芸術・文化のムラゴンブログ

  • 小野小町2

    しかし、古今和歌集に収められてある小町の和歌を詠む限り、紀淑望の「艶にして気力なし。病める婦の花粉を着けたるがごとし」というのは少し言い過ぎのような気がする。やはり、紀貫之ぐらいの評価が妥当であると思う。そこにみられるのは、和歌の創作よりも、恋愛そのものに関心を示している女性らしいふつうの女性像であ... 続きをみる

  • 小野小町

    小野の随心院で、小野小町ゆかりの「はねず踊り」の催しがあるそうで、一度訪ねてみようと思い、その際、小野小町などについてもう少し詳しく知ってから行けば興味も増すのではないかと少し調べてみた。 これまで、小野小町について知っていることと言えば、せいぜい百人一首に収められている「花の色は移りにけりな いた... 続きをみる

  • 小野小町

    小野の随心院で、小野小町ゆかりの「はねず踊り」の催しがあるそうで、一度訪ねてみようと思い、その際、小野小町などについてもう少し詳しく知ってから行けば興味も増すのではないかと少し調べてみた。 これまで、小野小町について知っていることと言えば、せいぜい百人一首に収められている「花の色は移りにけりな いた... 続きをみる

  • 小野小町7

    小野小町7 小町の恋愛とその生涯が後の世にこれほど広く深く広まったことには、さらに南北朝時代から室町時代に生きた観阿弥、世阿弥の親子の力があったと思う。 彼ら親子は能という芸術を通じて、小町の恋愛と仏教の無常観を象徴的に描き出した。それが武士階級を通じてやがて民衆の間にも広まっていったと考えられる。... 続きをみる

  • 小野小町7

    小野小町7 小町の恋愛とその生涯が後の世にこれほど広く深く広まったことには、さらに南北朝時代から室町時代に生きた観阿弥、世阿弥の親子の力があったと思う。 彼ら親子は能という芸術を通じて、小町の恋愛と仏教の無常観を象徴的に描き出した。それが武士階級を通じてやがて民衆の間にも広まっていったと考えられる。... 続きをみる

  • 小野小町6

    小野小町6 小町が思いを男性に託して恨みを述べている歌としては、ただ一つ 残されている。それは小野貞樹に当てたもので次の歌。 をののこまち 782 今はとて わが身時雨にふりぬれば 言の葉さえに移ろひにけり 返し 小野さだき 貞樹 783 人を思ふ心この葉にあらばこそ 風のまにまにちりもみだれめ 小... 続きをみる

  • 小野小町6

    小野小町6 小町が思いを男性に託して恨みを述べている歌としては、ただ一つ 残されている。それは小野貞樹に当てたもので次の歌。 をののこまち 782 今はとて わが身時雨にふりぬれば 言の葉さえに移ろひにけり 返し 小野さだき 貞樹 783 人を思ふ心この葉にあらばこそ 風のまにまにちりもみだれめ 小... 続きをみる

  • 小野小町5

    小野小町5 また小町自身がどのような女性であったかについては、1300年頃の鎌倉時代に生きた吉田兼好の徒然草の第百七十三段に小野小町が事として、「極めて定かならず」とすでに書いている。吉田兼好自身は小町ゆかりの山科の小野の山里に領地を買って住んでいたらしいから、小町の言い伝えなどは、よく耳にする立場... 続きをみる

  • 小野小町5

    小野小町5 また小町自身がどのような女性であったかについては、1300年頃の鎌倉時代に生きた吉田兼好の徒然草の第百七十三段に小野小町が事として、「極めて定かならず」とすでに書いている。吉田兼好自身は小町ゆかりの山科の小野の山里に領地を買って住んでいたらしいから、小町の言い伝えなどは、よく耳にする立場... 続きをみる

  • 小野小町4

    小野小町4 小野小町にまつわる伝説には二つの方向があると思う。一つには深草の少将の百夜通いの話と、老いて落魄し行き倒れる小町である。 小町のこの二つの女性像には理由がないわけではない。いずれも小町の残したわずかな歌の中にその根拠があるように思う。 深草の少将の百夜通いの言い伝えは、まことに美しく幻想... 続きをみる

  • 小野小町4

    小野小町4 小野小町にまつわる伝説には二つの方向があると思う。一つには深草の少将の百夜通いの話と、老いて落魄し行き倒れる小町である。 小町のこの二つの女性像には理由がないわけではない。いずれも小町の残したわずかな歌の中にその根拠があるように思う。 深草の少将の百夜通いの言い伝えは、まことに美しく幻想... 続きをみる

