現代日本語百科2025のムラゴンブログ

  • 日本語論105 語言

    日本語は、日本と書いて、やまと と、読ませていたことから考えれば、ヤマトにあたる、倭、和 であったのだから、それは和語と書くことと同じである。日本語というようになる前には、和語としてあった。その和語と書いて和字と同じように用いる、渡来した文献を翻訳することばであった。その和語に国語を当てて国字という... 続きをみる

  • 日本語論104

    日本の読みを、にっぽん にほん このふたつで読み分けることを議論して、それを決することができないことを、日本語そのものの特殊性と考える向きがある。さらにこれを、やまと と読むと言い出すと、たちまちに、日本語の本質が現れることになる。やまと にも、倭、和、大和 の表記があるからである。日本語の事実をそ... 続きをみる

  • 日本語論103 親縁語に

    日本語の特徴を挙げて言語系統論に挙げるウラル・アルタイ語説は仮説にとどまった。それが、証明されることがないという結果であったのは、比較言語学からすれば、言語間の音韻対応の明証が明らかにされなかった、確実なものとはいえないということであった。特徴とするいくつかの項目が、打ち消し文による共通性を挙げての... 続きをみる

  • 日本語論102 日本語教育と日本語

    日本語教育の日本語を第2言語習得のための言語教育と位置付ける、日本語を母語としない学習者の日常生活に用いる、コミュニケーションのための日本語ということになる。外国人のための日本語、外国語としての日本語という冠を付けた時期から、日本語教育は対象とする学習者を、留学生、就学生として多数の時代を迎えること... 続きをみる

  • 日本語論101 日本国語論

    日本国語大辞典という名称は、上田万年、松井簡治による、大日本国語辞典を引き継ぐ事業という性格をもつ、と解説がある。日本に対して、大日本であったか、それは大日本国語辞典というのを、おいたものであった。 >上田万年 (かずとし) と松井簡治の共著。 1915~18年初版4冊本,28年索引1冊,39年修訂... 続きをみる

  • 日本語論100 日本語論

    日本語論は日本言語起源、日本語系統探求と、日本語の変化、変遷を議論する、個別論である。その集成をした日本語論著述はまだない。フリー百科の解説では日本語を比較、対照した議論を含むとある。それを、日本語がもつ特徴を挙げるとあるが、日本語とほかの言語の対照はさきの比較言語に手法をもって解決しない日本語論の... 続きをみる

  • 日本語論99 日本語に英語を

    日本語に国語がある。国語に漢語と和語がある。和語には外国語があって外来語とした。漢語と外来語は並びうるものではない。タバコという外来語を入れて煙草と言う漢字を与えた。えんそう と、読むことはしない。和らげに漢字を当てたことになるが、それは、たばこ であった。カルタに漢字を当てることはなかった。少なく... 続きをみる

  • 日本語論98 日本語教育には

    日本語教育には漢語教育と英語教育が必要である。これを言うには深いわけがあることを言わなければならない。しかし、ここではまず、外国人の日本語教育にも、こと日本語である限り必要なこととして視野に入れるべきである。母語話者の言語教育というのはどういうことかとなるが、いずれ日本語教育と国語教育は日本語習得と... 続きをみる

  • 日本語論97 日本語教育の視座

    日本語教育はその対象から日本語を言語のひとつとして言語教育を行う。国語教育を国語科目教育として行ってきた内省言語教育に対照して、国語教育と、日本語教育を区別しようとした。国語教育で大陸に進出した日本語は敗戦による転換期を迎えて、国語の尊重、国語の愛護を指導要領を背景に日本国内で唱えるようになって、国... 続きをみる

  • 日本語論96 日本語と文字意識

    日本語と文字意識、日本人の考える文字意識を、文字そのものは言葉であると中田祝夫は説いた。文字に対応する記号をもってとらえるのではなくて、文字がことばなのである。文字論を記号論とおなじにはしない。文字学、文字論とすれば、記号学、記号論と対照することになるが、これは言語記号の考え方にあるものかどうか、言... 続きをみる

  • 日本語論 95 和語、倭語

    和語もしくは倭語を古代から用いる。日本国語大辞典の用例に沿ってみる。日本国現報善悪霊異記、810〜824、上・二八に、吾が聖朝の人、道照法師〈略〉新羅に至り、其の山中に有りて法花経を講ず。時に虎衆の中に人有り、倭語を以て問を挙げたり、とある。神羅にいたり、虎衆にある人が和語を用いた、それは吾が聖朝の... 続きをみる

  • 日本語論94 国語を日本語に

    1994年6月、国語か日本語か。およそ4半世紀になる前の議論である。日本語ブームの捉え方もあった。日本語をテーマにする新書判型の出版数により、日本語を扱う書物が売れたとする。見坊 豪紀 、1977年、日本語ブームの回顧と展望、辞書と日本語、玉川大学出版部)は、1975年頃の日本語ブームを検証した文章... 続きをみる

