた。 桓武天皇には狩猟が好みで遠くへ出かけて... 続きをみる
(承前) 筆者は藤原種継暗殺の真犯人はともかく、誰が一番得をしたかと後智恵で判断すれば、桓武天皇にいきつくと述べたことがある。 早良王は高野新笠を母とする桓武天皇の同母弟である。母方の出自を事由に立太子は望まれておらず、天平宝字5年(761年)に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み、「親王禅師」と... 続きをみる
桓武天皇御陵のことから書くと或いは分かりやすいかもしれない。 桓武を祀るとされる、「柏原御陵」なるものは、明治13年になって慌てて、伝承を元に「あのあたりじゃないか」として治定したもので、急拵えである。本当はどこにあるのか不明なのである。 秀吉が一帯を破壊・整地して伏見城を築城した。しかも秀吉が好ん... 続きをみる
江戸幕府が平和と安定のために朝鮮通信使を受け入れた経過は歴史教科書にもでてくる。 江戸時代の朝鮮通信使は李氏朝鮮の江戸幕府への挨拶、朝鮮側の朝貢だった。日本からは一度も使節団は派遣されていない。朝鮮通信使は十二回にわたり、慶長12(1607年)から文化8(1811年)までの二百年余つづいた。最後の通... 続きをみる
聖徳太子が直面した難題はシナ大陸と朝鮮半島から吹いてくる軍事的脅威に、いかなる外交を展開して危機を乗り越えるかという外交的な安全保障の課題だった。 すでに朝鮮半島には出兵を繰り返していたため、日本にはそれなりの軍事力があり、また戦争にも馴れていた。 高句麗は唐に面従腹背で、武装を整えている。高句麗は... 続きをみる
日本にとって最初の対外戦争は白村江ではなく、神功皇后の三韓征伐である。その前後にも出兵記録はあるが詳細は不明だ。 新羅を相手にした白村江以前の戦争では日本が勝利したと日本書紀は言う。 主役は男装の麗人、というより日本史上稀な女傑、出陣のおりにはミズラに髪型をかえて部下を武者震いさせた神功皇后である。... 続きをみる
ワグネル傭兵部隊のボス、かつてプーチンの料理長といわれ、異例の出世をとげていたプリコジンが、2023年8月23日に搭乗したプライベートジェット機が墜落し、死亡した。粛清だろう。 ロシア当局は8月27日、DNA鑑定によりプリコジン本人と確認されたと発表した。搭乗していた十人は全員が死亡。殆どがワグネル... 続きをみる
たまたま出先でテレビをつけると、大河ドラマの再放送をやっていた。徳川家康の『小牧長久手』だった。このシリーズ、初めて見た。 一言の結論。『のけぞった』。あまりに単細胞的であり、あまりに表面的解釈であり、戦闘場面が貧弱な映像であることなぞ、論ずるまでもない。そのうえ役者たちが若すぎるのか重量感も風圧も... 続きをみる
たとえば「纏向(まきむく)遺跡」は日本で初めての都市である。ここに都宮があった。 JR巻向は無人駅。すこし高い駅の月台(プラットフォーム)から見渡せるのは田圃、新興住宅。付近一帯に詳細が不明な遺跡が点在する。というより、飛鳥の御代、ここは日本で最初の都市とも言われ、宮殿が営まれ、その宮殿は卑弥呼がい... 続きをみる
いったい縄文から弥生時代にかけて、原日本人はいかなる言葉を駆使し、どのように会話していたのだろうか。この問いかけに明確な答えがでるはずはない。 そこで、古語をそのままに口承されたものを書き取った。つまり天武天皇の勅によって、稗田阿礼が記憶して口承し、それを太安万侶が書き取ったのが古事記である。 古事... 続きをみる
古事記の成立は西暦712年、発企されたのは天武天皇で稗田阿礼が暗記した国記、天皇記などを太安万侶が編纂した。筆者の推定では古事記は推古天皇でぷっつんしており、凡そ百年の空白があるが、蘇我氏の扱いで揉め、おそらく蘇我氏のことを触れないか、削除した。大化の改新は後世に挿入された前書きで高く評価された。 ... 続きをみる
