• エッセイ 武士道 <西郷隆盛における>

    武士道というものは、歴史的に見て、とても発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言ってようである。 思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来の筋である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与されているものなのである。 日本で最初の征夷大将軍は坂上田村麻呂である。この人は、出自の確かな武

  • エッセイ 聖徳太子考

    現在、歴史家の間で、聖徳太子のことが取り沙汰されている。聖徳太子という人は居なかったという説が有力なのだそうである。 居なかったかどうかは、ともかく。ここで至極当たり前なことを指摘しておきたい。人間の心というものは、あるものをないとして考えるというときには、とても活発によく働くものである。だが、元々無いものをあるものとして考えるときには、非常な困難を強いられるもので、これは、人間にとっては、ほとん

  • 静かにすすむ夕暮れの時は…

    こんばんは! 暇人です。 雲で覆いつくされた空も、 徐々に晴れ間も見えてきて、 3時過ぎになると、気持ちのよい空! 肌寒いのですが、日がさしていると、 暖かい… これから、太陽の温もりを心地よく感じるんだろうなぁ~ なんて、しみじみと、想いました… 今日は、1日、本を読んで過ごし~ あと少しだけれど、日が沈みそうなので、あわてて外に! 日が短くなりました。 あっという間に、日暮れです… 沈みかけ…

  • エッセイ 病院というところ

    ルソーの「エミール」にはこんなことが書かれている。「病院は病気を治すところではなく、病気をつくるところである」と。 現代医学の発達は目覚ましいから、現代では一概に、このルソーの言葉通りという訳にはいかないかもしれないが、未だに、ある真理を内包している言葉である。 わたしと同じくらいの年代の人は、およそ必ずと言っていいほど、歯に銀歯か金歯が一本以上あるはずである。これは学校指定保険医の名目でやって来

  • エッセイ 現代人にとっての「信」

    ※この記事には、禁忌に属する事柄が少し含まれています。苦手な方はお読みにならない  でください。 人間の深奥にある「信」の心は、神や仏などの絶対的な存在におくべきであろう。 これは昔から変わらない事柄である。 横道に逸れるが、日本では無宗教を標榜して、平気な顔をしている人がいるが、これは日本独自の特殊な事情による。私見では、これは儒教の影響が大きい。仏教などの宗教で説く天国や地獄をないものとする考

  • 「読書について」小林秀雄 新潮社

    小林初期の数ページほどの短文です。初期の小林らしい江戸っ子気質が窺える威勢のいい啖呵を切ったような短い文章ですが、わたしは若い頃この短文を読み、どれほど勇気づけられ励まされたか知れません。この短文は最後にこう締め括られています。「良書は、どのような良書であれ、たった一つのことしか語っていはしない。君は君自身になり給えと。君に何が欠けていようか。」手元に本がないため、記憶の中の不手際な引用ですが、こ

  • 「ぼくならこう考える」吉本隆明 講談社文庫

    戦後思想を代表する著者が、晩年、若い人に向けて書いたエッセーです。いわゆる処世法と言っていいものですが、世にいう処世術とはひと味違います。吉本の長年に渡って、戦後思想に心を砕いてきた思想家としての裏付けがあるからでしょう。雅俗が奇妙に混交する著者の思想が、ようやく晩年になって、得心のいく表現法を見出した感があります。ここで、一人の人間が確かに自分のかんがえを、自分のことばで語っていると強く思わせる

  • エッセイ きれぎれ草 15 <詩片>

    永遠は取り付くしまのない、のっぺらぼうのようなものであってはいけない。例えば、それは肌に染み込んでくるような、海に沈む太陽でなければならない。      〇 おそらくは数学の上での最上の遊戯である将棋      〇 言葉は死なねばならない 意識の尖頂から軽やかに身を投げねばならない そうであればこそ 詩人の心は健やかであるのだ      ○ 鳥は空を飛びながら 風のかたちになろうとしていた    

  • エッセイ きれぎれ草 14 <詩片>

    銅版に描かれた猫の絵 呪いをかけられたように厳かに 不可能な一歩を踏み出そうとする                  〇 きよらかな秋の午後 駅前の鳩の群れは深呼吸をはじめた      〇 遠い国から手紙が来た 海の匂いがした       〇 表現 ここには一切がある しかも一切が失われている     〇 無限の可能性の中の中心点を 常に保持し続けること ハムレット

  • エッセイ 諸思想雑感 -人格形成力としての-

    キリスト教の人格形成力にはたいへん力強いものがある。マザー・テレサの例を見ても分かる通り、往時の勢いは衰えたとはいえ、未だに、聖女を輩出する力を持っている。最近の例では、アメリカの前大統領のブッシュであろう。この劣等生の飲んだくれを超大国の大統領まで押し上げたのは、まさしくプロテスタントの人格形成力に他ならない。  それで仏教だが、日本では仏教系の新興宗教は非常に勢力は盛んだが、いずれも、政治的な