  • 日本語論93 国語

    国語を国の言葉とすると、その国とは何か。国は里であると、郷里であるとして、その国にある言葉は国語である。里は地域それぞれにあるから、郷里は方言をとらえることになる。それをそのままに考え巡らせれば、国に日本をおきそれを里として、郷里の言葉は日本語である。国語に漢語と和語と外来語を語として見るなら、国語... 続きをみる

  • 日本語論92 国語が日本語

    日本がnihonか、nipponかと、nihonもnifonであろうかと、このfは両唇摩擦音で、にほん ニッポン と、なやましいとして、その共存を許す故を以て、国語と日本語のいずれをも言語のことであるとする議論がある。国語教育、日本語教育、この二つの呼び分けにも、そこには、学習者、学習対象に違いある... 続きをみる

  • 日本語論91 国語と日本語とは

    国語は教科目としてとらえられて、国語の及ぶ範囲は言語に文学、言語現象を扱う分野となった。日本語は対外的に国語を日本語と呼び変えて、言語を第一とする。コミュニケーションの言葉と捉えるようになってきた。国語はいつから国語か、日本語はいつから日本語か、これもわかり始めてきたところ、国語の国となる地域と、日... 続きをみる

  • 日本語論90 国語と日本語

    雑誌日本語論が特集に国語と日本語のタイトルを編む。このときが国語と日本語の名称に反省が訪れている。1994年6月、国語か日本語か。国語を民族語とし、イデオロギーの言語とするイデオロギーの国語とは何か。 母語と国語と母国語と - Ne www.ne.jp/asahi/kaneko-tohru/lang... 続きをみる

  • 日本語論89 文章 書き起こし

    文章の書きだしに、文章を読ませる工夫がある、という。連載エッセイセミナー7 書き出しの技法 稲垣吉彦さんの文章である。文筆稼業で、売文ともなればその書き出しにこだわるというのはわかりそうな気もするが、必ずしもそういうわけでもないらしい。それを文芸春秋のコラムを紹介して、大宅壮一氏が書いたのは、アジア... 続きをみる

  • 日本語論87 文章と形式

    説明的文章があり、もうひとつは文学的文章。さらに、個人的文章。文章の種類を3分類にしている。作文講座の解説である。古典作品から、文芸に散文と韻文を分ける種類があるが、文章形式が散文と韻文で文学ジャンルの分け方になる。ここに、個人的文章とその種類を考えて、ブログ、サイト、スマホ通信文など。 Liter... 続きをみる

  • 日本語論86 文章の表記

    文章技術で守らなければならないものに、表記法である。誰がまもるか、まもるべき規則はあるか。書き手がまもり、編集者が統一する。それはマニュアルとして、文書校正のためにある。しかし正書法という規則が日本語ではない。本来あるものか、必要でないものか、近代になって出版技術が進んで、いまはワードプロセッサーが... 続きをみる

  • 日本語教育の語彙17 自動ドア

    第3部、第15章 ドアが開きます 語彙と意味を考える手始めに日本語の特徴をしめす。ドアが開きます ドアを開けます この表現で、誰かが、動作主となり、主語となって、ドアを開けます となると、考えることになる。ここでひょいと、そういえば、自動ドアという、電車にも、列車の扉にも、そのように書いてあった。丁... 続きをみる

  • 日本語論84 作文指導

    特集――文章の技術 論文・レポート・感想文 栗原裕氏による。大学教育で、文章表現技法の教科目を担当する経験から、学生の論文、レポートに言及する。作文指導が添削にあるという前提に立てば、ここに紹介された教科目名、文章表現法の総括は畏友国語学者のものとしているが、筆者に感じるところあって、相当なものであ... 続きをみる

  • 日本語論83 文章と私

    特集――文章の技術 文章と私 林郁さんの一文を読む。人名辞典より、林さんは、平成時代の小説家と言う、昭和後期からと言うと、現在は平成の活躍で高齢である。わたしより10年早い生まれである。その語り口調、そこに、この文章の表現性があると感じる。が、同時に昭和後期になる世代感覚がある。文章を書くことが興趣... 続きをみる

  • 日本語論82 句読

    文章と句読は文法の句読点に規則があれば、それにしたがう。しかし句読法を考えると、文章の詩句ともなれば、おのずと句読法をもって句読点をつけるかどうかのことがある。和歌では上の句、下の句と分けて、俳句では上5中7下5また座5とする定型律において、休止符を兼ねるが、句読点は打たないならいである。もとより文... 続きをみる

  • 日本語論81 文章の技術

    月刊 日本語論 5月1994 Vol.2 No.5 特集――文章の技術 入社試験・小論文でのタブー 太田俊郎氏による。文章論というものはほかのハウツーものと違って、どれほどマスターしてもいっこうにいい文章は書けない、と言う。けだし、正鵠を得る物言いである。新聞社入社試験の800人の学生の小論文をみて... 続きをみる

  • 日本語論80 文章の単位

    文章に章段、文段の単位をおけば、一方で、章句、文句を下位に置くことができる。詩句をもって文章とするならば、和歌をもって歌句、俳諧をもって俳句となる。文法に、文章文法論を設定すれば、文章論の文法、文法論の文章、そして文章論であっても、文の文法と、文章の文章法が、文章の単位を設定することになる。章段は章... 続きをみる