ユダヤ、キリスト、イスラムという三大宗教が成立する以前。オリエントには無数の神々がいた。ユダヤ教の成立基盤にはそれ以前のミトス教(ミトラス教)があり、ペルシアのイスラム教はゾロアスターとの習合がある。インドにはヒンズーがあって仏教が改革を叫び、インドから東へ拡がった。 多神教のオリエントからアジアに... 続きをみる
天皇は祭祀王である。キングでもツアーでもエンペラーでもない。 「天皇が勅定あそばされるべき『元号』が内閣によって決められたのは国体隠蔽である」(四宮正貴『政治文化情報』、平成31年4月28日号)。 いうまでもなく日本の天皇は祭祀王(プリースト・キング)であって、諸外国の皇帝、ツアー、王(キング)など... 続きをみる
左翼歴史学者の言い分は霧の彼方へと消えた。合理主義の罠に陥没したからとも言える。 「古事記も日本書紀も天皇の支配を正当化する政治宣伝文書」だとか、「神話は科学的ではない」と批判した人たちの主張は左翼メディアにまだ多少は残存しているが、津田左右吉をいまさら評価する学者は少数派となった。 梅原猛の珍説も... 続きをみる
■1.泰時が築いた日本の骨格 昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では鎌倉幕府2代執権・北条義時を中心に鎌倉幕府草創期が描かれ、その過程で源頼朝に加勢した多くの氏族が次々と内紛で滅ぼされていくという展開に息を呑みました。なにしろ13人には倒された長たちの人数でもあると言うのです。 ドラマの終盤で... 続きをみる
新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継皇子が不在となる危機の到来を意識し、閑院宮家を建てるよう将軍に建言した。その皇統を維持した経緯を次のように回想した。 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のため... 続きをみる
(承前) 翌1275年二月、日本再侵攻の準備を進めると同時に服属させる目的で使節団を派遣した。長門国室津に来着するが、執権・北条時宗は使節団を鎌倉に連行し斬首した。十月、高麗において戦艦の修造を開始し、前回の文永の役で矢が払底していたため矢羽、鏃の増産を命じた。 1276年(建治二年)一月、南宋侵略... 続きをみる
元寇はチンギスハーンが開いた元朝が、高麗に命じて大規模な船団を建造させ、尖兵とさせた。道案内役兼捨て駒である。まえにも書いた記憶があるが、戦士たちは高麗兵とシナ、なかにはインド人や黒人もいた。指揮官いがいモンゴル人はいなかった。騎馬民族は舟には弱い。 二回目は主に南宋軍が犠牲となった。近年引き上げた... 続きをみる
古代史では皇位継承をめぐって皇子達の悲劇が繰り返された。 亀井勝一郎は「天皇をめぐって貴族と坊主たちの陰謀が渦巻いた時代」という意味の概括をした。 三島由紀夫は「日本の深い根から生い立った暗さ」と比喩した(『豊饒の海』)。 この稿では早良親王、長屋王、穴穂部皇子、有馬皇子、大津皇子の悲劇を見よう。 ... 続きをみる
猛暑がつづき脳幹の機能がくたびれて、思考能力が弛緩した。このだらだらとした猛暑を吹き飛ばしてくれるのが本書である。 『明治維新』を是とする人たちにとっては「不都合な真実」が並んだ。 岩倉具視は、維新の立役者として高く評価された。ところが維新の黒幕というより「幕末の蘇我馬子」だった。当時の岩倉具視は禁... 続きをみる
(壬申の乱の続き)。 六月二十七日、尾張国司の小子部氏らが兵二万を率いて大海人皇子に帰服したので大勢が決まった。尾張の諸豪族は最初から大海人皇子側に付こうとしていたわけではなく、情勢を見て勝ち馬に乗ったと考えられる。 積植(つむえ)の山口は壬申の乱の激戦地のひとつとなった。近江を抜け出した高市皇子を... 続きをみる
