ジャンヌ・ダルク降臨/アイスカペラテマショヨ。
ジャンヌダルク登場!このときの人だったのね。イギリスにやられまくってて、もうダメだと、フランス王も諦めてたとき、噂が広まった。フランスを救う女性が現れると。噂が先だったのか。神の啓示を受けた田舎娘ジャンヌは、単身(でもないが)王に会いに行く。 王は、最初相手にしない。が、ジャンヌが毎日来るので、会う... 続きをみる
ジャンヌダルク登場!このときの人だったのね。イギリスにやられまくってて、もうダメだと、フランス王も諦めてたとき、噂が広まった。フランスを救う女性が現れると。噂が先だったのか。神の啓示を受けた田舎娘ジャンヌは、単身(でもないが)王に会いに行く。 王は、最初相手にしない。が、ジャンヌが毎日来るので、会う... 続きをみる
イギリス王のエドワード3世は、やっぱり、イギリスがフランスを征服するという考えなんですね。フランス王のフィリップ4世は、娘の子でも、許せない。 自分が王位を継いだとき、分家した弟シャルルの家、ヴァロワ家をみると、息子がいる。シャルルの息子フィリップをフランス王にすることにしました。フィリップ6世。(... 続きをみる
シャルルマーニュというブランドを手に入れたカペー家は、フランス王として続いていきましたが、あるとき、男子たちに、子供が出来ないという事態が! 養子じゃダメなんすかね。娘のイザベルは、イギリス王に嫁いでいました。カペー家の血は、その息子のエドワードが受け継いでいますが、彼は、イギリス王です。 エドワー... 続きをみる
十字軍時代ですが、毎日やってるわけじゃないので、国内のこともいろいろあります。 カペー家は、カロリング家とは他人だったのですが、なんと!フィリップ2世が、カロリング家の直系の娘をゲットしました! し、しかし、フィリップの前の、ルイ6世と7世は、まだ親戚じゃないのよね。なんでこの名前にしたのかがやっぱ... 続きをみる
さくっと十字軍。200年も続いたんですが、最初と最後だけ押さえて、あとはまあ追々で。受験生は、もうちょっと覚えることがあるでしょうけど。 最初は、1096年。鎌倉時代の100年ぐらい前。って言われても、なんですが。平安時代か。平安時代っていうと、なんか平和そう。源氏物語な感じで。庶民は悲惨よねえ、ど... 続きをみる
フランク王国は3つに分裂しました。この3つが、やがて今のドイツ、イタリア、フランスになります。まだそういう言い方してないです。 フランスになる予定の西フランクは、王が変わります。カロリング家のときは、西ローマ皇帝も兼ねてたんですが、カペー家は、王さまだけになりました。 皇帝は、一旦宙に浮くんですが、... 続きをみる
では、フランス史、ざっくり見ていきます。 カペー家がフランス王の座を奪ったころ、西暦千年が近づいていました。聖書には、イエスが生まれて千年後に、世界が終わるような災害が起こると予言がありました。 一般庶民たちは、不安で貧乏です。だから宗教にすがったのに、その宗教が煽ってきます。まあ、侵略者たちがずっ... 続きをみる
皇帝の整理後半。世界史って、すぐ迷子になるから、何かジャンル別にまとめてタイムテーブル作ると覚えやすいかもね。 カエサルの次から始まったローマ皇帝は、西と東に分かれます。 東は、やがてロシア皇帝に受け継がれます。 西は、フランスがしばらく持ってて、その後ドイツへ。オットー一世が、神聖ローマ帝国という... 続きをみる
「皇帝」の整理しますね。一枚に入らなかったので、今日は前半です。 ローマ皇帝の始まりから、終りまで。一つの国で続いていかないのです。 最初は、カエサルかと思うんですが、カエサルの時代のローマは、共和政で、皇帝っていう言い方はなかったか、あっても、トップの地位じゃなかったと思います。選挙だし。 カエサ... 続きをみる
フランス史、再び。西暦800年。シャルルマーニュが、西ローマ皇帝に任命されました。フランク王も兼ねてます。 西ローマ皇帝は、5世紀にゲルマン人に滅ぼされてから一旦終わっていました。 東ローマ皇帝は、健在です。ビザンツ皇帝とも言います。東ローマ帝国は、もうローマから離れたところにあって、ローマにいるロ... 続きをみる
ルイの追っかけです。カペー家はその後別の家になりますが、親戚です。血はつながっています。ルイ12世とかもいますが、王になってないので飛ばしてます。 処刑されたのはルイ16世ですが、その後ナポレオンが失敗して、18世さんがひっぱりだされて、それもさすがに失敗しました。でも、ルイさん、まだ23世ぐらい?... 続きをみる
ルイの追っかけしときます。 ルイ1~5世までは、カロリング家(シャルルマーニュの家ね)。 カロリング家は、カペー家に負けます。カペー家がフランス王としてしばらく続きます。 もしかして、カペー家は、ゲルマン人というより、ローマ人が混ざってるかも。 よくわからないのが、カペー家は、カロリング家と血がつな... 続きをみる