  • 日本語論79 文章と翻訳文

    日本語文章に翻訳文を考えると、文語文と翻訳文の対照をする。比較をしてもそこにはおのずと言語の用法が異なることがある。それは日本語から出て漢文をとらえた場合と、一口に言ってしまって、西欧の文の影響である。文語文章は漢文訓読の文章からつくられてきたとみることができるが、近代になってその文章に新たな翻訳に... 続きをみる

  • 日本語論78 口語文章、文語文章

    日本語の文章はどのように書かれてきたか。わたしたちの祖先は文章をどう書いたか。話し言葉と書き言葉とするが、そのそれぞれに文章があるということか。口語文、文語文という区別は近代になって意識されてきたのは言文二途のことからであるから、それをさかのぼって口語文章、文語文章をとくに示すものはない。文語文章が... 続きをみる

  • 斟酌

    斟酌に、手加減する意味が現れる。忖度が悪だくみに用いられる。どちらも、漢字の難しい語である。斟酌は、もと、水、飲料などをくみ分ける意から、酒を酌み交わすことにもなる。さらに、控えめにする、辞退する、と、転義に近い意味内容になる。 しん‐しゃく【×斟酌】例文一覧 8件 ・・・ なおこの土地に住んでいる... 続きをみる

  • 日本語論77 章句論

    日本語の文法単位を文に設定し文を絶対に議論を行ってきた。日本語に文があるというものであった。その考え方は学校教育に実践的に取り入れて、文の単位を説明する。日本語に文を相対に認めて日本語には文章があって文の単位を持たないとすれば、文章には章句があると設定し、文は必須単位でなくなる。文章を単位に文法記述... 続きをみる

  • 日本語論74 日本語とリカージョン

    日本語とリカージョン 日本語は漢語を取り入れた言語である。そのころに和語また大和語があったと、そのように推定すると、漢文訓読によって和語に漢文法をいれた、という仮説を立てることができる。その仮説では、その後の日本語には英語を受け入れ、英文法を範とした、とすることができる。 漢文を約1600年、そして... 続きをみる

  • 日本語論73 文章は文による

    日本語文法は、はじめに、品詞と文章において分析を行っていた。その後に品詞と構文に分野を分けて議論するようになった。それには教育文法の影響が大きい。現代語文法はシンタクスのとらえ方を進めようとして、形態と統語の分野に基礎をおいている。構文論を統語論に置き、その議論は、現代語の視点で日本語文法を見ようと... 続きをみる

  • 日本語論72 文章は

    文章は複数の文か 文章は文の複合体であるにもかかわらず、文章について複数の文が集まったものという。この「複数の文」を捉えなおさなければならない。文章の説明また定義によることである。それを、日本語教育用の文型で示すと、助辞「は」によって次の基本文が複合している。 文型① N1は N2です/だ N: n... 続きをみる

  • 日本語論71 日本語助辞waの用法

    日本語助辞waの用法 すでに述べてきたように、日本語助辞waについて、形態、統語の文法をあわせもって文法論とし、現代日本語を記述する。語と形態はその文法の用語として用いる。形態の表れが語となると、形態と形態による結合をも語とするので、国語の文法が扱う語とは文法単位が異なるところがある。しかし、仮名表... 続きをみる

  • 日本語論70 助辞について

    助辞について 助辞は接辞である。接辞は形態をみると結合形式であり、いっぽうの結合形式に結びつく。語基につき、そのステムが結合形態となって接辞と結合し、ひとまとまりの形態になる。それが語また語形式となる。形態には結合形式と自立形式がある。もっぱら結合形式となるものは接辞のように、語構成の要素となる。接... 続きをみる

  • 日本語論69 文章の主語

    日本語助辞waは文章の主語である。主題語主語であり、文の主語ともなり得る。 助詞「は」の記述 助詞「は」について、文献は多く国語文法の助詞として記述説明を行っている。まず文法辞典の記述についてみる。これまでもすでに検討してきている『日本語文法大辞典』は、その間の研究成果を記述することを謳うものである... 続きをみる

  • 日本語論68 日本語助辞wa

    文法記述 現代語文法における日本語助辞waについて、文法記述を行う。助辞「は」は日本語の格助辞「が」との違いを議論することが多いが、その文国語助詞「は」において日本語の特徴である用法を持つので、日本語助辞waとして、その記述を試みる。助辞は上述してきたように、文法論の形態論による分析から接辞に分類さ... 続きをみる

  • 日本語論68 言、語、話す

    語とは語ることであると、わたしたちの祖先は漢語に学んだ。文字を受け入れて漢字を訓じ、言は言うことであるとし、言語は、言い語ることとし、口から出る音すなわち、ことばを指示した。言語のままに、語言とはならなかったが、語は、ことば自体をとらえる。その語る内容をやり取りする。語はことばの全体となるが、語り合... 続きをみる

