切通しのムラゴンブログ

  • 台峰の砦1

    新田軍は化粧坂に4 戦う砦跡 (2018年11月05日 | 大鎌倉城 ) この記事の後継と成る記事です。 以前紹介した長窪砦とは、軍事目的が別な砦です。 鎌倉に侵入する敵軍を、化粧坂に入り込ませない為だけではなく、戦い殺戮する為の砦です。 結果は、砦の真上=峰の道 を守る構造と考えて居ます。 それを... 続きをみる

  • 倉久保谷戸3

    コメントより、 〉恐らく (坂)さん 〉逆三角の地形は日当公園付近一帯と思われます。 〉下記リンク先の「山崎・台峯緑地」の全体設計図で、 〉「源流の森と里山の保全ゾーン」と書かれた所の下あたりです。 〈https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/koen/docume... 続きをみる

  • 倉久保谷戸2

    国土地理院蔵の1946年USA空中写真を使用したステレオ写真です。 赤丸の間を7㎝以下にして閲覧してください。 詳細は国土地理院 「地図を立体視する 」をご覧ください。 https://teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200604/geograph... 続きをみる

  • 倉久保谷戸1

    この地図は、 東山道相模路 11 (2012/12/21) 東山道~鎌倉 に使用した地図の使いまわしです。 注目点は、倉久保谷戸の奥で×印の有る場所、、、行き止まりに成っている訳です。 これが鎌倉時代に使われた武蔵大路の痕跡と想定する場所です。 武蔵大路と言っても、鎌倉幕府以前の東山道相模路が海蔵寺... 続きをみる

  • 台峯の先端と臥龍峡

    山田和著「知られざる魯山人」より 壁面の滑らかさや路面の状態から、昭和3年に車を通すために拡張された臥龍峡と考えられる。 > ○台峯の先端、臥龍峡の北。 > Googleの写真で見る限りなくなっているが先端の山頂部に横須賀水道の戦前期の > 施設があって水道山と呼ばれていた。 > 戦時期は高射砲が設... 続きをみる

  • 化粧坂 上巻

    ■ 記 07月24日 化粧坂の前に! 銭洗いの小道 その1 銭洗い弁天周囲の旧道は 2019年の台風により一部は崩れ、現在は通行止めです。(2024年記) 古代東海道、その道幅は9mの巨大道路であった! 今から50年前の日本の道事情は、一車線の道が常識で、鎌倉周辺の二車線の道は6m幅の国道一号のみ!... 続きをみる

  • 化粧坂 中巻

    ■ 記 2007年08月26日 再考 化粧坂 その5 如何ですか? 平塚から梶原団地、化粧坂上まで続いた奈良時代東海道は、、、 化粧坂を下らず、、頼朝像へ直進していた痕跡がある! その証拠が、写真で見るフラットであるッと指摘した場所です。 写真だけの映像と、、、 写真を超えた立体視の世界の情報量の差... 続きをみる

  • 化粧坂 下巻

    ■ 記 2007年11月05日 古代駅路「源氏山」編 その5 古代駅路「源氏山」の路面の話です。 現代のセメントは、1824年イギリスで発明され、200年弱です。 何百年耐えれるか、実績は無い。 セメントは空気に触れる事で年々弱くなる。 理由は、強アルカリ性で長い目で見れば不安定な素材! 空気中の二... 続きをみる

  • 大鎌倉城 台峰上(化粧坂の砦)

    ■ 記 2014年09月01日 > 待ってました! (isana) > 土橋(?)上の道が、頼朝以前にまで逆上ることのできる古道である > のは、考古学調査の結果からも、どうやら間違いないようですよね。 あのグランド周辺を掘り返して3m程の道路遺構が出土した話が有りますが、、 ご存知でしたら詳細を知... 続きをみる

  • 大鎌倉城 台峰 中

    ■ 記 2014年09月26日 皆さんは気付かれて居ると思いますが、、、 北鎌倉女子学園のグランドは、化粧坂から台峰、 鎌倉城の中の道、台峰、などの場面に出てきます。 煩雑なので記事を一貫性のある書き方にマトメようと考えました。しかしそれは無理な事に気がつきました。 単なる自然な山を頼朝が城を作った... 続きをみる