  • 小野小町3

    小野小町3 古今和歌集の中でも実際にその贈答歌の中で、互いの名前が記録されて、小野小町との人間関係が成立していると考えられる可能性の高いのは、巻第十二恋歌二で(556に対する557)小町の返歌のある安部清行、また巻十八雑歌下(938)に小町の返歌がある文屋康秀、それに後撰集の中に歌を贈ったことが記さ... 続きをみる

  • 小野小町3

    小野小町3 古今和歌集の中でも実際にその贈答歌の中で、互いの名前が記録されて、小野小町との人間関係が成立していると考えられる可能性の高いのは、巻第十二恋歌二で(556に対する557)小町の返歌のある安部清行、また巻十八雑歌下(938)に小町の返歌がある文屋康秀、それに後撰集の中に歌を贈ったことが記さ... 続きをみる

  • 小野小町2

    しかし、古今和歌集に収められてある小町の和歌を詠む限り、紀淑望の「艶にして気力なし。病める婦の花粉を着けたるがごとし」というのは少し言い過ぎのような気がする。やはり、紀貫之ぐらいの評価が妥当であると思う。そこにみられるのは、和歌の創作よりも、恋愛そのものに関心を示している女性らしいふつうの女性像であ... 続きをみる

  • 小野小町2

    しかし、古今和歌集に収められてある小町の和歌を詠む限り、紀淑望の「艶にして気力なし。病める婦の花粉を着けたるがごとし」というのは少し言い過ぎのような気がする。やはり、紀貫之ぐらいの評価が妥当であると思う。そこにみられるのは、和歌の創作よりも、恋愛そのものに関心を示している女性らしいふつうの女性像であ... 続きをみる

  • 小野小町1

    小野の随心院で、小野小町ゆかりの「はねず踊り」の催しがあるそうで、一度訪ねてみようと思い、その際、小野小町などについてもう少し詳しく知ってから行けば興味も増すのではないかと少し調べてみた。 これまで、小野小町について知っていることと言えば、せいぜい百人一首に収められている「花の色は移りにけりな いた... 続きをみる

  • 小野小町1

    小野の随心院で、小野小町ゆかりの「はねず踊り」の催しがあるそうで、一度訪ねてみようと思い、その際、小野小町などについてもう少し詳しく知ってから行けば興味も増すのではないかと少し調べてみた。 これまで、小野小町について知っていることと言えば、せいぜい百人一首に収められている「花の色は移りにけりな いた... 続きをみる

  • 音楽と詩

    音楽と詩 音楽には色彩も形象もない。絵画には視覚でとらえる対象がまだ残されているけれど、音楽においてはもはや視覚は役に立たない。物質性をもたないこの「音」をとらえるには聴覚しかない。だから音楽は絵画よりもさらに抽象的で観念的である。そして、その抽象性、観念性のゆえに、音楽は私たちのもっとも奥深い心の... 続きをみる

  • 音楽と詩

    音楽と詩 音楽には色彩も形象もない。絵画には視覚でとらえる対象がまだ残されているけれど、音楽においてはもはや視覚は役に立たない。物質性をもたないこの「音」をとらえるには聴覚しかない。だから音楽は絵画よりもさらに抽象的で観念的である。そして、その抽象性、観念性のゆえに、音楽は私たちのもっとも奥深い心の... 続きをみる

  • Vedi Maria(見て、マリア)

    Vedi Maria(見て、マリア) Vedi Maria (Emma Shapplin) 小枝の間から、 Between the branches 飛び降りてきて私の顔をぶった。 Down just hit my face そして、あなたは怒りをあらわにする。 And anger shows me... 続きをみる

  • Vedi Maria(見て、マリア)

    Vedi Maria(見て、マリア) Vedi Maria (Emma Shapplin) 小枝の間から、 Between the branches 飛び降りてきて私の顔をぶった。 Down just hit my face そして、あなたは怒りをあらわにする。 And anger shows me... 続きをみる

  • 音楽と詩

    音楽と詩 音楽には色彩も形象もない。絵画には視覚でとらえる対象がまだ残されているけれど、音楽においてはもはや視覚は役に立たない。物質性をもたないこの「音」をとらえるには聴覚しかない。だから音楽は絵画よりもさらに抽象的で観念的である。そして、その抽象性、観念性のゆえに、音楽は私たちのもっとも奥深い心の... 続きをみる