  • 日本語論67 日本文法助辞「は」

    日本文法助辞「は」と口語法助詞「は」 いまここに形態論の用語にある接辞のうち、日本語類型による膠着現象に特徴を持つ、国語で助詞と分類される付属語「は」について、日本語助辞waとする。この表記は日本語助辞「は」について、発音の混同を避けて便宜、助辞waと用いる。ハ行音のワ行音への点呼は語中語尾における... 続きをみる

  • 日本語論66 コピュラ

    日本語のコピュラは何か。繋辞という。文法用語であるから、そのものを指す。すなわち、~ハ~ダ となる。コピュラに着目をした明治期の文法学者の慧眼による。論理学が言語形式に合わせて分析をする。分析を受けるのは、日本語では意味的に当てはめているから、コピュラ構文という呼称ができる。この日本語構文は形式をと... 続きをみる

  • 日本語論65 ウナギの話

    僕はウナギだ文における問題は、ぼく、うなぎ というところを、ぼく、うなぎだ といおうとしたのか、ぼくはうなぎだ といってしまったのか、ぼくは、うなぎ ぼくが、うなぎ というふうにいっても、これは結局、僕はウナギだと言ったことになる。正しくは、この読点に文法機能を認めて、僕は、ウナギだ としなければな... 続きをみる

  • 日本語論64 措定

    >平成6年、日本語論5月1994、Vol.2 No.5 特集は、文章の技術 である。連載、壬辰の倭乱 第二回、そして読み切りに、日本語の意味と思考 を載せる。70頁―93頁、毎号のこの連載はこの雑誌に置けるいわば、目玉であるから、量的に大論文である。前号、第4号は、日本語の構造 であった。さて、あら... 続きをみる

  • くにつことば

    国語は近代になって作られた。国語は、くにつことば である。国は郷であり、その国はどこか。国語調査会をつくり、そのための委員会が作られて国の言葉の実態を調べた。目的はなんであったか。いまから100年前に10年余続けて廃止となった。国語国字問題を解決すると言う、その国語国字とは何か。漢字廃止の建議に由来... 続きをみる

  • 語と言

    語、ご というのは、かたること、言 げん というのは、言うこと、言語 げんご というのは言語行為をさす言葉である。語と言ならば語のほうにすじみちをもとめ、言のほうに口からの物言いを聞くことになる。言にはまた一方に、曰 えつ というのがあった。 し いわく と素読をした、曰くである。いう というのを、... 続きをみる

  • 日本と国

    日本語と国語は同じである。同じならば、なぜ、日本語と国語とが、語として成立するのか。 それは国語という名称、語義に及べばわかることがある。また同様に日本語という呼称、意味を捉えれば説明できる。 国とは何をさすか。語とはなにか。くに、ご、この語義を知る。国は日本国であると思っているか、我が国であると思... 続きをみる

  • 日本語論63

    微妙なことである。言語の使い手、その担い手は、民族でああり、地域と民族によって言語は形成される。形成というのは世代を継承してその言語が維持され保たれていくと、そこに言語そのもが民族によってあるということである。民族と言語か、言語と民族か、民族を先とする考えであるが、民族とともに言語があったのである。... 続きをみる

  • 日本語論62 小説壬辰の倭乱、朝鮮出兵

    秀吉による朝鮮侵略、日本歴史では、文禄慶長の役という、1592年から1598年までに二度にわたった戦争の話しである。明と朝鮮による反撃をもって日本の侵略は失敗する。朝鮮出兵とだけ教える歴史は国と地域の状況を詳しくしない。小説が侵略を受けた側に立って、この壬辰倭乱を被害者の側から描いたものとなる。史実... 続きをみる

  • 日本語論61 儒教王朝

    この小説が日本語論かという議論はさておき、編集の意図は読み物連載であるから、それに従う。特集の見出しに、知られざる大戦、秀吉朝鮮戦役の全貌を描く! と、いわば、角書きを付ける。パクチョンファ作、キムドンジュン訳、序章の訳について解説がある。三巴という副題を、三つのうずまき、巴はうずまきと解して、1話... 続きをみる

  • 日本語論60 小説壬辰の倭乱

    雑誌、日本語論、山本書房、1983年11月刊行、創刊は日本語とは何か、2号は情報化時代の日本語、3号は美しい日本語、4号は語源を解く楽しみ、5号は平成のデキゴトロジー、6号は日本語辞書の研究、というふうに、特集を編んできている。この雑誌は創刊1年で13号まででで休刊する。さてその刊行時期の半ばにさし... 続きをみる

  • 日本語論59 字典、辞典

    辞典に詞典、語典に文典、辞書に文書、それぞれに意味内容が異なる。辞書の現在は字書から流れを汲む。文字が言葉となる。字そのものはことにあたる。ことは、言であり事であることは認識にあることで、ことを言にすることから、ことばをとらえ、それを文字に写した。その字が漢字であったのだから、字書は漢字の書をもって... 続きをみる

  • 日本語論58 日本語辞書となるには

    日本語辞書を日本語辞典と称してその利便性を考える。日本国語ではない日本語とはどういうものになるか。基礎日本語辞典、実用日本語辞典といった書名が検索にかかかる。さらには言語対照で翻訳の辞典がある、英和辞典、漢和辞典に、和でない日本語となる類の書名である。日本語辞典を日本語大辞典で書名を持つ一冊がある。... 続きをみる