  • 大鎌倉城 台峰 下

    ■ 記 2014年10月27日 PCの方は、ブラウザの幅を狭くすると写真も狭まり立体視をし易くなります。 戦うための罠は、一箇所ではなく、、、 倉久保の谷戸(武蔵大路と考えられる)から台峰(鎌倉城大手の道)へ上がる場所に4箇所(紫色の場所)程仕掛けられた。 鎌倉幕府は初めから、敵はこの場所を攻撃され... 続きをみる

  • 大鎌倉城 隠された切通し編 6

    隠された大切通しの巻 終り 北鎌女学園のグランド立体視の画像です。 立体視が不明な方は、国土交通省のHPへ、 http://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200604/geography200604-01-04.pdf 立体視が出来た方は... 続きをみる

  • 大鎌倉城 隠された切通し編 5

    上の写真は誰でも見れるgoogle地図の航空写真です。 樹木が育ち、紅葉の為に色が多く地形は判りにくい. 現地を覗いても、こんな風では古の風景は浮かばないでしょう。 上記は1980年代です。地形は樹木も低く判り易いと思います。 上記写真は1970年代です。地図と空中写真と比較して、如何に地図の情報が... 続きをみる

  • 大鎌倉城 隠された切通し編 4

    上の地図は、昭和20年代の国土地理院地図ですが、詳細な地図でも砦構造や、土橋の状況は全く図面に現れない。、土橋東の断崖はは判別できる程度です。左に倉久保谷戸と矢戸の池が在り、グランドに登る谷は粗雑な測量で等高線は、実際の地形とは異なる。下の地図は良く地形を反映している。 「海蔵寺裏の大堀切」は、鎌倉... 続きをみる

  • 大鎌倉城 隠された切通し編 3

    上の地図は明治15年の迅速図・・・現北鎌倉女学園グランド 「鎌倉軍は武蔵路を守る為天神山に陣を張った。」 「新田軍は化粧坂を攻める為に、州崎(天神山)を攻めた。」 そして、、、 州崎を落とした新田軍は、天神山の脇を通り武蔵大路(倉久保の谷戸)に侵入した! 其処で、新田軍を待ち構えていたものは、、、 ... 続きをみる

  • # 切通し
  • 大鎌倉城 隠された切通し編 2

    話の本筋は、古代駅路です、 頼朝が、鎌倉城を作るに際して、、、古代駅路を消し去った! 消した理由は、、、 路面9mの駅路は、鎌倉に攻んだ敵の勢いを止められない! 防衛出来ない訳です。 結果は廃路ですが、通行不可にした上で、軍隊が攻め込んだ時に通れない構造が必要です。 問題は、 そんな古代の大道が「鎌... 続きをみる

  • 大鎌倉城 隠された大切通し編 1

    「隠された大切通し」を語る前に古代東海道と古代東山道武蔵路(相模路)の存在について、語る必要があるのです。 そんな訳で、隠した大道を暴露する為の前振りがこの鎌倉城です。 城である根拠は、外部より攻め込む敵を阻止する切岸の配置から必然的に導かれる結論で、証拠は現地をご覧ください。 文献の資料は無いので... 続きをみる

  • 大鎌倉城 化粧坂編 3

    化粧坂は何処に? 道幅からして、鎌倉以前より存在した道と考えられ、鎌倉期に道幅を狭めた。 その道は、太平記、梅松論の記述から「化粧坂」の実態が浮かんできます。 新田義貞が、鎌倉攻めで最重要視したのが化粧坂でその人数から重要度が理解できる。 太平記より、攻防する兵の数は、 新田勢六十万七千余騎 十万余... 続きをみる

  • 大鎌倉城 化粧坂編 2

    wikipediaより=化粧坂 > その外側の道も不明であり、明治15年の帝国陸軍のフランス式1/20000 > 地図には梶原方面への道が一番太いが、その他に洲埼方面への尾根沿 > いの道、また北鎌倉方面への数本の道、また北条常盤亭方面への尾根 > 道も記載されており、尾根道の交差点であるかのような... 続きをみる

  • 大鎌倉城 化粧坂編 1

    化粧坂は何処に? 誰でも知っている海蔵寺脇から源氏山へ登る化粧坂ですが、、 峠から外へ出る道は何処に在るのでしょうか? 化粧坂だけ、鎌倉の外に出る道が無い! 鎌倉で最も重要な大手の道と思われる化粧坂なんですが、、、 化粧坂の話の前に予備知識を、、、 化粧坂の道幅は広いですね! 4~5mは在るでしょう... 続きをみる

