小さな法話のムラゴンブログ

  • 一花開いて世界起こる

    そろそろ春のシーズンも、猛暑日の到来とともに終わりのようです。 切り花となって、玄関を華やかに飾っています。 「一花開いて世界起こる」という禅語があります。 たった一輪の花によって、その人の今いる世界が明るくなるということです。 薔薇一輪が、世界を明るくするのです。 家の中にも、家族の中にも、あなた... 続きをみる

  • 春色無高下 花枝自短長

    春色無高下 花枝自短長(しゅんしょくこうげなく かしおのずからたんちょう) このような禅語があります。 咲く薔薇にはいろいろな種類があります。 白い花や赤い花、様々な色があり、また、形があります。 同じ鉢に咲く薔薇でも、花の大きさや色はそれぞれです。 それぞれではありますが、どれも同じように太陽の光... 続きをみる

  • 桜咲く

    窓からは、饗庭野駐屯地の桜が咲いています。満開のようです。 少し前までは、まったく咲いていなかったのに、知らぬ間に咲いています。 そういえば、今年は大雪でしたが、あれだけあった雪の塊がすっかりなくなっています。まるで元からなかったようです。 でも、なくなったといっても、溶けたんですね。溶けて大地に浸... 続きをみる

  • 感謝

    お釈迦様のおられた時代の、インドの言葉のひとつに「サンスクリット語」が使われていたそうです。 私たちにはなじみの無い言語になります。 もうしばらく経つと、春のお彼岸を迎えます。 先祖供養にと、お花や線香を持ってお墓参りをされる方も多いと思いますが、サンスクリット語では、供養とは「感謝する」「尊敬する... 続きをみる

  • 冬模様

    今年も残りわずかとなりました。 年々、月日の経つのが早く感じます。 周りの景色も、もう冬景色です。いつ銀世界になってもおかしくないようです。 紅葉でにぎわったメタセコイヤ並木も、葉が散り始めています。紅葉が有名なこの並木は、新緑の頃も夏の頃も、年中きれいな並木ですが、紅葉が終わり初雪の降った頃は観光... 続きをみる

  • 聞く

    相手に直接話を聞くことが多いのですが、ついつい聞いたつもりになりがちです。 同じ話でも、人づてに聞いたほうが、信用しがちです。これを横の関係とみれば、以前に聞いた話が、相当時間が経ってから、ああ、そういえば前に聞いていたな、ということもあります。つまり縦の関係ということになります。 いずれも、直接聞... 続きをみる

  • 花は紅

    この赤い花を喜んでみてくださる方がおられます。 とても嬉しいことです。私にとっても、また花にとっても。 こんな禅語があります。「花は紅 柳は緑」 花は紅く咲くから、柳は緑の葉を繁らせるから、どちらも美しい。それぞれが輝いているから美しいのです。白い花は白く咲くから、楓は紅く色づくから美しいのです。 ... 続きをみる

  • higan

    秋分の日を中心にした週間が秋のお彼岸の時期となります。 お墓に参り、先祖供養のお勤めをします。 「彼岸」とは、その字の通り「かなたの岸」になります。此岸、こちらの岸を離れ、かなたの岸に行くことで、涅槃の境地に至ることで、仏教では亡くなってからではなく、いちはやくこの境地に至ることを目指します。 例え... 続きをみる

  • hakushu2

    白薔薇はその葉を噛んでも白薔薇の香ひがする。 その香ひは枝にも根にも創られている。 花とはじめて香ひが開くのではない。 白薔薇の香ひそのものがその花を咲かすのである。 北原白秋の言葉だそうです。 私の命も、私が産まれてからの命ではない。枝や根があることに気付くことなのです。

  • hakushu

    薔薇の花が咲く日まで少しありそうです。 そこで、ポエムをひとつ。 一 薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花咲ク ナニゴトノ不思議ナケレド 二 薔薇ノ花 ナニゴトノ不思議ナケレド 照リ極マレド木ヨリコボルル 光リコボルル 薔薇の木に薔薇が咲くのは当たり前ですが、この当たり前は、たいへん不可思議なことです。 あらゆる命... 続きをみる

  • 五色幕

    各地のお寺に参詣すると、よく華やかな色の幕を見受けます。 お寺によって色は変わるようですが、白、赤、黄、青(緑)などです。 この幕は、外に掛けられていたり、中に掛けられていたりとさまざまです。 お寺によっては、法要が営まれる時に掛けられることもあります。 幕が風にたなびくたびに、お経を読む功徳がある... 続きをみる

  • 松無古今色

    松飾りを飾り終えるのは、松の内や小正月、二十日正月と、地域などにより様々なようです。 松は、季節に関わらず常に翠を保つ変わらなさから、不変の象徴のようにとらえられます。右往左往しない心を示している様です。 実際には、古葉若葉の替えはあり、常に移り変わっているともいえます。諸行無常を表しているともいえ... 続きをみる