  • 日本語論57 類書

    辞書の研究とすれば、日本語辞書はカタカナ語辞書、国語辞書、漢和辞書のまえに、節用集の字書を知るべきであり、さかのぼって、伊呂波字引き、意義分類体、そして和名百科の辞書を、その嚆矢とすべきであるが、それよりも実用作文辞書がなんであったかを研究しなかればならない。しかし先人の研究によって、逸文になる玉篇... 続きをみる

  • 日本語論56 なさい

    投稿記事に、なさい についての、表現法の議論が掲載されている。タイトルは、「おかえりなさい」と「おやすみなさい」。日本語論1994年4月、読者に日本語論を広げている。なさい 命令であるから、帰宅した相手に、すぐにもまた、おかえりなさい、とする、この表現はおかしくないかと文章を始めている。なさい 命令... 続きをみる

  • 日本語論55 日本語辞書

    日本語辞書の研究、それぞれ辞書で検索してみる。予想されたことであるが、ヒットしない。キーワード付けに、コロケーションが出て、トレンドなのだろう。日本語辞書にして、検索はヒットしない。日本語辞典が新刊だという記事がある。日本語を辞書にすることは、日本国語と、国語と、漢和と、漢語の辞典とで、日本語辞典と... 続きをみる

  • 日本語論54 辞書記述

    辞書の仕事と言って、項目の記述を執筆する経験を持つ。学生時代に始まって何かとアルバイトをしたものである。大学に入学してすぐにも研究会だと言われ、先輩に導かれるようにして夏合宿に石山寺あたりにでかけたのが、4,5人集められて、冬にも合宿でこたつを持ち込んで何をしたのだったか、その大学院の先輩は辞書の仕... 続きをみる

  • 日本語論53 字、辞、語、詞

    これは考えると難しいことである。辞書を辞典という。その違いはなんであるか、辞書を書物にしたものと、広く意味内容を見る、ところが辞典と言ってみても同じである。辞典をいまふうに、語を用いてそれを言えば、語典とか、語書とか言っていないのであるから、辞典で、ふと、中国には詞典という言い方があるので、それなら... 続きをみる

  • 日本語論52 辞書の研究

    魏蜀呉 三国 魏(220~265)は都が洛陽、王は曹操。蜀は都が成都、王が劉備です 呉は、都が建業(現・南京)、王が孫権です 六朝 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/六朝 六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、... 続きをみる

  • 日本語論51 辞書

    特集日本語辞書の研究、日本語論4月号、1994年、山本書房。辞書は字書であった。字引きと言っていた。その古典的な名称にはそれなりの辞典があったのである。教科目で使う国語辞典、漢和辞典とするのが大部分であった。そこで国語辞典と日本語辞書はなにが異なるのか。最も語の項目数が多いのは、日本国語大辞典と言っ... 続きをみる

  • 日本語論50 岐路に見るべきは

    日本語論は言語現象にある日本語の個別の論議である。日本語を言語にとらえる論は学説として見るか学的体系また大系の議論である。その組織か、大系における全体を見るか、日本語学としての要求となる。日本語研究にはそれを要求するものがあるとして、日本語の研究はその名称から国語の伝統を超えようとするものであろうか... 続きをみる

  • 日本語論49 学的流行

    日本語論にとっての平成のできごとを見ると、文法論と、語彙研究の分野でトピックがたつ。前者については、モダリティー論が日本語学でさかんに行われた時である。後者については、国語語彙史の研究第一集、1980年5月17日発行、この第5集の時ぐらいに、国語語彙の、語義変化と意味関係 前田富祺 が、示されて、研... 続きをみる

  • 日本語論48 日本語学10年、前後

    雑誌、日本語論の創刊は前後10年して画期にあったと、そのことを日本語学10年でとらえる。タイトルでは、なにも日本語学を事始めにする、いつからであったとするかを解決するものではない。1982年11月に明治書院が創刊号を出して、1993年11月に、この日本語論が創刊をしている。そして2005年、日本語の... 続きをみる

  • 日本語論47 国語から日本語へ

    国語から日本語へと、その緩やかな変化は平成時代の出来事であった。画期となる国語の学界名称を日本語学へと変えたのは、国語学会から日本語学会へ、2005年発行日付をもって、日本語の研究となった。平成の半ばに変化を作ったと歴史事実には時日を記録することになる。それを10年少しさかのぼる、日本語論の、雑誌刊... 続きをみる

  • 日本語論46 関東ベイ

    連載記事に、江戸ことばと古川柳の面白い一文がある。古川柳研究会、佐藤要人、リレー連載第5回。江戸ことばを、江戸方言から書く。関東弁である。市ヶ谷を、いちがえ、熊谷直実は、くまがえなおざね、露月町は、ろうげつちよう、千住は、せんじ、大工は、でえく、大根は、でえこ、牛蒡は、ごんぼう というふうに、訛りを... 続きをみる