カロリング家もまだゲルマン人だと思うんですが、もう、いろんなミックスになってそうですね。今のフランス人は、ラテン人だそうです。ローマ帝国のローマ人?ゲルマン人にやっつけられた西ローマ帝国のローマ人たち、どこに行ったんでしょうか?全員奴隷になったとは思えないですね。ゲルマン人たちはそもそも遊牧民で、定... 続きをみる
まだフランスという言い方じゃないです。フランク。この違いって何?そんなことだれも言ってなさそうですが。 プーチンは、自分が暗殺されたら、世界中に核爆弾を打ち込むそうです。自動的にスイッチが入るようになってるそうです。日本なんかシェルターないからすぐ全滅じゃない?全部で2千発ぐらいあるそうです。まあ、... 続きをみる
イスラム軍は、スペイン(イベリア半島)の西ゴート王国(ゲルマン人)を破り、ピレネー山脈を超え、フランスに攻め込んできました。フランク王は、この時代、もうあまり強くありません。が、強い家来がいました。地方豪族のカールマルテルは、イスラム軍を撃退しました。 この快挙は、ローマ教皇の耳に届きます。カールマ... 続きをみる
第43位【曹操孟徳】弐
第43位【曹操孟徳】壱
第42位【ピョートル大帝(ロシアのツァーリ=皇帝)】五
第42位【ピョートル大帝(ロシアのツァーリ=皇帝)】四
0630 起床 晴 「四大文明」はなかった? 「大河=文明の条件」という思い込みについて。
第42位【ピョートル大帝(ロシアのツァーリ=皇帝)】参
第42位【ピョートル大帝(ロシアのツァーリ=皇帝)】弐
第42位【ピョートル大帝(ロシアのツァーリ=皇帝)】壱
第41位【金法敏(新羅の文武王)】五
0630 起床 晴 「大学レベルで否定されている歴史の通説」っていうのも聞いてみよう。
第41位【金法敏(新羅の文武王)】四
第41位【金法敏(新羅の文武王)】参
第41位【金法敏(新羅の文武王)】弐
第41位【金法敏(新羅の文武王)】壱
コップ一杯の世界史~水が止まれば、都市も止まる~
フランスの歴史を追うと、あっという間に西暦720年。 フランク王国が続いてますが、それ以上には大国にならず、むしろ弱くなってきています。やっぱ世襲制はダメよねえ。 ビザンツ帝国(東ローマ帝国)も、全盛期じゃないけど、がんばってます。 7世紀に、アラブにムハンマドが登場し、お告げを受け、イスラム教が広... 続きをみる
西暦500年ごろ。ヨーロッパは、いろんな王国がありました。 いろんな民族がいました。ゲルマン人が一番多い?たぶん、戦争してばかりだと思います。ゲルマン人同士も争ってますね。平和憲法なんて余裕ない時代ですもんね。 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、元気にやってます。あと千年ぐらいがんばります。 画像のピ... 続きをみる
昨日いつものように画像をブログに送ろうとしたら……つながらない。ので、スマホからパソコンに送り(これも、前とやり方が違ってた!)、そこからひっぱってきたので、解像度低いです。 しかし、こういうパソコン処理がストレスなので、もうブログやめるかも。FBでは、同じ画像で世界史の投稿は楽に出来てるので、ハン... 続きをみる
ローマが一段落したので、フランスの歴史でも。 フランスって言い方はまだ後なんですが、そこに至るまでの歴史を。 有名なのは、「ラスコーの壁画」。動物(牛)が、けっこうリアルに描かれてます。すごい前よね。あと、「クロマニヨン人」も、フランスです。当時はただの山とかだけど。 でも、クロマニヨン人たち、なに... 続きをみる
ローマ帝国東西分裂。もう、不景気なんですよ。都は、前の皇帝が移して、そこはローマよりいいけど、ローマ帝国としては、あちこちで、民族の侵入があるのです。 アジアのほうからは、フン族。ヨーロッパ北部からは、ゲルマン人の大移動。これがけっこうヤバい。 ので、テオドシウス皇帝は、375年に、息子二人に、「ワ... 続きをみる
キリスト教は、ついに、国教にまでなってしまいました。テオドシウス皇帝は、ローマの神々の神殿を壊したらしいです。バカ~。 キリスト教徒たちは、イエスの直弟子のペテロが死刑になって埋葬された場所に、教会を建てました。この教会の近所に、その後もっとゴージャスな、サン・ピエトロ大聖堂が出来ました。大富豪メデ... 続きをみる
キリスト教って、プロテスタントとカトリックだけかと思ったら、複雑~。 この4派、ちゃんと全部今も残ってる?1は、ロシア正教になったんだっけ?2は消滅した?4は、ばら十字とかいうやつだよね。あと、3は、今のバチカンのカトリックだけど、ギリシア正教とかいうの、どれ?御茶ノ水に教会あったような……。と、こ... 続きをみる
ローマ帝国以外のヨーロッパの歴史ですが、まず、キリスト教を追ってみたいと思います。 313年までは迫害されてたんだけど、処刑しても減らないので、皇帝はついに、共存を選びます。皇帝が、改宗したわけではないです。 キリスト教信者たち、喜んだんですが、このころすでに内部分裂してるみたいです。はあ?うーん、... 続きをみる
だいぶ省略ですが、古代ローマの全体です。 ローマとベニスは一泊ずつしたことあります。フィレンツェも行ったっけ?トレビの泉は今は有料だそうです。イタリアの前に、ポーランドに行き、夜行列車でイタリアに移動したりしてすごい疲れてたので(旅行の計画を、テッチャンに任せたのがいけなかった)、イタリアではもう歩... 続きをみる