  • 今年の干支は、申です。 そこで、サルのお話です。 ジャータカ物語にお釈迦様の前世のお話があります。兎の時もあり鹿の時もあり、ある時は猿でした。 猿の群れ率いる王様であったそうです。 ある時、崖のそばでマンゴーの実を食べている時に、人間の軍隊に見つかってしまったのです。 捕まったら殺されてしまう。とっ... 続きをみる

  • 盆と薔薇

    庭では、わずか2輪の薔薇が残っています。 ようやくお盆の行事がおわりました。 暑い時期の法要は、年々堪える様になりました。 お墓参りや棚経などでお勤めをしていると、お墓やお位牌に自然と手を合わす老若男女の姿があります。 頭で考えての行動ではなく、自然と手が合わさるその姿は、長い間日本の歴史の中で仏教... 続きをみる

  • お墓の草取り

    まもなくお盆を迎えます。 八月盆の当地では、早くもお墓参りが始まっています。 早朝から、父母であったり先祖であったりに心を馳せるのです。 たまたま午後2時ごろにお墓に所用で行ったところ、50代ぐらいの男性が草取りをされていました。 しばらくお墓を訪れていなかったのか、たくさんの雑草が生い茂っている中... 続きをみる

  • 夏と薔薇

    暑い日々が続きます。 緑と土と水のあるところで、これだけ暑いのだから、コンクリートの塊の世界は想像さえできません。 つい、体温より高い気温というのは、どうなんだろうと思ってしまいます。 庭では薔薇が咲いています。 この暑さで元気がなさそうです。 きっと薔薇も暑いだろうと思うのですが、薔薇が暑いと言っ... 続きをみる

  • 他は是れ

    暑い日々が続きます。室内にいてもまいってしまうようなこの頃です。 明日から8月です。まもなくのお盆を控え、とあるお寺では方丈様が庭木の剪定をされていました。 もう決して若くない方丈様ですから、つい「この暑さですから無理をしないでくださいね」と声掛けをしたところ、 「できるうちは、自分でやろうと思う」... 続きをみる

  • 「禅」という文字に関心を持つ人が増えているそうです。 もともとインド語の「ゼンナ」を音写したもので、ものごとの本当の姿、在り方を見つめ、正しく対応していく心のはたらきを調えることを指すそうです。 日々の心の働きにとらわれることの無い「私」に出会うのです。 1日は坐禅会です。ご興味のある方は、どうぞお... 続きをみる

  • 流れのなか

    夏の暑さが戻ってきました。 薔薇の花の色が日ごと薄くなっていきます。 その花のもとで、一匹のコガネムシ死んでいます。 きっと以前、花にたかっていた虫でしょう。 コガネムシには無数の蟻がたかっています。 自然界の中の普通の出来事ですが、その普通の出来事を特別と捉えてしまう事が、人間にはあります。 移ろ... 続きをみる

  • 古教照心

    縁あって手に入れた掛け軸に書かれた言葉が「古教照心」です。 現代社会に生きる私は、昔から続く教え、師匠の教えにそって自らを顧みて、更に向上に励まんということです。 この二十数年来、この軸のこの言葉が大切な言葉のひとつです。

  • 真珠の涙

    江戸時代の禅僧、白隠はたくさんの僧や人々に法を説いていました。 その中に、さつというひとりの老婆がおり、たいへん熱心に法を聞いており、白隠からも認められていました。 ある日、さつさんの孫が、幼くして亡くなりました。 可愛がっていた孫の死に、さつさんの悲しみはたいへん深く、お葬式の場で人の目も気にせず... 続きをみる

  • 蜜湯

    仏さまにお供えするものは、線香やお華、お菓子や果物などさまざまです。 その中で、お茶と並んで、蜜湯をお供えします。 仏さまは、温かいもの、甘いものを好まれると言われ、神様は冷たいもの、辛いものを好まれると言われています。 かっては、砂糖がなかなか手に入らない高級品であり、身近にとれる蜂蜜を湯に溶かし... 続きをみる

  • 言葉

    うららかな春の季節です。 午後からは、眠たくなる頃です。 特に、人の話を聞いているときは、居眠りをしている方を見かけます。 ついつい「春眠暁を覚えず」という言葉を使ってしまいます。 その出典は、孟浩然の詩『春暁』の「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、花落つること知る多少」です。 春の季節... 続きをみる

  • パン

    ボランティアといってもさまざまな活動があります。 素晴らしいものから、いろいろです。 東南アジアに「学校」を贈る活動をされている方があります。 毎年、その状況を確認しに行かれるそうですが、その際訪問した学校の子どもたちに「食事」をプレゼントされるそうです。 ある年も子どもたちに、パンを配られたそうで... 続きをみる

  • 観音菩薩

    お寺参りというと、京都や奈良の観光寺院にでかけることや西国三十三か所めぐり、四国八十八か所めぐりを想像します。 お寺の伽藍を見に行くのではなく、祀られている仏様を拝みに行くのです。 お釈迦さまや不動さんなど様々な仏さまがおられますが、観音さまが多いようです。 室町時代から江戸時代にかけて、観音信仰が... 続きをみる