  • 日本語論45 MTS&H

    明治、大正、昭和の世代をローマ字略号でM、T、Sのように並べる、それが大正生まれの、大正時代の世代は軍国と戦争世代となるから、大正天皇の在位によって、短いという意識を持つ時代になるが、じつは昭和前半までの重要な時期でもある。明治から昭和前半までを約70年、一区切りにしている。大日本帝国である。すると... 続きをみる

  • 日本語論44 平成時代

    史記、内平外成、内平らかに外成る。 書経、地平天成、知平らかに天成る。 天地ともに平和が達成される事 第125代 明仁 あきひと 昭和8年(1933年)12月23日(84歳) つぐのみや 継宮 昭和64年(1989年)1月7日 30年113日になるか 第124代昭和天皇 第一皇男子 まだし平成時代は... 続きをみる

  • 日本語論43 日本語の地位

    日本語論3月1884 には、読み切り連載に、日本の対外言語戦略を考える 鈴木孝夫 がある。鈴木氏の持論である国際語としての日本語のありようである。国連の公用語になるか、ならないか、なぜなれないか、という議論を追っていくことになるが、その対外戦略の基本に置くのが英語教育の礼である。鈴木氏の言語政策につ... 続きをみる

  • 日本語論42 いらっしゃい

    しろん・じろん 第5回は、あいさつのことば で、なさい ください を話題にする。挨拶の言葉はどのように議論しても解決がつかないが、それはあいさつだからである。コラムの筆者は著名な国語学者、辞書の編集主幹であり、助動詞の相互承接の博士論文をものした方である。ごめんなさい ごめんください について免ずと... 続きをみる

  • 日本語論41 平成のデキゴトロジー

    1994年2月10日伝票が、書店の発行で納入のもの、挟み込んであった。このころは、国立大学の教官になって平成をスタートしていたのだから、わたしにとってのデキゴトロジーはどうであったろう。業績によって見ることになるが、人と会う、人に会う、その論を書いている。あるいは日本語会話集、ポルトガルローマ字綴り... 続きをみる

  • 日本語論40 デキゴトロジー

    日本語論3月1994、特集は、平成のデキゴトロジーである。何が起こったかこの5年とある。社会政治から出版メディアまで11のジャンルにわたる。1989年1月から始まった、昭和64年は、天皇崩御をもって、7日で終わった。元号が変わり、8日から平成となった。いま、その時代は平成30年に天皇退位のことが決ま... 続きをみる

  • 日本語論39 語源、語誌、借用語

    日本語論39 語源、語誌、借用語 日本語の言語体系にある、語彙について、漢語を他の言語体系から加わった単語とすると外来語であることになる。しかし、発音のままに漢字語としていない。文字をそのままにして借用をしている。他の言語、外国語である漢語を日本語にしたので、漢字を用いた語には中国起源の言葉というと... 続きをみる

  • 日本語論38 はなす

    日本語論38 語源、語誌 語源について、はなす を考えたことがある。話す、と表記し、語る という語に入れ替わる現象が、日本語の、語、話、そして、言を文字とすることばである。説ということばも 文字によって、話すことであったのであろうが、説話というジャンルにして取り入れたこともあり、説よりも、話となった... 続きをみる

  • 日本語論38 語誌

    日本語論38 語誌 語誌を調べることが語源を明らかにするとして、語誌は語の発生から、その変遷、廃棄に至るまでをたどる。語を廃棄することは現実にはないのであるが、わすれられ記録がなくなると、そのときに廃棄の運命となる場合がある。日本語では、死語というように、ある状況から使えなくなった語を指すことがある... 続きをみる

  • 日本語論37 音義、民間伝承

    日本語の語源には音義説ということがある。ことというのは、一音一義説として日本語の音はそれぞれ固有の意味を持っているとする捉え方で、50音図にわたって日本語を説明しようとした。したがって、>各行に意義ありとする一行一義説は平田篤胤,鈴木重胤など,各音に意義ありとする一音一義説は橘守部,堀秀成などと,お... 続きをみる

  • 日本語論36 語源学者

    語源の探求という、語源学を明らかにしたのはエッセイの著者、吉田金彦氏である。語源探求はその研究会の著作名となっていることは日本語論35に紹介をした。語源学は、こうして、よくもわるくも1981年から2008年までの軌跡である。国語学と語源学は、おかしな喩えでいえば、同族嫌悪もっとすすめて忌避しあうよう... 続きをみる

  • 日本語論35 語源研究会

    整理をしていたら、古いガリ版刷りの用紙と印刷で、昭和60年11月17日、語源研究会の案内があった。第8回日本語語源研究会発表会とある。場所は名古屋国際センターである。わたしはそのころの勤務地で、豊橋から名古屋に出て参加している。発表原稿と討議資料8、1985年11月と、パンフレットにしている。この資... 続きをみる

  • 日本語論34 語源のこと、字源のこと

    日本語論34 語源のこと、字源のこと 20180608 語源の概念について、日本語では、字源がある。しかし、この語は学習用のものと、文字の本来を示す漢字についてのものとがある。漢字の字源は文字すなわち語についての解説となる。字通に白川学説がある。字源そのものを、源字を例にとれば、次のようである。なお... 続きをみる