ローマ帝国の東西分裂。これ、全部侵略されないようにしたんです。 大分景気悪くなってきてしまい、ローマの街は荒れてたそうです。だから、キリスト教を認めたコンスタンティヌス帝は、ローマ帝国の中でも、景気のいい街に、引っ越し……というか、遷都ですかね、330年に、移動しました。 だからますますローマのほう... 続きをみる
ローマ皇帝、キリスト教の信者が増えて、だんだん怖くなってきたんでしょうか、弾圧を始めました。ローマの神に従わないものは、死刑です。火炙りが多かったみたいです。でも、信者たちは、現生は、辛いのが当たり前で、それを耐えたら天国に行けるので、火炙りはむしろ理想の死です。改宗するものはいません。改宗したら地... 続きをみる
ネロは暗殺というか、自害に追い込まれたんですが、その後、体制が変わったわけではなく、次の皇帝も、似たような暴君?キリスト教徒やユダヤ教徒にとっては迫害者です。 キリスト教は、弟子たちが教えを広めてますが、弟子たちも、磔になったりしてます。でも、信者は増えてるみたいですね。ユダヤ教ほど厳しくないからね... 続きをみる
イエスが処刑された後、ネロが登場します。カエサルの一族です、ネロまでは。 でも、オクタビアヌスの後は、いい皇帝出てきてないみたいですね。ネロも、暴君です。ローマの大火の真犯人は、ネロだっけ?人のせいにしちゃって、キリスト教徒は殺されたりしてますが、なぜか今、バレてますね。 その後も、被害妄想で、家族... 続きをみる
キリストさん、はっきりしてないみたいね。まあ、だいたいでいいけど。 誕生日がクリスマスってのは、嘘らしいです。クリスマスにしたほうがいいから、だそうです。4月説と、5月説があります。牡羊座かおうし座ね。死んだ日は、金曜日ってわかってるから、日付も確定できそうなのにね。 ローマ皇帝は、ネロだと思ってた... 続きをみる
ローマのプチまとめです。紀元前。 これから帝政ローマです。ややこしくなりますよ。がんばりましょう。 ポイントは、やっぱり、キリスト教と、ローマ教皇と、ローマ皇帝のドラマですかね。 宗教は結局、今の戦争になってますね。移民問題も、価値観の違いですね。話し合いが出来ない人たちとは殺し合いしか出来ません。... 続きをみる
ローマ、覚えましたか? 古代って、だいたい5世紀ぐらいまでですかね。そのあと、中世が、ルネサンスぐらいまでで、近世、近代になります。 ヨーロッパは、ローマ以外は、古代は、フランスとかドイツとかの国の名前ないです。イタリアもか。ローマを抑えると、世界史の前半が見えてくると思います。 これまでは、BC時... 続きをみる
クレオパトラ、ローマの属国になってればよかったのに。税金高いけど、今の中国のようなひどい国じゃないよ。 オクタビアヌスは、カエサルおじさんみたいに暗殺されるのが怖くて、貴族議員たちに権限を任せていました。逆に、議員たちは、オクタビアヌスがカエサルみたいに独裁するんじゃないかとびくびくしてたので、大喜... 続きをみる
アントニウス、クレオパトラにメロメロです。子供3人作るぐらいエジプトに通ってます。ローマは別に脅威にはさらされてない状態なので、それでもいいのかも。 でも、クレオパトラのお願いがだんだん大きくなってきて、アントニウスは、自分が死んだら、ローマを、オクタビアヌスとクレオパトラと半分こしていいという遺言... 続きをみる
クレオパトラは、実質支配者のアントニウスのほうを落とします。アントニウス、オクタビアヌスの姉と結婚したばかりなのに、クレオパトラにメロメロになりました。 クレオパトラは、景気が悪くなってきてる祖国が、ローマに侵略されるのを防ぐため、ローマの権力者に媚びます。しかし、カエサルも、見事にハニトラにひっか... 続きをみる
カエサルに指名されたオクタビアヌスは、独裁者カエサルの地位につきます。 カエサルを暗殺したグループは、カエサルの側近アントニウスたちにやっつけられてしまったのね。ブルータスも死んでます。 でも、アントニウスは、独裁は自分がしたい。が、まだその勇気がないらしく、オクタビアヌスを立てます。ローマは一応、... 続きをみる
カエサルに死なれたクレオパトラは、悲しみに浸る間もなく次の男を狙います。ロミオとジュリエットみたいな恋じゃなさそうですね。でも、いくらでも脚色できそうですけどね。 カエサルが遺言状に書いた後継ぎのオクタビアヌスは、当時まだ学生でした。カエサルの姉の孫だそうです。カエサルは、まだ自分が死ぬなんて思って... 続きをみる
カエサル登場!平民出身だけど、けっこうお金持ちみたいです。だけど、政治家になるには足りない。カエサルの演説が上手なのに目をつけた貴族が、声をかけ、組んで出世します。もう一人の貴族と3人で、三頭政治というのをやります。総理大臣みたいなのを順番にやろうね、って感じ。カエサルはつまり、頂点に達したのね。 ... 続きをみる
