アロイジオ・デルコル神父 江藤きみえ訳『十六のかんむり 長崎十六殉教者』
アロイジオ・デルコル神父 江藤きみえ訳『十六のかんむり 長崎十六殉教者』 そのころは、まだ日本が外国とゆききしていました。もちろん小さな船ですが、それでも、ちゃんと手紙はとどいたものです。 ある日、マニラのドミニコ会という修道会の管区長さまのもとに日本から手紙がつきました、日本文字の巻紙式の手紙をさ... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父 江藤きみえ訳『十六のかんむり 長崎十六殉教者』 そのころは、まだ日本が外国とゆききしていました。もちろん小さな船ですが、それでも、ちゃんと手紙はとどいたものです。 ある日、マニラのドミニコ会という修道会の管区長さまのもとに日本から手紙がつきました、日本文字の巻紙式の手紙をさ... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父 江藤きみえ訳『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、2 3人は、もうすでに日本語の勉強をはじめていました。でも、話して通じるのは、まだミゲル神父さまひとりだけです。 さいわい、マニラには、ただひとりだけ日本人の神父さまがいました。長崎生まれのかれが、どうしてここにいたかを、まず... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、3 マニラの日本人町にたくさんの信者がいました。ラザロと洗礼名でよばれた京都出身の信者も、そのなかのひとりです。 かれは、日本では、あの悲惨ならい病患者のひとりでした。いみきらわれるらい病患者たちは、町から村から追いだされて、生きるすべさえ... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、4 中国人を父に、フィリッピン人を母にもつロレンソ・ルイスは、熱心な信者でしたが、スペイン人からけいべつされていました。そうしたある日、ふとしたことから、身分の高いスペイン人との、いざこざがあって、身の危険を感じました。こうなったら、外国に... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、5 いちおう、おもてむきは、マカオに行くということにしていますが、かれも、宣教師も日本に向けて出発したのです。 荒波にもまれ、もまれ、一か月もの船旅ののち、いのちからがらたどりついたのは、日本国のアクセキ(悪石)という小さな島です。トカラ群... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、6 信者たちが、こっそりと集まって、ミサにあずかり、告白をし、ご聖体のなかに、いつくしみあふれるイエズスをいただいているそのときでした、このはなれ島の小さなバラック建ての聖堂のなかに、いきなり土足でふみこんできたものがいます。やりや、かたな... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、7 「へっへっへ!」とつぜん笑いだしたものがありました。 「そんなばかなことがあるものか、もうちょっとりこうになりたいなら、そんなインチキのフィデス(=信仰)はすてたほうがよいぞ、でないと、いまにひどい目にあうからな」 おや、ラテン語で話し... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、8 このうえに重い石をのせ、はては、役人たちまでその上に立って、どんどん足ぶみするのです。行き場のない水がからだじゅうから吹き出すこんな恐ろしい光景は、役人にはおもしろいあそびですが、3人の苦しみは、想像することもできないほどです。 * も... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、9 ふたりは、あえぐ息をはずませて、改心と勇気をよびかけました。 「ねえ、ヴィセンテ神父さま、どうぞキリストさまのみことばを思いだしてください、”人びとの前にわたしをいなむ人を、わたしもいなむ”とおおせられたではありませんか。あなたは、キリ... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、10 その後いく日かして、捕えられたあの3人も、長崎におくられてきました。アントニオ神父さまと、京都出身のラザロ、それに、フィリッピン人のルイスです。 * 3人とも、”絶対に信仰をすてない”といったために、あのいまわしい水ぜめのごうもんがは... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、11 ルイスは、おどろいていいました、 「とんでもありません。わたしは、学問はありませんが、小さいときから、キリスト信者です。キリストさまをすてるなんて、絶対にできません。もちろん妻子はこいしいにきまっています。まい晩その夢はかりみています... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、12 かれは、これほど体をいためつけられたうえ、その霊魂までも、一度ころんだことで、ひどい傷をうけたのです。 かれは、「アントニオ神父さま、どうぞわたしの告白をきいてください」とますますはげしく泣きながら、たのむのでした。 