  • 音楽と詩

    音楽と詩 音楽には色彩も形象もない。絵画には視覚でとらえる対象がまだ残されているけれど、音楽においてはもはや視覚は役に立たない。物質性をもたないこの「音」をとらえるには聴覚しかない。だから音楽は絵画よりもさらに抽象的で観念的である。そして、その抽象性、観念性のゆえに、音楽は私たちのもっとも奥深い心の... 続きをみる

  • Vedi Maria(見て、マリア)

    インターネット オプションのフォントを、「MS P ゴシック」か「MS P 明朝」にして見てください。 Vedi Maria(見て、マリア) Vedi Maria (Emma Shapplin) 小枝の間から、 Between the branches 飛び降りてきて私の顔をぶった。 Down ju... 続きをみる

  • Vedi Maria(見て、マリア)

    インターネット オプションのフォントを、「MS P ゴシック」か「MS P 明朝」にして見てください。 Vedi Maria(見て、マリア) Vedi Maria (Emma Shapplin) 小枝の間から、 Between the branches 飛び降りてきて私の顔をぶった。 Down ju... 続きをみる

  • ルイス・フロイス

    ルイス・フロイス 昨年の秋頃から関わり始めた畑仕事の仲間から、京都府庁で展示会をやっているという話は耳に挟んでいた。しかし、忙しさにかまけてすっかりそのことを忘れていたところ、昨日、リーダーのHさんより電話があり、行ってみられてはどうかというお誘いを受けた。それで、初めて、その展示会が今月末までであ... 続きをみる

  • ルイス・フロイス

    ルイス・フロイス 昨年の秋頃から関わり始めた畑仕事の仲間から、京都府庁で展示会をやっているという話は耳に挟んでいた。しかし、忙しさにかまけてすっかりそのことを忘れていたところ、昨日、リーダーのHさんより電話があり、行ってみられてはどうかというお誘いを受けた。それで、初めて、その展示会が今月末までであ... 続きをみる

  • 山本常朝 ――『葉隠』の死生観

    山本常朝 ――『葉隠』の死生観 人間は文化的な生物である。だから、その成育の環境と伝統のなかで「教育」を受けてはじめて人間になる。教育や伝統などの文化的な環境が人格形成に決定的な影響を及ぼす。人は誰でも、両親を第一として、故人であれ、また海外であれ、青年の頃から多くの人格に接することを通じて人格形成... 続きをみる

  • 山本常朝 ――『葉隠』の死生観

    山本常朝 ――『葉隠』の死生観 人間は文化的な生物である。だから、その成育の環境と伝統のなかで「教育」を受けてはじめて人間になる。教育や伝統などの文化的な環境が人格形成に決定的な影響を及ぼす。人は誰でも、両親を第一として、故人であれ、また海外であれ、青年の頃から多くの人格に接することを通じて人格形成... 続きをみる

  • 国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思

    国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思 新潟でまた地震があった。日本はそもそも地震列島とも呼ばれ、大陸プレートと海洋プレートがひしめきせめぎ合う地殻の上に国土がある。その上に生活する国民の運命の悲哀というべきか。いや決してそんなことはない。科学の発達した今日、地震による死亡事故などの... 続きをみる

  • 国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思

    国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思 新潟でまた地震があった。日本はそもそも地震列島とも呼ばれ、大陸プレートと海洋プレートがひしめきせめぎ合う地殻の上に国土がある。その上に生活する国民の運命の悲哀というべきか。いや決してそんなことはない。科学の発達した今日、地震による死亡事故などの... 続きをみる

  • バッハの言語――③無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ

    バッハの言語―――③無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ Milstein's Last Public Concert at 83 Years Old: Chaconne (7.1986) ヴァイオリンという弦楽器が奏でる響きが伝える世界は、純粋抽象の天上の世界で、時間的な系列における啓示である... 続きをみる

  • バッハの言語――③無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ

    バッハの言語―――③無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ Milstein's Last Public Concert at 83 Years Old: Chaconne (7.1986) ヴァイオリンという弦楽器が奏でる響きが伝える世界は、純粋抽象の天上の世界で、時間的な系列における啓示である... 続きをみる

  • toxandoriaさんとの議論

    toxandoriaさんとの議論 toxandoriaさんのブログ(『toxandoria の日記、アートと社会』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070514)を読んで、それにコメントをお送りしたところ、次のようなコメントを返していただきました。こうした議論に多... 続きをみる