古代ローマの歴史です。王様時代は記録に残ってないようですが、その下で働いてた貴族たちが、ある日、王様を追い出したか、殺したか、格下げしただけか、共和政にします。 でも、実権を握ったのは貴族で、世襲制を辞めたといっても、結局は金の力で自分の息子や、お気に入りを養子にして議員にし、役職を与えるので、貴族... 続きをみる
しつこいけど、確認しましょう。ローマに入ると、ローマ以外が記憶喪失になるんです~。それぐらい盛沢山なローマ。 少しはくわしくやりたいけど、全体を押さえてからのほうがいいですよね。 〇始まりは、紀元前753(七五三しちごさん!)、ロムルス王が、ローマを建国しました。これは、伝説だそうです。 〇伝説じゃ... 続きをみる
イランは、どのへんか覚えました?地中海があって、サウジアラビア、なんとなく描けますか?その右上あたりです。けっこう大きい面積です。 古代ペルシャがもっと広く、そのあたりを支配していました。 そのペルシャを破ったのは、アレクサンドリア大王です。 そのあと、アレクサンドリア大王の征服した土地は、3つに分... 続きをみる
では、古代ローマの地図、一気に描いてみましょう。 地中海をぐるりと征服しています。マケドニアのアレクサンドロス大王より時間かかりました。 紀元前のローマは、509年に記録として登場します。その前は伝説ですが、モーゼみたいな話はなさそうね。ギリシア神話は有名だけど、ローマの神話って? 〇ローマは、イタ... 続きをみる
ローマ帝国の地図、ここまでです。描けるようになりましたか? この地図を覚えると、世界史がすごく簡単になりますよ。(いや、私がまだ実践できてないんで、なんとも言えないですが) ローマの歴史は、今日も文章だけで。 〇ローマって、そもそも、小さな国として、紀元前8世紀ごろからありました。 753年、ローマ... 続きをみる
変な生き物になってしまいました。ローマ人って、テルマエロマエなんだけど、いや、だから日本人には難しいね。 はい、地図その2です。 1.地中海を描く。イタリアとギリシアを描く。 イタリアのつま先に、シチリアを描く。その先、アフリカ大陸の上に、カルタゴ。 2.スペイン(赤いとこ)を描く。 スペインから、... 続きをみる
ヨーロッパの地図を覚えましょう。複雑ですよねー。 一気に覚えても、すぐ忘れるので、ちょっとずつ、確実に、覚えられるよう、3回に分けて書いてみました。その1回目。 ヨーロッパというより、ローマ帝国の時代の地図です。地中海の周りです。 今、覚えたい、イスラエルとイランも存在してるので、ぜひ描いてみてくだ... 続きをみる
ユダヤ人(イスラエル人)の歴史を整理しておきます。 最初は、アダムとイブなんですが、まあそれはアマテラスってことで。 モーゼも神話ですが、海が割れたのも、津波とかの災害を脚色したのかもしれないですし、ユダヤ教は、そこを知らないと理解できません。 民族的には、ユダヤ人というのは、「ユダヤ教を信じる人」... 続きをみる
あんなに大勢に信じ込まれて絶賛の嵐って羨ましいがなw でも、間違い、そうやな、それがあるわな、そう。ある人がゴッホの絵を見ながら「美や真実はいつも悲しい」と咽び泣いていたという話を聞くが、人類そんなことでエエのじゃろうかという疑念にこそ駆られますがな、そうでっしゃろ、そう。 真実の公表は多くの場面に... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 8 フランス啓蒙思想――貴婦人たちのサロン 5 ジャン・ジャック・ルソー ジャン・ジャック・ルソー(一七一二~七八)は時計師を父として、一七一二年スイスのジュネーヴにうまれた。 先祖は十六世紀中ごろ、フランスから亡命したカルバン教徒である。 ル... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 8 フランス啓蒙思想――貴婦人たちのサロン 4 百科全書派 イギリスでは一七〇四年ジョン・ハリスによって、また二八年イフレイム・チェンバーズによって、百科辞典が発行された。これらに注目したパリの出版業者ル・ブルトンは三人の同業者をさそい、四六年... 続きをみる
パリにあるルーブル美術館、有名な美術品がたくさんあります。筆頭は「モナリザ」でしょうが、「ミロのヴィーナス」「サモトラケ島のニケ」などの彫刻群も有名です。その他絵画も沢山ありすぎて、すべてをここで語ることは無理です。フランス留学中何度も行きましたが、もしこの美術館でもっとも感銘を受けたものを挙げよと... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 8 フランス啓蒙思想――貴婦人たちのサロン 3 フェルネーの長老 筆の先だけではなく、ボルテールはガラス事件、シルバン事件などのように、実際に宗教上の偏見の犠牲のためにたたかった。 ツールーズの商人、カルバン主義の新教徒のガラス家で、一七六一年... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 8 フランス啓蒙思想――貴婦人たちのサロン 2 シレーの恋人たち ボルテール(本名はフランソワ・マリー・アルーエ、一六九四~一七七八)はパリの公証人の家に生まれ、ブルジョワの出である。