  • 源氏山より寿福寺前に!その3

    頼朝像より、源氏山西と南の斜面からの道を考えるのですが、、、 西斜面は、十分以上の広さが確保できるトイレの有る広場を通ります。 しかし、源氏山南の青色にマークした斜面はとても切り立った斜面で、現状では道は通せない。 その昔は、、、、 「道が有ったかも知れない。」っと考えた時に 南の斜面の異常さに気が... 続きをみる

  • 源氏山より寿福寺前に!その2

    とても、気になる場所! 古代東海道として、、最適な痕跡が有ります。 それが、赤くマークした場所です。 何が最適か? ①真っ直ぐ行けば、寿福寺の門前に出る。 寿福時の境内からこれを眺めると、、、 ②傾斜が一定な峰、、、そんな特異な峰は鎌倉中でも此処にしか無いのです。 とても人工的に作られた様に見える道... 続きをみる

  • 源氏山より寿福寺前に! その1

    この件に関し、 明確な根拠らしきものはなく、、、 すべては、状況証拠なのです。 とりあえず、 源氏山から寿福寺の地図ですが、、、 貴方ならどの様なルートを考えるのでしょうか?

  • 六浦道 9

    そんな訳で、寿福寺の境内を本堂に向けて道があり、その両脇に並木がある。 それを素直にソイルマークと思うと、、、その先は、三方が崖の状態になります。 それでは、、、古代東海道の痕跡は???? 見つからない時は、 消去法というのが有ります。 色々な可能性の中から、否定できるモノを消去し、残ったモノが本物... 続きをみる

  • 六浦道 8

    前回のブログの写真と同じですが、、、 もう少し判りやすくする為、 横須賀線の踏み切りに相当する場所に青マークをしました。 八幡様から巌小路を通り、寿福寺前に行く時に渡る横須賀線の踏切です。 本文はありません。 っと書くつもりでしたが、 補足します。 青マークの踏み切りから、、、寿福寺に向かい、、更に... 続きをみる

  • 六浦道 7

    古代道を探すのは、、、 無理やり頭で考えるより、現状を良く観察する方が優先で、答えはその後ですね! では、寿福寺門前に何が有るのでしょうか? 「窟小路」の横須賀線踏み切り際の太い道(扇川の暗渠部分を含んでおり、古代東海道の痕跡とも考えられる)。 武蔵大路跡と考えられる道。 「窟小路」の上に街道が通っ... 続きをみる

  • 六浦道 6

    一般的な見解は、ウィキペディア(Wikipedia)にて「横大路 鎌倉市」を検索引用すると、 >『鶴岡八幡宮造営以前は、朝比奈方面から鎌倉中心部に向かう金沢街道は、筋替 >橋で南に折れることなく、現在の境内地内を貫いてそのまま寿福寺門前まで直行 >していたと考えられる。今も残る「窟小路」は、その名残... 続きをみる

  • 六浦道 5

    青ラインの道のD点ですが、寿福寺門前に相当します。 青いラインの「窟小路」の載った地図の脇にD点周囲の詳細な地図を載せました。 岩屋不動のあるのが、不動茶屋の場所で、、、「窟小路」のイワレだと考えるのですが、 この場所の崖が、、注目に値する場所ですが、話題は別で、 問題は、赤い線で挟んだ場所ですが、... 続きをみる

  • 六浦道 4

    ソイルマークと言うのがあります。 例えば、 学校建設の為、建設用地を整地したところ、雨が降ると黒いシミができる現象がおきた。黒いシミの形が遺跡の形であった!このシミが群馬県入野遺跡の発見になりました。 この地面のシミをソイルマークと言います。 群馬県新田町の大東遺跡の道路遺構も、畑の中に道路の溝と思... 続きをみる

  • 六浦道 3

    何故、赤い点線の道は消え、青い道があるのでしょうか? そんな資料は無いので、、、憶測するのですが、 憶測とするのは、言い過ぎで、多少の根拠を踏まえて考えるのですから推測ですね。 頼朝以前は、古代東海道として、赤い点線まで直線道が有ったとして、 八幡宮造営に伴い一の鳥居に平行に立派な道を作った!(段カ... 続きをみる