  • toxandoriaさんとの議論

    toxandoriaさんとの議論 toxandoriaさんのブログ(『toxandoria の日記、アートと社会』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070514)を読んで、それにコメントをお送りしたところ、次のようなコメントを返していただきました。こうした議論に多... 続きをみる

  • セザンヌのりんご

    セザンヌのりんご 拡大図 人間はなぜ絵を描くのか。絵や景色などは、ただ楽しめばよいものを、こうした不粋な問いでしらけさせてしまうのも、哲学愛好者の悪い癖なのかもしれない。 それにしても、なぜ人間は絵を描くのだろう。いや、単に絵だけではなく、音楽を作曲し、詩や小説などの文学を創作する。芸術を創作し、楽... 続きをみる

  • セザンヌのりんご

    セザンヌのりんご 拡大図 人間はなぜ絵を描くのか。絵や景色などは、ただ楽しめばよいものを、こうした不粋な問いでしらけさせてしまうのも、哲学愛好者の悪い癖なのかもしれない。 それにしても、なぜ人間は絵を描くのだろう。いや、単に絵だけではなく、音楽を作曲し、詩や小説などの文学を創作する。芸術を創作し、楽... 続きをみる

  • セザンヌのりんご

    セザンヌのりんご 拡大図 人間はなぜ絵を描くのか。絵や景色などは、ただ楽しめばよいものを、こうした不粋な問いでしらけさせてしまうのも、哲学愛好者の悪い癖なのかもしれない。 それにしても、なぜ人間は絵を描くのだろう。いや、単に絵だけではなく、音楽を作曲し、詩や小説などの文学を創作する。芸術を創作し、楽... 続きをみる

  • セザンヌのりんご

    セザンヌのりんご 拡大図 人間はなぜ絵を描くのか。絵や景色などは、ただ楽しめばよいものを、こうした不粋な問いでしらけさせてしまうのも、哲学愛好者の悪い癖なのかもしれない。 それにしても、なぜ人間は絵を描くのだろう。いや、単に絵だけではなく、音楽を作曲し、詩や小説などの文学を創作する。芸術を創作し、楽... 続きをみる

  • 短歌をはじめるべきか

    短歌をはじめるべきか 先日の1月25日で終わってしまったけれども、日経新聞の毎週木曜日の夕刊に、「現代短歌ベスト20」と題して、佐佐木幸綱氏が入門講座を連載されていた。 第一回と第二回は記事も読んだはずだったけれど、さして興味も無く印象にも残らず、どんな内容だったかも忘れてしまった。調べればわかるは... 続きをみる

  • 短歌をはじめるべきか

    短歌をはじめるべきか 先日の1月25日で終わってしまったけれども、日経新聞の毎週木曜日の夕刊に、「現代短歌ベスト20」と題して、佐佐木幸綱氏が入門講座を連載されていた。 第一回と第二回は記事も読んだはずだったけれど、さして興味も無く印象にも残らず、どんな内容だったかも忘れてしまった。調べればわかるは... 続きをみる

  • 小野の篁の詩の事

    撰集抄 巻八 第一 小野の篁の詩の事 むかし、嵯峨の天皇が、西山の大井川のほとりに、御所をお建てになられまして、嵯峨殿と申しまして、とても立派にご造営され、きれいにお作り飾られるのみでなく、山水や木立がこの上なく素晴らしく、とりわけ心に残るようでございました。如月の初めの十日のころ、御門のはじめての... 続きをみる

  • 小野の篁の詩の事

    撰集抄 巻八 第一 小野の篁の詩の事 むかし、嵯峨の天皇が、西山の大井川のほとりに、御所をお建てになられまして、嵯峨殿と申しまして、とても立派にご造営され、きれいにお作り飾られるのみでなく、山水や木立がこの上なく素晴らしく、とりわけ心に残るようでございました。如月の初めの十日のころ、御門のはじめての... 続きをみる

  • バッハの言語――②カンタータ第25番

    バッハの言語――②カンタータ第25番 バッハのカンタータ第二十五番は、詩篇第三十八篇第四節のコラールを基礎に歌われている。 私の肉体には健やかなところがありません。あなたの激しい憤りのために。 私の骨にも安らぎはありません。私の過ちのために。 (詩篇第三十八篇第四節) この詩篇第三十八篇では詩人はお... 続きをみる

  • バッハの言語――②カンタータ第25番

    バッハの言語――②カンタータ第25番 バッハのカンタータ第二十五番は、詩篇第三十八篇第四節のコラールを基礎に歌われている。 私の肉体には健やかなところがありません。あなたの激しい憤りのために。 私の骨にも安らぎはありません。私の過ちのために。 (詩篇第三十八篇第四節) この詩篇第三十八篇では詩人はお... 続きをみる

