天明5年(1785)4月29日で「小野のふるさと」は終わっている。次の日記は8月3日に津軽との境界、本蓮寺坂を下るところから始まる「外が浜風」である。5月から7月までの3か月、菅江真澄は何をしていたのだろうか。 粉本稿に記録によると菅江真澄が歩いたコースが推定ではあるがわかっている。 湯沢➡横手➡角... 続きをみる
あきたのかりねのムラゴンブログ
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天明4年、菅江真澄が柳田から湯沢を訪れた際に、湯沢は昔、山畑かた湯が出たから名付けられた由来も書き留めている。今日の湯沢には基幹産業として農業、酒造業、曲げ木工業などがみられる。これらもまた長い歴史をえて現在に伝わるもので、菅江真澄が江戸時代に記録したのは大事な跡付けともされる。 菅江真澄は犬自慢を... 続きをみる
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天明4年10月、笹子川(じねごかわ)にかけられた橋を人の助けをかりながら、かろうじて渡った菅江真澄はここから山越えをして雄勝郡へ抜ける八木山越えの道を選んだ。 この山越えについて菅江真澄は 「木樵りにたまに出会うほかは通るものいない山道を雪に難渋しながら進んだ」 と記録した。 この山境にはかつての生... 続きをみる
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天明4年10月6日に矢島を発った菅江真澄は矢島街道を南へ下り伏見に至る。 伏見では前日から雨で子吉川の水かさが増し、向こうの岸に渡れない。7日は舟は出ず、みぞれが雪に変わる天気となり8日は家の軒の高さまで積もった。9日の日記には屋根の上から落ちる雪がまるで地震のように振動することに驚いたと記した。 ... 続きをみる
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天明4年10月2日、菅江真澄は矢島の城下町に宿を取った。 矢島は平安時代のはじめに鳥海山の登山口として修験山伏がひらいたといわれ、菅江真澄が来たころは、矢島藩1万石の城下町として栄えていた。 菅江真澄は矢島で3泊しハタハタをはじめ様々な魚を売る市を見ていた。 ハタハタといえば、八峰町や男鹿市が有名だ... 続きをみる
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天明4年10月、菅江真澄は小菅野から下って再び子吉川を渡り、吉沢に入った。 「吉沢歩道橋のたもとにある標柱」 菅江真澄は吉沢でも和歌を一首詠んでいる。 行かひはまさ木のかつらくりかへし引手あまたにわたす舟人(真澄31歳) 小板戸から川辺を通り、矢島へ向かう道は子吉川の流れの変化などにより変遷があった... 続きをみる
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天明4年(1784年)11月、菅江真澄は西馬音内に滞在した後、雄物川の貝沢の渡しを通って現在の湯沢市柳田へ到着した。 現在の柳田は60軒余りの集落で、湯沢市の西部に位置し、雄物川を挟んで羽後町貝沢集落と向き合っている。 菅江真澄は湯沢市と羽後町の境界である雄物川の貝沢の渡しを通って湯沢に入った。現在... 続きをみる
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天明4年10月、菅江真澄は滞在した西馬音内を出発し、杉宮の三輪神社に詣でた。 湯沢に至る街道も通り大きな集落が形成されている。ここは杉が鬱蒼(うっそう)としていると記して、始まりは三輪の山より一夜のうちに飛んできた杉に因み、それが大林となったというのだ。 現在、三輪神社の杉林は現存している。 菅江真... 続きをみる
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天明4年10月に入り、菅江真澄は矢島街道から立井地、黒沢、明法寺を通り、滝沢川(子吉川)を通って前郷に一泊した。 翌日、朝早く出発したが天気が良い。小菅野の道を通るにあたり集落を遠くに見て和歌を一首詠んだ。 山陰に一すぢ見ゆるかよいぢや 小菅の里の冬かれの 小菅野は標高約400メートルの大地に形成さ... 続きをみる
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天明4年、菅江真澄は本荘では不運にも火事に遭遇し道を確認しながら不安な思いで旅をしていた。結局、進むことができず本荘の入口付近の宿で一泊した。そして砂子沢を越えて矢島街道に入った菅江真澄は埋田から眺める山々の紅葉を見て宮内を過ぎ、八幡神社の隣を通って旧由利町に入った。南福田をへて立井地集落の鮎川を渡... 続きをみる
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天明4年、菅江真澄は象潟で島めぐりを終えた後、金浦町の飛集落を訪れ、飛の地名の由来とそこの塩竈神社に興味を覚えて由来を記した。 仁賀保町にある芹田に入ると白雪川を渡し舟でで越えた菅江真澄は日本海沿岸に伸びる北国街道さらに北上し由利地方を代表する二万石の城下町・本荘を目指した。 菅江真澄は由利本荘市西... 続きをみる
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蚶満寺(かんまん)は仁寿3年(西暦853年)に慈覚大師により、天台宗の寺院として開山されたと伝わる。のちに真言宗を経て、江戸時代に曹洞宗へ改宗し現在へ至る。 象潟は蚶(きさ)という貝が多い所から付いた地名で干(蚶)満寺もそれにちなむものと推測できる。 1689(元禄2)年に『奥の細道』途中の松尾芭蕉... 続きをみる
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象潟での二日目の旅は雨風が止まなかったものの、宿でじっとしてもいられず、磯部を歩き回った。三日目には中橋から船に乗り潟巡りに出かけた。 菅江真澄は船で島々の合間を縫って鳥海山を眺めていた。その時に詠んだ歌がある。 「大平からあおいだ鳥海山は駿河の田子の浦からみた富士山のようで見事であった」 田子の浦... 続きをみる
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にかほ市小砂川には菅江真澄が宿泊した「磯家」跡がある。 宿で夜更けに雷だと思った音が、「くだり穴」という岩の空洞に荒波が入る音であったと記録が残っている。 菅江真澄が泊まった家は今の大磯原のくだり穴の近くにあったようだ。 「くだり穴」を探したが残念ながら見つからなかった。どこにあるか地元の住民にも聞... 続きをみる
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菅江真澄が三崎峠を越えて初めて秋田の地に足を踏み入れたのは、天明4年(1784)の9月25日であった。故郷の三河(愛知県)を出て2年目、31歳の時である。 三崎山は羽州浜街道の難所の一つとされたところで、大石を敷き詰めた旧道がうっそうとした林の中に今も残っている。 松尾芭蕉もこの旧街道を通っていて、... 続きをみる
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