  • 六浦道 2

    この青マークの道は、 「とても古くから有る道です。」 っとされています。 具体的にどの程度古いのか? きっとそれに答えるとすれば、 「明治の地図に載っています」 っと言う事になるでしょう。 明治の初期に作られた地図ですから、江戸時代にも使われていた筈です。 それ以前は? 鎌倉時代に使われたかも? で... 続きをみる

  • 六浦道 1

    明治の地図に赤マークを付けたA~Bの道は、六浦道と呼た特に直線的な場所です。 それに対応する西側の道は、青でマークしたC~Dです。 さて、、 この道の直線性は八幡宮に分断されていますね! 赤マークを付けた道のBには、筋違い橋という名があります。 道筋を違えたと言う訳でしょうね。 何時道筋を変えたのか... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 8

    謎の大堀切の巻 終り 瓜ヶ谷の広さが不自然に広い! 写真の畑の奥にある森に土橋がある。 これでは、攻めて来た敵が、体制を整えて「土橋のバリケードを攻めて下さい!」 っと言わんばかりの攻める敵には、、好都合! 土橋を攻める敵が陣形を整え 数で攻める事ができトテモ強気で攻撃できる。 集団心理の極致です。... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 7

    雑草が生い茂り、、、 巧く切通しと土橋の傾斜を表現した写真できませませんが、、、 この草の為に、土砂が流れ出ないで、800年保てた! この写真を撮る最中に学生が土橋に下りる勢いが余り、この坂に転落! 何の事は無い、坂の途中5m程度で止まりました。 そんな程度の緩い傾斜です。 海蔵寺側に転落したら、滑... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 5

    この土橋の海蔵寺側をカメラで捉えたくても、雑木が邪魔をし、 上手く写す事が出来ません。 切通しの岩肌自体が垂直に切り立っているのは理解できるでしょう。 土橋の壁自体も同様に如何に切り立った崖であるか!(鎌倉最大の切通し1) の写真と合わせて想像してもらい、現地を見て実感してください。 しかし、海蔵寺... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 4

    土橋上部の長さは、、、12,5mあります。 朝比奈の切通しの例を見ても、ほぼ下の道幅と同じですから、、 少なく見積もっても、下の道の幅は9m有ると考えます。 道幅9mは鎌倉最大の切通しです。 この様な鎌倉時代の土橋?遺構と、奈良時代の切通し遺構が組み合わさり、良い状態で残されている事にぼ助は、驚異に... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 3

    敵の攻撃を阻止する為に造られたバリケード! 貴方がバリケードを作るとなれば、、、外部の敵を阻止する構造を考えると思います。 処が、、、このバリケードは、外部から攻めて来た時、人がよじ登れる角度をしている。 逆に、鎌倉市内からバリケードへは、絶壁で登れない! バリケードを造る目的は、人を通さない為に作... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 2

    海蔵寺切通し! 鎌倉城と称する七口がある城壁の山には、、、 朝比奈より規模の大きな鎌倉最大の切通しが存在した!! いや、、存在する!! 道幅が広すぎて、守るに困難な武蔵路に幕府はバリケードを造った! それを称して、今は「土橋」と呼ばれている。 問題の有るのは、この土橋の形状です!!! 写真は土橋です... 続きをみる

  • 鎌倉最大の切通し 1

    「海蔵寺切通し」は東山道相模路の道路遺構です。この切通しに鎌倉外部より入るには、北鎌倉より、瓜ヶ谷に入ります。 水道道から、クランクの谷、立石、関谷、玉縄城、北鎌倉、瓜ヶ谷、海蔵寺。 これで東山道相模路の鎌倉入りとななりましたが、、、 この経路なら、亀ガ谷の辻に武蔵大路があり、寿福寺前に武蔵大路が有... 続きをみる

  • 鎌倉「謎の大堀切」

    鎌倉に大堀切があると言われています。 攻めて来た敵を阻止する為に堀をつくります。 人工的に堀を作る事を指して、堀切と言います。 攻めて来る敵を妨害するのが堀切で、石垣の有る城は水を引いて堀にします。 処が、この大堀切は、 鎌倉市内と市外を分ける城壁の山に対し、城壁の山を断ち切る様に掘り切られている!... 続きをみる

  • 続 東山道相模路 序章

    鎌倉幕府の仕組んだ水道道路(武蔵大路)消滅工作で、痕跡はズタズタ! 鎌倉の北西の玉縄城周囲から大路が入り込んでいる状態を模索中に古道ファンより「もしかしたら、鎌倉の西に大きな入り口が、在った可能性が在るのでは?」っと言うメールが入った。 私が「それは武蔵大路の痕跡です。」と答えた処、明快な反論は無く... 続きをみる

  • 朝比奈峠から六浦へ!

