やっとワーキングビザが下り、NYへ出発することになりました。会社の本社オフィスは、マンハッタンから北に電車で1時間程の田舎町にあります。日本から赴任する場合は、だいたいその近くの郊外の町にアパートや一軒家を借りて、車でオフィスに通うことになります。 それまでにも、数週間単位での出張で何度も米国を訪れ... 続きをみる
退職して思うことのムラゴンブログ
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実はすでにリーマンショックの前から、社内のサバイバルは始まっていました。 管理職になって7年が経った頃です。 IT技術はどんどん進化しすから、追いつくのも大変です。相変わらず忙しいばかりで、将来の先行きが見えません。女性登用で持ち上げられ、何かとボランティア業務に駆り出されることにも、嫌気がさしてい... 続きをみる
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定年退職の記念の卒業旅行は、エジプト12日間。長旅になるので奮発して、 ビジネスクラスで、ゆったりした旅程のツアーに入りました。全部で9名の参加者でした。 ナイル川を上流のアスワンまで3泊4日でクルーズして、アスワンハイダムも展望台から見下ろしました。かつて教科書で学んだものが、本当にそこにあった!... 続きをみる
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サバイバルゲームを続けているうちに、いよいよ定年退職の日が近づいてきました。前年ぐらいから、日々、待ち遠しい気持ちで過ごしたものです。退職後のことを現実問題として考え始めたのも、この頃です。個人事務所を始めることにしたのですが、その経緯は別途、「起業した理由」というタイトルで記しましたので、そちらを... 続きをみる
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米国系企業に勤めて良かったこともたくさんあります。中でも一番の思い出は、米国のバンケットに招かれたことです。アメリカ文化に深く触れることができた貴重な経験です。 毎年、社員の中から選ばれてアワードが授与されます。高級リゾートホテルで2泊3日。午前中は外部ゲストの講演、午後はエクスカーション、夜はパー... 続きをみる
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2008年のリーマンショック以来、社内情勢はますます厳しくなりました。外資系ですから、社員の人員削減はまっ先に行われます。全社的に数百人が退職しました。 直後に、200人の部下を持つ管理職の人が辞めることになりました。彼は、部下を集めた最後の挨拶の中で「私は辞めるときは、周りから言われるのではなく、... 続きをみる
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2008年9月15日に、NYの投資銀行が経営破綻したことにより、突然、リーマンショックが始まりました。 米国の外資系企業ですから、このようなときにはいち早く敏感に反応します。当時はまだ、頑なに雇用を守ろうとする日本企業に先んじて、10月後半には社内で大規模なリストラが始まりました。 それまでは、評価... 続きをみる
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課長になって、いくつものプロジェクトを順調にこなしました。休日出勤や海外出張も多かったです。 いつまでもこの状態が続くのは大変だから、とにかく7年間だけがんばろうと自分で決めました。何となく勘で、ひとつの役職に留まっているのは、7年間が限度のように思えたからです。根拠はありませんでしたが、あとで振り... 続きをみる
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相変わらず忙しい日々が続きました。 あるとき同時に、3つの製品開発プロジェクトがスタートしました。それぞれ異なるアジアの協力会社に設計を委託したものです。私は韓国の大手企業と組むことになりました、もうひとつは別の韓国大手企業で、残りの1社は自社と関連のある国内企業です。 3つの中で、予定どおりクリス... 続きをみる
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90年代後半になると、自社で設計開発するコンピュータ製品は少なくなり、コストが安い海外アジアの国々の会社に設計を委託するようになりました。ノートブックPCの液晶パネルなどの電子部品は、韓国から調達するようになりました。 従って、開発エンジニアである私の仕事は、設計の技術力よりも、それらの協力会社をい... 続きをみる
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9月になって、英国工場のライン品質も落ち着き、日本に帰国しました。 あいかわらず技術力では、先輩や同僚には適いませんでしたが、英国での仕事が評価されて、小さなプロジェクトのリーダーに選ばれたり、海外工場との窓口係など、それなりに大事な仕事を任されるようになりました。自分が苦手な事は、できる人に依頼す... 続きをみる
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欧米のオフィスは、午後5時を過ぎると誰もいません。スコットランドの工場でも、金曜日ともなると、午後3時ごろから、ゲートに向かって帰宅する車列ができました。日本では毎日、会社のカフェテリアで夕食をとってから、夜8時ごろまで残業するのが習慣でした。 ここでの滞在中にすっかり、午前中から効率のよい時間の使... 続きをみる
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工場の量産が始まると、予想どおり、まともに動作しない不良品が、多数でてきました。 工場の担当者は、すっかり私を頼りにしています。なんとか落ち着いた素振りで、日本を出発するときに先輩に言われた確認手順を思い出して、それに従って取り組んでみました。 教えられた通り、大半の原因は、部品にハンダが十分につい... 続きをみる
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米国系企業の海外出張は、ユニークです。 現地の空港に着いたら、あとは自分でレンタカーを運転して、宿泊するホテルまで移動します。基本的に海外でも国内でも、出張は、ひとつの目的に1人です。 他部門の社員が、別の任務で同時に行くこともありますが、飛行機がたとえ同じになっても、各自でレンタカーを借りて、それ... 続きをみる
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外資系IT企業に入社して、7年ぐらい経った頃です。 パーソナルコンピュータ製品の開発の仕事をやっていましたが、部署の中ではパッとしない社員だったと思います。自分なりにがんばっていましたが、いろいろとハンディがありました。 理学部出身でしたから、工学部で実践的な訓練を受けてきた社員と比べて、基礎的な技... 続きをみる
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外資系企業といっても、働いているのは日本人の男性です。会社の制度としては平等でも、現場はそうもいきません。セクハラという言葉もなかったころです。90年代半ばまで、女性を年齢でからかったり、バストが大きい人を揶揄したり、ということは日常茶飯事でした。 中でも笑って済ませるには許しがたい、しつこいオジサ... 続きをみる
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半年にもわたる新人研修が終わって、いよいよ仕事が始まりました。 新入社員1千人の中から、同じ製品開発の事業所に配属された社員は100人程度でした。そのほとんどが、希望する類の部署に振り分けられたのですから、これも外資系ならではの合理性でしょう。特段の意図がなければ、本人の希望に沿った内容の仕事をさせ... 続きをみる
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80年代後半のバブル景気の波にのって、幸運にも複数の企業から内定をもらうことができました。そして最終的に、外資系IT企業(米国本社)に入社することになりました。 その会社に決めたのは、IT エンジニアという職種のほかは、次のような理由からでした。 ① 米国の文化に憧れていた。 60年代に育った者にと... 続きをみる
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30年以上お世話になった外資系IT企業に入社できたのは、時代の波に乗ったから、としか言えません。 当時は、大学を出ても女子学生の採用はほとんどありませんでした。三年生の後半になると男子学生のところには、あちこちの企業から山程パンフレットが送られてきましたが、女子学生には1通も届きませんでした。採用窓... 続きをみる
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自分の定年退職をひと言でいうと、刑期を終えた、というのが率直な感想です。 周りからは、「寂しくないですか?」「再雇用で残らないのですか?」とか、「転職先はどこですか?」など、今のモードを継続するのがあたりまえのように言われましたが、自分では、定年までは勤めよう、その後はすっぱりやめようと、早くから決... 続きをみる
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