第262回 胡同回憶・保安寺街(後の2)
1939年(昭和14年)2月1日中央通信が放送した分の情報は真実かそれとも虚偽か、そんな疑惑を抱きながら呉佩孚について更に調べていると次の記録に遭遇してしまった。 ・・・・・ 便宜上まずその前半部をご覧いただきます。原文は漢字とカタカナですが、ここでは読み易さを考慮してカタカナを平仮名に直しています... 続きをみる
1939年(昭和14年)2月1日中央通信が放送した分の情報は真実かそれとも虚偽か、そんな疑惑を抱きながら呉佩孚について更に調べていると次の記録に遭遇してしまった。 ・・・・・ 便宜上まずその前半部をご覧いただきます。原文は漢字とカタカナですが、ここでは読み易さを考慮してカタカナを平仮名に直しています... 続きをみる
こんにちは。 いつも当ブログにお付き合いいただきまして有難うございます。 今回は、呉佩孚の「綏靖(すいせい)委員長就任」から唐突に顔を出す「逝去記事」までの流れを追いかけてみました。 内容は、不本意ながら話題が戦争関係という、カタく、しかも、重い内容になっております。が、呉佩孚について語る場合、どう... 続きをみる
今から8年ほど前の2014年の10月中旬、地元の胡同に暮らしている中国の知人からたまたまこんな情報がありました。 「保安寺街、今も取り壊し中だけど、呉佩孚(ごはいふ)が暮らしていた旧居は壊されずに残っているんじゃないかな。」 保安寺街に呉佩孚が暮らしていた? 呉佩孚とは北洋軍閥の一人ですが、彼が暮ら... 続きをみる