    東山道の前に、書き忘れです。 「朝比奈から六浦の港へ古代東海道は通っていた!」 これが、前記のブログに述べた根拠を総合した 私の考えた結論です。 横須賀の走水から 千葉に渡った大和武尊根拠は、 文献に偏り過ぎた机上論で現実を見て無いと思います。 古代東海道は六浦から上総の国衙が有ると思われる市原の近... 続きをみる

  • 朝比奈峠10

    朝比奈峠東の小切通しと言えども、、、 8m程切り落としたこの小切通しは大きく見える。 この様な切通しを誰が造ったか? 鎌倉幕府以降は、戦禍で荒れた寒村で、市内に入るに困難な切通しのバリケードを江戸時代に雑に改修したぐらいですから、、、鎌倉以降とは考えられない。 こんなキッチリした造りは、資力が十分に... 続きをみる

  • 朝比奈峠9

    この切通しの怪とは、 大切通しは、7mの道幅ですが、小切通しは 3から4m幅です。 大切通しと小切通しは、造った背景が違う! っという事が言えると思います。 では、7m幅の道は何処へ? 写真は小切通しのヤグラのある反対側にある崖上から撮った写真です。 何のことは無い、、、ヤグラの造られた時期の道は、... 続きをみる

  • 朝比奈切通し8

    朝比奈切通し六浦側は、私自身があまり興味が無く無視しそうになりましたが、、、 古代東海道を意識した時には、外せない場所で見方を変えるととても面白い場所です。 さて、平場はどの様に成っているか? ご覧になる方は必ず平場に上がって前後の平場を見て頂きたい。 それは、平場の傾斜が前後にある平場と関連してお... 続きをみる

  • 朝比奈切通し7

    朝比奈の図を提示すれば、証拠として充分だ! と私は思うのですが、、、 納得する可否は、現地を見て 以前とは違う見方で歩いて 貴方自身の目で決めて欲しいと思うのです。 人によっては古代駅路ならば「路面に硬化した場所が有る筈です!」等言われかねないので、一言。 800年経って写真で御覧の通りの立派な砂岩... 続きをみる

  • 朝比奈切通し6

    次の山場も控えているのですが、、、 7月13日に次の書き込みをします。 写真は、供養塔(地蔵の浮き彫り)の有る場所で、峠に向かい上って行く状態です。 右手が問題の平場です。 平場に上ると、、、、 単なる平場には無いモノがあるのです。

  • 朝比奈切通し5

    朝比奈の峠から、市内に向けた図です。 この道は、特異な平場がある事を前に書きました。 通常の敵を攻撃する構造では無い。 軍事的な平場とは異なると言うことです。 図面からは読み取れない情報がありますが、 それは、 1、平場が傾斜している。 2、その傾斜は、次の平場の高さに受け継がれる。 要は、本来有っ... 続きをみる

  • 朝比奈切通し4

    以前の記事で写真が本文の脇に小さく有る様でしたら写真や図面をクリックしてください。拡大されます。 元は横幅800ピクセル、、、モニターの2/3程度の画面です。 写真は、朝比奈峠より市内側にある4m幅の道で、、、 古代東海道としても、、、平安期の駅路としては 資格十分の品位(道幅、傾斜、直線性)を持っ... 続きをみる

  • 朝比奈切通し3

    朝比奈切通しが 思いの他に短期間に作れたとなれば、その理由は、、、、 既に前の時代に道が有った事と、その道を改修した事で短期間に出来た訳です。 前の時代の道とは、、、奈良時代の駅路です。 平塚から路面幅9mの道がこの朝比奈に向かい有ったと言う事です。 あれだけの規模の切り通しです。 駅路の道幅9mが... 続きをみる