  • 日本語論33 語源の語源

    日本語論33 語源の語源 20180607 語源は語の由来をたずねる。語の来歴を知る。語源にその語の発生を知る。語源についての語源を考えると、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によれば、語源etymology 個々の単語のいちばん初めの音形と意味、と、いうふうになるので、もともとでは日本語で... 続きをみる

  • 日本語論32 語源を解くたのしみ

    語源について、エッセイは語源学者である、自らがその数は、日本国内で5人ほどだと言っているのだから、この雑誌の特集に名を連ねる人たちなのだろう。ほかにも語源辞典を編集する方がいるのであるが、この当時は1994年のこと、どうであったか。 日本語論4号、通巻を記さないので、第2巻2号である。その特集に、柴... 続きをみる

  • 日本語論31 語源を解く

    日本語源学その学的成立が難しいと言われる。そのように言われて、語源を探求するには文字記録以前と、その記録の出現がいつであるか、となると、日本語には固有の文字記録をもってきているわけではない。 2世紀ごろの文字伝来のことは、その後にも時間を経て、日本語を知る手掛かりには、7世紀にまでまとまった記録には... 続きをみる

  • 日本語論30 美しい文章

    学生時代に美しい文章とは何か、どういうものがあるか、と、考えたことがあった。文章に正しい書き方をする、文法にも破格がないことなど、日本語のそれを近代文学の先生と議論をして、結局、美しい文章があるわけではない、その作品に美しさを言う、その表現を美しいと感じることである、となった。その議論は、文章読本の... 続きをみる

  • 日本語論29 美しい日本語とは

    日本人に美の基準を言えば自然の造形、彩色、そこに光の投影をあげるであろう。あるいは、心、気持ちの表れをさして、よいと感じるから、そのことをとらえることになる。そこに表現された語が美しいものである。きれい、こころよい、そして、かわいいなどもその範疇に入ってくることがある。美しいものは美しい、そこには墨... 続きをみる

  • 日本語論28 美しい言葉遣い

    上品な言葉遣い、やさしい言葉遣いに、日本語の美しさを求める。そこにあるのは語法である。敬語をもって美しい言葉遣いとするのは、どういうことか。野卑な、野蛮な、それは乱暴であり、相手を不快にするものである言葉であるよりも、人と人との間で交わされる言葉であるならば、そこにあるのは、相手への敬意と尊厳を表す... 続きをみる

  • 日本語論27 美しい日本語 文字

    表現対象、表現内容に美しい日本がある、それで日本語が美しい、と言うのは、何か美しいの基準、標準の取り方があるか、それは、感覚に見ること、風土にある風俗のことであるにすぎない。言葉そのものであるかは、どうとらえればよいか。造形の美しさであるならば、日本語の美しさを言わずともどの言語でも同じことであろう... 続きをみる

  • 日本語論26 美しい日本

    美しい日本は文芸にあらわされるとして、ノーベル文学賞を受けた作家、川端康成の講演「美しい日本のわたし」に日本文学が紹介された。美しい日本語は、その文芸において表現に用いられる。 山川、田園、森林そして海という、さらに季節が織りなす自然に囲まれた、この風土である。目にするものに聞くものがあり、さやかに... 続きをみる

  • 日本語論25 美しい、いつくしむ、うつくし、

    美、この文字には字通によると、羊の全形。下部の大は、羊が子を生むときのさま という。"美", 字通, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , その字義には、羊肉の甘美なる意とするが、美とは犠牲としての羊牲をほめる語である。善は羊神判における勝利者を善... 続きをみる

  • 日本語論24 日本、美しいもの

    日本人が美しいと感じるものは、自らが恥ずかしいと思う時である。また、美しいと感じるものは、ちいさい、あどけなきものである。さらに、美しいと思うものは、自然の風景である。美しいという感情には自らのうちにある理想であり、また、尊い命である。それは自然にはぐくまれる。春夏秋冬の四季に変化を見る日本の風土に... 続きをみる

  • 日本語論23 美しいふるまい

    日本語が言うところの、美しいとは、言葉遣い、敬語、そしてその響きにある。そのそれぞれが接遇、接客のことばである。相手への言葉遣いにその場にふさわしい敬語をもって声の響きよろしく応接する、それを聞くときに、日本語は美しいと思う、ということである。なぜそう思うか、そのように受け止めることになるか、応対を... 続きをみる

  • 日本語論22 美の基準

    美の基準を言葉において考える、と言うのは、本来的によろしくない、とすれば、美しいものを美しいと言えば、それで済むようなことである、となる。言葉の美を考えると、普遍的な美しさとはなにかを考える。美の基準を検索すると世界の美人についての記事がヒットして、その基準の違いを議論する。目的がそれて、その内容を... 続きをみる