  • 区分

    桜前線が、北へと移っていきます。 季節がめぐるのは、地球が太陽の周りをまわっているからです。 「私」は季節の「外」にいるのではありません。 季節と私は、同じなのです。 知識の中で、勝手に区分をしているに過ぎないのです。 お釈迦さまは、「空に東西の区別など無い。人は自らの心によって区別を作り出し、 そ... 続きをみる

  • 川北忌

    桜の咲く季節は、川北隊という部隊の慰霊の季節でもあります。 慰霊碑にお参りすることはできないのですが、11日の土曜日にお位牌に丁寧にご供養申し上げます。 太平洋戦争のさなか、今津にこられた川北隊は、出兵命令を受けます。 そして南方へ出兵され、多くの方がお亡くなりになったそうです。 見送った方々も、悲... 続きをみる

  • 合掌

    白鳳十四年(西暦686年)に天武天皇の勅が出されました。 「諸国の家ごとに仏舎を作り、仏像や経巻を置き、礼拝供養せよ」というものです。 これが、今日の仏壇のはじまりという説があります。 他にも。説はあるのですが、いずれにしても自分の家族や知り合いなど人間ではなく、木や金属などに手をあわせるのです。 ... 続きをみる

  • 逢花打花逢月打月

    逢花打花逢月打月 (はなにあえばはなをたし、つきにあえばつきをたす)という禅語があります。 咲いている花を美しいと思い、月を見上げて月の灯りを思う。 出会ったことをそのまま受取り、あるがままの私であること。 あれがどうだとか、これがどうだとかではなく、そこにある世界を感じる事こと。 もの事はいつも変... 続きをみる

  • 口中に生じた斧

    ある男が、お釈迦さまに馬事雑言を浴びせました。 お釈迦さまは、これを黙っておられました。 男が言いくたびれて、一息ついたときに、お釈迦さまは尋ねました。 「あなたのお家にお客さんは来られますか?」 男が「ええ、来られますよ」と答えると 「そのお客さんに御馳走を出されたことはありますか?」 「ええ、あ... 続きをみる

  • 老倒疎慵無日

    「老倒疎慵無日 閑眠高臥対青山」(ろうとうそようぶじのひ かんみんこうがしてせいざんにたいす)という言葉があります。 漢字ばかりが続くと、難しいように勝手に思い込んでしまします。 年老いてすっかり丸くなった人が、高枕で青山を眺めながら寝ているということです。 こだわりのない禅僧の境地をあらわしている... 続きをみる

  • 彼岸

    春のお彼岸です。 自分の足元を見つめ直す、よい期間です。 彼岸は、此岸から彼岸へ至るといわれますが、 言葉を変えれば、此岸はそのまま彼岸になるのです。 「今」を生きている私が、彼岸になるのです。 そこに何の区別も境も無くなるのが彼岸です。 薔薇「禅」は、誰かに言われることもなく、花を咲かせる準備をし... 続きをみる

  • 八風吹けども動ぜず

    昨日はひどい風が吹きました。比良八荒の時期を迎えます。 『寒山詩』に「八風吹けども動ぜず」という句があります。 八風とは八方から吹く風のことで、 八方とは、利・誉・称・楽の四順と衰・毀・譏・苦の四違を言います。 利は自分の意に叶うこと、誉は影で褒められること、称は直接褒められること、楽は人を喜ばせる... 続きをみる

  • 常楽我浄

    立春、雨水、啓蟄と二十四節気の名が次々に変わります。 すべて移り変わるものを「常」と認識し、 苦に満ちているのを「楽」と考え、 無我であるのを「我」があると考え、 不浄を「浄」と認識することを、四顛倒と呼び、 さかさまな見方となります。 「涅槃経」では、お釈迦さまは涅槃こそ楽の境地であり、 無常や自... 続きをみる

  • 葉々起清風

    暖かくなったと思ったら、また寒い日となりました。 これを繰り返しながら、春となるのでしょうか。 禅語に「葉々起清風」があります。 葉々(ようよう)清風を起こすといいます。 虚堂和尚の住まいに集った友が帰る際、見送る側と送られる側が別離を惜しむ心情と、 一期一会をとらえた心情をあらわしています。 春は... 続きをみる

  • 新芽

    立春も過ぎ、いよいよ春の訪れを感じます。 春夏秋冬、時は一時も立ち止まることなく過ぎていきます。 時だけでなく、すべてのものが常に移り変わっているのです。 先日まで大きかった雪の塊が、どんどん小さくなっていきます。 「氷」がとけたら何になる?とある先生が尋ねたそうです。 「水になる」と、生徒は答えた... 続きをみる

  • 最後の説法

    お釈迦様の最後の説法であるとされる経典を「仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)」といいます。 ここには「八大人覚」が説かれています。 「八大人覚」には、欲を少なくすること、足るを知るということ、努力を続けるということ、座禅をして動じないこと、物事を正しくとらえる心の眼を持つこと、一方的に偏った立場から論... 続きをみる