前回、壬申の乱に触れたので、その続き。 近江朝を倒した天武天皇は飛鳥浄原宮に皇居を戻した。多くの制度改革に着手した。また通貨「和同開珎」を発企した。シナとの交流の絶縁は三十年に及ぶ。天武帝の最大の文化史的業績は古事記、日本書紀の編纂を発企し、万葉集の編纂に熱意を示したことである。 天武天皇はわが国の... 続きをみる
■1.北海道への歴史攻撃 「北海道はもともと先住民族アイヌのもので、日本人はそれを侵略収奪した」というプロパガンダ攻撃が強まっています。 その一つが札幌市にある「北海道百年記念塔」の解体です。「百年」とは1868年に「蝦夷地」から「北海道」に改称し、近代的開発が始まってから100年を経たことを意味し... 続きをみる
古典として棚に飾っている人は多いだろう。 北畠親房の『神皇正統記』が何を唱えているか。一言でいうと、日本は神国であり、天皇の統治される国であるというわが国のまつりごとの原理、保守原理主義の源泉である。 幕末まではもてはやされた。思想的影響力が甚大だったという点では慈円や山鹿素行を超える。 むしろ吉田... 続きをみる
「鎌倉幕府の興廃、この一戦にあり」と叫ばれた「承久の乱」は果たして後鳥羽上皇の反幕府クーデターだったのだろうか? 朝廷に軍事力が備わっていなかったのは明白であり、承久の乱の解釈を改める必要がありそうだ。 後鳥羽上皇側についた朝廷軍は武運つたなく敗れ、後鳥羽は隠岐へ流された。「後鳥羽上皇の無謀な鎌倉幕... 続きをみる
北九州から山口県北部、島根、鳥取から福井の敦賀港、三国、能登の福浦、越中の伏木、新潟は糸魚川、新潟港まで日本海に面する港町は縄文時代から江戸時代まで殷賑を極めた。 対馬海流にのって半島からの交易船や使節団と頻繁な交易、交流が筑紫、出雲、伯耆、丹後、若狭、越前から越中は氷見、伏木、魚津に港が並ぶように... 続きをみる
出雲を統治していたオオクニヌシノミコトと高志国の女王ヌナカワヒメは夫婦となり、その子タケミナカタ(諏訪大社の主神)は信濃を治めた。ゆえに三ケ国は親戚同士である。出雲と高志は夫婦。信濃はその子供。 高志の翡翠と信濃の黒曜石と出雲の銅鐸に象徴される鉱物の交易、交換で密接な交流があり、この「三国連合」はま... 続きをみる
「刀伊の入寇」は女真族海賊の来襲事件をさす。 夥しい人的被害が記録された。幕末の史論は「寛仁異賊之禍」とし、明治には「刀伊の賊」などと表現された。当時も女真族の襲撃という表現で「倭寇」、「元寇」の「寇」が用いられるのは水戸光圀「大日本史」以後である。 寛仁三年(1019)3月28日、対馬・壱岐が突如... 続きをみる
忠義の豪族、楠木正成は「悪党」出身である。 楠木正成を歴史の誇りの中に再発見し、忠義の見本として評価したのは水戸光圀である。江戸幕府の大幹部が、将来の倒幕の原動力となる南朝史観を植え付け、幕末維新の尊皇攘夷の爆発に繋がるのだから歴史とはイロニーに満ちている。 後醍醐天皇が笠置山に義挙の烽火を挙げた。... 続きをみる
薩摩という土地柄を抜きにして西郷は語れない。 郷中教育、薩摩示顕流という裂帛の剣法、鎖国時代の二重鎖国という政治構造、琉球統治、そして食文化的には焼酎があり、日本酒は飲まないのが薩摩男児である。 もうひとつの特色は薩摩のあちこちに広がる豊富な温泉である。 西郷隆盛を語るとき、切っても切れない関係は酒... 続きをみる
大河ドラマ(「どうする家康」)を見ていないので、いま放映されている徳川家康がどの程度、史実と乖離しているか、論じようがない。 『週刊新潮』(2023年8月17日号)によれば大きく五つの間違いがあるという(「ひどすぎてどうにもできない史実乖離ワースト5=歴史研究家のブーイング」)。 いつものことNHK... 続きをみる
