120年前の草津温泉
120年前といえば明治時代になりますが、その頃も湯畑を中心に草津温泉は湯治場として栄えていました。 明治の頃、旅館は一等、二等、三等、四等、五等とランク付けされていたようです。 草津温泉で一等旅館は、望雲館、一井、日新館、大東館、長善館、山本館の6つでした。望雲館は今のホテル望雲、長善館は大坂屋です... 続きをみる
120年前といえば明治時代になりますが、その頃も湯畑を中心に草津温泉は湯治場として栄えていました。 明治の頃、旅館は一等、二等、三等、四等、五等とランク付けされていたようです。 草津温泉で一等旅館は、望雲館、一井、日新館、大東館、長善館、山本館の6つでした。望雲館は今のホテル望雲、長善館は大坂屋です... 続きをみる
足利義政といえば、銀閣寺を建てた将軍として有名ですが、将軍としての仕事をする事ができずに、応仁の乱の原因を作ってしまった人と言えます。 義政は、嘉吉の変で赤松氏に殺された六代将軍義教の子で、七代将軍義勝の弟です。次男なので当然、僧侶になる予定でしたが、兄が10歳で亡くなってしまったために、8歳の時に... 続きをみる
尚巴志(しょうはし)の叔母の馬天(ばてぃん)ヌルは、先代の馬天ヌルが亡くなった時、島添大里(しましぃうふざとぅ)のサスカサヌルから教えを受けるように言われます、しかし、若く自惚れも強かった馬天ヌルは、先代からすべてを教わったので、これ以上、学ぶものなど何もないと思って、教えを受けませんでした。 とこ... 続きをみる
ひめゆりの生徒たちの手記に必ずといっていいほど出て来るのが上原婦長です。優しく、強く、働き者で、その上、美人の上原婦長は生徒たちに慕われ、患者たちに頼りにされ、兵隊たちからも一目置かれた、尊敬すべき女性でした。 上原婦長は1919年、糸満に生まれました。17歳の春、看護婦養成所に入って、一年後に看護... 続きをみる
昭和19年3月、沖縄守備軍・第32軍が新設されます。それまでの沖縄は小規模な砲兵部隊がいくつか駐屯するだけの無防備状態でした。 その年の7月にサイパン島が玉砕すると、第32軍も強化されて、大陸(中国)から精鋭部隊が集まって来ます。司令官は渡辺中将から牛島中将に替わり、参謀長も北川少将から長少将に替わ... 続きをみる
米軍が上陸した昭和20年の4月まで、沖縄には鉄道が走っていました。 軽便(けいべん)鉄道という小型の蒸気機関車で、那覇を基点に北は嘉手納まで、東は与那原まで、南は糸満まで走っていて、「ケービン」と呼ばれて親しまれていました。 大正3年(1914)、那覇から与那原までが開通し、大正11年に、那覇から嘉... 続きをみる
八州廻りとか八州様とか呼ばれる関東取締出役(しゅつやく)が設置されたのは文化2年(1805年)6月の事です。 関東の国々は幕府の直轄領(天領)、旗本領、藩領、寺社領がモザイクのように入り乱れていて、支配者の違う他領に逃げ込んだ犯罪者を逮捕する事ができませんでした。特に上州(群馬県)は細切れ状態になっ... 続きをみる
大親分と呼ばれた大前田栄五郎は寛政5年(1793年)生まれですから、忠次より17歳年長です。 「天保水滸伝」で有名な笹川の繁蔵は文化7年(1810年)生まれで、忠次と同い年です。八丈島送りになった津向の文吉も忠次と同い年です。 清水の次郎長は文政3年(1820年)生まれですので、忠次より10歳も若く... 続きをみる
国定忠治が捕まった時、一緒にいたのは妾のお町でした。 お町は国定村の隣村の田部井(ためがい)村に生まれ、忠治とは同い年です。 父親は尾内(おない)市太夫といい、お町が幼い頃に亡くなったようです。庄八という兄がいて、博奕打ちになって、尾内の嘉藤太(かとうた)と呼ばれ、身代を潰してしまいます。お町が六歳... 続きをみる
草津温泉の湯本家は建久4年(1193年)、源頼朝から湯本の姓と三日月の家紋を授かったと伝えられています。 戦国時代には湯本善太夫が武田家の家臣となって草津温泉を守りますが、長篠の合戦で戦死してしまいます。善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は真田昌幸に仕えて、草津温泉を守ります。 江戸時代には真田家の重臣と... 続きをみる
鷺白(ろはく)は本名を黒岩忠右衛門といい、老舗の宿屋の主人です。現在の「ホテル望雲」の先祖にあたります。 芳草舎、老狸窟、雲嶺庵と号して、小林一茶とも交流がありました。一茶は文化5年(1808年)、信州に帰る途中、草津温泉に寄って鷺白を訪ねています。その時は18年振りの再会だったようです。 鷺白は文... 続きをみる
いがみは歪みの事で、心が歪んでいる悪者を意味します。今ではあまり聞きませんが、昔はワルガキの事を権太(ごんた)と呼んでいたようです。いがみの権太というのは、心のひねくれたワルガキという意味です。 今でも歌舞伎で上演される「義経千本桜」はもともとは人形浄瑠璃の名作です。1747年の11月に大坂の竹本座... 続きをみる
今から240年余り前の天明3年(1783)、群馬県と長野県の境にそびえる浅間山が大噴火を起こしました。 その年の4月9日(旧暦)から始まって、何度も大きな噴火を繰り返し、7月8日に大爆発しました。北麓の群馬県側にある鎌原村は一瞬のうちに土石流と火砕流に埋もれてしまい、466人の村人が生き埋めになりま... 続きをみる