これほどの痛悔を... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、13 1636年9月27日、ほかの5人にも、ついに、がいせんの日がやってきました。かれらは、両手をうしろに縛られたまま、みな馬にのせられ、長崎の町々をみせしめにとひきまわされました。 「ふん、外国の邪教など信じるから、このざまだ、おやおや、... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、14 ひとりに、一つずつ穴が口をあけ、その底には、あらんかぎりの汚物が、たまらないほどのにおいを放っています。 かれらは、この穴のなかに、頭を下に、さかさにつるされたのです。 「やれやれ」と顔をみあわせたものがいます。あの賛美歌に、はげしく... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、15 あわれな地上の姿とは対照的に、そのとき、6人の殉教者たちは、あっばれながいせん将軍となって、天にのぼっていきました。そして、まばゆいばかりの、かがやく姿で、永遠の勝利のかんむりを受けているまっさいちゅうだったのです。 かれらは、人間の... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、16 ◆2、1633年の殉教者 ★ スペイン人のドミニコ会員教師ドミンゴ・イバニエス神父: かれは、日本にわたると、日本名をタイエモンとなのり、 ★ 長崎生まれの伝道士フランシスコ・ショウイエモン(正右衛門)とともにすばらしい活躍をしました... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、17 ◆3、1634年10月下旬の殉教者 イタリア人、スペイン人日本人の3人の神父さまと、日本人のひとりの伝道士、および、ドミニコ会第三会の修道女だった2人の婦人。 ★ 日本人司祭トマス・ヒヨジ西ロクザイエモン(ひよじ西六左衛門): 平戸に... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、18 ◆1634年10月下旬の殉教者(2) ★ イタリア人司祭ホルダン神父(俗名ジャチント・アンサローネ): 当時スペイン領だったシチリア島生まれのかれは、スペインにわたって、ドミニコ会の司祭になりまた。それから、メキシコを通ってマニラにわ... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、19 ◆、1634年10月下旬の殉教者(3) ★ 大村のマリナ: かの女の両親は、熱心な信者で、迫害されていた宣教師を、よく自分のうちにかくまっていました。そのうちのひとりは、ルイス・ベルトラン神父さまです。でも、まもなく、この神父さまと、... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、20 ◆ 1634年10月下旬の殉教者(4) ★ 長崎生まれのマグダレナ: りっぱな信者の親から熱心な教育をうけでそだったかの女は、ただ一つの大きな望みにとりつかれていました。それは、神のめぐみで一日もはやくこの迫害がおわることです。そのた... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、21 ★ 長崎生まれのマグダレナ(2) この日かの女は、神父さまに、ひとつの打ちあけばなしをしました。「バテレンさま、わたしは、家族がみんなつかまって処刑され、ひとりぽっちになったあのとき、ロザリオの聖母のご絵の前にひざまずいて、独身のちか... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、22 ★ 長崎生まれのマグダレナ(3) その翌日、そこから出されたとき、かの女の前に目をおおいたくなるような光景が展開されました。たくさんの信者が、手をかえ、品をかえてのごうもんを受けています。まるで、そこは苦しみの〃るつぼ〃でした。 その... 続きをみる
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、23 *** この16名の殉教者は、マニラで教皇ヨハネ・パウロ2世によって、列福式がおこなわれ、今度は長崎において・教皇の司式される荘厳なミサをもって祝われることになりました。こうして、かれらは日本の教会だけでなく、全世界に、すばらしいまこ... 続きをみる
「救霊できさえすればたくさんよ」と言って、平気のへの字で小罪を犯す人が世の中には少なからずいる。しかしそんな心ではその救霊はなかなかおぼつかない。罪の道は非常になめらかである。その倒れた所にいつまでもじっとしていられるものではない。次第に下へ、下へと落ち込んでいくのは自然の勢いである。そのうえ、平気... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年、1 秀吉のキリシタン迫害 戦国時代の末期から、ヨーロッパ人の渡来が、ようやく繁くなるに及んで、キリスト教もこれと正比例して盛んに我が国に伝播しはじめたが、秀吉、家康、秀忠、家光など、時の為政者のいずれもがこれ... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 2、秀吉のキリシタン迫害(2) そののち、慶長元(1596)年六月には土佐の浦戸海岸に漂着したスペイン船の船長が、母国の強大を誇り顔に、 「我国の版図の広大な理由は、まず宣教師を派遣して外国の土民を帰伏させ、... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 3、秀吉のキリシタン迫害(3) その日、長崎立山の丘の頂きには、二十六基の十字架が五歩の間隔を置いて一列に並べられ、その一基ごとに信徒の姓名、略歴が記された。 ここに、太陽がまさに.西へ没せんとするその円の夕... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 4、家康のキリスト教禁令 家康も最初は秀吉のごとく、キリシタンの圧迫者ではなかった。外交によって商利を得んと考えていた。 時に慶長十五(1587)年八月、オランダより家康に書が届き、むしろ対外策は和親の方針を... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 5、家康のキリスト教禁令(2) この家康の禁教令の犠牲となって、遠くフィリピンのマニラに追放された大名に、高山右近と内藤如安の二人がいる。高山右近は、もと摂州高槻城主で山崎合戦には戦功を立て、その後は播州明石... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 6、元和のキリシタン殉教 家康の三子で、秀忠は、何事にも父家康の方針を踏襲したが、キリシタンに対する態度は、晩年の家康の禁教方針をそのまま用いた。 そして元和五(1619)年には、京都で、信徒五十二名の大量虐... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 7、元和のキリシタン殉教(2) 所かわって、幾度か信徒の血を流した長崎立山の丘でも、またしても二十六聖人以来の大虐殺が繰り返された。元和八(1613)年九月十日の事である。 この時、処刑された者はイタリヤ生ま... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 8、元和のキリシタン殉教(3) この時の殉教者の中には、こういう四歳の幼児のいたいけな最期と、よい対照を示す八十歳の老婆の見事な死も伝えられている。ルシアと呼ばれる八十歳の老婆は高齢の為、死に際して取り乱しは... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 9、江戸の弾圧 秀忠に次いで家光が将軍となると、キリシタン宗徒たちは、新将軍はおそらく前将軍ほど苛酷な禁圧を加えないだろうと期待した。だが、その期待は完全に裏切られ、家光は秀忠以上にキリスト教を敵視して、捕縛... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 10、江戸の弾圧(2) 捕縛されたキリスト教徒の中で、原主水以外の主だった者は、イタリヤ生まれのイエズス会の宣教師エロニモ、フランシスコ派のガルベス、それに肥後の生まれでエロニモを師と仰ぐ遠藤シモンらであった... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 11、迫害と刑罰 そのころ、安芸の浅野家の家中に悲痛な殉教物語が生まれた。もともと、浅野家ではキリストを弾圧する方針ではなかったが、幕府よりしきりに促されるので、ついに藩中の信徒を一掃する事となり、宗門改めの... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 12、迫害と刑罰(2) かつてはローマ法王に特使を送った仙台の伊達政宗も、今ではキリスト教徒迫害派の大立者として、その領内で盛んに信徒を虐殺した。また、キリシタン大名の一人であった大村家も、他家に率先して信徒... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 13、迫害と刑罰(3) 日本の刑罰史では、古代の死刑は斬首か絞首が多かったが、平安時代になると、仏教の影響によって刑を軽くする方法がとられた。かりに死刑の判決があっても天皇の詔勅で還流にしたり軽減したりして、... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22-キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 14、迫害と刑罰(4) だが、こういう身の毛のよだつ酷刑を受けても、少しもひるまない宗徒の熱烈な殉教者精神にいたっては、真に感奮すべきものがあった。半身水漬けになって氷のごとくなりつつ、一人がデウスのために死... 続きをみる
笠原一男(東大教授)『物語 日本の歴史22 キリシタン一揆と信仰の悲劇』木耳社、1992年 15、迫害と刑罰(5) キリシタン迫害史の各ページは、このように殉教者の尊い血をもって彩られている。日本の歴史にこれほど残酷な、これほど壮烈な歴史はない。いずれの国でも新し一宗門を第一に見舞うものは求道者でな... 続きをみる
副作用
時々・・モワッと感じるl事。
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