関東ローム層が関東平野を蔽っていることは小学生の地理でもならう。これは火山灰層である。火山灰がふりかかり古代の地層を埋めた。 火山帯である富士・箱根や赤城、榛名、浅間山などからマグマが噴出し、かなり広域に火山灰が堆積した。氷河期が終わりかけていた時代、とくに赤褐色の粘土質が含まれる。 ということは海... 続きをみる
戦後の歴史教科書では「朝鮮通信使」は豊臣秀吉がなした「侵略」に対して江戸幕府の懺悔、謝罪のために朝鮮通信使を厚遇したとまるっきり倒錯した史観で貫かれている。 そんな真逆の解釈がまかり通るのは日本人特有の自虐史観のなせる業だろうか。 秀吉の朝鮮半島進出が「侵略」であったわけだから、日本は謝罪し、賠償金... 続きをみる
大塩平八郎の乱と後世に呼ばれる社会擾乱は、庶民、学者、武士、町民が一緒になった大阪の暴発劇だ。 正義を尊んで知行合一を志す学問「陽明学」の著名な学者だった大阪奉行所与力の大塩平八郎が不正、腐敗、世の中の飢えを救うために立った義挙である。 大塩平八郎の先祖は今川家家臣で、断絶後、徳川家に奉公したことが... 続きをみる
所謂「朝鮮の役」は秀吉の「野望」であり、朝鮮半島への「侵略」であり、我が子を失った気休めに朝鮮戦争を引き起こしたとか、論功行賞が不足して領地が足りなくなったので海外侵略を狙ったとか、まるで史実を無視した歴史解釈がいまも横行している。 歴史学者の解釈は支離滅裂であり、教科書の歴史教科書も「侵略」と定義... 続きをみる
菅原道真はなぜ神となったのか。日本全土にある天神、北野神社の主神は菅原道真である。彼の最大の功績は遣唐使の廃止を建言したことである。 しかも彼は遣唐使大使に任命されていたのである。 遣唐使を一時中断したのは天武天皇だが、持統天皇となって藤原不比等が台頭すると再開された。 菅原道真は単に学者政治家では... 続きをみる
縄文時代の遺跡から、戦争のあとが見つかっていない。縄文時代の集落は環濠スタイルのつくりはない。わが国の縄文時代、平和が一万年以上続いた。 若泉敬(京都産業大学教授。佐藤政権で沖縄返還の密使)から直接聞いたことがある。 或る国際会議の席で日本の平和努力を語る氏に対面のハーマン・カーン博士が日本のタバコ... 続きをみる
任那はわが国の飛び地だった。百済は保護国だった。楽浪郡がシナの朝鮮半島のおける飛び地だったように。 米国にとってアラスカは飛び地であり、ロシアはリトアニアとポーランドに挟まれたカリニングラードが飛び地である。アルメニアはアゼルバイジャン領内のナゴルノカラバフ、アゼルバイジャンは逆にアルメニア南西部が... 続きをみる
「刀伊(とい)の入寇」は女真族海賊の来襲事件。夥しい人的被害が記録された。幕末の史論は「寛仁異賊之禍」とし、明治には「刀伊の賊」などと表現された。 寛仁三年(1019)3月28日、対馬・壱岐が突如襲われ、4月7日に女真族海賊は壱岐から博多を襲ったと太宰府に報告された。 9日には博多警固所も襲撃を受け... 続きをみる
■1.「この世は 自分(道長)のためにあるようなものだ」? 藤原道長と言えば、誰でも思い浮かべるのが、次の歌でしょう。 此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば この歌のよくある解釈は、次のようなものでしょう。 「この世は 自分(道長)のためにあるようなものだ 望月(満月)のように 何... 続きをみる
■1.女性議員の比率を上げたら この3月頃、あれだけテレビや新聞を騒がせた立憲民主党の小西弘之議員の高市早苗・経済安全保障担当相に対する「放送法解釈変更疑惑」の問題は、どこに行ったのでしょう。誰が書いたのかも分からない、本人にも回覧されていない「行政文書」で追求するという筋の悪いシナリオで攻撃する小... 続きをみる
