卒寿092 落日の輝き(完) 宗麟のレガシー 伝統と風土
2014年 本場鶴崎踊り大会 後半の踊り 『左衛門』『花火』 (鶴崎踊り 左衛門 二上り) それさ それそれ それならよかろ それさ それそれ それならよかろ 豊後名物その名も高い 踊る乙女の品のよさ 唄で流して浮世ですねりゃ 波はきままな片しぶき 大野くだりは まかせた身体 流せ浮名の屋形船 第2... 続きをみる
2014年 本場鶴崎踊り大会 後半の踊り 『左衛門』『花火』 (鶴崎踊り 左衛門 二上り) それさ それそれ それならよかろ それさ それそれ それならよかろ 豊後名物その名も高い 踊る乙女の品のよさ 唄で流して浮世ですねりゃ 波はきままな片しぶき 大野くだりは まかせた身体 流せ浮名の屋形船 第2... 続きをみる
2014年 本場鶴崎踊り大会 二日目前半の踊り『猿丸太夫』 (鶴崎踊り 猿丸太夫 三下り) 里の誇りの鶴崎踊り 老いも若きも皆踊る (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) さす手引く手も色とりどりに 今宵ひと夜の花絵巻 (踊りは 花だよ 花だよ) お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生ゆるまで (ヨイヨ... 続きをみる
本場鶴崎踊大会 (鶴崎踊り 猿丸太夫 三下り) 蛇の目加藤の武勇をしのぶ 藤のかずらの陣太鼓 (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 宵待草の花咲く河原 月もおぼろに地蔵山 (踊りは 花だよ 花だよ) 月は九六位大野の川に 映えて鶴崎盆踊り (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 夏は遊船川風夜風 眺め見あかぬ... 続きをみる
2011本場鶴崎踊り大会 その3 鶴崎おどり保存会研修部 (鶴崎踊り 猿丸太夫 三下り) 菊のみかおり夜露のお庭 残る記念の致楽荘 (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る (踊りは 花だよ 花だよ) うちわ太鼓の音にぎやかに 豆茶ゆかしい法心寺 (ヨイヨイ ヨイ... 続きをみる
2014年 本場鶴崎踊り大会 初日前半の『猿丸太夫』 (鶴崎踊り 猿丸太夫 三下り) 昔しゃ肥後領百千の船が 上り下りに寄る港 (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 沖のかもめか九曜の紋か お江戸上りの舵子の声 (踊りは 花だよ 花だよ) 繁盛のお茶屋の庭に 今は踊りの花が咲く (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨ... 続きをみる
本場鶴崎踊大会 (鶴崎踊り 猿丸太夫 三下り) 娘やるなら品良い殿御 月の明かりが気にかかる (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 姉がさすなら妹もさしゃれ 同じ蛇の目のからかさを (踊りは 花だよ 花だよ) 花はいろいろ五色に咲けど 主に見替える花はない (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 百合かぼたん... 続きをみる
2011本場鶴崎踊り大会 その3 鶴崎おどり保存会研修部 (鶴崎踊り 猿丸太夫 三下り) 揃うた揃うたよ踊りの花が 品のよいのを嫁にとる (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 主はやぐらでわしゃ踊り子で 揃い衣裳の伊達姿 (踊りは花だよ 花だよ) 姉と妹にむらさき着せて どれが姉やら妹やら (ヨイヨイ ... 続きをみる
鶴崎おどり 「大分県民謡」 (鶴崎踊り 猿丸大夫) 静かに流れる 来ませ見せましょ鶴崎踊り 何れ劣らぬ花ばかり(ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 娘島田に蝶々がとまる とまる筈だよ花じゃもの(踊りは 花だよ 花だよ) わたしゃ踊りの鶴崎育ち 品の良いのは親ゆずり(ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 一目千... 続きをみる
大友宗麟 2030年、令和12年に宗麟生誕500年を迎える。 後4年、生きているかどうか。94歳になる。 卒寿を記念して、宗麟についてまとめておこうと思い立って・・・ 1 大友義重(よししげ)後の宗麟と鶴崎踊り <音楽 (鶴崎踊り 猿丸大夫) 静かに流れる> 来ませ見せましょ鶴崎踊り 何れ劣らぬ花ば... 続きをみる