  • 荻の上風

    季節の変わり目を深く実感する今日のような日は、西行の歌を思い出す。秋の紅葉や春の花に触れては、西行の歌を介して世界を眺めたくなる。芸術家ならぬ私には、私の感性を芸術に形象化する技量はない。 日本にも歌人や俳人は多くいるが、その生涯の思想と行動について深く知りたいと思う者は少ない。西行はその数少ない一... 続きをみる

  • 荻の上風

    季節の変わり目を深く実感する今日のような日は、西行の歌を思い出す。秋の紅葉や春の花に触れては、西行の歌を介して世界を眺めたくなる。芸術家ならぬ私には、私の感性を芸術に形象化する技量はない。 日本にも歌人や俳人は多くいるが、その生涯の思想と行動について深く知りたいと思う者は少ない。西行はその数少ない一... 続きをみる

  • 真珠の耳飾りの少女

    真珠の耳飾りの少女 拡大図 ここに描かれているのは、明らかに妙齢の婦人ではない。幼児でもない。少女である。まだ女性になる前の。彼女は振り返るようにして、私たちを見ている。 その二つの瞳の視線が交流するその焦点は、この絵の前に立って少女を見つめている私の眼の位置に合わせられている。そのことによって、平... 続きをみる

  • 真珠の耳飾りの少女

    真珠の耳飾りの少女 拡大図 ここに描かれているのは、明らかに妙齢の婦人ではない。幼児でもない。少女である。まだ女性になる前の。彼女は振り返るようにして、私たちを見ている。 その二つの瞳の視線が交流するその焦点は、この絵の前に立って少女を見つめている私の眼の位置に合わせられている。そのことによって、平... 続きをみる

  • 日本サッカー、対オーストラリア初戦敗退が示すもの

    今もワールドカップは順調に進行しているようだ。だが、日本は残念ながら対オーストラリア戦で惨めな敗北を味わった。特に試合終了間際に、なし崩しに得点されたのを見ても、日本サッカーがまだ多くの問題を抱えていることを示している。そして、アルゼンチンやスペインやブラジルなどの世界的な強豪チームの試合を見るにつ... 続きをみる

  • 日本サッカー、対オーストラリア初戦敗退が示すもの

    今もワールドカップは順調に進行しているようだ。だが、日本は残念ながら対オーストラリア戦で惨めな敗北を味わった。特に試合終了間際に、なし崩しに得点されたのを見ても、日本サッカーがまだ多くの問題を抱えていることを示している。そして、アルゼンチンやスペインやブラジルなどの世界的な強豪チームの試合を見るにつ... 続きをみる

  • 西行の歌、二首

    久しぶりに西行の歌を詠む。現代人の多くにとっては、ほとんど無縁の世界なのかも知れない。こうしたネットで、たまたま偶然に出逢う以外は。 年頃申しなれたる人に、遠く修行する由申してまかりたりけり。名残り多くてたちけるに、紅葉のしたりけるを見せまほしくて、待ちつる甲斐なく、いかに、と申しければ、木の下に立... 続きをみる

  • 西行の歌、二首

    久しぶりに西行の歌を詠む。現代人の多くにとっては、ほとんど無縁の世界なのかも知れない。こうしたネットで、たまたま偶然に出逢う以外は。 年頃申しなれたる人に、遠く修行する由申してまかりたりけり。名残り多くてたちけるに、紅葉のしたりけるを見せまほしくて、待ちつる甲斐なく、いかに、と申しければ、木の下に立... 続きをみる

  • 老いらくの恋

    在原の業平は、西洋におけるドン・ジュアンのように、色好みの男としてわが国において伝説化された男性である。そのいわれに大きな影響を及ぼしたのは、もちろん『伊勢物語』である。単なる口伝だけでは、これだけ深く広く業平伝説は伝わらなかっただろう。伊勢物語は、歌集であるとともに、在原業平という一人の男性を描い... 続きをみる

  • 老いらくの恋

    在原の業平は、西洋におけるドン・ジュアンのように、色好みの男としてわが国において伝説化された男性である。そのいわれに大きな影響を及ぼしたのは、もちろん『伊勢物語』である。単なる口伝だけでは、これだけ深く広く業平伝説は伝わらなかっただろう。伊勢物語は、歌集であるとともに、在原業平という一人の男性を描い... 続きをみる