  • 朝比奈切通し2

    朝比奈の歴史について、文献に有るのは、朝比奈三郎義秀が太刀で一日一夜にして切り 開いた道という伝説が有り、恐らくこれが一番古い文献でしょう。 よって、朝比奈切り通しは、鎌倉時代に作られたと思われている。 どんな土地にも平等に、平安、奈良の時代は有ったし、縄文時代も有ったのです。 文献に無いからと、、... 続きをみる

  • 朝比奈切通し1

    色々と、細工が施されたのが、、朝比奈切通しですが、、、 仁治2年(1241)朝比奈切通しを造り、朝比奈三郎義秀が太刀で一日一夜にして切り 開いた道という伝説が有る。 そして、江戸時代に道路を改修した事を路肩の石碑に書かれている。 だから、古代の痕跡など無いと考える??? 奈良時代の記録や、言い伝えが... 続きをみる

  • 大仏切通し6

    頼朝以前の鎌倉に、古代東海道が通ると想定して、 奈良時代は、9m幅、その後3mに修正された古代東海道です。 その道が梶原口から梶原団地を抜け化粧坂に向かうとすれば、、、 とても通り易い道です。 幅は3m似修正されたとしても、歩く処が3mで、元は9m幅の道! 防衛上こんな幅広い道は困ります。 大量の敵... 続きをみる

  • 大仏切通し5

    大仏バリケード裏の写真ですが、、、 この道の中ほどが黒ずんでいます。これは水の溜りやすい窪んだ場所です。 この場所を堺に手前は下り坂で、向こうは登り坂です。 切り通しの真ん中で、、、盛り上がっている。 これでは、切り通しの意味はない。 切通しなら、下る一方で有って欲しい。 これが、裏から見た矛盾と切... 続きをみる

  • 大仏切通し4

    ジャングルの様な空間から、この道を通って大仏切通しの峠に向かう。 幾多の歴史家がこの道を通ったでしょうが、この急坂を問題にした本を見た事がない。 急激な勾配の坂で、これが幕府公認の街道の坂とは考えられない。 ハイキングの山道でも、難所に相当する勾配です。 逆立ちしたって、、、この道を人力車では通り抜... 続きをみる

  • 大仏切通し3

    ここが大仏切通し藤沢側です。 まるで、ジャングルですが、、、 下草や、木をばっさいしたら、立派な広場です。 周囲を見渡せば、、、、 高い岩壁に囲まれている。

  • 大仏切通し2

    大仏の切通し以外、マトモに通れる道は無い。 よって、結論は官道は無い! それが、現状の結論です。 それが、正しい結論か? と言えば、それは「否」です。 古代東海道の平塚遺構を追って行くと、確かに大仏切通しに突き当たる。 この藤沢側の入り口は2m幅の狭い切通し。 しかし、その脇の梶原団地より、化粧坂に... 続きをみる

  • 大仏切通し1

    大仏切通しの様子は、次のホームページが詳しい。 http://www.kcn-net.org/kiritosi/daibutu.htm 有島生馬が明治十八年の大仏切通の様子を述べているので紹介する。 「初めて私が横浜から鎌倉材木座海岸、海岸橋近い砂丘のかげに新築された小さな別荘へ来た事は妙にそこだけ... 続きをみる

  • 鎌倉に出入りするには、、、

    ■ 記 2006年06月04日 鎌倉に出入りするには、、、 現代の道路事情はとても良いのですが、明治時代のJRは藤沢まで開通した時に、東京から鎌倉に行く話があります。その話では、大船から鎌倉を目指すより、藤沢から人力車を使い、大仏切通しを使ったそうです。 大船駅から八幡宮まで4Km。 藤沢駅から八幡... 続きをみる

  • 鎌倉街道 七口

    東海道と言えば、五十三次の江戸時代、箱根の石畳を歩くと、1間(両手を広げた程度)の道幅です。平地では、1〜3間?(宿場では、広かったようです。) 800年前の鎌倉時代に鎌倉街道が作られましたが、1~2間程度のもので、中道は3.3m(2間)の遺構も有る。す。 鎌倉の出入りは、峠を切り崩して道を造った切... 続きをみる

  • # 鹿児島交通
  • # 個人鑑定