「信長とイエズス会ってどういう関係だったの?」 「イエズス会が信長に援助していたとか、信長がイエズス会を保護していた、いろんな意見があるようだけど、いったいなにが正しいの?本当のところが知りたい……」 ──この記事はこのような悩みを解決します。 この記事を書いた私は…… ●人気ブログランキングとにほ... 続きをみる
第21代当主は、大友義鎮(よししげ)は出家して宗麟と号しました。 1562年、永禄5年5月1日、33歳の若さでありました。 義鎮が出家を決意した直接のきっかけは、怡雲禅師の般若心経の講義であります。 加えて、嫡子義統が流ちょうにに般若心経を朗誦した事であります。 義統が、どもらずに朗々と般若心経を朗... 続きをみる
大友宗麟は、戦国時代にあって正に現代感覚の知恵と生き方を身につけた 今風に言えばイケメンでございました。 宗麟の一番の願いは、戦のない国で、次が個人の個性を生かせる楽しい暮らし。 だから、どうしても教育と医療と経済活動重視の世の中を目指したのであります。 大友館の庭園は四季折々の花が咲き乱れ、宗麟は... 続きをみる
何をするわけでもなく、花冷えのする春の景色を眺めながら、 歴史に残る豊後大分県人を思い描いた。自分勝手な連想を楽しむ。 一番に浮かんだのが、福沢諭吉である。 福沢諭吉が浮かぶと連想ゲームのように広瀬淡窓、三浦梅園、帆足万里の 豊後三賢人と言われる学者、教育者の名前が浮かび、 連想が続く、滝廉太郎(荒... 続きをみる
気候温暖で自然災害の少ない自然と風土が、 人柄土地柄に影響を与えたことは確かである。 大分県の南部はリアス式海岸、中部から北部にかけては、 火山地帯で温泉が出て、火山地帯独特の石仏文化が形成された。 九重火山地域を中心に、別府、由布院、湯の平、長湯と 湯量・泉質ともに世界に誇るものである。 豊の国大... 続きをみる
生まれも育ちも豊後大分なのに、豊後大分のことは何一つ分かっていない。 自分の体臭を自分では嗅げないのと似ている。 それで豊後大分のことを少しだけ詳しく知りたいと思い、 若い時から興味を持っていた大友宗麟を起点に、 鎌倉時代から学習をし直すことにした。 2030年、令和12年が、大友宗麟生誕500年に... 続きをみる
あけましておめでとうございます。88歳の今年の抱負。 今年は、1年かけて豊後の大将大友宗麟の資料整理をしたい。 大分県では、宗麟生誕500年に向けて、大友館や庭園の復元を始めている。 2030年(令和12年)が生誕500年に当たる。これに合わせて何らかの形で 発表できるように、できれば講談台本の資料... 続きをみる
友人に誘われて、10月の初めに大分県が進めている 「大友遺跡復元」の様子を見学に隣の大分市に出かけた。 鎌倉・室町時代に繁栄した大友氏の居館跡の広さに驚きながら見て回った。 復元は緒に就いたばかりという感じであったが、 居館跡の庭園はかなり整備されていて当時の姿を連想することができた。 戦国時代の大... 続きをみる
一口に名君(賢明な君主)か暗君(暗愚な君主)かと言われてもなかなか難しい。 光の当たり方で名君にも見え、暗君にも見える。 名君に見える部分が6割あれば名君の部類に入るのではと思っている。 宗麟について言えば、名君として十分な役割を果たしていると思う。が、 1 宗麟は人々のために育児院や学校を建て、日... 続きをみる
旧いメモ帳より ~2016・2・11~「日経春秋」 退屈しのぎに古いノートを引っ張り出して、パラっとめくったところを読んでみる。 2016年2月10日の衆院予算委員会で「政治とカネ」の問題で、安倍晋三首相は政治家一人一人の自覚を訴えている。この時から政治資金や資金集めパーテーの問題を警鐘していた。 ... 続きをみる
甥っ子に誘われて運転免許を返納して5年ぶりに隣町の大分市へドライブをした。 目的は大友宗麟の館跡が大々的に整備されて新しい大分の文化の目玉になるというので、その進捗具合を見学することであった。 まだまだ、事業にやっと手を付けたという状態であったが、資料や跡地の見学を終わってみて、特にビデオ映像の大友... 続きをみる
最初の正室も2度目の正室もいわゆる政略結婚であった。 最初の正室は、足利氏の一族である一色山城守義清の娘、2番目の正室は、国東郡安芸郷奈多八幡の神官、奈多鑑基(あきもと)の娘であった。 最初の正室との離縁は義鎮(よししげ、後の宗麟)の配慮からであったと思われる。 大友家のかつてない大混乱、義鎮の父、... 続きをみる
「不倫は文化」で問題に発展した石田純一さんは本当はそんなことは言ってないと。 ある女性記者の質問に「・・・そういうものが世の中の歴史上にも、いろいろずっとある。そういうことを全否定したら、芸術も否定になっちゃいますよ」と。 これを新聞社のレイアウト担当者が「不倫は文化」とまとめた。素晴らしい能力であ... 続きをみる