侠客のムラゴンブログ

  • 絹市に切断された女の足が‥‥‥

    「国定忠次外伝・嗚呼美女六斬 第1部 7.境宿の絹市」より絹市に切断された女の足が‥‥‥ 「ねえ、あれ、何かしら」とおちまが通りの向こうを指さした。 この店の娘、おちまは小柄で何もかも小さかったが、うまくまとまっていて可愛らしい。研師の音吉といい仲で、斜(はす)向かいにある太物屋の娘、おゆみの恋敵(... 続きをみる

  • 大前田栄五郎の台詞

    「侠客国定忠次一代記 11.叔父御は大した貫禄だア」より大前田栄五郎の台詞 天保4年(1833年)7月、大前田栄五郎(英五郎)親分が百々一家の親分、国定忠次(忠治)を訪ねて来ます。6年振りの再会でした。 その日は丁度、境宿に絹市が立つ日で、忠次は栄五郎を伊勢屋で開かれている賭場に案内します。大親分の... 続きをみる

  • 御子神の丈吉

    Mikogami Trilogy 1: The Trail Of Blood (1972) - Japanese Trailer w/Eng Sub // 無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた 笹沢佐保の股旅小説に「無宿人御子神の丈吉」というのがあります。一度は足を洗って堅気になった丈吉が妻を殺されて... 続きをみる

  • 木枯し紋次郎

    だれかが風の中で 木枯し紋次郎 笹沢左保原作の「木枯し紋次郎」は1972年正月から中村敦夫主演でテレビドラマ化されて、大ヒットしました。 「あっしには関わりがねえこって」が流行語になり、長い楊枝を口にくわえるのが流行りました。私も紋次郎に憧れて、中山道を歩いたりもしました。 小説の「木枯し紋次郎」は... 続きをみる

  • 国定忠治の仕置場

    国定忠治が関所破りをした大戸の関所跡から南に500m程行くと忠次の仕置場跡(処刑場跡)があります。 嘉永3年(1850年)12月21日、国定一家の親分、忠治は磔(はりつけ)刑に処せられました。 磔刑は主殺し、親殺し、関所破り、偽金銀を作った者、密通して夫を殺した女など、封建制度そのものの維持に重大な... 続きをみる

  • 保泉の久次郎

    国定忠治の子分、保泉の久次郎は上州保泉(ほずみ)村(群馬県伊勢崎市)の農家の次男に生まれます。 15歳の頃、百々(どうどう)一家の三下奴(さんしたやっこ)になって、17歳の頃、子分に取り立てられます。久次郎が子分になった頃、国定村の忠治が大前田栄五郎の紹介状を持って、百々一家にやって来ます。 忠治は... 続きをみる

  • 百々村の紋次親分

    国定一家の忠次親分も当然の事ながら、最初から親分だったわけではなく、子分時代がありました。 絹糸市が開かれて栄えていた日光例幣使道の境宿の隣に百々(どうどう)村という村があって、そこで「百々一家」を張っていた紋次親分がいました。忠次は大前田栄五郎の紹介で紋次の子分になります。 紋次親分は百々村の裕福... 続きをみる

  • 国定忠次と有名な侠客たち

    大親分と呼ばれた大前田栄五郎は寛政5年(1793年)生まれですから、忠次より17歳年長です。 「天保水滸伝」で有名な笹川の繁蔵は文化7年(1810年)生まれで、忠次と同い年です。八丈島送りになった津向の文吉も忠次と同い年です。 清水の次郎長は文政3年(1820年)生まれですので、忠次より10歳も若く... 続きをみる

  • 博奕打ちの世界

    博奕打ちの一家には親分、子分、孫分、兄弟分、叔父分、隠居、そして、三下奴(さんしたやっこ)の身分がありました。 親分は貸元(かしもと)とも呼ばれ、縄張りを持って一家を張ります。 子分には親分と直々に盃を交わした手作りの子分、先代の子分でしたが、改めて、盃を交わした譲りの子分、よその一家から来て子分に... 続きをみる

  • 国定忠治の子分たち

    1934(昭和9)『赤城の子守唄』東海林太郎の大ヒット出世作! 国定忠治の子分で有名なのは、映画「赤城の子守唄」に出て来る板割りの浅太郎がいますが、実際の名は浅次郎です。板割りという名は父親がこけら葺きの屋根に敷く板作りの職人だったからと伝えられています。下植木村の浅次郎とも呼ばれ、足が速く、槍も得... 続きをみる

  • 弁天のおりん

    日光の円蔵の妻は女壷振り師で、通り名を弁天のおりんといいます。 そのいわれは博奕打ちに成り立ての若い頃、勝負に負けてオケラになってしまい、悔しくて帰る事もできず、襦袢姿になって着物を賭けました。それでも負けてしまい、ついに素っ裸になって襦袢と腰巻も賭けました。ようやく、運が巡って来て勝負に勝ち、着物... 続きをみる

  • 日光の円蔵

    国定一家で軍師と呼ばれた日光の円蔵は野州(栃木県)都賀郡の落合村に生まれました。幼い頃より寺に入れられますが、17歳の頃、寺を飛び出して、野州無宿の日光の円蔵を名乗って旅に出ます。寺にいた時の名前が、晃円といい、晃を分解して日光、円に蔵をくっつけて日光の円蔵としたようです。 親分子分の関係を持たずに... 続きをみる

  • 島村の伊三郎

    国定忠治に殺された島村の伊三郎は東上州の利根川流域を仕切っていた親分でした。 船問屋の倅に生まれて、二十代の半ば頃、無宿者になって島村一家を張ります。本姓は町田といい、背丈が6尺もあった大男だと伝えられています。最初の縄張りは島村と平塚河岸でした。 当時の平塚は江戸と上州を結ぶ航路として栄えていまし... 続きをみる

  • 大前田栄五郎

    大前田栄五郎の本名は田島栄五郎です。一般に大前田村の栄五郎で通っていますが、大前田一家の親分ではありません。大前田一家は兄の要吉が継いでいたので、栄五郎は旅で男を売って名を上げました。名古屋から伊豆にかけて東海地方に縄張りを持っていたようです。 15歳の時、兄弟分の月田村の栄次郎と一緒に三下奴を斬っ... 続きをみる

  • 国定忠治

    国定忠治は国定村の忠次郎の略で、本名は長岡忠次郎といいます。 先祖は新田義貞の家臣だったらしく、代々長岡姓を持っていました。身分は農民だったので、堂々と姓を名乗る事はできませんでしたが、国定村の名主を務めた事もある裕福な農民だったようです。 10歳の頃、父親を亡くして、村でも評判のガキ大将に育ち、博... 続きをみる

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