  • 遊女の救い

    ようやく連休が終わった。桂川の土手をバイクで走っていても、美しい新緑が眼に沁み入る。新緑のきれいな季節になった。 先日、たまたま日経新聞を読んでいたら、その文化面に、たぶん五月三日の記事だったと思うけれど、河鍋暁斎の「地獄太夫と一休」の絵について、どこかの学芸員による解説コラムが掲載されていた。 一... 続きをみる

  • 遊女の救い

    ようやく連休が終わった。桂川の土手をバイクで走っていても、美しい新緑が眼に沁み入る。新緑のきれいな季節になった。 先日、たまたま日経新聞を読んでいたら、その文化面に、たぶん五月三日の記事だったと思うけれど、河鍋暁斎の「地獄太夫と一休」の絵について、どこかの学芸員による解説コラムが掲載されていた。 一... 続きをみる

  • マディソン郡の橋(2)

    小説や映画や演劇では、思想や哲学と異なって、感覚によって捉えられることのできる具体的なイメージを通じて、具体的な形象を通じて、何らかのメッセージを伝えようとする。このメッセージというのは、少なくとも何らかの思想であり抽象的なものであって、単に感覚だけではそれは捉えきれない。意識と言語をもって思考し、... 続きをみる

  • マディソン郡の橋(2)

    小説や映画や演劇では、思想や哲学と異なって、感覚によって捉えられることのできる具体的なイメージを通じて、具体的な形象を通じて、何らかのメッセージを伝えようとする。このメッセージというのは、少なくとも何らかの思想であり抽象的なものであって、単に感覚だけではそれは捉えきれない。意識と言語をもって思考し、... 続きをみる

  • マディソン郡の橋

    (1) この映画が封切りになったときに、見ようと思っていたのが、機会を失ってしまい、今日までいたったものである。なぜ見たいと思ったのかよくわからない。 この間たまたまビデオが手に入ったので、ようやく見ることができた。この映画の製作日は一九九五年であるので、すでに十年が経過してしまっている。原作も読も... 続きをみる

  • マディソン郡の橋

    (1) この映画が封切りになったときに、見ようと思っていたのが、機会を失ってしまい、今日までいたったものである。なぜ見たいと思ったのかよくわからない。 この間たまたまビデオが手に入ったので、ようやく見ることができた。この映画の製作日は一九九五年であるので、すでに十年が経過してしまっている。原作も読も... 続きをみる

  • レンブラントの自画像

    レンブラントは肖像画家としても有名である。それも、自画像を生涯にわたって描き残した画家として。上に掲げたレンブラントのもっとも若き日の肖像も、特に印象に残っている作品の一つである。 若い日に自分の肖像を眺めるということ、青年時代には誰しも鏡に深く見入ったりするものである。自意識に目覚め異性への関心が... 続きをみる

  • レンブラントの自画像

    レンブラントは肖像画家としても有名である。それも、自画像を生涯にわたって描き残した画家として。上に掲げたレンブラントのもっとも若き日の肖像も、特に印象に残っている作品の一つである。 若い日に自分の肖像を眺めるということ、青年時代には誰しも鏡に深く見入ったりするものである。自意識に目覚め異性への関心が... 続きをみる

  • バッハの言語――①ブランデンブルグ協奏曲

    バッハの教会カンタータ第91、92、93番、ブランデンブルグ協奏曲、ヨハネ受難曲を聴く。 バッハの教会カンタータは、宗教詩と音楽を通じて、キリスト教の思想と感情を民衆の心の奥深くに刻みつける。今日では、特にわが国ではバッハなどは主にコンサートや音楽会で聴くが、バッハ自身は教会堂専属の作曲家として、毎... 続きをみる

  • バッハの言語――①ブランデンブルグ協奏曲

    バッハの教会カンタータ第91、92、93番、ブランデンブルグ協奏曲、ヨハネ受難曲を聴く。 バッハの教会カンタータは、宗教詩と音楽を通じて、キリスト教の思想と感情を民衆の心の奥深くに刻みつける。今日では、特にわが国ではバッハなどは主にコンサートや音楽会で聴くが、バッハ自身は教会堂専属の作曲家として、毎... 続きをみる

  • 源氏物語(1)光源氏の母、桐壺の更衣(桐壺考)