■1.北海道への歴史攻撃 「北海道はもともと先住民族アイヌのもので、日本人はそれを侵略収奪した」というプロパガンダ攻撃が強まっています。 その一つが札幌市にある「北海道百年記念塔」の解体です。「百年」とは1868年に「蝦夷地」から「北海道」に改称し、近代的開発が始まってから100年を経たことを意味し... 続きをみる
重光葵のことを知らない人が多い。 大分県出身。杵築に育った。東京帝国大学卒業後、外交官として獅子奮迅の活躍をしたことは語り草である。重光はミズーリ号における不名誉な降伏文書調印の全権。随員が加瀬俊一だったことは教科書にも写真入りで出てくる。 本書は不当にも東京裁判で、ソ連の猛烈な横やりで戦犯に擬され... 続きをみる
本書のテーマは『ユダヤ人と日本の古代における文化交流』である。 いきなり遠い国の話をするが、評者(宮崎)が南太平洋の島嶼国家、トンガに行ったのは劇甚な台風被害の前だったから4年ほどは前だろうか、二階建ての建物が少なく農地はサトウキビ、唯一の三階建てビルは中国大使館だった。 静かな波打ち際のホテルには... 続きをみる
下田歌子 ~「ゆりかごを揺らす手が世界を動かす」 歌子は平安王朝の官女そのままの姿で、ヴィクトリア女王の謁見に臨んだ。 ■1.バッキンガム宮殿での平安朝衣装 1895(明治28)年5月8日、教育者として英国留学中の下田歌子はヴィクトリア女王との謁見を許された。大英帝国の女王の前に出るのは、日本女性と... 続きをみる
■1.「民のために軍事(蝦夷の平定)と造作(平安京建設)を止めるべし」 昨日は一年ぶり京都駅で降りましたが、どちらを見ても大きな荷物を抱えた欧米人の観光客の姿が目立ちました。相変わらず京都は日本観光の中心のようです。 先年、2025年大阪万博の招致に関する仕事でパリやロンドンにある各国大使館を回った... 続きをみる
これまでの通説では天智天皇の実弟、大海人皇子(後の天武天皇。本書の主人公)が皇位簒奪を狙って壬申の乱を引き起こし、大友皇子の近江政権を斃したのだとあっさり記述されてきた。 そんな簡略記述でよいのか? 歴史の謎解きは、そこからはじまるのだ。なぜ吉野に隠棲していて手勢二十人程度だった大海人皇子が鈴鹿、伊... 続きをみる
世界が唖然となるほどに驚いた。極東の小さな島国の海軍が世界最強といわれたロシアの主力艦隊を完膚なきまでに壊滅させた。 この日本海海戦はすでに多くが語られ、小説でも司馬遼太郎の『坂の上の雲』など、資料もあらかたが出版され、語り尽くされた。 本書は何が新しいのか? 阿川尚之(慶応大学名誉教授)の推薦の言... 続きをみる
■1.「オロシア人だ!」 砂浜に座るアイヌの男女に混じって、後の方でかしこまっている三人の男たちの姿が最上徳内(もがみ・とくない)の目に止まった。 「オロシア人だ!」 徳内は、胸の内で叫びました。天明6(1786)年5月、択捉(エトロフ)島の北端の海岸でのことです。北海道本島から東北にカムチャッカ半... 続きをみる
■1.「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」■ 「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」 福澤諭吉の生涯は、この武士としての意地から始まったのではないか。「親の敵」とは比喩ではない。諭吉の父親は学問を志しながらも、下級武士として細々とした事務的な仕事しか与えられずに、45歳の短い生涯を終えた。 父の生... 続きをみる
孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇の時代において、日本の最大級の外交的変化は、渤海国からの度重なる使者の来駕である。 渤海は高麗に替わって建国された。いまの北朝鮮である。渤海使は敵対した新羅の沖合をさけるため船は日本海を縦断し、出羽から越後、能登から若狭へ漂着することが多く、太宰府へ逐一回航して丁寧にもてな... 続きをみる
■1.GHQに焚書処分にされた「電力王」の一冊 福澤桃介は福澤諭吉の婿養子で、電力業界の発展に多大な貢献をして「電力王」と呼ばれた人物ですが、晩年には多くの著書を残しています。その中の一冊に、大正11(1922)年の『西洋文明の没落 東洋文明の勃興』があります。今回、この本が復刻されました。 桃介は... 続きをみる
■1.女子中学生も文学博士も感動した聖武天皇のお言葉 かつて左翼偏向教育が盛んな頃は、中学生の修学旅行を引率してきた教師が大仏殿に来て「先生は入らないが君たちは二百万人もの人民を酷使してつくった大仏をよく見て来い」といって、出口で待つといった光景が伝えられています。[森本、p22] しかし、歴史人物... 続きをみる
■1.「利根川の東遷」「淀川の西遷」 利根川は群馬県から東に流れ、銚子のあたりで太平洋に注ぎます。しかし、江戸時代以前は、江戸湾(東京湾)に流れ込んでおり、ひとたび洪水を起こすと頻繁に水路が変わり、流域は度重なる水害に襲われていました。これでは安心して住むこともできず、田畑の耕作もできません。 そこ... 続きをみる
戦後の天智天皇論は中西進、森公章、遠山美都男らが書いた。いずれも力作ではあるが、菊花の匂いがしない。古事記、日本書記をやぶにらみ、素直さがないのだ。 天智と天武の兄弟物語は多くの漫画にもなった。井上靖は額田の女王を中軸にした古代浪漫を書いた。情緒豊かな恋愛のロマンスとなった。 かくして現代日本人が描... 続きをみる
2023.4/10 復元された徳川幕府の旗艦「開陽丸」。蒸気軍艦で最新の大砲「クルップ砲」を装備していた=北海道江差町 西欧侵攻を排除し、太平の世を確立した徳川幕府は、国内の銃砲統制、軍縮を断行し、日本の銃砲発達は止まった。明治以降、徳川幕府は「停滞と不正の象徴」のように喧伝されるが、江戸太平の世に... 続きをみる
2023.4/9 桜島を望む錦江湾。1863年、英国艦隊が同湾に侵入し、薩英戦争が始まった 幕末動乱期の1862(文久2)年8月、薩摩藩藩父、島津久光の行列を馬に乗ったまま横切ったとして、家臣が英国人一行に斬り付け、1人が死亡、2人が負傷する「生麦事件」が発生した。 英国は翌63年、犯人処罰要求に応... 続きをみる
大型貨客船「報国丸」の誕生は希望に満ち、輝かしい時代の幕開けだった。 しかし貿易商船として第一線で活躍できた時間はあまりにも短かった。日米開戦を前に多くの民間船が商業活動を中断され、軍用船となったのである。なかでも最新鋭の「報国丸」は、重武装の軍艦として生まれ変わった。 突然変異? 改造軍艦ゆえに表... 続きをみる
皇室の将来と日本の未来を考えるの件。
加冠の儀 (番外1) 儀装馬車 追加:不明朗な参列者発表
27日 相乗効果・・海と馬車
【訂正】那須町大日向地区について
26日 今上ご夫妻 ダンマリで3度目の静養へ
キャベツ畑で捕まえて・・名誉退職した天皇ご夫妻
22日ー2 愛子さま、悠仁殿下「成年式」行事に対抗
22日 TICAD宮中茶会・・愛子さまのcurtsyお披露目不発
20日 (久子さま+愛子さま+美智子さま)
11日~17日 天皇ご一家ご動静
8月18日(月)~24日(日)ご予定
雑:青森にはキリストの墓があり、高尾山には悠仁殿下の胞衣塚があるという
今上ご一家長崎訪問公式日程・・御日程は公的私的が臨機応変
15日戦後80年全国戦没者追悼式 (少し加筆)
加冠の儀(6)服装・装束 メモ