  • エッセイ きれぎれ草 13

    幸福な人間は、自分が幸福である理由を深く尋ねようとはしないものだが、不幸な人間は、自分がどのように不幸であるかを良く知っているものである。その人は、そこからその人自身の独特な人生観を作り上げる。      〇 精神にとって肉体を侮蔑することほど易しいことはない。難しいのは肉体の声を正確に聴き取る繊細な耳を持つことである。      〇 自己主張には、どこか病的な影がつきまとっているものである。健康

  • エッセイ きれぎれ草 12 

    美しい矛盾というものがある。人間存在の退っ引きならない必然性から、緊張感を持って発せられた矛盾は美しいものである。現代人は矛盾と言うだけで、すぐ不合理だとかとやかく言いたがる。嫌な時代になったものである。抑も、「矛盾」の出処が韓非子という人間不信の冷血漢であったことを知らないでいる。これでは、古典の中に横溢している矛盾する論の良さというものは分からないだろう。      〇 埴谷雄高は間違っている

  • エッセイ 新約聖書に見る<イエスの思考法>

    聖書には考えさせられる思考が多くあるが、その中でも、イエスが神の永遠性について言うとき、帰納的に考えているのが注意を引く。 神は、アブラハムの神であり、ヤコブの神であり、イサクの神であった。従って、神は同じ一人の神であり、また永遠であると。 確かに、神を考えるとすれば、人間の分際で、それをまったく超絶した存在を全体的に見てから、それを分析していくという演繹法に頼って考えることはできない相談なので、

  • 若松さんのTwitter

    若松さんのエッセイが好き。 読んだ後にこころの底の悲しみが、ただ悲しいだけでなく、 哀しみであり愛しさであることにも気がつかせてくれるから。 若松さんは、誰もが書かない詩をこころに持っていると思っている。 だからそれを書ける講座を開く。 私は詩より文章が好きだから文章をとるけれど、 本当にシンプルなこころの投げかけは 詩なのだろうと思っている。 いつか私も詩が書けるだろうか? 若松さんの詩が好きだ

  • エッセイ ゼルキンのモーツァルト

    ゼルキン&アバドのモーツァルトのピアノ協奏曲集を聴き込んだ。ゼルキンは亡くなってしまったが、これが彼の最も良いモーツァルトの演奏となったようだ。ゼルキンはモーツァルトのピアノ協奏曲は弾くのだが、モーツァルトのピアノソナタの方はほとんど弾いていないようで、わたしは寡聞にして知らない。あんなにモーツァルトのピアノソナタを砕いて、見事に弾き熟したグールドは、何故か、ピアノ協奏曲の方は若い頃の24番の一曲

  • エッセイ ある女流作家の言葉

    名前は忘れたが、わたしの心の中で、良く思い出されるある女流作家の言葉がある。 「自分は、モーツァルトやベートーヴェンになれるような才能はない。だから、作家なんていう商売は辞めて、人生を楽しもうと決めたのだ。」と 人が自分で決めた人生のことだから、とやかくいう義理はないのだが、この言葉を聞いて何か釈然としないものを感じた。作家として成功した人間の何か嫌な感じのする自負心をこの言葉に嗅ぎ分けたからであ

  • エッセイ 死の観念というもの

    人間は、心の中でじつに多くの逃げ場をつくるものだが、その最たるものは、死の観念であろう。”死”ではなく死の観念である。 ラ・ロシュフーコーだったと記憶しているが、死を本当に思うことは、太陽を見つめ続けるのと同じく人間には、本来無理な仕業であると言っていた。 現今、ドクロのアクセサリーや小物が流行っているが、あれは単なる観念的な飾りであって、現代人が死に対する認識を深めている証拠ではない。 ただ、こ

  • 新宿にて

    昨日の午後半日休暇を取りました。 そして…。 それから先はこちらに書きました。↓ https://ameblo.jp/1007yuko1007yuko777/entry-12411055566.html

  • 妄想 森鴎外  を読む

     森鴎外の「妄想」はエッセイのようであり、私小説、詩のような部分もある。鴎外は夏目漱石ほど人気はないが、漱石より魅かれるところがある。  下部に挙げる文脈でそのわけが判ったような気がした。文中のハルトマンはエドゥアルト・フォン・ハルトマンのことだと思われる。  形而上学と云ふ、和蘭寺院楽(オランダじゐんがく)の諧律(かいりつ)のやうな組立てに倦(う)んだ自分の耳に、或時ちぎれちぎれのAphoris

  • エッセイ 日本人と自然の不思議

    日本は、夏は東南アジア諸国並みに暑く、冬は北欧の冬並みに寒い。また、日々の気温差が季節の変わり目には乱高下する。自然が厳しい国というだけでなく、自然災害は他の先進国と比べても、圧倒的に多い。地震、台風、豪雨、豪雪等々。 こうした国であるにもかかわらず、日本人は、ほかのどの国よりも、自然を愛でる。特に、季節を愛でるということにかけては、突出している。これは、自然の脅威もさることながら、自然の恵みも、

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