本多静六のムラゴンブログ

  • 日比谷公園 ②

     しかし、当時の東京市の担当者から思わぬ横やりが入りました。  まず、門に扉がない、夜、花が盗まれる、江戸城のお濠を利用して作る池は身投げの名所になると困る、というようなことでした。本多は池の石垣の下に浅瀬を作り、直接水に飛び込めないようにすることでこの問題を乗り切りました。  門の扉のことは断固譲りませんでした。皆が公園を愛し花など盗まないくらいの公共心を育てなくてはいけないと力説しました。  

  • 日比谷公園 ①

     日比谷公園の成り立ちは次のようになります。(テレビ番組から抜粋)  明治時代、日比谷に陸軍操練所はふさわしくないので西洋式の公園とすることになりました。  日比谷公園(陸軍操練所跡)  いくつかの設計は不採用になりました。東京駅の設計者辰野金吾の設計も不採用になりました。  そこへ留学先のドイツから帰朝していた本多静六が辰野を訪問しました。本多は留学時代のドイツの公園の状況を細かく説明しました。