    光源氏の母、桐壺の更衣(桐壺考) 源氏物語は光源氏の母、桐壺の更衣の描写から始まる。 古典の中の古典『源氏物語』の主人公、光源氏の母である桐壺の更衣は、ただ源氏物語の冒頭の巻『桐壺』に登場するだけである。この冒頭の巻の中に、流星のように現われては果敢なく消えて行く。 多くの女御や更衣たちが帝に仕える... 続きをみる

  • 源氏物語(1)光源氏の母、桐壺の更衣(桐壺考)

    光源氏の母、桐壺の更衣(桐壺考) 源氏物語は光源氏の母、桐壺の更衣の描写から始まる。 古典の中の古典『源氏物語』の主人公、光源氏の母である桐壺の更衣は、ただ源氏物語の冒頭の巻『桐壺』に登場するだけである。この冒頭の巻の中に、流星のように現われては果敢なく消えて行く。 多くの女御や更衣たちが帝に仕える... 続きをみる

  • 私の哲学史(1)──ルソー(自由について)

    私の哲学史(1)──ルソー(自由について) 私がルソーを読むようになったのは、いわゆる自我の目覚めのとき、中学生から高校生に至るときである。ルソーには社会思想家、教育思想 家として、『社会契約論』や『エミール』などの作品がある。だが、当時の私には、そのような著作は十分に理解する力はなかったし、ルソー... 続きをみる

  • 私の哲学史(1)──ルソー(自由について)

    私の哲学史(1)──ルソー(自由について) 私がルソーを読むようになったのは、いわゆる自我の目覚めのとき、中学生から高校生に至るときである。ルソーには社会思想家、教育思想 家として、『社会契約論』や『エミール』などの作品がある。だが、当時の私には、そのような著作は十分に理解する力はなかったし、ルソー... 続きをみる

  • スーラーの絵

    スーラーは後期印象派の画家として知られている。 印象派がなによりも捉えようとしたのは光である。丘の上で風に吹かれながら日傘をさす貴婦人に注がれる陽光のきらめく自由な美しさ、水平線の彼方から霧を透かして朝日が上るとき、海原に揺らめき反映する赤い光の美しさを画布に捉えようとした。ルノアールやモネらの印象... 続きをみる

  • スーラーの絵

    スーラーは後期印象派の画家として知られている。 印象派がなによりも捉えようとしたのは光である。丘の上で風に吹かれながら日傘をさす貴婦人に注がれる陽光のきらめく自由な美しさ、水平線の彼方から霧を透かして朝日が上るとき、海原に揺らめき反映する赤い光の美しさを画布に捉えようとした。ルノアールやモネらの印象... 続きをみる

  • 今日は中秋の名月

    今日は中秋の名月。しかし、今宵秋の夜空には月の面影はない。 中秋の名月で思い出すのは、かぐや姫のこと。かぐや姫の淋しさ。かぐや姫は、月を見ては泣いていた。翁が姫に月を眺めるなとどんなにいくら言い聞かせても、言うことを聴かない。そして、とうとう今日の八月の十五日になると、もう人目もはばからず激しく泣く... 続きをみる

  • 今日は中秋の名月

    今日は中秋の名月。しかし、今宵秋の夜空には月の面影はない。 中秋の名月で思い出すのは、かぐや姫のこと。かぐや姫の淋しさ。かぐや姫は、月を見ては泣いていた。翁が姫に月を眺めるなとどんなにいくら言い聞かせても、言うことを聴かない。そして、とうとう今日の八月の十五日になると、もう人目もはばからず激しく泣く... 続きをみる

  • スーラーの絵

    スーラーは後期印象派の画家として知られている。 印象派がなによりも捉えようとしたのは光である。丘の上で風に吹かれながら日傘をさす貴婦人に注がれる陽光のきらめく自由な美しさ、水平線の彼方から霧を透かして朝日が上るとき、海原に揺らめき反映する赤い光の美しさを画布に捉えようとした。ルノアールやモネらの印象... 続きをみる

  • スーラーの絵

    スーラーは後期印象派の画家として知られている。 印象派がなによりも捉えようとしたのは光である。丘の上で風に吹かれながら日傘をさす貴婦人に注がれる陽光のきらめく自由な美しさ、水平線の彼方から霧を透かして朝日が上るとき、海原に揺らめき反映する赤い光の美しさを画布に捉えようとした。ルノアールやモネらの印象... 続きをみる

  • もし私が聖書を編纂するなら

    洗礼を受けていなくとも、また特定の教会に所属していなくても、聖書に価値を認めて愛読している人は少なくないと思います。教会の特定の解釈や教義に縛られることなく自由に研究したいと思う者は、特に、その傾向が強いのではないでしょうか。 それにしても、現行の新旧約聖書は、あまりに大部で、忙しい現代の多くの日本... 続きをみる