  • 三界妙夫人と愛徳夫人

    涅槃図には、多くの仏・菩薩・神々・弟子・信者や動物などがお釈迦さまの入滅を悲しんでいる様子が描かれています。 その中には、諸王の夫人がいます。 集まった夫人はもともと衆生済度のため夫人の身をした人たちで、常に空、無相、無願の法をもって修行されていました。 その諸王の夫人の中で、目を引くのが三界妙夫人... 続きをみる

  • 無常偈

    道元禅師は、「生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このとき、はじめて生死をはなるる分あり」と説いておられます。 お釈迦さまの前世であった雪山童子の請いにたいして、羅刹に化けた帝釈天は、過去仏の遺された仏教の真理として無常偈を涅槃経のなかで説いています... 続きをみる

  • 五色

    だんごまきの粉が用意できました。 14日には、たくさんの方により「おだんご」を作っていただきます。 このおだんごを「涅槃だんご」といいます。 当山では、このおだんごに色付けをします。 この色付けは、お釈迦さまの舎利が五色に輝いたことに由縁するものです。 五色とは、赤・白・黄・青・黒で、この世を構成す... 続きをみる

  • 徳目

    お釈迦様の最後の説法であるとされる経典を 「仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)」といいます。 ここには「八大人覚」が説かれています。 欲を少なくすること、足るを知るということ、努力を続けるということ、 座禅をして動じないこと、物事を正しくとらえる心の眼を持つこと、 一方的に偏った立場から論議をやめ心を... 続きをみる

  • 薫習

    あるお家にお参りした際に、「きょうはこの線香を使ってください」と持ち出されたのは、とてもよい香りのする線香でした。 火を点じるとかすかな煙とともに、その香りが広がっていきます。 お参りの後、いつものようにお家の方と世間話をして、自坊に帰り着きます。 着替えようとしたその時も、まだ香りがあたりを漂って... 続きをみる

  • 床坐施

    電車に乗っていて、席を譲る場面に出会うことがあります。 布施行のひとつにある「床坐施」にあたります。 「この人はお年寄りだから」とか、「この人は妊婦さんだから」といった場合が多いのですが、 ひょっとしたら、若い男性でも体調の悪い人があるかも知れません。 本当に席を必要としている人は誰かはわかりません... 続きをみる

  • ざぜん

    「ざぜん」を漢字で書くと、「坐禅」あるいは「座禅」と書きます。 すわる場合は、「坐禅」と書きます。 「坐」とは動詞で、行動です。 「禅」の「しめすへん」は神の居場所を指す言葉で、「ひとえ」は裏地のない着物をいいます。 土の上にふたりの人がおり、自然の中の大地に、主観的な自分と客観的な自分が一体となっ... 続きをみる

  • 折本

    昔は、お経は巻物に書かれていました。 これを歌を詠むようにゆっくりと唱えていたそうです。 ゆっくり唱えることは、案外難しいものです。 慣れたスピードで唱えることの方が、スムーズです。 巻物であった経典は、後の時代になって、折本(おりほん)という形になりました。 今日の一般的な形です。 唱えたり、また... 続きをみる

  • 不殺生戒

    仏さまの戒めには様々なものがあります。 例えば、「不殺生戒」があります。生き物を殺生してはいけないということです。 台所にゴキブリが出たらとっさに叩いたりします。 蚊に刺されて痛いと思ったら反射的にたたきます。 歩いていて知らず知らずに蟻を踏みつぶしたりすることもあるかもしれません。 トンボが蜘蛛の... 続きをみる

  • 持戒

    この社会には、さまざまなルールがあります。 人間が人間を律するためのもので、もっとも優れたものとは限りません。 ルールを守らないことは、社会的にはよくないことですが、この世の中に生きるものとしては、それがすべてではないのです。 この世に生きるものは、人間だけではないのです。 仏教では、仏教徒が守らな... 続きをみる

  • 受想行識

    18日の写経会では、般若心経を写経します。 般若心経に「受想行識 亦復如是」という言葉があります。 「受」とは、人間の体が現象から受け取る感覚のことです。 匂いがするのを感じるといったことです。 「想」とは、心の中にその現象の名前や認識現れる瞬間のことです。 匂いがいい匂いで、昼食のようだということ... 続きをみる

  • kuu

    「空」とは、こだわりのない心です。 余計な執着を持たないことです。 とかく、執着する人間にとって難題なのですが、執着しないことです。 さらに「悟りたい」と願うことも欲望となりますから、これも断つべきなのです。 般若心経は、「この世は空である」と説いています。 そして、あなたも「空」になって「すべてと... 続きをみる

  • 冷暖自知

    一服のお茶をどうぞ、といただいたお茶。 飲もうとすると思いのほか熱かった といった経験はありませんか。 目で見るお茶は、色や量はわかりますが、温度まではわかりません。 熱が伝わらない茶碗だと、それは想像するしかありません。 つい、「大丈夫」だと勝手な解釈をして口にします。 すると、「熱くて」というこ... 続きをみる