学生時代から早熟で、野心家、才気にあふれ、何ごとにも闘志満々... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革 6 ベーリングの後援者 ロシア人のシベリア進出は十六世紀から本格的に行なわれているが、またこの地は流刑地として有名である。 まさしく「シベリア流刑史は、シベリアの発見とともにはじまる」のである。 そして... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革 5 西欧化異聞 ピョートルは西欧文化をまねたが、盲従者であったわけではない。 彼は、西欧にたいしてむしろ不信感をいだいていたが、ロシアが、そこでは軽蔑され、嫌悪されていることを知っていたからである。 彼... 続きをみる
(挿絵:髭に対しても税を取る税吏) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革 4 税金の雨 不断の戦争と、常備軍の増大によって、軍事費が莫大な額にのぼり、国庫は底をつき、財源も枯渇(こかつ)した。 そこでピョートルはさまざまな新税を考案させた。... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革 3 「海への出口」を求めて 「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてそこから流れ出る」といわれる。 この意味からすれば、「ピョートル改革」はロシア史の転換点であり、これを境として「古いロシア」... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革 2 ピョートル・ミハイロフ氏の外遊 ピョートル一世(在位一六八二~一七二五)は、異母兄フョードル三世(在位一六七六~八二)のあとをつぎ、十歳で即位した。 しかし異母姉ソフィア(一六五七~一七〇四)は軍事... 続きをみる
(挿絵はピョートル大帝) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革 1 文明開化のはしり 十七世紀ロシアで、アレクセイ帝(在位一六四五~七六)の宮廷に、日給一・五ルーブルで、歴史家(年代記編者)としてつかえたユーリ・クリジャニッチという人物がい... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 5 ロマノフ朝の成立 それから四ヵ月たった一六一三年二月、モスクワには各地からの代表、約六百名が集まり、ロシアで空前絶後といわれる大がかりな全国会議(ゼムスキー・ソボー=イワン四世時代につくられた)が開かれた。 この身... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 4 救国の英雄 モスクワの「赤い広場」(十七世紀中頃、美しい広場という意味からでたといわれる)を訪れる人は、ワシリー・ブラジョンヌイ寺院のそばに、ふたりの人物の銅像がそびえ立っているのに気づかれるはずである。 その台座... 続きをみる
もし、アステカやインカが、スペイン人の遠征隊を撃退していたら、どうなっていたでしょうか・・・? おそらく、ミシシッピ文化みたいになったでしょうね。この時代、北米にはミシシッピ文化があり、そこには、マウンド・ビルダーを中心とした文明が築かれていました。 1540年、スペイン人征服者エルナンド・デ・ソト... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 3 「ツシノの賊」 偽ディミートリーの死によって、「動乱」はいよいよ本格的となる。 大貴族のシュイスキーが帝位(ワシリー四世)につくが、もはや、この「陰謀野心家のツァーリ」には、全国にひろがった反乱を鎮めるだけの威信も... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 2 偽者ツァーリ ロシア史における「動乱」時代の特色は、「皇子ディミートリー」を名のる謎の人物が、あいついで登場することである。 彼らが何者であったかは、いまだに不明である。 一説によると最初にポーランドに出現する「偽... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 6 雷帝後の動乱のロシア 1 帝位を奪ったボリス・ゴズノフ ロシアのモスクワ国家では、専制皇帝イワン四世(雷帝・在位一五三三~八四)の死後、この皇帝のもとで恐怖の日々をおくっていた大貴族たちが勢力をもりかえし、多年の混乱をひきおこした。 彼らの... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 7 「大御代(おおみよ)」の終わり ルイ十四世の大きな政策の一つは、一六八五年「ナントの勅令」を廃止したことであった。 これは十六世紀末(一五九八)に、ときの国王アンリ四世が発してプロテスタントに信仰... 続きをみる