  • 信仰深くあること──人間は生まれながらにしてカトリック教徒である

    西洋には「人は生まれながらにしてカトリック信者である」ということわざがあるらしい。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が死去して、新しい法王の選挙が話題になったとき、そんなことわざを思い出した。手元にあることわざ辞典には、この事項の説明がないので、その意味する正確なところはよくわからない。誰か知っておられれ... 続きをみる

  • ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の死──カトリック教について

    ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカンの法王宮殿で死去した。享年84歳だった。パウロ2世法王の法王就任は、1978年であるから、ほぼ四半世紀にわたって法王の座にあった。 法王は私の青年時代以降の時間をほとんど同時代人として生きてきた。法王は1920年... 続きをみる

  • 失われた大和撫子

    撫子は私の好きな花の一つである。一番好きな花かと問われると、必ずしもそうも断言できない。桜の花も好きだし、菊も、ダリアも、リンドウも、キキョウも、蘭も皆それぞれの趣があって好きである。しかし、撫子は、大和撫子を連想させることもあって、取り分けて好きな花の一つである。初夏の堤や海辺で、草むらの影にひっ... 続きをみる

  • 寡作な小栗康平監督

    今日のテレビに映画監督の小栗康平氏が出ていた。残念ながら、小栗監督の映画を私はまだ一度もまともに、完全に見たことがない。ただ、この監督の処女作でもある『泥の川』は、作家の宮本輝氏がこの作品で芥川賞を取っていたこともあって、原作の小説は、早くから読んでいた。 この小説は、戦後まだ日の浅い、日本が経済の... 続きをみる

  • 渚の院の七夕

    今日は七夕の日。子供の頃、笹飾りを作って、近所の人たちと淀川にまで流しに行った時の記憶が懐かしくよみがえる。子供の心の世界は分裂を知らず、この世で天国を生きている。思春期を過ぎて、心は二つに分裂し、人は悪を知りエデンの園から追放される。 残念ながら、夕方から雷をともなったかなり激しい雨。六時ごろには... 続きをみる

  • 野バラと撫子

    野バラと撫子 ゲーテの有名な詩で、日本でも広く知られている『野バラ』という詩がある。原文と訳文は次のようなものである。シューベルトやウェルナーの歌曲としても知られている。 
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  • 野バラと撫子

    野バラと撫子 ゲーテの有名な詩で、日本でも広く知られている『野バラ』という詩がある。原文と訳文は次のようなものである。シューベルトやウェルナーの歌曲としても知られている。 
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  • 渚の院の七夕

    今日は七夕の日。子供の頃、笹飾りを作って、近所の人たちと淀川にまで流しに行った時の記憶が懐かしくよみがえる。子供の心の世界は分裂を知らず、この世で天国を生きている。思春期を過ぎて、心は二つに分裂し、人は悪を知りエデンの園から追放される。 残念ながら、夕方から雷をともなったかなり激しい雨。六時ごろには... 続きをみる

  • 渚の院の七夕

    今日は七夕の日。子供の頃、笹飾りを作って、近所の人たちと淀川にまで流しに行った時の記憶が懐かしくよみがえる。子供の心の世界は分裂を知らず、この世で天国を生きている。思春期を過ぎて、心は二つに分裂し、人は悪を知りエデンの園から追放される。 残念ながら、夕方から雷をともなったかなり激しい雨。六時ごろには... 続きをみる

  • 伊勢物語の杜若(かきつばた)

    梅雨の季節で、本来ならもっと雨が降ってもよいはずだが、かなり長いこと晴れ間が続いている。雨が降っても、すぐに止んでしまう。今年の夏は空梅雨かもしれない。 梅雨入りどきには、アヤメやカキツバタがきれいに咲く。カキツバタを見て、いつも思い出すのは、伊勢物語の第九段の東下りの中で、この物語の主人公である在... 続きをみる

  • 伊勢物語の杜若(かきつばた)

    梅雨の季節で、本来ならもっと雨が降ってもよいはずだが、かなり長いこと晴れ間が続いている。雨が降っても、すぐに止んでしまう。今年の夏は空梅雨かもしれない。 梅雨入りどきには、アヤメやカキツバタがきれいに咲く。カキツバタを見て、いつも思い出すのは、伊勢物語の第九段の東下りの中で、この物語の主人公である在... 続きをみる

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