  • 無病息災

    きょうは「鏡開き」です。 もともとは1月20日だったようですが、徳川家光が4月20日に亡くなったことにより、 以降20日が忌日となったことから、松の内が終わった1月20日をとりやめ1月11日に行うようになったといわれています。 硬くなったお餅を包丁などで切ることは避け、木槌などで割ったりしたようです... 続きをみる

  • ノーベル生理学・医学賞の受賞で有名な、京都大学の山中伸弥教授は、かっては外科医として働いておられました。 ご自身では、優秀ではなかったと謙遜しておられますが、きっと立派な外科医だったことでしょう。 しかし、外科医は激務であり、また同時に器用さも要求されます。人間が「立派」とか「優秀」とは、別の能力や... 続きをみる

  • 不立文字

    雪の季節ではありますが、ときどき晴れ間もあります。 昨夜は、星がでていました。 夜空を見上げると、たくさんの星が光っています。 これからの季節は空気が澄み、より見やすくなります。 新しい星が見つかることがあります。 もちろん望遠鏡で探して見つけるのですが、見つけた人はその星に名前を付けることができる... 続きをみる

  • 開径待佳賓

    雪が降ると訪れる方が、たいへん不便になります。 そこで、雪をかき、道をあけるのです。 しかし、それもつかの間のことで、本堂の屋根から降った量の何倍もの雪が落ちてくるのです。 雪が落ちるたびに、雪かきをするのです。 禅語に「開径待佳賓」(みちをひらきてかひんをまつ)」という言葉があります。 きょうは、... 続きをみる

  • 我逢人

    我逢人(がほうじん)という禅語があります。「われ、人に逢う」ということです。 お正月は、たくさんの方がお参りになります。 ときどきお会いする方、久しぶりの方、さまざまです。 今年は、お話をして帰られる方が多い「出会い」に楽しみのある、お正月となりました。 「出会い」といえば、日々を過ごす中でもたくさ... 続きをみる

  • 祈り

    テレビでは初詣の様子が流れています。 あなたは、新年にあたりどんなお願いをされたでしょうか? 祈ることは、私たちの自然な願いです。 祈るその先には、「ほとけさま」がおられます。 祈祷には、「ほとけさま」への信心が不可欠です。 信じて手を合わすことが大事です。 そして、懺悔することが必要です。 自らの... 続きをみる

  • ひとりの羊飼いが、羊の群れを餌場に連れて行くために川を渡そうとしていました。 川は浅かったのですが、羊たちはなかなか渡ろうとしません。 というのも、群れの中に母羊と子羊がおり、子羊はまだ小さいものですから、母羊が心配して川を渡ろうとしなかったのです。 羊飼いは困りました。いくら叱っても怒鳴っても脅し... 続きをみる

  • 節目

    明日は大晦日です。 「年」が変わるのは、ひとつの節目です。 節目にも、いろいろな節目があります。 お正月 節分 春彼岸 端午の節句 七夕 お盆 秋彼岸 大晦日などといった「年の節目」、 また、お食い初め 七五三 入学 卒業 還暦 米寿などといった「人生の節目」 私たちはいつも、節目をこえて過ごしてい... 続きをみる

  • 七走一坐

    12月を「師走」と言いますが、 その昔、お盆のように僧侶が各家を読経して廻っていたことを語源とする説がありますが、定かではありません。 ただ、気忙しい「月」ではあります。 禅語に「七走一坐」(しちそういちざ)があります。 私たちは、日々を走り回っているようなことが多いようです。 しかし、いつも走らな... 続きをみる

  • 気持ち2

    ここにお袈裟があります。先々代のかけておられたお袈裟です。 だいぶ布が痛んでいます。汗染みもあります。 誰が見ても綺麗といえるものではありません。 それでも私にとってはとても重みのあるものです。 先々代、先代のかけたお袈裟には、その思いがあり、その行動があります。 私にはとんでもなく重いものです。 ... 続きをみる

  • 気持ち1

    「気持ちがあれば・・・」 気持ちがあればそれでいい・・・のでしょうか? それは、本当に気持ちがあることになるのでしょうか? 気持ちがあればという、いいわけではないでしょうか? できないことをすることはできませんが、できることをするのが気持ちからでた行動ではないですか。 たとえ、立派なことであろうとな... 続きをみる

  • 諸悪莫作2

    「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」を七仏通誡偈と言います。 お釈迦さまのみならず、諸仏がみな同じように説いている「普遍の真理」というべき教えです。 道元禅師はこれを、「菩提のことば」として悟りの境地を示したものであると説かれています。 「悪をなさず」というのは、誰かに言われての行動ではなく、... 続きをみる

  • 諸悪莫作1

    唐の代表的な詩人に白居易があげられます。 エリートコースを歩んでいましたが、身内の不幸に儒教では解決しがたい人間の「死」の問題に直面し、仏教などを学びました。 その後左遷にあった白居易は杭州に赴任します。 その地で、木の上で坐禅をする禅僧、鳥彙道林(ちょうかどうりん)禅師に出会います。 白居易は、木... 続きをみる