(挿絵はフェリペ5世) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 6 スペイン王位をめぐって ハブスブルク家のスペイン王カルロス二世(在位一六六五~一七〇〇)は、二度結婚したが、子供がなかった。 当時のスペインは十六世紀以来、衰えたりとはいえ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 5 「スカロンの寡婦」 一六七九年、モンテスパン候妃が見いだした新しいライバルは、前述のマリー・アンジェリック・ド・フォンタンジュ(一六六一~八一)であった。 金髪で十八歳のこの小娘に対して、モンテス... 続きをみる
(ローマ神話をイメージした仮装をしたルイ14世と后妃たち) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 4 誇り高き侯妃 宮廷がベルサイユに移るまえのことである。 前述のルイ十四世の愛人ルイーズ・ド・ラ・バリエールは口数も少なく、王を喜ばすよう... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 3 廷臣たち 新装のベルサイユ宮殿には廷臣の用に供するための多くの部屋があり、ルイ十四世はこれらを貴族たちに適当に与えたわけであるが、それこそ彼らにとって、まず何よりの恩寵であった。 それから廷臣たち... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 2 太陽王のある一日 ベルサイユの宮殿と庭園の工事には、当時の美術家たちが動員された。 宮殿中央の主館を設計したのはル・ボー(一六一二~七〇)であり、マンサール(一五九八~一六六六)はこれをうけつぐと... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 5 ルイ十四世が造ったベルサイユ宮殿の盛衰 1 愛のかたみ ベルサイユは、ルイ十四世の情事と深い関係をもっている。 ルイはすでに一六六〇年スペインからマリー・テレーズを王妃にむかえ、政略結婚とは思えないほど、まともな結婚生活をおくっていたが、王... 続きをみる
世界史を変えた植物 (PHP文庫) PHP研究所 本 人類は食糧として植物を活用し、文明を作り文化の多様性を生み出してきた…のだろうか? 実は植物が人間を利用し、歴史を生み出したのではないか? 植物の思惑はなんなのだろう? 地球の支配者は実は植物で、その遺伝子を守り育て、改良するスピードを上げるため... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 4 イギリスの王政復古から名誉革命へ 5 王の交替 王と国教会との争いは、「寛容宣言」をめぐって最高潮に達する。 一六八八年王は、六月の第一日曜と第二日曜に、教区教会の説教壇の上で、「寛容宣言」を読みあげることを命じた。 しかし聖職者のなかには... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 4 イギリスの王政復古から名誉革命へ 4 モンマス公の乱 一六八五年チャールズ二世が没し、カトリックの王弟がジェームズ二世としてあとをついだ。 即位後まもなく召集された議会は、トーリー党が優勢で、六一年以来のどの議会よりも宮廷に対して好意をもち... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 4 イギリスの王政復古から名誉革命へ 3 政党のはじまり こうしてチャールズは、王権の基礎としてカトリシズムを利用することを断念し、イギリス国教会のアングリカニズムにのりかえた。 「キャバル」に代わって、新しく任用されたダンビー伯トマス・オズボ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 4 イギリスの王政復古から名誉革命へ 2 ドーバーの密約 一六六〇年、チャールズ二世はクロンウェルの航海法を更新、拡充した。 当時はロンドンの実業界ばかりでなく、宮廷も貿易には熱心で、親王、大臣や上流社会のめんめんが貿易会社に出資した。たとえば... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 4 イギリスの王政復古から名誉革命へ 1 チャールズ二世の帰国 イギリスでは護国卿オリバー・クロンウェルの死(一六五八)後、事態は共和制から王政復古にむかった。 一六六〇年五月二十五日、たくさんの人びとがドーバーの海岸に集まっていた。帰ってくる... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 9 デ・ウィットの苦悩 さて前述のように、一六四八年ウェストファリア条約で、オランダの独立も国際的に承認され、平和も回復された。 