  • 日本語論21 創刊3

    創刊3号、特集は、美しい日本語として、エッセイを載せる。美しい日本語を話す、日本語のリズム、玉藻よし讃岐、古典の言葉について、日本語の響き、「女ことば」の重い意義、「古い言葉」の最後の光芒、麗しきケセン語、東京下町ことばの味わい、日本の文字の美しさについて、というふうに、1994年新年号の目次を飾る... 続きをみる

  • 日本語論20 コーパスによれば

    日本語論の課題のひとつに、日本語コーパスの利用のことがあげられる。 その規模は大きいので、機械による言語情報の処理を新たな展開と見ることができる。 その分析にコロケーションがある。語の連続における共起の現象を扱う。 日本語コロケーションは連語現象として見られて来たものであるが、それには文法作用を前提... 続きをみる

  • 日本語論19 データによる 20180523

    情報となった日本語が文体でいえばどのようなものかによって、その資料性がデータ結果に影響を及ぼす、その扱いはどう分析されているであろう。これまでの言語研究として、日本語には文体とする、話し言葉と書き言葉の差が明らかに異なっていたので、そのコーパスを選ぶにも、言語資料の種類、年代、そして位相などをとらえ... 続きをみる

  • 日本語論18 情報と日本語 20180522

    情報時代をとらえれば、日本語は内外でどう使われるか。その普及によって、国内ではスマホツール、海外では日本語コミュニケ―ションの道具という視点がある。コンピュータの端末がタブレット型の展開でスマホと呼ばれて爆発的に増えていると白書は言う。平成29年版、情報通信白書のポイントによると、情報通信機器のうち... 続きをみる

  • 日本語論17 情報言語

    情報化時代の日本語は言語としてのデータをコンピュータに蓄積をしてその処理を結果として得る技術また方法となる。その具体例には語彙調査を行ってきた計算言語の処理に現れた。それは単語入力の次元で、その後には電子情報化することによって大量の言語処理能力が可能となり、コーパスの構築に展開している。いずれも日本... 続きをみる

  • 日本語論16 情報時代

    情報化時代は情報時代となって、情報革命が進む。情報通信白書が情報・知識の時代到来を、農業の時代、工業の時代につぐ、21世紀に入って数年が経つころの新しい時代を捉えて言う。視点は経済成長を超長期的にみる。この白書が伝える社会は情報・知識の時代をゆ匹タスによる実現としている。情報時代は経済活動の展開にお... 続きをみる

  • 日本語論15

    情報化時代をいつからと、IT革命の時代を検索した。日経記事に、IT革命から20年 どうなるネット社会の未来 2014/1/2 7:00 というのがヒットした。1984年をとらえて、2014年で30年を迎えていたとする情報技術の革新である。日本語論の1994年は、その10年後のこと、ここで20年の真ん... 続きをみる

  • 日本語論14

    日本語百科のコラムがあり、さらに、ことばの思想、外来語の語源、新聞のことば、放送のことば、辞書のことば、というふうに、創刊号からの項目になる。そこで前後と合わせて、それぞれに取り上げる内容には、 生きる、愛。 パン、ワインとビール。 「前倒し」考、「風」考。 「大舞台」が変わった、「息づく」は「ひっ... 続きをみる

  • 日本語論13 スマホの出現

    日本語論13 特集に見えるのは、情報化社会と日本語、活字メディアと電子メディア、パソコン・ワープロの作文技術、電子メディアと漢字、電子図書館の構想、マルチメディア時代と新聞、電話の現在、現代テレビ論と、タイトルが並ぶ。このいずれもが1993年の記事として、それから25年後のいまをもってしてみると、メ... 続きをみる

  • 日本語論12

    写真ページにアジアの風景、シルクロードの秋が美しい。イリからクチャへ、そしてカシュガルからフランジェラブ峠越えを遷す。色とりどりの紅葉がすぐにも、もう冬の景色へと変わる。気づけば表紙絵に見る写真もその気候によるところらしい。シルクロードはあこがれの地であるから興味深い。中国の砂漠を見たいと思うのはな... 続きをみる

  • 日本語論11

    情報化時代の日本語 情報化時代という。情報化がよくわからない。辞書義では、情報の活用度が増し、情報の価値が高まることとする。また、情報技術の進歩によって社会が変容することとも言う。大辞林 第三版の解説。日本語論1993年12月、創刊号の2号は、情報化時代の日本語を特集する。25年を経て情報化時代はど... 続きをみる

  • 日本語論10

    特集タイトルは、日本語とは何か、である。この創刊号を手にして読み物から多くを得たであろう。そのなかで印象に残したのは、日本と表記して、漢字の読みかたの取り決めからすれば、にほん となるのは、二本でしかないという、日本語再入門の記事であった。その1で、鳥飼浩二氏は、どうしたら、常用漢字表で日本が二ホン... 続きをみる

  • 日本語論9

    日本語を国号、日本の成立を考えるか、ながく日本が明らかにされようとして、神話伝承から説くものではない。その呼称がすでに、にっぽん、にほん、やまと、これを決めることも困難であるから、日本語と書いてみて、やまとご、という読みのことを思わなければならない。ヤマト語は大和朝廷の中央言語であった、そうすると、... 続きをみる

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