  • くう

    雪が降る季節となって、薔薇に花がひとつもなくなりました。 仏教では、「空」を説きます。 「般若心経」というお経は、「空」を説いたお経です。 すべてのものは原因があって結果があります。 薔薇の花も、薔薇があってこそ咲くことが出来るのです。 咲くには、水をはじめとした養分も必要ですし、気温も必要です。 ... 続きをみる

  • 余情残心

    『余情残心』という言葉があります。 茶道の言葉で、茶事を終えてお客さまが帰られた後、お客さまが見えなくなるまでお送りし、 きょうの残り湯で亭主がお茶をたて、今日の茶事を振り返るというものです。 お客さまが帰られたとたんに片付け始めたり、声をはりあげて話をしたりしないということです。 今日と同じ出会い... 続きをみる

  • 十二時

    趙州禅師は中国の唐の時代の禅僧で、法話でよく紹介される僧侶です。 この趙州禅師が、弟子との問答でこのようなことを言われました。 「汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり」 当時は、一日を十二分割して数えていましたので、ここでいう十二時とは今でいう二十四時間のことです。 あなたは時間に使われてい... 続きをみる

  • 月落不離天

    禅語に「月落不離天」があります。 「仏法とは何か」という問いに対しての答えは「水流れて元の海に在り、月落ちて天を離れず」。 水はあちらこちらを流れていますが、たとえどこを流れていても いずれは大海へ流れ込みます。 月は東から上り西へ沈みますが、やはり天にあります。 目には異なったように見えても、その... 続きをみる

  • 行道

    大勢の僧侶が揃う法要の際は、「行道」あるいは「遶行」と呼ばれる僧侶が歩きながらお経を唱えることがあります。 普段は、ご本尊様の前などを横切ることはないのですが、この時ばかりはやむをえません。 この「行道」は、仏に対する敬意を表したもので、円を描くような場合やコの字形の場合などがありますが、いずれも右... 続きをみる

  • ザル

    「ヤバイ」という言葉は、もともと否定的な使い方でしたが、最近では「おいしい」などという意味の肯定的な使われ方をしているようです。 言葉といえども、変化をしていくものです。 関山慧玄(かんざんえげん) という禅僧のお話です。 ある雨の日のこと、雨漏りがしたので関山慧玄は弟子たちに「何か雨漏りを受けるも... 続きをみる

  • 閑古錐

    頭の切れる人=仕事ができる人、という漠然としたイメージがあります。 何事もテキパキできる人、さまざまな知識を持ち合わせた人、こういった人を「鋭い人」と感じることがあります。 ところが、「禅」に卓越した人を「閑古錐」〈かんこすい〉とたとえることがあります。 「閑」は、ひまとか落ち着いたという意味で、錐... 続きをみる

  • 逸話の多い禅僧のひとりに「一休禅師」がおれらます。 ある日、お弟子さんと檀家の法事に参られる途中、たまたま「うなぎ屋」の前を通りかかったときの話です。店の中からおいしそうな鰻を焼く匂いが漂ってきます。 一休禅師は思わず「うまそうだな」といいました。 それを聞いたお弟子さんは驚きました。「自分たちのよ... 続きをみる

  • きょうは成道会です。 旧暦ですが、お釈迦さまの成道された日です。 その悟りを、「仏教」といいます。 いろいろな解釈をもって、説くところを宗派といいますが、お釈迦さまの説かれた真実はひとつです。 この地方では、この成道の日に歎佛法要をお勤めして、ほとけさまを讃え、報恩の行事を勤めます。幾度も五体投地の... 続きをみる

  • 任運自在

    すっかり雪景色になりました。 箱館山も白くなりました。 冬の訪れです。 実は「箱館山」という名前の山はありません。呼び名というか、スキー場の名称です。 一説には、羽子山という字名が近くになり、ここからスキー場の名前を付けたとも言われますが、ほかには、北海道の函館山の山頂から見た風景が似ていることから... 続きをみる

  • きょうは、おうちの仏壇にはどのような花をお供えされていますか。 仏壇にお供えの花の事を、「仏華」といいます。 もともとは「華」という字を使います。 華とは年に一度華をつける常緑の樹で、地域により入手しやすいものが使われます。 私たちの地域では「へちゃかけ」と呼ばれる、常緑小高木であるヒサカキ(柃)が... 続きをみる

  • 仏壇やお葬式のお供えの花は、菊の花が多いようです。 広島市平和記念公園において、天皇、皇后両陛下が原爆死没者慰霊碑に供花されたのも白菊でした。 お供えに菊が用いられるのは、菊が皇室の紋であり、格調の高さを示しており、特に白は色の格が一番高いと言われていることから、お供えするのに適しているといわれます... 続きをみる