しかし、ときの総督、オランイェ家のウィレム二世(在職一六四七~五〇)は、さらにスペ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 8 オランダの繁栄 一六四八年六月十日、オランダのパーク駐在ポルトガル大使は、本国に至急便を送った。 それは、オランダ人がウェストファリアの条約成立のお祝いをしていることを報告するとともに、つぎのような文をしるし... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 7 護国卿という独裁者 一六五一年九月、クロンウェルは凱旋将軍としてロンドンに帰ってきた。 しかし共和国政府はけっして安定したものではない。 共和国の誕生以来、残部議会が権力をにぎりつづけ、軍の要望である即時解散... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 6 新しい共和国 ピューリタン革命は、チャールズ一世の処刑をもって最高潮に達した。 一六四九年三月、議会は君主制廃止にふみきった――「王という職は不必要で、負担が多く、人民の自由、安全および公の利害に有害であり、... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 5 チャールズ一世の死刑 長老派と独立派とが分裂し、軍隊内では独立派の軍幹部と水平派の兵士たちとの対立がはげしくなったとき、幽閉中のチャールズ一世が脱走して、イギリス海峡のワイト島にはしった。 一六四七年十一月の... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 4 革命のプログラム ネーズビーの決戦によって革命の第一幕がおわった。 これとともに、まえから問題をはらんでいた議会派内部の対立が表面化してきた。 エセックス伯やマンチェスター伯の指導する長老派とクロンウェルのひ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 3 クロンウェル登場 一六四二~六〇年にわたるピューリタン革命がはじまったが、あいたたかう国王派と議会派とは、どんな人びとからなっていたか。 同時代人の証言によると、国王派に味方したのは貴族、ジェントルマンの大部... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 2 無議会政治 チャールズ一世は一九二九年、この請願を成立させた議会を解散し、十一年間議会なしで、絶対主義の政治を行なった。 王は議会なしで収入をうるため、王の大権によって関税を徴収した。 また前王の時代、議会で... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 3 イギリスのピューリタン革命 1 北方の王 一六〇三年三月二十四日、処女女王エリザベスが没すると、スコットランド王スチュアート家のジェームズ六世が血縁によって、ジェームズ一世としてイギリス王を兼ねることになった。 当時、王はすでに三十六歳、経... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 7 ラ・ロシュフコー著作、肖像(ポルトレ)と箴言(マクシム) ラ・ロシュフコー公爵フフンソワ六世は、一六五八年、自分の肖像(ポルトレ)を書いている。 これは当時のサロンで流行した一種の知的遊... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 6 サロンの客 このフロンドの乱に関係した貴族のひとりに、ラ・ロシュフコー(一六一三~八〇)という人物があった。 彼の家柄は父がフランソワ五世と袮するような、大貴族中の大貴族である。 彼はこ... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 5 マザランの勝利 つづいて「貴族のフロンド」がおこった。 この反乱の中心になったのは、まえのフロンド鎮定に功があったコンデ親王である。 手柄に思いあがったこの大貴族は、自分と配下の者どもの... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 4 フロンドの乱おこる 話をフランスヘかえそう。 三十年戦争の末期、大宰相リシュリューの死からおよそ半年、一六四三年五月ルイ十三世の死がつづいた。 わずか四歳八ヵ月のルイ十四世(在位一六四三... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 3 「ドイツ帝国の死亡証書」 グスタフ王は当代随一の名将といわれる。 古代ギリシア・ローマの戦術につうじた彼は、まったく独創的な戦術をあみだした。 すばやい移動ができるように騎兵隊を縮少し、... