そろそろ終盤に近づいていますが、今読売新聞の「時代の証言者」の連載で岡武史さんが自分の生涯を語っています。その生き方が日本人として型破りですごくおもしろいのと、日本の科学研究を考える上でいろいろ考えさせてくれるので、最近は朝真っ先にここから新聞紙面に目を通しています。 岡さんは分光学が専門で、特にH... 続きをみる
満州国のムラゴンブログ
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羅振玉は近代中国の学術史上大変特殊な人物である。学術上では甲骨金石を収集する学者で、一身で歴史学者、教育家、農学家、出版家、収蔵家、版本目録学者、敦煌学者、歴史文書勧学者、書法家、書法史家となった。多くの学術領域で開創の功と基礎を築いた労があり、百科全書の中国学の大家であった。1928年、羅振玉は天... 続きをみる
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羅振玉は短気で意地っ張りであるが、心優しく人を助けてあげた。 羅允康老女は、当時、羅家に物乞いの女性が来たことがあり、40歳ごろに、彼女の夫が海に出て漁をしていてふう郎に遭い遭難し、彼女には6人の子供が残された。執事の辺連山は毎日昼に食べ残した食事を彼女にやり食べさせた。時間がたって、執事は、食事が... 続きをみる
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羅允康老女との談話中に、彼女は一つのあまり人の知らない事情を語ったが、それは溥儀が嘗て羅公館に来たことである。この事情は私が読んだ羅振玉を紹介した文章の中には見たことがなく、また聞いたこともなく、慎重を期すために私は二度羅允康老人と会話した。 羅公館原貌 1931年11月20日、溥儀は天津から旅順に... 続きをみる
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瀋陽関東軍司令部 瀋陽関東軍司令部の旧跡は瀋陽市和平区中山路101号甲。この建築は1922年に落成した。日本人の設計により、正面は三段の対称式の構造で、三段階で、フランス古典主義の風格にのっとる。メインの入り口の上方には四組のコリント式の双中の装飾であり、優美で上品である。楼内の床面の腰羽目と、戸窓... 続きをみる
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大連市旅順口区万楽街10番地に位置する旅順関東軍司令部跡地は、1900年に建てられ、122年に建てられたヨーロッパ建築様式です。関東軍司令部の最初の跡地は旅順太陽溝景勝地にあり、この建物は近代ロシア様式で、本体は2階建ての半石積みの木製フレーム構造で、延べ床面積は2602平方メートル、付属面積は94... 続きをみる
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- # 満州国
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豊臣秀吉
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初代名古屋おもてなし武将隊
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タブー編22/天皇を超えろ諸々大作戦
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醍醐の桜はついに満開に
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山崎の合戦・古戦場を巡る 宝寺から天王山・小倉神社 自主練習
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竹中半兵衛重治公(一の谷兜)に会いに…
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サライ.jp発表された2年後の大河『豊臣兄弟!』。「制作統括は歴史好き」に期待していいのかを考
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「SHOWチャンネル」 最終回の「大人の修学旅行」が面白かったこと
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京の猪熊邸・黒田如水邸址
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2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」制作決定
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弟にスポットを
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リフィーディング症候群(refeeding syndrome)と兵糧攻め
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太閤:書寫山秀吉本陣
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木之本めぐり(2)木之本地蔵院
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小田原城:関東屈指の名城
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感想:賤ヶ嶽
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武田信玄
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【山梨県】ほうとうの日【郷土料理】
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心頭滅却すれば。。。
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■躑躅ヶ崎舘【甲斐国】
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浜松市天竜区水窪町の山住神社
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■二俣城【遠江国】
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#227 TVメモ『英雄たちの選択 武田信玄 幻の西上作戦~対信長最終決戦』
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#228 TVメモ『歴史探偵 武田信玄 最強の秘密』
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#246 第18回「真・三方ヶ原合戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
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#253 第19回「お手付きしてどうする!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
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「上田城を視察するでござる!」
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#302 遠江侵攻を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
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#317 信玄を怒らせるな!を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
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#319 三方ヶ原の戦いを『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
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奇しくも「甲府開府の日」に、VF甲府の三浦颯太選手が日本代表に追加招集されるとは…( ゚д゚)ポカーン
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信長と家康の同盟、その前に武田あり
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