  • 薔薇の花が少なくなりました。 秋のいろいろな薔薇が咲いているときは、たいへん賑やかでしたが、それに比べるとさびしくなったものです。 花を好まれる方は多いと思います。むしろ、花が嫌いと言う人はあまり見受けません。 大切な方との永遠のお別れの場には、花はかかせません。 仏教では、お釈迦さまが入滅された際... 続きをみる

  • ついたち

    きょうは「ついたち」です。 漢字で書くと「一日」と書きます。または「朔日」とも書きます。 むかしは、暦が旧暦(太陰太陽暦)でした。月のはじめを新月の日として数えはじめます。「朔」とは、新月のことです。この日は「月」が見えないので、その位置を予測して月のはじめを数え始めるのですが、「月」が実際に見え始... 続きをみる

  • 歩歩是道場

    朝起きてから夜寝るまでの間、あなたは何をされていますか? もちろんたくさんのことをされているので、一言で答えるのは難しいですね。 仕事されている方、商売をされている方、家事をされている方、それぞれの場所で「きょう」を生きておられます。 禅語に「歩歩是道場」があります。 修行というと、坐禅をしたり読経... 続きをみる

  • 大地黄金

    人生の目的は、何でしょうか? 財産を得ること? 名誉を得ること? 大きな家を建てること? 別荘を持つこと? 高級車に乗ること? たくさんの家族に囲まれること? 多くの友人を持つこと? 「大地黄金」という禅語があります。 頑張って黄金に輝く大地にたどり着くことこそが人生の目的、といった意味ではありませ... 続きをみる

  • 呼吸

    坐禅を組む前には、深い呼吸をします。 丹田といわれるおなかの下の方から呼吸をするのです。 呼吸とは「呼」(吐く)と「吸」(吸う)という、ふたつの字から成り立っています。 はじめに、息を吐くことからはじまります。 吐ききることが大切です。できるだけ時間をかけて、ゆっくりと吐ききります。 吐ききれば、「... 続きをみる

  • 私には私の過去があり、あなたにはあなたの過去があります。 私たちは、この辿ってきた過去から現在に至り、未来へと生きようとしています。 その道は、1本の道のようにつながっているのでしょうか。 つい、そう思っていますが果たしてどうでしょうか? パソコンを始めたのが、もう20年以上前でしょうか。 その時、... 続きをみる

  • いただいた生

    あなたの誕生日はいつですか? 人には誰もが誕生日があります。 でも、誕生した日の事を記憶してはいません。 誰かに聞いたりして、誕生日を知るのです。 生まれてきた私たちは、いずれ命日を迎えます。 そして、命日を知ることもできません。 誕生日は、誰もが祝います。 「おめでとう」といわれると「ありがとう」... 続きをみる

  • ことば

    好いことがあった人には、「よかったですね」 好くないことがあった人には、「たいへんでしたね」 久しぶりの人には、「お変わりありませんでしたか」 別れ際には、「お元気で」 たとえ、一言でも構いません。 人への思いやりを持った言葉をかける これを「愛語」と言います。 何の見返りをも、期待しない言葉がけで... 続きをみる

  • いのち

    私のいのちは、父母の命を生きている 私のいのちは、祖父祖母の命を生きている 私のいのちは、先祖の命を生きている 私のいのちは、食べ物となっていただいた、たくさんの命を生きている 私のいのちは、水のおかげで生きている 私のいのちは、空気のおかげで生きている 私のいのちは、太陽のおかげで生きている 私の... 続きをみる

  • 法界定印

    お寺などの仏像は、いろいろな手の形をしています。 右手をあげ左手をさげる形、胸の前で人差し指を握る形、人差し指と親指で輪をつくる形などいろいろな形があります。 この両手で表現する形を「印相」と言います。 古いインドでは手の形で意志を現す習慣がありました。これが発展して印相ができたと言われています。印... 続きをみる

  • 而今

    もうすぐ12月です。 今年もあますところあとひと月余りとなりました。 光陰矢の如しといいますが、月日の経つのは早いものです。 この一年を、どのような過ごし方をしたでしょうか。 怠惰に過ごしてはいなかったでしょうか。 「而今」(にこん)という禅語があります。 「ただ今」「今この瞬間」という意味です。 ... 続きをみる

  • 選択

    私たちは、つねに選択をしています。 数年に一度の場合もありますし、年に数回の場合もあります。 毎月のこともあれば毎週のこともあります。 もっと身近な選択は。毎日たくさん行われます。 きょうは、どんな服を着ようか。 どんなバッグを持っていこうか。 誰とごはんを食べようか。 なにを食べようか。 選択の結... 続きをみる

  • 随処

    おとなの中に、ひとりの乳児がいると、みんなの興味はその乳児に集中します。 その一挙手一投足に、みんなが注目します。このとき、この乳児はまさに「主人公」です。 私たちが日々を過ごしていく中で、主人公になる時もあれば、主人公にならない時もあります。常に主人公になるわけではありません。 思い通りいかないこ... 続きをみる