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 2 三十年戦争はじまる ここでリシュリューのフランスが介入した三十年戦争についてふれておこう。 神聖ローマ(ドイツ)皇帝をいただいてはいるが、およそ統一からは縁遠く、諸侯や自由都市など三百数... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 2 ブルボン王朝余話、フランスの大政治家リシュリュー 1 仮借なきリシュリュー フランスにおいて、ブルボン王家の絶対主義の基礎をすえたのは、アンリ四世(在位一五八九~一六一〇)である。 十六世紀後半の宗教内乱を収拾して平和をもたらしたこの王は、... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 8 地方行政・軍隊・議会 イギリス絶対主義において、中央政府が官僚組織をとっていることは、大陸の絶対主義諸国とまったく共通である。 しかし地方行政とか、軍隊とかいうことになると、イギリスは大陸... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 7 官僚の世界 エリザベス朝絶対主義の政治の中心は、議会ではなく、政府であった。政治家は議員政治家ではなく、官僚政治家であった。 当時の政府は枢密院といわれるが、日本の明治憲法下の枢密院や現在... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 6 身分、社会 いまから三百数十年もまえのエリザベス朝の社会は、君主を頂点とするピラミッド型の貴族制社会であった。 身分によって上下の区別がはっきりとしており、すべての人は一定の身分をもち、一... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 5 内外の戦い イギリス内外のカトリック教徒の望みの綱(つな)となったのは、前スコットランド女王メアリー・スチュアートである。 カトリックの彼女は、一五六八年故国で王位を追われ、エリザベスを頼... 続きをみる
(写真は現代のイギリス国教会) 『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 4 ピューリタンとカトリック この「上からの改革」に対して、「下からの改革」の動きもあった。 当時、これを代表したのはピューリタンである。 すでに「メアリー時代... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 3 イギリス国教会の最高統治者 エリザベスがイギリス女王になると、大陸に亡命していた「メアリー時代の亡命者」たちがぞくぞく帰国し、ロンドンには、たちまち十ばかりのプロテスタントの教派が出現した... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 2 流血のメアリー メアリーが即位したとき、イギリスは宗教改革からすでに二十年ちかく経過しており、教皇至上権を知らない世代が成年に達していた。 そのうえイギリス人には、外国の支配――教皇至上権... 続きをみる
『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年 1 エリザベス朝――四十四年間のイギリスの治世―― 1 日陰の身 一五五八年十一月二十三日、エリザベス一世(⑤)はハットフィールドの館(やかた)を発してロンドンに向かう。 メアリー一世(④)崩御のあとをうけて、イギリス女王の位につくためである。... 続きをみる
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ほんの少しだけプレシーズンマッチ(VS 大分戦)の映像見ました
プレシーズンマッチ 大分 VS 札幌
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城ぶら「古渡城」!信長元服の地。父・信秀から繋ぐ、戦国「織田家」の原点。
姉川の合戦史跡巡り(6)血川と野村
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姉川の合戦史跡巡り(5)姉川古戦場(戦死者の碑)
姉川の合戦史跡巡り(4)家康の陣跡の岡山(勝山)
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姉川の合戦史跡巡り(2)遠藤直経の墓
姉川の合戦史跡巡り(1)信長本陣跡・茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)
<豊臣兄弟!で登場したお城「金ヶ崎城」>当城で秀吉軍が二刻の時間稼ぎに成功して信長を京へ逃がす!
虎御前山城
【豊臣兄弟!】#13 織田と浅井朝倉との戦前夜、「疑惑の花嫁」は女狐ふたり。どんぎづね吉岡里帆の「お慶」と狸顔の宮﨑あおい「お市」
金ヶ崎の戦い
浅井家のジオラマ(2)浅井図書館~長政&お市の像