  • つながり

    親、子、兄弟姉妹 家族はやがて、親戚へとひろがっていきます。 ひろがった人は、いろいろな「呼び名」で呼ばれます。 「叔父・伯父」は、前者は親の兄の場合で、後者は弟の場合です。 「はとこ」(再従兄弟)は「またいとこ」(又従兄弟)とも言い、 親同士が「いとこ」である関係のことを言います。 祖父の兄弟は「... 続きをみる

  • 水急不流月

    私たちは、常に「普通は」とか「平均では」とか、周りとの比較を考えます。 十人十色という言葉がありますが、これから考えると「普通は」という言葉は意味を持たなくなります。「平均では」と考えるのですが、たとえばひとりの値がすこぶる高いと平均値は高くなり、残りの全員が平均より低いということにもなりえます。 ... 続きをみる

  • すとん

    三浦 しをんさんの著書「お友だちからお願いします」に、著者が二十歳ほどの頃、山奥の村に住む祖父の葬儀に立ち会った時の様子が書かれています。 「家族、親戚、近所の人たちは一致団結して、祭壇を飾ったり棺の用意をしたり料理を作ったりと、休み間もなくてんてこ舞いだった。 「飾りもんの向きがちがう!」と村の長... 続きをみる

  • 壺の中

    いつも時間に追われるような暮らしから、細かな時間に追われる必要がなくなりました。 電池が切れたのを契機に、腕時計をはずしてみました。 最初は、少々不安もありましたが、慣れてしまえば不便はありません。 いざ、時間はとなれば確認する方法はいくらでもあります。 壺中日月長(こちゅう じつげつ ながし)とい... 続きをみる

  • 造花

    造花の由来 お寺には生花のほかに、常花のように生花を模した造花があります。 お葬式のお供えにも、金銀などの色紙で作られた造花が供えられることがあります。 お釈迦さまが入滅されようとしているとき、阿闍世王(あじゃせおう)は仏前の飾りとするために、慇懃(いんぎん)の志を尽くして、他人の助けを借りずに自ら... 続きをみる

  • 仏教説話にこのような話があります。 あるとき、お釈迦さまは人々が怠けて教えを聞かないことを憂いられました。 そこで誰にも告げず忉利天(とうりてん)という天界に昇られました。 そこには生母の摩耶夫人(まやぶにん)がおられます。 摩耶夫人はお釈迦さまをお産みになった後、わずか七日後に亡くなられたのち、忉... 続きをみる

  • 撫で仏

    「びんずるさん」と呼ばれ親しまれている仏像があります。 賓頭廬尊者像(びんずるそんじゃぞう)と言います。 自分の病の部分と、その像の同じ箇所をなでると病が治ると信仰されている「撫で仏」ですが、この賓頭廬尊者は、実はお釈迦様のお弟子である十六羅漢の筆頭です。 この賓頭廬尊者が得道され、その神力を試みら... 続きをみる

  • 一水四見

    能面の展示会を拝見しました。どれも素晴らしい作品ばかりです。 能面は、その形を変えることは無いのですが、見る方向や光の当たり方で表情が変わります。 禅語に「一水四見」があります。 水は、人間にとっては普段の飲み水であっても、魚にとっては住処であり餌を求める生活の場となります。 天人には、きれいに透き... 続きをみる

  • 落ち葉

    美しい紅葉の比叡山で、道元禅師得度霊跡の清掃でした。 落ち葉を掃いても、またすぐ落ち葉が落ちてきます。 それでも、しっかりと清掃します。 江戸時代の俳人、瓢水を慕い、ひとりの僧がその庵を訪ねます。 しかし、風邪気味の瓢水は、町まで薬を買いに出かけています。 僧は「せっかく訪ねてきたのに、さすがの瓢水... 続きをみる

  • こたえ

    陽が昇れば、 明るくなる。 陽が昇れば、 今日が始まる。 陽が暮れれば、 暗くなる。 陽が暮れれば、 家に灯りがともる。 風が吹いたら、 桶屋が儲かる。 風が吹いたら、 葉が落ちる。 雨が降ったら、 地固まる。 雨が降ったら、 水たまりができる。 晴れたら、 洗濯物が乾く。 晴れたら、 いいな。 氷... 続きをみる

  • 舟に乗ると岸が動く

    自分の眼は、自分の眼を見ることはできません。眼だけではなく、顔さえも見ることはできません。 私たちは、鏡などをとおして、自分の顔を見ているわけですから、鏡を見ているともいえるのです。 「人、舟にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、舟のすすむをし... 続きをみる

  • 蜘蛛と蝶

    一匹の蜘蛛が、蜘蛛の巣をはっていました。 そこに蝶が飛んできました。 蝶が、蜘蛛の巣にひっかかりました。 A君がかわいそうだからと、蝶を蜘蛛の巣から逃がしてやりました。 それを見ていたB君が「ダメじゃないか。そんなことをしたら、蜘蛛がかわいそうじゃないか」と言いました。 慈悲の心は、どうあるのでしょ... 続きをみる

  • # 母の日
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